第39話 大地の彫刻者
事前の関心や興奮はどこへやら。女神さまのお姿を目にすれば急に畏れ多くなり、俺は小岩に腰かけたまま固まっていた。たぶん、顔は青ざめていたと思う。
そんな俺に、アシュレイ様がやや慌てた様子で声をかけてこられた。
「ど、どうした?」
「い、いえ。神の御前ですし、ひれ伏した方がよろしいのでしょうか?」
いちいち聞く行為そのものすら不敬なのではと思いつつ、どうにか口を動かした。
この問いをお耳に、ややキツそうな印象の女神さまは、一瞬だけ真顔になった後――
「アハハハハ!」と、心底楽しそうに、腹を抱えて笑われになった。
「ひれ伏す、か。それは良いな! そうすれば、このアシュレイも私にひれ伏してくれるかもしれんしな!」
ああ、アシュレイ様はご自身の女神さまに対し、そこまでヘりくだった態度を取られているわけじゃないんだ。
いや、しかし……俺は田舎の平民で、アシュレイ様は貴族のご子息だし……
そんなことを思いつつ、勇者の先輩と女神さまをチラチラ見てみると、気の置けない仲のようには映る。女神さまはアシュレイ様へイジワルっぽい視線を、そのお返しにと、アシュレイ様からはやや白け気味な視線。
お顔は困ったように笑っているけども。
それから、女神さまは少し威儀を正され、改まった様子で口を開かれた。
「そう畏まることはないぞ。私は寛容だからな。それに……リーネリアの使徒たるそなたが私にひざまずこうものなら、あやつと私の間に序列ができてしまうではないか」
そう仰った後、唇の端を吊り上げるようにニヤリと笑われた。
「そうなっても、私は気にしないがな」とも。
思っていた以上に気さくそうなお方だし、そのお言葉には「なるほど」と気づかされるものがあった。
俺の立ち居振る舞いもリーネリアさまの格に関わると思えば……お相手への礼節を失ってはならないけど、だからといって、自分の気位を手放すべきでもない。
女神さまから直々に、神の使徒としての心構えをご教示いただけた事実に、俺は感謝の念を抱き……ひとつ気づいた。
「リーネリアさまのことをご存じなのですね?」
「ん?」
不思議そうに応じられた女神さまは、ややあって「ああ、そういうことか」とポツリつぶやかれた。
「あやつは私以上に、人の世には知られておらなんだな」
ということは、こちらの女神さまも、さほど有名ではないってことか。実際、今のお姿からパッと思い浮かぶ神さまは……
考えを巡らし始めたところ、アシュレイ様が女神さまに向け、どこか淡白な調子で仰った。
「そろそろ名乗られては?」
「ああ、すまぬすまぬ」
なんとも軽い様子の女神さまが、俺に向けてスッと手を差し出してこられる。
「大地の彫刻者、カルヴェーナだ」
あ~、知っている神さまだ。伝承上の出番はそんなにないから、知名度ということでは確かに……ちょっとこう……だけど。
それでも、知っている神さまが目の前におられるっていうのは、なんだか不思議な気分だった。
俺がいる現実と、伝承の世界が繋がったような気がして。
差し出された手に応じるにも、いつも以上の時間がかかった。少し強張りながら、恐る恐るお手に触れてみる。
実体感というほど確かな感触はない。けど、何かしらの存在がそこに在るのだということは体感できる。不思議な握手だった。
初めての感覚に戸惑う俺に、カルヴェーナさまがニコニコしておられる。
そんな、不確かさがありながらも、不思議と手に感触が残る握手の後、カルヴェーナさまが横へと顔を向けられた。
「弓の手前を披露してもらったのだろう? そろそろ返礼したらどうだ?」
「もとよりそのつもりです」
「そうかそうか~」
なんとなく、大人げないような……軽く煽るような態度をお見せになるカルヴェーナ様だけど、アシュレイ様は気を悪くされていないというか。俺と話していた時とは、また別の方向性でリラックスなさっているようにも映る。
不思議と馬が合う。そんな言葉が脳裏に思い浮かんだ。
さて、これからどのような力を発揮してくださるのか。思わず居住まいを正して見守る俺に、お二方が息を合わせたように微笑まれた。
それから……アシュレイ様が表情を引き締め、手を宙で軽く一振り。その所作に合わせたかのように、近くの地面が軽くえぐれ、半月上の穴が地面にできた。
ご加護の顕れに、思わず目を丸くしてしまう。
続いて再び軽くお手を振られ、やはり地面に穴が現れる。掘ったのではなく、土が消え失せているとしか言いようがない。
その後、アシュレイ様が手を振ったところ、今度はまた別の現象が起きた。振った手から弧状の水が放たれて、先にできた三日月状の穴へ。手を何度が連続して振られると、穴に水がどんどん溜まっていき――
開いた手を握られると、開けておいた地面の穴が見る見るうちに収縮し、中を埋めていた水も、どこかへと消えていく。
最後には暗い茶色の地肌が広がり、ほとんど元通りになった。
一連の現象に目を白黒させ、俺は押し黙っていた。
他人のご加護を見たのは、これが二度目だ。親友のライナスが賜った、雷霆の槍神クレアロスさまのお力にも驚かされたものだけど、こちらもこちらで、なんだかすごいというか……
すると、アシュレイ様が俺の方にお顔を向け、尋ねてこられた。
「どうだったかな? もっと大規模に、同じような事もできるけども」
「も、もっと大規模に、ですか?」
「さすがに、ここでやると迷惑だと思うけどね」
ってことは、それなりに開けたこの森の切れ目には収まらない規模で、ああいうことができるってことか。
「できれば、素直な感想を聞かせてもらいたいのだけど、どうかな」
「どうと言われましても……強力なご加護だと思います」
言われるまでもなく、正直な感想を口にする俺だけど、「そうかな?」とアシュレイ様は自信なさそうだ。
一方、傍らのカルヴェーナさまはというと、それまでの笑みが消えて、いたく真面目な顔をなさっている。
アシュレイ様は、別にご加護の価値を疑っていらっしゃるわけでもないだろうし、そうしたご様子にカルヴェーナさまが腹を立てておられるってわけでもないとは思うけど……
なんだか、雲行きが怪しくなってきた気がしないでもない。




