リストラ、絶望、そして
よろしくお願いします。
ここは冒険者協会関東支部。
その一角にカビ臭い書類の匂いがする寂れた地下会議室があった。
そこで俺、結城誠は、でっぷりと太った支部長から無慈悲な宣告を受けていた。
「さて、結城君。本日をもって、君には辞めてもらう事となった」
パイプ椅子に座る俺の目の前には、すでに支部長の印鑑が押された一枚の解雇通知書がペラリと置かれている。
「人員整理、ですか……? そ、そんな急に言われても」
納得がいかない俺は咄嗟に身を乗り出した。
冒険者たちが安全に探索を行える様にダンジョンのマッピングデータの更新、ポーションの在庫管理、果ては彼らの確定申告の手伝いに至るまで、裏方の業務では誰よりも実績を出してきた自負があった。
「私が担当している第4エリアのサポート業務はどうなるんですか!?
あそこは初心者も多く細かなケアが必要な場所です!それに、私にはまだ――」
「細かなケアねぇ……。あのなあ、結城くん」
支部長は面倒くさそうに耳の穴をほじりながら、薄笑いを浮かべた。
「巷じゃ冒険者は大スターなんだよ。
力こそがすべての、文字通りモンスターと命のやり取りをしてる連中だ。……分かるか?」
「それは、もちろん理解しています。だからこそサポートが……」
「いや、わかってねえよ」
ピシャリと、支部長は冷たく言い放った。
「そういう血の気の多い連中が、魔力すら持たない『適性なし』の事務員にチマチマと安全管理の説教されて、素直に従うと思うか?」
適性なし、その言葉が鋭い刃のように胸に突き刺さる。
「君が現場にいるだけで、才能ある若手冒険者たちの士気が下がるんだよ。
……ぶっちゃけ、君の存在は協会にとってメリットどころかデメリットでしか無いんだわ」
♦︎
現代の日本にダンジョンが出現して数十年。
人々は生まれながらにして『冒険者適性』の有無を調べられるようになった。
適性を持つ者はスキルや魔法に目覚め、莫大な富と名声を掴む。
だが、俺の適性は『ゼロ』だった。
魔力を一切持たず、身体能力も一般人以下。
それでも冒険者に憧れ、せめて彼らを支える仕事に携われる協会に入り、誰よりも身を粉にして働いてきたのに。
「残念だが、適性がある優秀な若手を事務に回すことになったからもう君の居場所はない。
荷物をまとめて、今日中にデスクを空けてくれ」
たったそれだけの理由で、俺が積み上げてきた努力は、紙屑のようにゴミ箱へ捨てられたのだった。
♦
「は? 協会クビになった?……じゃあもうアンタ価値ないじゃん」
退職届を無理やり書かされ、ふらつく足で向かった駅前のカフェ。
そこで俺の帰りを待っていた彼女――だと思っていた女、リカは最新型のスマホから一切目を離すことなく、冷酷に言い放った。
カチャカチャと、長い付け爪が画面をタップする音だけが虚しく響く。
「ま、待ってくれリカ!確かに仕事は失ったが、すぐに新しい仕事を探す!
それに、結婚を前提にって言うから、君の誕生日に買ったあの高級バッグも、先週行った三ツ星レストランも、俺が無理して……っ!」
思わずテーブルに手をついて懇願する俺を、リカは虫ケラでも見るような目で見下ろした。
「キモっ。そんなの、アンタが勝手に貢いできただけでしょ?
……だいたいさぁ、適性なしの冴えない三十代のおじさんが、若くて可愛い私と釣り合うと思ってたわけ?」
「え……?」
「トップ冒険者と繋がれるかもって思って協会勤めのアンタと付き合ってたけど、全然紹介してくれないし、マジ時間の無駄だったわ。
ただの都合のいいATMの分際で彼氏面しないでくれる?」
リカは飲みかけの高級なフラペチーノをテーブルに放置し、俺が先月クレジットカードの分割払いで買ってやったブランドバッグを肩にかけると、さっさと店を出て行ってしまった。
♦︎
放心状態のまま、どれくらいその席に座っていたか覚えていない。
周囲の客の哀れむような視線を浴びながら、俺は這うようにしてボロアパートへと帰宅した。
だが、冷たい現実の追い打ちはまだ終わっていなかった。
『家賃滞納による強制退去のお知らせ』
色褪せたドアに、無機質な赤い紙がベラリと貼られている。
あの女に貢ぐため、生活費を極限まで切り詰め、カードローンにまで手を出していた俺の銀行口座は、今朝の引き落としで完全に底を突いていたのだ。
職を失い、女に捨てられ、家すらも失う。
文字通り、俺の人生は詰んだ。
薄暗い部屋の中で、その場に崩れ落ちそうになった矢先――ポケットのスマホが鳴った。
「――母さん? どうしたんだ、急に」
『誠……! みおが……美桜が倒れたの!』
電話越しに聞こえる母の悲痛な叫びに、俺の心臓は嫌な音を立てて跳ねた。
母子家庭で貧しい中、寄り添うように生きてきた俺にとって、たった一人の大切な妹。
すべてを失った今の俺に残された、唯一の希望。
俺は全速力で、母が連絡してくれた総合病院へと走り出した。
♦
消毒液の匂いが鼻をつく、冷たい病院のカンファレンスルーム。
医師から告げられた言葉は、俺の残されたわずかな希望すらも無惨に粉砕した。
「――『魔素病』です」
レントゲン写真を示す医師の声は、どこか事務的だった。
「これは指定難病の一つです。生まれつき魔素への耐性がない人間が、ダンジョン発生以降、大気中に微量に混じっている魔素を体内に蓄積してしまい、徐々に内臓が破壊されていく恐ろしい病気です」
「そ、そんな……! 美桜はまだ十八歳ですよ!?
治るんですよね!? 手術すれば……!」
隣で泣き崩れる母の肩を抱きながら、俺は必死に医師にすがりついた。
しかし、医師の表情は暗い。
「一時的に進行を止める特別な治療法は存在します。高位の治癒魔法使いによる継続的な術式展開ですが、完治にはダンジョン深層でしか採れない特級エリクサーの投与が必要になります。ですが……」
「ですが……?」
「これらは健康保険の適用外です。
現在の妹さんの状態を安定させるまで、およそ一億円の費用がかかります。
……それでも美桜さんの命は、長く見積もっても一ヶ月」
一億円と一ヶ月の命。
それを聞いた瞬間、俺の目の前が真っ暗になった。
無職で家賃もろくに払えず、借金まみれの底辺男が一ヶ月でそんな大金が払えるわけがない。
ベッドで酸素マスクをつけ、苦しそうに息を乱す妹の青白い顔を見つめながら、俺は己の無力さに絶望しただただ涙を流すことしかできなかった。
♦
誰もいない電気の止められた薄暗いアパートの部屋。
俺は椅子の上に立ち、むき出しになった天井の梁に洋服で作ったロープをかけていた。
「ごめん、母さん……美桜……。
俺みたいな無能、生きていても迷惑をかけるだけだ……」
妹を救う一億円など、一生かかっても稼げるわけがない。
無職、適性なし、おまけに借金まみれ。
女にも裏切られ、家すらも追い出される寸前。
俺の人生は、何一つ残らなかった。
完全に無価値なゴミだ。
涙がボロボロとこぼれ落ち、首を輪に通そうとした――その寸前だった。
プルルルルル!
静寂を引き裂くように、床に放り投げていたスマホがけたたましく鳴った。
画面には、見知らぬ番号。
無視するつもりだったが、着信音があまりにもしつこく鳴り続けるため、俺はふらつく足で椅子を降り、無意識に通話ボタンを押してしまった。
『おっ、出た出た! なんだよ、元気してるか?久しぶりだな、誠!』
スピーカーから飛び出してきたのは、場違いなほど明るく、そしてひどく懐かしい声だった。
「……お前、剣崎か?」
『おうよ! 番号変えたから分かんなかったか?』
剣崎。それは俺が冒険者協会に入った頃の元同期だ。
俺とは違い、入社直後の検査で圧倒的な適性を見出され、すぐに冒険者に転身。
今ではテレビで見ない日はないほどの大スター、日本トップクラスのSランク冒険者に登り詰めた男である。
『いやさ、お前が協会クビになったって風の噂で聞いてよ。
お前みたいにクソ真面目な奴を切るなんて、あの支部長もホント見る目ねぇよな。
……で、金に困ってんだろ? 美桜ちゃんの病気のことも、昔のツテから聞いたぜ』
ズキリと、胸の奥が痛んだ。
底辺を這いずる俺の惨めな現状が、雲の上の存在になった同期に知れ渡っている。
その事実が、たまらなく恥ずかしかった。
『一億なんだろ? 安心しろって、俺がポンと出してやるよ!
今の俺にとっちゃ、一回のボス討伐の報酬にも満たないはした金だ。
口座番号教えろよ、今すぐ振り込んでやるからさ!』
あっけらかんと言い放つ剣崎。
そこに悪意はない。純粋な善意だとわかる。
喉から手が出るほど欲しい申し出だった。
今すぐ「頼む」と言えば、妹の命は助かる。
だが――。
「……気持ちは嬉しい。本当に。だが、そこまでお前に迷惑はかけられない」
『は? 迷惑ってなんだよ。俺たち元同期だろ? あの頃、書類の書き方とかお前に散々世話になったじゃねえか。遠慮すんなって!』
「違うんだよッ!」
俺は思わず怒鳴っていた。
「……お前と俺じゃ、もう住む世界が違うんだ。適性なしと馬鹿にされ、女に騙され捨てられた底辺の俺が、これ以上他人に、お前に同情されて生き延びるなんて……惨めすぎるだろうが……っ!」
『おい、誠! 待てって――』
「ごめん!」
俺はスマホの電源を叩き切った。
♦
「……ッ」
静り返る部屋の中、俺はギリッと奥歯を噛み締める。
惨めだ。ひたすらに惨めだった。
妹の命がかかっているのに、つまらないプライドを捨てきれない自分が心底憎かった。
「……冗談じゃない。誰かに恵んでもらうんじゃない。俺が……俺が稼いで、美桜を助ければいいんだろっ!!」
破れかぶれになった俺は、ドアを蹴り開け、家を飛び出した。
向かった先は、市外にある初心者用ダンジョン。
武器も無い、防具もない。
そもそも冒険者の適性もない。
ただの着の身着のままの薄汚れたスーツ姿で、俺は狂ったようにダンジョンのゲートへと飛び込んだ。
♦
湿った土と、鉄錆のような血の匂い。
薄暗い洞窟のようなダンジョン内部に足を踏み入れた瞬間、肌を刺すような冷たい空気が俺を包んだ。
一億円を稼ぐ。
その一心で飛び込んだものの、頭に血が上っていた俺は致命的な事実を失念していた。
「ギギャ……ッ」
通路の奥から、這いずるような足音が聞こえた。
現れたのは、一匹のゴブリン。
身長は子どものように低いが、緑色の醜悪な肌は筋肉で岩のように隆起し、血走った目玉がギラギラとこちらを値踏みしている。
その手には、黒ずんだ血がこびりついた太い棍棒。
「あ……ぁ……」
いざ、本物の殺意を持った魔物を前にして。
適性なしの一般人である俺の足は、完全にすくんでしまった。
頭では「戦え」と命じているのに、指先一つ動かないし、パニックで声すら出ない。
協会で安全な場所から冒険者たちに偉そうにアドバイスしていた自分が、いかに滑稽だったかを思い知る。
「ギヒッ! ギギャアアアアッ!」
ゴブリンがニタニタと嗤い、こちらを「ただのエサ」と認識して飛びかかってきた。
太い棍棒が、俺の頭蓋を砕くために無慈悲に振り上げられる。
(ああ、俺はここで撲殺されるのか……。結局、何もできないまま……)
ぎゅっと目を瞑った瞬間、脳裏に病室で苦しむ美桜の顔が浮かんだ。
そして、俺を見下してきた支部長の顔、リカの冷酷な目、絶望に暮れる母の涙。
(ふざけるな……! このままでいいわけがないだろうがっ!!)
カッ、と目を見開く。
俺は死に物狂いで、前へ踏み込んだ。
「死ぬならいっそ、お前を道連れにしてやるっ!!」
ブォンッ! という風切り音と共に振り下ろされる棍棒を、スーツの肩を犠牲にして紙一重でかわす。
肉を掠める激痛に歯を食いしばりながら、俺は泥だらけになってゴブリンの懐へ飛び込み、その身体に力任せに組み付いた。
武器はない。あるのは己の肉体だけだ。
「ギャッ!? ギギィッ!」
ゴブリンが抵抗し、鋭い爪で俺の背中や腕を容赦なく切り裂く。
鮮血が飛び散り、激痛が全身を駆け巡る。
だが、絶対に離さない。
俺は狂ったようにゴブリンの目玉に親指を突き立て、緑色の太い首筋に直接噛みつき、喉笛を素手で引きちぎらんばかりに締め上げた。
「クソ!クソ!俺の人生の邪魔をするなあああっ!!」
「ギギャ……ギ、ギェ……ッ!?」
泥と血にまみれた、獣同士のような死闘。
爪が剥がれ、スーツはボロボロに引き裂かれ、血を吐きながらも、俺はひたすらに首を絞め続けた。
やがて――ゴブリンの身体がビクンと大きく跳ね、その動きを完全に止めた。
「はぁ……はぁ……はぁ……っ」
俺も限界だった。
全身の血液が流れ出しているような感覚。
まさに致命傷だった。
意識が急速に遠のき、俺はゴブリンの死体の上に倒れ伏す。
(ああ、ここまでか。結局、一円も稼げなかったな。)
薄れゆく意識の中、ふと、無機質な音声が脳内に直接響き渡った。
『――条件達成を確認しました』
なんだ……? 幻聴か……?
『実績:【無装備】かつ【適性なし】かつ【素手】による、単独での魔物討伐』
『本来、システム上ありえない条件を確認』
『通常プロトコルを停止。システムにエラーが発生――例外処理を実行します』
……例外処理?
『当該対象者に、例外特典を付与します。ユニークスキル【存在強奪】を獲得しました』
『並びに、パーソナル・サポートシステム【エク子】をインストールします――インストール及び、起動完了』
♦
パチッ、と目の前に青白い光の粒子が集まり始めた。
それはやがて、手のひらサイズのホログラムの少女の姿を形作る。
その少女はツインテールの髪を揺らし、ゴシックなドレスを着た小さな妖精のような見た目だった。
「はじめまして、マスター! 世界の例外から生まれたサポートAI、エク子ですっ!
……うわぁ、初対面からボロボロですね!
でもでも、おめでとうございます!」
能天気で明るい声に、俺は血反吐を吐きながら呆然とする。
「……そんざい、ごうだつ……?」
「はいっ! マスターがたった今手に入れた、最強のぶっ壊れスキルです! 発動条件は『無装備・無職・素手』で敵を倒すこと。
倒した敵のステータス、スキル、能力、ドロップアイテム、果てはその『存在』そのものをマスターの力として根こそぎ奪い取ります!」
エク子が小さな指をビシッと指差す。
その先を見た俺は、自分の目を疑った。
俺が倒したゴブリンの死体が――ダンジョンの魔物特有の「魔素となって溶ける」現象ではなく、まるでテレビの砂嵐ノイズのようにジリジリとブレ始め、そのまま空間から「消去」されるように完全に消滅したのだ。
「このスキルで奪われた魔物は、このダンジョンから存在そのものが消滅します! 二度とリスポーン(再出現)することはありません! その分の経験値と能力は、ぜーんぶマスターのものです!」
ありえない。
魔物が無限に湧き出るはずのダンジョンの理すらも破壊する、文字通りの例外スキル。
「さらにさらに! 存在を奪ったことで、マスターの全身の傷も回復しちゃいますよ!
さあマスター、底辺からの大逆転、ここからド派手に始めちゃいましょう!」
エク子の弾むような声をBGMに、俺の身体を温かな光が包み込む。
引き裂かれた傷が塞がり、失われた体力が、いや、それ以上の凄まじい力が全身に満ち溢れていくのを感じながら。
俺の意識は、一度深い闇の中へと落ちていった。
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