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適性なしの元無能と、蒼竜の対峙


 Aランクダンジョン『蒼鳴の霊峰』、第20階層。


 眼前にそびえ立つのは、見上げるほど巨大な絶対零度の氷の扉だった。


 扉の表面には、神話の時代から続くような緻密な竜の紋章が刻まれており、そこから漏れ出す魔力の圧だけで、空間がギシギシと悲鳴を上げている。


 この扉を開ければ、ついに蒼竜がいる。

 俺は黄色いドドンキの袋を氷の床に置き、大きく、そしてゆっくりと白く凍る息を吐き出した。


「……少しだけ、休ませてくれ」

「はい、マスター。バイタルの安定を確認するまで、突入は待機します」


 トラ子の静かな声に頷き、俺は冷たい氷の床にどっかりと腰を下ろした。


「……なあ、エク子、トラ子」

「はい! なんでしょうマスター!」

「どうしました?」


 俺は、ボロボロになった1980円のジャージの裾を見つめながら、ぽつりと呟いた。


「俺、少し前までは、本当にどうしようもない人間だったんだよな」

 探索者としての才能を測る適性検査は、最低の『適性なし』。事務員としてギルドの端っこにしがみついていたが、あっさりとリストラされた。


 唯一の家族である妹の美桜は不治の病に倒れ、莫大な治療費が必要だというのに、俺にはそれを稼ぐ力も、特別な才能も何一つなかった。


「……正直に言うとさ。俺、少し前まで本気で首を括って死んで、全部終わりにしようとしてたんだ」


 初めて口にする、俺の情けない過去の告白。

 脳内のAIたちは、何も言わずに静かに俺の言葉を聞いていた。


「アパートの部屋でロープを作って、それを握りしめてた。でも……どうせ死ぬなら、最後にヤケクソになって、ダンジョンに突っ込んでやろうって思ったんだ。

装備もなしに破れかぶれに飛び込んで、モンスターに殺されるか、万が一の奇跡でドロップ品を拾えるか……完全な自殺志願者ヤケだったよ」


 俺は自嘲気味に笑い、両手を見つめた。

「でも、あのどん底の死地のど真ん中で……エラーみたいなこのスキルが発現して、お前たちが現れた」


 俺は視界の端に浮かぶ、エク子とトラ子を真っ直ぐに見つめた。


「エク子。お前が俺の筋肉を『最強だ』って肯定してくれて、無理難題な要求を笑って吹き飛ばしてくれて……俺は、もう一度立ち上がる理由をもらったんだ。

トラ子、お前もだ。俺の足りない頭を、その完璧な計算で何度も救ってくれた」


 俺は、深く頭を下げた。

「こんな適性ゼロの情けない俺だけど……お前たちには、本当に助けられた。ありがとう」


 少しの沈黙の後。

 エク子のホログラムが、いつものおちゃらけた笑顔ではなく、ひどく優しく、慈しむような微笑みを浮かべた。


「……マスター。私、マスターが『適性なし』で、本当に良かったって思ってます」


「え?」


「もしマスターが、並の探索者のように『適性あり』だったら……私やトラ子ちゃんとは、絶対に、一生出会うことはありませんでした」


 エク子は、ぽろぽろと光の粒子の涙をこぼしながら、ふわりと笑った。


「だから……あの日、ロープを手放して、無茶苦茶でもヤケになってダンジョンに突っ込んでくれて、本当に良かった。

生きて、私と出会ってくれて、ありがとう……マスター」


 トラ子も、眼鏡をスッと中指で押し上げながら、そっぽを向いて呟く。

「……エラーとバグが偶然重なっただけの、天文学的な確率の産物です。

ですが……その奇跡の末路にいるのが貴方であることは、システム上、悪くない結果(最適解)だと評価しています」


 温かい言葉が、極寒のAランクダンジョンで凍りついていた俺の心を、ポカポカと温めていく。


 本当に、俺は最高の相棒たちを持った。

 美桜。

 お兄ちゃんはもう、一人じゃないぞ。

 俺が感極まって涙ぐみそうになった、その時だった。


「おっ! トラ子ちゃん、聞きました!? 今のマスターの台詞と雰囲気! これぞまさに、死地に赴く前の『死亡フラ――」


「バカ野郎!! 縁起でもないこと言うな!!」


 俺は感動の涙を引っこめ、空中のホログラムに向かって思い切りツッコミのチョップを放った。


「いっ!? ひどいですよマスター、せっかくのエモいシーンだったのに!」


「お前がぶち壊したんだろ! ラスボス戦の前に『俺たちの戦いはこれからだ』みたいな空気出すな!」


 漫才のようなやり取りをして、俺は深く息を吐き出した。

 さっきまでの無駄な緊張感や、過去への未練は、もうどこにもない。

 心は澄み渡り、筋肉は最高の状態に仕上がっている。


「……よし、行くぞ」

 俺は魔法の黄色い袋をギュッと握り直し、立ち上がった。


 そして、眼前の巨大な氷の扉に両手を添え、力込めて、押し開いた。


 重厚な扉が悲鳴を上げて開き、内部から強烈な吹雪と、圧倒的な『死の匂い』が吹き荒れる。


 扉の先。

 そこは、一つのドーム球場すら凌駕するほどの、途方もなく広大な氷晶の空洞だった。

 そして、その空間の中央。


『――ルゥゥゥゥ……』

 空気を震わせる、低い喉鳴り。

 全長50メートルは優に超えるであろう、神話そのもののような偉容。


 全身を蒼く透き通る無敵の結晶鱗クリスタル・スケイルで覆い、背中には空間すら切り裂く巨大な六枚の翼。


 絶望の象徴。

 Aランク最深部エリアボス――『蒼竜ブルードラゴン』。

 竜が、ゆっくりと閉じていた黄金の双眸を見開いた。


 それだけで、霊峰の空気が完全に凍りつき、内臓を押し潰すような凄まじい重圧プレッシャーが俺の全身にのしかかる。

 並の冒険者なら、この威圧感だけで発狂するだろう。


 だが。

「……デカいな。ドドンキの袋に入るか、これ」

 俺は、ボロボロのジャージ姿のまま、不敵に口角を吊り上げた。


『……矮小ナル、人ノ子ヨ。破滅ノ淵ニ、何用カ』

 脳を直接揺らすような声。


 俺は黄色い袋を肩に担ぎ、竜を真っ直ぐに睨みつけながら、地上で待つたった一人の家族のために、堂々と宣戦布告を叩きつけた。


「決まってんだろ。てめえの心臓(特級エリクサー)を、引っこ抜きに来たんだよ」


 最強の筋肉と、最高のAI。

 首を括ろうとしたどん底から這い上がった、不屈の覚悟。


 絶望の蒼竜と、究極の脳筋による、文字通り世界を揺るがす最終決戦の幕が、今ここに上がった。

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