EP21 チェイサー
______漆黒、ただ漆黒だけが永遠に続く世界に、ハメリア合衆国火星ロケット部隊は、ゴマ粒のようにポツンと浮かんでいた。
無限の宇宙空間では、月軌道から切り替えた荷電粒子推進エンジンによって、ロケットが秒速160kmで進んでいるとは全く思えない。
ハメリア合衆国標準時間AM6:00
地球と火星までの中間地点を越えた頃、隊長オルガ・スミスが、毎日恒例となっている確認をとったのは、本国と同じ時間で任務を遂行しているからだ。
「おはよう諸君、あと15日でマーズバニシング・ポイントに達する。ハリー、異常な何かは捉えていないか?」
潜水艦の操舵室のように細長い船内は、例えるなら通勤電車に酷似している。
窓のない壁には大型のマルチスクリーン。そこには様々な情報が表示され、異常ではない何かの電子音だけが、隊員達に安らぎを与えてくれていた。
「今のところ前方反応ネガティブ。何もないですねぇボス、このまま船内で缶詰......帰還する時も缶詰では、私は火星ミッションなんてもう真っ平御免ですよ。あッ今、熱いモーニングコーヒーを淹れますので。いつものドウシタモンジャロでいいですよね?」
あぁ、任せる。
少し寒さを感じる閉鎖空間に任務と言えども、何日も閉じ込められていれば隊長と呼ぶよりも、気楽なボスへと呼び方も変わって来た。
「ハリー、本国情報部が訊いたら懲罰ものだぞ。ここだけの話、まぁ私も同感だけどな」
「「「心配するなポッター、俺達も皆そう思ってるさ。俺達にもコーヒーを頼む」」」
へいへい。
声を上げてハモッタのは、火星ミッション部隊の副長トーラス、ジョニー、ビーノの三名だ。彼等もハメリア合衆国情報部の精鋭達で、誰が付けたのかポッターは、ハリーのニックネームとなっていた。
フッ
『緊張感が足りんが......今だけは、このままでいいだろう』
地球から遠く離れて本国との連絡が希薄になると、つい本音も出てくるものだ。
『火星の領有権......そんなものが余程大事なのか? 私には家族と過ごす時間の方が......こんな物どこで使うんだ!それに核ミサイルまで』
オルガは、対人宇宙戦用に開発されたレーザー銃を眺めながらそう思うのだった。
______前方レーダーとオプティカル観測装置が、依然として沈黙を続けていても、ハリーはレーダー反射波ではなく、後方オプティカル観測装置のデーターにだけ、ある物体が記録されていることに気づいた。
「ま、待って下さいボス、これは!後方に一定の距離を保ったアンノウン物体が存在、距離1,300宇宙距離、質量計算から本船同様の物体と推測」
「後方にだと? ハメリア合衆国月面基地<ペイトリオットB>からの報告は無かった筈だが? 定速なら隕石ではないだろう。まさかルルシア帝国!」
「恐らく表面をステルス材でコーティングしていると思われ!」
コーヒーなど飲む余裕は無くなり、船内に緊張が走った。
「ボス、そうなりゃ軍所属の宇宙船に間違いない!そんな船など」
副長のトーラス、その顔は既に軍人のそれであった。
「つかず離れず我々を追跡して来たんだろうよ、どうする隊長!」
「副長の言う通り、ルルシア帝国の目的もハメリア合衆国と同じだと言う事だ。亡きDr.立木の孤島ジャーブラ島を襲ったのは、ルルシア帝国だからな!」
「まだ慌てる必要は無い。兎に角、我々がマーズバニシング・ポイントでアクションを起こすまで、奴等は何も仕掛けては来れない。それまで警戒態勢と監視を維持せよ」
「「OK ボス!」」
ルルシア帝国標準時間AM7:00
______「何かがおかしい。ロマノフ、ハメリア合衆国にもしや気づかれたか?」
「間違いないでしょうね。いくらステルス材で船体をコーティングしていても、映像は誤魔化せませんので、時間の問題だったかと」
ロマノフとはルルシア帝国情報部の暗号名で、本名はナタリー・ダニーキと言う紅一点の隊員だった。
「いくら発見されようと、火星近くで搭載した核ミサイルを発射、事故に見せかけ、その後にゆっくり火星に着陸するだけの話だがな」
◇◇
______「父ちゃん、あのドツンツンエルフが言ってた安宿屋、確かに広い所にあるちゃ、あるけどさぁ」
「バニラ、安い宿屋があれば問題は無いだろ。他人の好意は素直に受け取るものだよ。さぁさ、早く帰って薬の量産だよ、量産。あっ、それとさ、ジョー姐さんにしか出来ない、アレを早いとこ頼むよ。あいつ等、姐さんの頼みなら絶対に嫌とは言わないからな」
「うへぇ.......アレかぁ。善処はするけどさぁ、嫌なんだよねぇ~ボク」
「まぁそう言うな。病人達の為だから頼むよ、なっ、べっぴんさん」
はひッ
是非やらさせて貰います!
______安宿でも泊まれるようになるには、まずGを稼ぐ事。その前にコローナ高熱病を何とかしなくてはいけないのだ。その突破口の一つが、ジョーに頼んだアレだ。
「ところで博士ぇ~、いえ兄貴ぃ、量産はいいけれどレティキュラム号はさぁ、湖に沈めるつもりでしょ?それから安宿<ナイトメア亭>を拠点にして活動するんだよねぇ~ボク、何だか嫌な予感しかしないんだけどぉ」
『ジョーの予感? 姐さんにそんな能力があったのか?』
私達はFランク冒険者、<ドラッグ・ファイブスターズ>として始動したばかりだ。二人と三体が宿屋に泊まる資金と<レイジー印ドラッグストア>は、薬の販売と傭兵稼業で稼ぐつもりなのだ。しかしそれには相当な資金が必要になる。
「お前達さぁ、慌てないでくれる? まだその前にいろいろやる事があるんだから......それと資金稼ぎだけどさ、例えば次に傭兵依頼があったら、誰がやってくれるのかな? 例えばバニラ、お前はどう?」
.......。
あッ、バニラ・アイスちゃんはダメっす、持病の腹痛が。
「じゃぁ桔梗は?」
いや父上、私はずっと法事があるのでご無礼に願いたい。
「Reno?」
私はメイド。主様の専属傭兵と言っても過言ではありません。
「姐さん?」
えッボクが? ボクって、か弱い独身美女だよ! 傷ものになったらどうすんのよさ!兄貴が責任とってくれなきゃ無理ぽっぽ。
つまり全員がNOと言っているのだ。
「まだ薬の生産と、もっと品数を増やしたいから傭兵依頼はまだ先の話だよ、まず将来計画はしっかりと考えておこうな」
「「「将来の家族計画ぅ!!!」」」
くわぁぁ
一人と三体の瞳が正に、不気味な目玉焼きのようにピンク色に輝いて広がった。
「か、家族計画なんて言ってないだろうが!しかもアンドロイド三体まで!」
呆れ果てて頭痛が痛くなった私は一人、無言で歩き出した。
「「「待ってぇ~、これはとっても大事な話のトチュ~でしょ」」」
『こいつ等、こういう時だけはジョーと息が合うよな。本当にAIかい』
◇◇
歩き出した私はコローナ高熱病の事ばかり考えていた。
______一つの推測
私達が元居た2054年の地球では、癌という難病は完治出来るようになった。
難病の癌が完治するなら、世界は幸せになったかと問われれば、答えはNOだった。
喉元を過ぎれば熱さを忘れる......人間とは感謝を忘れて、それが当たり前にしてしまう生き物なのだ。
蛇口を捻れば水が出る。そんな感覚である。
災害に会って初めて、その当たり前に気付かされるけれど、戦争だけは人災なのだ。
「人間は感謝を忘れ過ぎる。困った時は祈るけど......祈る?」
______話が逸れた。完治するその方法とは、癌細胞だけを死滅させる薬の開発に成功したからだ。
その開発者は、町の貧しい診療所の当時26歳の女医先生。彼女は特に、癌の特効薬開発に執念を持って研究を続けていた。
個人では研究資金も無いのに、彼女は特効薬を作り出したのである。
その彼女は天才だった。しかし知られざる秘密を知る者はいない。
時のノーベル医学賞を受賞したのは全く別の研究者で、やがて彼は超大手の製薬会社に特賓で招かれた。世に、あの診療所の女医先生の名が出る事はなく、突然どこかへ姿を消してしまったと言う。
それは私の両親から訊いた話だったが、ハメリア合衆国情報部の厳重な監視下にあった両親に、そのような既に闇に沈んだ真実を騒ぎ立てる事は出来なかった。
かつて父は言っていた。
「レイジー、癌細胞とはもともと普通の細胞だったんだよ。それが突然我儘を言い出して自分勝手に暴れ出したんだ」
え、パパ、何でぇ~?
「分かり易く言うと、突然アウト・ローに成り下がった。貧困、迫害、差別、細菌、酒やたばこ、その他の刺激で、例えると一般市民がならず者になってしまうんだよ。難しかったかい?」
うん、ボクわかんない。
「その女医先生、案外どこかに転生してたりして......そんな事がある訳はないな。あははは、今のは科学者らしくなかった」
「今なら理解出来る。悪役と言われるウィルスでも、この世に存在する理由があると言う事を。そして癌化した細胞は元の正しい細胞に戻せる。それならコローナ高熱病ウィルスも正しい方向に導いてやれば、恐らくレイジー・マイシンを使わずに治療出来る筈......そしてその方法は、もしかしたらアレが効くかもしれない」
私が考えているのは、魔法を使わない治療の可能性なのだ。
現段階では、いろいろ試行錯誤して見極めていくしかない。それが魔法とは違う科学技術の進歩なのだから。
「でも気になるのは父から訊いた、姿が消えたという謎の女医さんかな。もし彼女が異世界に来ていたらと思うと、想像するだけでもこれは興味深い」