閑話 今更100話到達記念その2
「結城さん」
不意に、烏龍茶のグラスを持ったまどかが隣に腰を下ろした。
彼女は、大騒ぎする皆を優しい目で見つめながら、ぽつりとこぼした。
「……結城さんは、優しすぎますわ。
だからこそ、ご自身一人で、すべてを抱え込もうとしてしまう」
「まどか……」
「でも、見てくださいな。
結城さんが護り、救ってきた人たちが、こんなにも結城さんの周りにはいるんです。
どうか、ご自身が背負っている重すぎる荷物を、少しは私たちにも分けてくださいね。
……それが、私からのささやかなお願いです」
まどかさんは、柔らかく、けれど芯のある声でそう言って、俺のグラスに軽く自分のグラスを当てた。
「おーい、誠さーん! お肉焼けましたよ! 早くしないとエク子さんが全部食べちゃいますよ!」
「んぐ、マスター! 私の分のケーキも残しておいてくださいね! 独り占めは禁止ですよ!」
「結城殿、この魔魚は刺身が良いか、それとも塩焼きが良いか!?」
みんなの声が、俺を呼んでいる。
現実は、こんなに甘くないかもしれない。
夢が醒めれば、エク子たちのアバターは消え、俺は再び現実に戻る。
でも、だからこそ。
(俺は、絶対に諦めない。いつか必ず、この『もしも』を、本当の現実にしてみせる)
俺は立ち上がり、思い切り息を吸い込んだ。
「お前ら、人の家の肉を勝手に食い尽くすな! エク子!それは母さんの分だ!
キバ、室内で火力を上げるな天井が焦げる! それにエク子もトラ子も、実体化したからって食い意地張りすぎだ!」
♦︎
「ちょっ、トラ子!? お前、顔が真っ赤っていうか、銀縁メガネが湯気で曇りまくってるぞ!?」
お祝いの途中で、俺の悲鳴が響き渡った。
さっきまで「味覚の解析にリソースを割きます」とクールにワイングラスを傾けていたトラ子が、今は完全に『論理崩壊』を起こしている。
タイトなスーツを着崩し、メガネを斜めにずらしたトラ子が、顔を真っ赤にして俺の首元に全力で抱きついてきたのだ。
「マスタァ……っ。あなたはぁ、統計学的に見て、常に無茶が過ぎるんですよぉっ!
私の予測演算が毎回どれだけオーバーヒートしかけてるか、分かってるんですかぁっ!?」
「滑舌が怪しいし、キャラが崩壊してる! あと抱きつくな!」
トラ子は俺のジャージをがっしりと掴んでぐいぐいと引っ張り、耳元で「ヒック……ですからぁ、もっと私を頼りなさい……撫でなさい、褒めちぎりなさいぃ……っ」と、普段の冷徹さからは想像もつかない無駄絡みを始めた。
「エク子! こいつどうにかしてくれ!」
俺が助けを求めると、唐揚げを頬張っていたエク子が「あははは! トラ子ちゃんの論理回路、完全にショートしてますね!」と大爆笑している。
「他人事みたいに言うな! っていうか、誰だ、こいつに飲ませたやつは!?」
「はいはーい! まどかさんが持ってきた『火酒・度数96%』を、トラ子ちゃんが『マスターの摂取前に、私が成分の毒性チェックを行います』って言って、グラスで一気飲みしちゃったんです!」
「毒見で一気飲みするバカがいるか! 致死量のアルコールだろそれ!」
俺が頭を抱えると、まどかさんが上品に口元を押さえて、ふふっと微笑んだ。
「あら、ごめんなさい。お祝いだからと持参したのですけれど……あちらのAIさん、とても真面目でいらっしゃるのね。
でも、普段気を張っている分、たまにはこうして結城さんに甘えたいという深層心理の表れじゃありませんこと?」
「あはは! 誠さん、トラ子さんすっごいデレデレ! 『エク子ばかり構わないでくださいぃ』って言ってるよ!」
葵が爆笑しながらスマホで動画を撮り始め、しずくが「あんなに冷静なトラ子さんが……でも、誠さんにここまで感情を露わにするなんて、少し羨ましいですね」と、どこか楽しげに見守っている。
「マスターぁ……! 今日という今日は、絶対に逃がしませんよぉ……!
存在が消滅してリスポーンしなくなっちゃう前にぃ……私だけを、特別扱いしてくだふぁい!」
「だんだんエク子みたいな喋り方になってきてるぞ! 凛、おじさんを助けてくれ……」
「おじちゃん……トラ子、なんかぽんこつのお姉ちゃんみたい。でも……可愛いかも」
凛が引き気味に俺の背後に隠れ、キバが「結城殿、これも一興。完璧を誇る彼女が崩れる様もまた美しい。
……よし、我もあの『火酒』を飲み干し、トラ子殿の論理崩壊に付き合うとしよう!」と、物騒な決意を固め始めた。
「キバ、お前まで論理崩壊したらこのアパートが物理的に更地になるからやめろ! 美桜、母さん、助けて!」
「あはは、お兄ちゃん、クールなトラ子さんにこんなに愛されてて幸せ者だねぇ」
「誠、トラ子ちゃんがこんなに懐いてるんだから、今日くらい存分に甘えさせてあげなさいな」
家族まで味方してくれない。
ボロアパートの四畳半は、アルコールでトラ子による「計算外のデレ&無駄絡み」によって、さらなる大混乱へと突き進んでいくのだった。
「誰だ! 本当に毒見なんてさせたやつは……っ! 俺の平穏な100話記念を返せ!」
俺の悲痛な叫びは、みんなの笑い声と、バグったトラ子が叫ぶ「さあマスター、私の頭を撫でる確率100%の行動を選択してくださいぃ!」という謎の要求の中に、虚しく消えていった。
ドタバタで騒がしいこの宴は、夜が更けるまで、ずっとずっと温かい笑い声に包まれていた。




