紬(つむぎ)
俺は動揺していないフリをしながら、さっきの事故のことを考えていた。
事故の時、俺は運転していたはずだが、助手席にいた。
それに、事故の時は翔は乗っていなかったのに、俺は翔と呼んだ。
今の状況と事故の時が混じっている?
なぜ、こうなった?
俺が混乱していることは認める。
糸井先生は虚偽記憶は自分の記憶として認識しているため、鮮明に覚えていてもおかしくないと言うが、自分を他人目線で見るか?
だとすると、里田先生の長谷川さんの血が俺に入ってという話を信じるかと言われると、ちょっとなぁ。
俺が、あれこれ考えている間に現地に到着した。
「ここよね?」
「ああ。降りよう」
俺たちは車を降りた。
翔は車から降りれたことを喜んで、動き回るので、紬が追いかける。
「長谷川さん、土地はこの境界杭からあちらの境界杭までになります。奥は斜面の半分程度までです」
「結構広いですね」
「はい。車移動を想定されていたようですが、問題ないですか?」
「問題ないです」
「では…」と俺は落ちていた棒で地面に線を描いた。
「家はここに建てることになりますが、ここに水の流れた跡があります」
「はい」
「このまま建築すると、家の湿度が高くなります。ですから、斜面の土の流出を考えて木を配置して、ここから水路になるよう穴を掘ります」
「コンクリートの水路ですか?」
「いいえ、普通に掘って、大きめの石で埋めます。それが地下の水の道になるらしいです。この辺は紬の専門なので…」
「そうですか。後で聞きます」と紬と翔がじゃれあっているのを見た。
俺はノートパソコンに図面を表示して、「寝室ですが少し小さくしますか?」と言う。
「そうねぇ。そのままでいいわ。健一の書斎はなくしてリビングを広くしたいわ」
「わかりました」
俺は、紬を呼んだ。
「木の配置を説明してくれないか?」と言い、俺は紬と役を代わった。
「あそこにもみじとコナラがあるので、こちらの移植してはどうかしら?」
「え? あの斜面の木ですか?」
「そうです。ここに自然と生えた木ですから相性がいいので枯れにくいです。それに、遥翔が説明したように、水路を作るので基本的に水やりも不要です。自分の土地の木ですから、木を買う費用も不要だし、悪いことはないと思います」
「ふふ。そうですね」
紬と優佳が斜面の方に移動しながら話を続けている。
俺は、目の前の翔を追いかけて、捕まえて高く上げる。
翔がキャッキャ言うのを聞いて俺は楽しいのだが、翔じゃなく翔だという言葉が頭の中で聞こえる。
紬と優佳が戻ってきて、「どうしたの?」と聞く。
「え? 何が? 遥翔、あなた泣いているじゃない?」
「俺が泣いている?」翔を下ろして、頬をぬぐうと濡れている。
「急に仕事に戻って、疲れているんじゃない?」
「そんなことないよ。翔のためにも頑張らないと」
「翔?」
「あっ、翔。言い間違えた」
「遥翔…」
「佐藤さん」
「何でしょうか?」
「佐藤さんは事故で混乱して、健一の幻影を見ているだけです。翔君と紬さんをよく見てください」
俺は、心配そうな翔と紬の顔が俺を見ている。
「佐藤さんは健一のことを気にする必要はないです。佐藤さんが健一とどんな話をしていたのかは知りません。健一はアメリカにいる時に翔を事故で亡くしました。日本にいたら守れたのではないか? 俺は間違っていたのではないか?と後悔していました」
俺は離れるべきじゃなかったと感じた。
「私も寂しい気持ちもあるし、後悔もあるわ。でも、私と健一は乗り越えています。健一は健一で佐藤さんじゃないです」
優佳はハンカチを取り出し、自分の涙を拭った。
そして、大きく息を吐いて話を続けた。
「佐藤さん、仕事を頑張らないとと思っていませんか?」
「はい…」
「仕事は大切ですが、家族の方が大切です。私は、佐藤さんがアメリカで仕事をしたと言う話を聞いて、危うさを感じたのです」
「危うさ?」
俺が、長谷川さんのように後悔するということか?
突然、携帯が鳴った。
携帯を見ると、裕香からの着信だ。
俺は長谷川さんに「すみません」と言って電話に出ようとすると、急に紬が横からスピーカーのボタンを押した。
『遥翔、ロンドンの店舗の改装をするの。来なさい。暇でしょ?』
「え? 急だな。ナパの家は?」
『詳細の設計は現地の設計士がするんだから、遥翔は確認するだけでしょ』
「それはそうだが…」
『店舗の改装も同じよ。データ収集をさせて、案を出すだけよ』
「簡単に言うなよ」
『簡単よ。私は私の得意なことをして、不得意なことは得意な人に任せているわ。遥翔は人を使うということがわかってないのよ。自分だけ忙しく仕事をすることは不正解よ』
紬はハッとした顔になり、「その通りね。裕香さん、私と翔も一緒に行くわ」と言った。
「え?」
『その声は紬ね。いいわよ』
「私が一緒に行って、遥翔をコントロールするわ」
コントロールって…
『ふふ。紬、あなたいいわねぇ。翔君も連れてくるといいわ。詳細は孝也に連絡させるわ』と言うと、電話が切れた。
「切れた… 紬、ロンドンだぞ? いいのか?」
「裕香さんは『データ収集をさせて、案を出すだけ』と言っていたわ」
「そうだな」
「裕香さんは時間をかけるのは嫌いなんでしょ? ナパも3日だったじゃない。今回も同じようなものよ。時間がかかりそうなら、時間がかかる部分は他の人を使えばいいじゃない。遥翔がかかりっきりになる必要なんてないわ。それが人を使うということでしょ?」
「それはそうかもしれないが…」
人を使うには金がかかるし…と考えてしまう。
「遥翔が遥翔らしくできない仕事はする必要がないじゃない? 私も仕事をするんだから、遥翔だけが抱え込む必要はないわ。私たちは私たちらしくすればいいのよ」
『遥翔らしく』というのが俺にはひっかかる。
「俺らしく… 俺には長谷川さんの記憶が…」
「里田先生や糸井先生の話を気にしているの? 長谷川健一さんに感情移入しただけじゃない? 遥翔は遥翔よ」
俺には長谷川さんの記憶があるかもしれないが、紬がいれば俺は俺でいられる気がした。
「そうだな。裕香の提案に乗るよ」
「紬さんがいれば大丈夫ね」と優佳さんが言った。
(完)
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