10 ネット弁慶、りょー -3-
「……え?」
とつぶやいたきり言葉が出てこない。思考もバラバラになってまとまらない。今、何が起きたのだ?
『もしもし? もしもし? 青柳さん? りょーさん? 聞いてる?』
電話の向こうで、誰かが何か言っている。
『あのねえ、初めまして。私ねえ、みさぴょんです。ごめんなさいね。私、娘と相互してるから、真帆のつぶやき見ててりょーさんを彼氏かな? って思ったんでフォローさせていただいてたの。言わなくてごめんなさいね、さっきまで確証なかったから』
え。
という呟きは、もう声にならない。
そういえば、彼女が母親について何か言っていたような。
自分の母親がマンションに来て彼女と顔合わせした後で、彼女の家族についての話になった。
その時、確か……。
『うちの母? うーん、普通ですよ。自分で言うのもおかしいかもだけど、優しいと思うし。割と温厚? ただ……』
ただ……何て言っていたのだったか。
『何て言うのかなあ。深淵より這い寄るナントカって言うか……。知らないうちに背後取られてるみたいなことが時々あって、ちょっと怖い……です』
ちょっとじゃない。と良馬は思った。
この人、すごく怖い。
『もしもし? りょーさん? 大丈夫? りょーさん?』
「あ……。は、はい」
ようやく我に返って、反射的に返事をした。
『あのね。おひとり暮らしって聞いてますし、うつる病気だと申し訳ないからこれから車で迎えに行きます。申し訳ないけどご住所教えていただけます? カーナビで検索するから。あまり遠くないのよね、真帆から……の近くって聞いてるから』
最寄り駅の名前を言われた。
「は……はい。駅から歩いて七、八分……です……」
『だったら車だったら二十分くらいで行けるわ。ちょっと途中で買うものがあるから、三十分くらいかな。その間、真帆をお願いできます?』
「え……。あ……。はあ……。もちろん……。あ……マンション……オートロックなので……エントランスで部屋番号を……。車は……前の道路が二車線なので……ちょっとだったら停めても大丈夫……」
その後、住所と携帯番号を吐かされた。
三十分後に、インターフォンが鳴る。
「は、はい……」
『夜分に恐れ入ります、西浦です』
「はい……」
眠り込んでいる彼女を何とか起こし、肩を貸してエントランスまで連れて降りた。
どことなく面影が彼女に似ている、小太りの女性がコンビニの袋を手に持って立っていた。
「あの……」
「あらどうも、初めまして西浦ですー。みさぴょんでいいですので。青柳さんもりょーさんでいい? いいわよね? あーもう真帆、ぐったりしちゃって。調子悪いなら家に帰って来ればいいのに、ご迷惑おかけして申し訳ありませんねホント」
「……はあ」
オバサンの怒涛のおしゃべりに口をはさむ隙がない。
そしてうっかり『りょーさんでいい?』という質問に同意してしまったことに気付いた時には、もう遅かった。
「あー、でもりょーさん。……ふふ、思ったより落ち着いてるのね。もっと幼い感じかと思った」
それはどういう意味なのだろう。ほめられているのか、けなされているのか。
「SNSでの時と、全然感じが違うのね。もっと強気な人かと思った。緊張しなくていいですよ、いつもやりとりしてる感じで行きましょ?」
いや無理。絶対無理。
「あ、あとこれ。あのね、風邪がうつるといけないから、りょーさん用の解熱剤。ないって言ってたでしょ? あとスポーツドリンクとアイス。ストロベリーアイスが好きって前に SNS で言ってたよね? 熱が高いと食欲なくなるから、その時はこれ食べて。あと、スポーツドリンクは今日は枕元に置いて、熱が上がってくるようなら飲んで、水分切らさないようにしてね。具合悪くなったら病院に行って。真帆からご両親が近くに住んでらっしゃるって聞いてるけど、何かあったら私の方に連絡くれてもいいですよ。ひとり暮らしで病気は辛いからね、必要だったら手伝うから遠慮しないで言ってちょうだい。メッセージでいいから。あ、家に帰ったら真帆の様子もメッセしますね」
「はい……」
怒涛。正に怒涛。SNS では落ち着いていて良識のある人という印象だった『みさぴょん』こと真帆母だが、リアルの彼女は怒涛。良馬はろくに返事も出来ない。
「ほら真帆。自分で歩いて」
「ん……。あれ、お母さん?」
「あ、僕……車まで良かったら……」
「ありがと。じゃお願い、りょーさん」
赤い軽自動車がマンションの前に停めてあった。
真帆の母はさっと運転席に座り、助手席のドアを中から開ける。
良馬は不器用に真帆を助手席に座らせた。真帆の母が娘にシートベルトを着けさせる。
「じゃ、ご迷惑かけました。ありがとうりょーさん。これからも真帆をよろしくお願いしますね」
「はあ」
「あと、りょーさんも今日は温かくして早く寝てね。三時とか四時まで起きてちゃダメですよ、体に良くないからね。早寝早起き大事ですよ」
「はい……」
タイムラインを把握されているので全部バレている。
「それじゃまたー。家に着いたらメッセしまーす」
そう朗らかに言って、真帆母は車を出した。
赤い車が視界から消えるまで、良馬はぼんやりと見送っていた。
ふらふらと自室に戻り、鍵をかけ、ベッドに直行した。
ものすごく疲れた。
携帯がぶんぶん鳴っている。SNS から何か通知が来ているのだろう。
すぐさま『みさぴょん』をブロックした上で、『りょー』のアカウントごと削除したいという衝動に駆られた。だが出来ない。そんなことをしたら訝しまれる。住所も電話番号も顔も把握されてしまったのに、そんなこと出来ない。
ネットの知り合いは、あくまでネットだけのもの。いつでも切れるし、リアルの自分とは関係ない。ずっとそう思ってきた。だけど、これからは……。
意外に近くに、知っている人間が潜んでいるのかもしれない。
その恐怖を忘れないようにした方が、きっといい。
ぐったりと横たわる。
いっそ熱が出てほしかったが、こんな時に限って発病しなかった。




