リストラ、絶望、そして覚醒
よろしくお願いします。
世の中が理不尽なのは、今に始まったことじゃない。持たざる者は淘汰され、持つ者がすべてを奪っていく。
その世界の構図は、いまも昔も変わらない。
現代にダンジョンが出現して数十年。
人々は生まれながらにして『冒険者適性』の有無を調べられるようになり、適性を持つ者はスキルや魔法に目覚め、莫大な富と名声を掴むようになった。
ここは冒険者協会。
光り輝く才能を持つ者たちを管理し、支援するための国家機関である。
その中で俺、結城誠は、その関東支部で働く冒険者適性『ゼロ』のしがない事務員だ。
いや、正確には「だった」と言うべきだろう。
♦︎
「結城誠。本日をもって、探索者協会から解雇とする」
その言葉は、冷たい宣告だった。
無機質な支部長室。高級な革張りのソファにふんぞり返る関東支部長は、汚いものでも見るかのような目で、俺へと紙切れ一枚を突きつけた。
「……理由を、お聞きしても?」
なるべく感情を殺し、平坦な声で尋ねた。
「理由はシンプルさ、君が魔力すら持たない無能だからだ」
「……ッ!」
そんなの納得できるわけがない。俺は必死に食い下がった。
「な、納得できません!それに、私が担当している第4エリアのサポート業務はどうなるんですか!?あそこは初心者も多く細かなケアが必要なエリアですよ!」
「あのなあ、結城くん」
支部長は面倒くさそうに耳の穴をほじりながら、薄笑いを浮かべた。
「冒険者は一般人じゃ到底相手に出来ない、魔物と命のやり取りをしてる連中だ。……分かるか?」
「ええ。だからこそ、我々のような裏方のサポートと安全管理が必要だと理解していま――」
「いや、分かってねえよ」
支部長は冷たく言い放った。
「そういう血の気の多い連中が、魔力すら持たない『冒険者適性ゼロ』の事務員にチマチマと安全管理の説教されて、素直に従うと思うか?」
――冒険者適性ゼロ。
その言葉に、俺は口を噤む。
事実だったからだ。俺には魔力が一切なく、身体能力も一般人以下。
それでも冒険者に憧れ、せめて彼らを支える仕事に就きたいと必死な思いで協会に入ったが、現場の探索者たちから見れば、俺はただの「安全な場所から口出しをして来るただの無能」でしかなかった。
「それに君が現場で正論を言うたびに、若手冒険者たちと揉め事が起きるんだよ。……ぶっちゃけ、君の存在は協会にとってメリットどころかデメリットでしか無いんだ」
支部長は無慈悲に宣告する。
「残念だが、適性ある優秀な若手を事務に回す事になったからもう君の居場所はない。荷物をまとめて、今日中にデスクを空けてくれ」
正直、反論する気力も湧かなかった。
持たざる者は淘汰される。この世界では至極当然の理屈だ。こうして、俺が何年もかけて積み上げて来たささやかな努力は、あっけなく終わりを迎えた。
♦
ふらつく足で向かった駅前のカフェ。
そこで俺の帰りを待っていた恋人のリカは、スマホから一切、目を離すことなく淡々と言い放った。
「そっか、協会クビになったんだ。……じゃあ、私たちの関係もここまでね」
カチャカチャと、長い付け爪が画面をタップする音だけが虚しく響く。
「ま、待ってくれリカ!確かに職は失ったが、すぐに新しい仕事を探すから!それに、結婚を前提にって言うから、君の誕生日に買ったあのバッグも……っ!」
思わずテーブルに手をついて懇願する俺を、リカは冷めた目で見返した。
「はぁ?そんなの、アンタが勝手に貢いできただけでしょ?……だいたいさぁ、適性なしの冴えない三十代のおじさんが、若くて可愛い私と釣り合うと思ってたわけ?」
「え……」
「トップ冒険者と繋がれるかもって思って協会勤めのアンタと付き合ってたけど、全然紹介してくれないし、マジ時間の無駄だったわ。ただの都合のいいATMの分際で彼氏面しないでくれる?」
リカは飲みかけのフラペチーノをテーブルに放置し、さっさと店を出て行ってしまった。
放心状態のまま、どれくらいその席に座っていたか覚えていない。周囲の客の哀れむような視線を浴びながら、俺は這うようにしてボロアパートへと帰宅した。
♦︎
だが、冷たい現実の追い打ちはまだ終わっていなかった。
『家賃滞納による強制退去のお知らせ』
色褪せたドアに、無機質な赤い紙がベラリと貼られている。
リカとの交際費などで生活費を切り詰め、カードローンや怪しい闇金融にまで手を出していた俺の銀行口座は、完全に底を突いていたのだ。
職を失い、恋人に振られ、家すらも失いかけている。文字通り、俺の人生は行き詰まってしまった。
薄暗い部屋の中で崩れ落ちそうになった矢先、ポケットのスマホが鳴る。
「――母さん? どうしたんだ、急に」
『誠……! みおが……美桜が倒れたの!』
電話越しに聞こえる母の悲痛な叫びに、俺の心臓は嫌な音を立てた。
母子家庭で貧しい中、寄り添うように生きてきた俺にとって、たった一人の大切な妹。
すべてを失った今の俺に残された、唯一の希望。俺は全速力で、母が連絡してくれた病院へと走り出した。
♦
「――『魔素病』です」
冷たい病院のカンファレンスルームで、医師から告げられた言葉は、俺の残されたわずかな希望すらも無惨に粉砕した。
「生まれつき魔素への耐性がない人間が、大気中の魔素を体内に蓄積してしまい、徐々に内臓が破壊されていく病気です」
「これは指定難病の一つです。生まれつき魔素への耐性がない人間が、ダンジョン発生以降、大気中に微量に混じっている魔素を体内に蓄積してしまい、徐々に内臓が破壊されていく恐ろしい病気です」
「そ、そんな……! 美桜はまだ十八歳ですよ!?治るんですよね!? 手術すれば……!」
隣で泣き崩れる母の肩を抱きながら、俺は必死に医師にすがりついた。
しかし、医師の表情は暗い。
「一時的に進行を止める特別な治療法は存在します。……それでも美桜さんの命は、長く見積もっても一ヶ月。
高位の治癒魔法使いによる継続的な術式展開ですが、これらは保険の適用外でおよそ一億円の費用がかかります。……それはあくまでも延命。
完治にはダンジョン深層でしか採れない特級エリクサーの投与が必要になります。」
それを聞いた瞬間、俺の目の前が真っ暗になる。無職で家賃もろくに払えない男が、一ヶ月でそんな大金を払えるわけがない。
ベッドで酸素マスクをつけ、苦しそうに息をする妹の顔を見つめながら、俺は己の無力さにただ涙を流すことしかできなかった。
♦
誰もいない電気の止められたアパートの部屋。
俺は暗闇の中で頭を抱え込んでいた。
妹を救う一億円など、稼げるわけがない。
無職、適性なし、借金まみれ。俺の人生には何一つ残らなかった。
「うぅ、ごめん……母さん、美桜……。俺みたいな無能は生きていても迷惑をかけるだけだ……」
ここで全てを諦め命を断つことが頭によぎる。
絶望に押し潰されそうになっていた、その時だった。
ブーブーブー。
床に放り投げていたスマホが鳴った。
画面には見知らぬ番号。
無視するつもりだったが、あまりにも長く鳴り続けるため、俺は無意識に通話ボタンを押してしまった。
『おっ、出た出た! なんだよ、元気してるか?久しぶりだな、誠!』
スピーカーから聞こえたのは、場違いなほど明るく、そしてひどく懐かしい声だった。
「……お前、剣崎か?」
『おうよ! 番号変えたから分かんなかったか?』
剣崎。それは俺が冒険者協会に入った頃の元同期だ。
俺とは違い、入社直後の検査で圧倒的な適性を見出され、すぐに冒険者に転身。
今ではテレビで見ない日はないほどの大スター、日本トップクラスのSランク冒険者に登り詰めた男である。
『いやさ、お前が協会クビになったって風の噂で聞いてよ。お前みたいにクソ真面目な奴を切るなんて、あの支部長もホント見る目ねぇよな。
……で、金に困ってんだろ? 美桜ちゃんの病気のことも、昔のツテから聞いたぜ』
ズキリと、胸の奥が痛んだ。
底辺を這いずる俺の惨めな現状が、雲の上の存在になった同期に知れ渡っている。
その事実が、たまらなく恥ずかしかった。
『一億なんだろ? 安心しろって、俺がポンと出してやるよ!今の俺にとっちゃ、一回のボス討伐の報酬にも満たないはした金だ。
口座番号教えろよ、今すぐ振り込んでやるからさ!』
あっけらかんと言い放つ剣崎。そこに悪意はない。純粋な善意だとわかる。喉から手が出るほど欲しい申し出だった。
その金があれば、美桜は少なくとも一ヶ月は生きられる。そして、その一ヶ月があれば、特級エリクサーを手に入れるための時間も稼げる。
「……頼む」
気づけば、俺はそう呟きかけていた。
妹を救える。それだけのためなら、何だってする。頭を下げることも、恥を晒すことも、借金を背負うことだって構わない。
俺のくだらないプライドなんて、美桜の命に比べれば何の価値もない。
そう思っているはずなのに――。
「……いや」
俺は拳を握り締めた。
「悪い、剣崎。一億円は、借りることはできない」
『は? なんでだよ!』
「……俺は、美桜を助けるためにダンジョンへ行く」
『お前、何言ってんだ!? 適性ゼロなんだぞ?』
「……分かってる」
正直怖い。今だって、足は震えている。
それでも。
「一億円を借りて延命してもらうだけじゃ、美桜は助からない。完治させるには特級エリクサーが必要なんだ」
『……それは、そうだけどよ』
「だったら俺が取りに行く」
剣崎の声が途切れる。
「お前から金を借りれば、美桜は一ヶ月生きられるかもしれない。でも、その一ヶ月の先には何がある? 結局、誰かがエリクサーを手に入れなきゃならないんだ」
俺は自分の震える手を見つめた。
「だったら……俺がやる」
『誠……お前、本気か?』
「ああ」
今までの俺なら、絶対にそんなことは考えなかった。
冒険者適性ゼロで、身体能力も一般人以下。
そんな俺がダンジョンに入れば、死ぬ可能性のほうが圧倒的に高い。
それでも――。
「美桜を救える可能性が少しでもあるなら、俺はそこに賭けたい」
俺は深く息を吸った。
「だから……悪い。金は借りれない」
『お前なぁ……』
呆れたような声が返ってくる。
『分かったよ。でも、どうしても無理だと思ったら連絡しろ。意地張る必要なんてねえからな』
「……ああ。ありがとう、剣崎」
『絶対だぞ。約束だからな』
「ああ」
通話を切る。
スマホを握り締めたまま、俺はしばらく動けなかった。妹の命を救うためなら、プライドなんて捨てられる。
だが、俺にはまだ、自分の手で妹を救える可能性が残されている。
「……冗談じゃない」
静まり返る部屋の中、俺は奥歯を噛み締めた。
「……ッ」
「誰かに救ってもらうんじゃない。俺が……俺自身が、美桜を助けるんだ!」
俺は、ドアを蹴り開け、家を飛び出した。
向かった先は、市外にある初心者用ダンジョン。
武器も無いし、防具もない。そもそも冒険者の適性もない。
薄汚れたスーツ姿で、俺は狂ったようにダンジョンのゲートへと飛び込んだ。
♦
湿った土の匂いがするダンジョン内部。
一億円を稼ぐ。その一心で飛び込んだものの、頭に血が上っていた俺は致命的な事実を失念していた。
「ギギャ……ッ」
通路の奥から、這いずるような足音が聞こえた。現れたのは、一匹のゴブリン。
身長は子どものように低いが、緑色の醜悪な肌は筋肉で岩のように隆起し、血走った目玉がギラギラとこちらを値踏みしている。
その手には、黒ずんだ血がこびりついた太い棍棒。
「あ……ぁ……」
いざ本物の殺意を持った魔物を前にして、俺の足は、完全にすくんでしまった。
頭では「戦え」と命じているのに、指先一つ動かないし、パニックで声すら出ない。
協会で安全な場所から冒険者たちに偉そうにアドバイスしていた自分が、いかに滑稽だったかを思い知る。
「ギヒッ! ギギャアアアアッ!」
ゴブリンがニタニタと嗤い、こちらを「ただのエサ」と認識して飛びかかってきた。
太い棍棒が、俺の頭蓋を砕くために無慈悲に振り上げられる。
(ああ、俺はここで撲殺されるのか……。結局、何もできないまま……)
ぎゅっと目を瞑った瞬間、脳裏に病室で苦しむ美桜の顔が浮かんだ。そして、俺を見下してきた支部長の顔、リカの冷酷な目、絶望に暮れる母の涙。
(ふざけるな……! このままでいいわけがないだろうがっ!!)
カッ、と目を見開く。俺は死に物狂いで、前へ踏み込んだ。
「クソッ! 死ぬならいっそ、お前を道連れにしてやるっ!!」
ブォンッ! という風切り音と共に振り下ろされる棍棒を、スーツの肩を犠牲にして紙一重でかわす。
肉を掠める激痛に歯を食いしばりながら、俺は泥だらけになってゴブリンの懐へ飛び込み、その身体に力任せに飛び付く。
武器はない。あるのは己の肉体だけだ。
「ギャッ!? ギギィッ!」
ゴブリンが抵抗し、鋭い爪で俺の背中や腕を容赦なく切り裂く。
鮮血が飛び散り、激痛が全身を駆け巡る。
……だが、絶対に離さない。
俺は必死にゴブリンを押し倒し、無我夢中でその首を両手で締め上げた。
「クソ!クソ!俺の人生の邪魔をするなあああっ!!」
「ギギャ……ギ、ギェ……ッ!?」
泥と血にまみれた、獣同士のような死闘。
爪が剥がれ、スーツはボロボロに引き裂かれ、血を吐きながらも、俺はひたすらに首を絞め続けた。
やがて――ゴブリンの身体がビクンと大きく跳ね、その動きを完全に止めた。
「はぁ……はぁ……はぁ……っ」
俺も限界だった。全身の血液が流れ出しているような感覚。まさに致命傷だった。
意識が急速に遠のき、俺はゴブリンの死体の上に倒れ伏す。
(ああ、ここまでか。結局、一円も稼げなかったな……)
薄れゆく意識の中、ふと、無機質な音声が脳内に直接響き渡った。
『――条件達成を確認しました』
なんだ……? 幻聴か?
『実績:【無装備】かつ【適性なし】かつ【素手】による、単独での魔物討伐を達成しました』
『本来、システム上ありえない条件を確認』
『通常プロトコルを停止。システムにエラーが発生――例外処理を実行します』
……例外処理?
『当該対象者に、例外特典を付与します。ユニークスキル【存在強奪】を獲得しました』
『並びに、パーソナル・サポートシステム【エク子】をインストールします――インストール及び、起動完了』
♦
パチッ、と目の前に青白い光の粒子が集まり始めた。
それはやがて、手のひらサイズのホログラムの少女の姿を形作る。
その少女はツインテールの髪を揺らし、ゴシックなドレスを着た小さな妖精のような見た目だった。
「はじめまして、マスター! 世界の例外から生まれたサポートAI、エク子ですっ! ……うわぁ、初対面からボロボロですね! でもでも、おめでとうございます!」
能天気で明るい声に、俺は血反吐を吐きながら呆然とする。
「……そんざい、ごうだつ……?」
「はいっ! マスターがたった今手に入れた、最強のぶっ壊れスキルです! 発動条件は『無装備・無職・素手』で敵を倒すこと。
倒した敵のステータス、スキル、能力、ドロップアイテム、果てはその『存在』そのものをマスターの力として根こそぎ奪い取ります!」
エク子が小さな指をビシッと指差す。
その先を見た俺は、自分の目を疑った。
俺が倒したゴブリンの死体が――ダンジョンの魔物特有の「魔素となって溶ける」現象ではなく、まるでテレビの砂嵐ノイズのようにジリジリとブレ始め、そのまま空間から「消去」されるように完全に消滅したのだ。
「このスキルで奪われた魔物は、このダンジョンから存在そのものが消滅します! リスポーン(再出現)することはありません! その分の経験値と能力は、ぜーんぶマスターのものです!」
ありえない。
魔物が無限に湧き出るはずのダンジョンの理すらも破壊する、文字通りの例外スキル。
「さらにさらに! 存在を奪ったことで、マスターの全身の傷も回復しちゃいますよ!
さあマスター、底辺からの大逆転、ここからド派手に始めちゃいましょう!」
エク子の弾むような声をBGMに、俺の身体を温かな光が包み込む。
引き裂かれた傷が塞がり、失われた体力が、いや、それ以上の凄まじい力が全身に満ち溢れていくのを感じながら。
俺の意識は、一度深い闇の中へと落ちていった。
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