第十六話 城の中にあるもの
ガチャリ――と。
城のにある玉座の裏、その背後に封印魔法によって隠されていた扉の鍵を開ける。
場内は既に火を放たれたような騒ぎになっており、囮になったアンリエッタを捕まえようと躍起になっているのであろう。夜も深い深夜だ。玉座に人の姿はなく、王のいない玉座を守っていた騎士たちも昏倒させ、眠らせてある。
何を取りに来たか、とアンリエッタに問われれば取りに来たものは二つだ。
一つがこの封印された扉の先にある。しかし、この先にあるものを手にするには、彼らが必ず出てくる。故に、アンリエッタをここまで連れてくることは避けた。
そして、予想通り彼らは扉の前にいた自分を見つけた。
「夜更けも待たずに、何用か」
かけられた声に、アータはゆっくりと振り返り視線を交わす。
そこにいたのは腕を組んでこちらを見つめるイリアーナ国王フェルグスと、彼の前にて杖を構える初老の魔導士、イエルダだった。
彼らの姿を目にしたアータは、被っていたほっかむりを脱ぎ去り、王達の前でその姿をさらけ出す。
アータの姿を見たフェルグス王とイエルダは一瞬だけ驚きをあらわにし、そしてすぐに深いため息と共に構えていた杖を下す。
「誰かと思えば……アータ・クリス・クルーレ、貴様か。十年ほど前のあの事件以来か」
「悪かったよ。身分証もなく、みすぼらしいままで王とその側近に会わせてくれといって、会わせてもらえる気がしなくてな」
睨みつけるような視線を向けるイエルダに肩をすくめ返すが、その隣にいたフェルグス王は豪快に笑いながらズカズカと近寄り、肩を叩いてくる。
「よいよい! 我が国へ、応えし剣を齎し、この王都にアーティファクトの守護を授けたお主のことだ。何か目的があったのであろう? でなければ、人として生きる、なんぞ抜かして、幼いながらに辺境の村に移り住んだ偏屈がこんなところまでやってくる理由がない! がっはっはっは!」
「騎士からの報告で城壁が崩れたことも聞いているぞ。王が許してもこの私の目はごまかせんからな」
馴れ馴れしい二人の知り合いたちの声に軽く相槌を打ちながらも、アータは封印されていた扉を指さして答えた。
「その件なんだがな、魔王討伐のためにあんた達に預けていた相棒を引き取りに来たんだ」
「魔王、ときたか」
アータの返答に、フェルグス王が玉座に背を預け腕を組む。その眉間にしわが寄り、隣にいたイエルダもまた、苦々しい顔で視線を下げた。
「本当に人間界を滅ぼしにやってくると、お前はそう思っているか?」
「あぁ。現に先兵はもう人間界に来てるし、知り合いからもそう聞いた」
「ちぃ……。魔族との、しかも魔王との全面戦争なんぞ、人間界に勝ち目があるわけがなかろうに……」
イエルダの不遜ともいえる呟きに、フェルグス王は否定をしない。もとより個の強さでも上を生き、その総数すら超えてくる魔界の戦力に対し、国ごとに協力もしていない人間界など、到底立ち向かえるものではない。
重苦しくなる雰囲気に、アータは頭をかいて二人に背を向け、封印の扉へと向かい、
「そうならないためにも、悪いけど回収させてもらうぞ。王都の守護はこっちに敵が届かない程度には処理しておくから」
「そうは言うがなアータ、あのアーティファクトの力で守護結界を維持しているのだぞ。それをいきなりなくしてしまっては――」
「よいよいイエルダ。いざというときの戦力ぐらいこの国にも十分にある。それに、勇者亡き後を頼めるものなど、この男以外おるまい」
勇者。
その言葉を聞き、アータもまた扉にかけた手を止め、わずかに顔を伏せる。
「その勇者様との約束だ。人として生きて、人に関わり、皆が笑顔でいられる世界を目指せって。俺にとって、誰かと交わした初めての約束だ。そいつを守るためなら、なんだってやるさ。人は――約束を守るものだからな」
「……違いないわい。お主は前勇者の落とし子みたいなもんだからのう! 奥にあるアーティファクトは自由にしてよい。我がフェルグスの名において許可しよう」
豪快な王の言葉に、アータは振り返って軽く笑みを返す。
「助かる。助かるついでにもう一つ貰いたいものがあるんだが」
「言ってみよ。貴様のことだ、必要なのであろう?」
懐の広さに苦笑しながら、アータは感傷に浸りかけた表情を消し、満面の笑みを年寄り二人に向けて答えた。
「玉座くれない?」
「「誰がやるか馬鹿者!」」
◆◇◆◇
封印の扉の奥先。
螺旋階段を遥か地下に下った先に、その白銀の剣は台座に奉納されていた。見慣れた一角獣の装飾、薄暗い室内の中でもひと際目立つその輝き。内包されている超一流の魔力の放つ淡い青の輝き。
それらを見て、アータは口角を吊り上げ、
「よう、相棒。お務めご苦労様」
『なーにがお務めだ、この俺様をこんな何にもない暗い場所に預けていきやがって、このすっとこどっこい!』
聞こえてくる言葉に笑い声を返した。
アータの笑い声を聞いた応える剣――フラガラッハは不服そうに畳みかける。
『そもそも、俺様の持ち主であるあーたんがなーんで俺様手放すんだって話よ! 俺様ショッキン!』
「辺境で農家やるから、鍬になってくれって十年前頼んだのに、嫌がったからだろ」
『あったりまえよ! 俺様何を隠そう伝説のアーティファクトですよ。それが何で鍬なんかになるってんだい!』
「主の声に応える剣が、主の要望嫌がったんじゃないか」
『アーティファクトにも格ってものがあるって寸法よあーたん。数あるアーティファクトの中でも意思持つアーティファクトなんてそれこそ数えるほどってもんだぜぃ。それが農具になれなんざ言われて、我慢できるかってんだい!』
この城の中でフラガラッハの存在を知っているのは王とイエルダ、あとは騎士団長とその側近だけだ。暗所に保管されていることもあって他人との会話もなかったストレスなのだろうか、畳みかけるフラガラッハの言葉を聞き流す。
そうしてフラガラッハのそばにより、その柄を握った。
『ん? あーたん十年前より魔力量減ったか?』
「いいや、あの頃より総量自体は大きく増えてるが、ここじゃお前の放出してる魔力濃度が高いからな」
『そんなもんかね。それより、俺様をここに預けたときに、死ぬ前には引き取りに来てやるって言ってたけど、あーたん死ぬの?』
「……」
『そこで黙っちゃうとマジっぽくなるからやめてほしいんだけどぉ!』
そもそも預けたときには、魔王が人間界を攻めるなんて思ってもいなかった。それゆえに、人間界で最も栄えていた国の信頼できる王のもとへ、国の守護のためにアーティファクトを預けたのだ。
「まぁ、事情はいくつかあれど。フラガラッハ、もう一度お前の力を借りに来た」
そう伝えて、握った柄に力を籠め、台座からフラガラッハを引き抜く。身長ほどもある長剣を軽く振りぬき、その重さを感じる。随分懐かしいものだった。
『当然、俺様はあーたんについていくって決めてるからな! 俺様の力が必要ならいくらでも貸してやるってもんだぜ! ……まぁ、こうやって実際に振ってもらえればあーたんの事情も朧気に理解できたしな』
「さすが相棒」
その目立つ刀身はゆっくりと姿を変え、腰に携えられるほど目立たぬ剣に。溢れていた魔力は全てフラガラッハ自身がその身に抑え込む。
『十年前はもっと短く形を変えたもんだが、あーたんもさすがに成長期って感じだな! どうだあーたん、あの女勇者の言ってた言葉の意味はこの十年で少しぐらい理解できたのか?』
フラガラッハの問いかけに、アータは瞳を閉じて眉間を揉む。
十年前の記憶。
名前もない誰かにとっての始まりでもあった記憶。記憶の中にいた小うるさく、情けなくも気高いその女性――勇者の言葉を思い出す。
彼女にとっては何気ない言葉だったかもしれない。だがその言葉は、当時のアータにとっては大きな意味を持つもので。
彼女の願いにも似たその約束を振り返り、首を振る。
「さぁな。十年間は辺境で年寄りや子供と関わった程度だ。まだまだ俺には、あの言葉の意味を理解するには時間がかかりそうだ」
『仲間俺様しかいないもんね、あーたん』
「よく言われる」
フラガラッハと共に静かに笑う。さぁ、魔王を倒す準備はあと少し。
「よし、外に出るぞフラガラッハ。あと、出るときにちょっと寄るところがあるからついてきてくれ」
『まかせとけ相棒!』
腰に携えた伝説のアーティファクトと共に、アータは再びほっかむりを顔に巻き、螺旋階段を駆け足で登って行った――。
◆◇◆◇
「ぜぇ、ぜぇ……ひぃ、ひぃふぅ……。な、何とか追っ手を撒きましたが、いないじゃないですかあの人!」
空を飛べるイニシアティブを存分に生かし、何とか追っ手を撒いたアンリエッタは両手に小枝を構え、城外の庭園にいた。自分たちが侵入した場所からちょうど反対側に位置していたこの小さくも美しい庭園は穏やかで、侵入者の騒ぎなど届かない。差し込む星の光は、庭園の中央に位置していた噴水を照らし、その水面には空が広がるようだった。
侵入しているという現実さえなければ、ここでティーセットでも用意して優雅なひと時を楽しみたいほどに。
「人間にしてはセンスのいい庭ですね。魔王家での再現も視野に……いえ、あの土地の空気とこちらではイメージが違いすぎるかも。それにしても、遅いですねあの人はもう……」
口から出てしまう不満を形にしながらも、アンリエッタは追われている中で汚れてしまっていた土埃を丁寧に払う。少し焦げた裾などは魔法で整え、整然と立つ。手に携えていた小枝はひとまず小脇にしまい、ここならば確かに追ってはこないだろうと噴水のそばに腰を下ろす。
そうしてようやくの落ち着きを取り戻し、アンリエッタは過去のアータの言葉を思い出す。
俺やお前が平和な世界を作る――と。
あの時は状況もあって流してしまったが、その言葉を反芻して思う。
あぁ、一人で作ろうとしてるわけではなかったのだと。
言葉一つだ。
そこに深い意味はないだろうし、比喩でしかないだろう。だが、あの大馬鹿勇者は、俺やお前がと。たった一人で全て作ろうとしているのではなかったのだと、そういったのだ。アンリエッタはそう勝手に理解することにしたのだ。
それがなぜか嬉しい。本物のアータのほうはあまりにもあれで怒り爆発だったが、過去のアータのほうがよくわかっているではないか。過去の本人が言うのだから、当の本人が口にしなくても間違いない。
「ふふっ。そうですかそうですか、私たちの力、必要ですかそうですか」
優越感。いや、言葉にするのも難しい。あの絶対無敵の魔王様にして史上最強と言わしめた勇者が、自分たちを――自分を必要としている。
そのあまりの無茶苦茶ぶりに毎度振り回されているが、あの無茶苦茶な強さには確かに憧れる。なんだかんだとちゃんと執事としての仕事もこなす。何なら一流ほどに。
自分一人で担当していたお嬢様の身の回りの世話も、あの勇者が来てからは随分環境が改善されてきた。そんな勇者に必要とされているという事実は――、
「はっ、いけないいけない。メイド長たる私がはしたないことを……」
頭を振って気持ちを切り替える。なんと甘いことを考えたのか。
さっき囮にされたばかりだ。あの勇者の言葉を額面通り受け取ってはいけない、その行動に驚いても行けない。何をしでかすかわからないのだから。
「それにしても、どうして城への侵入など……?」
「これ取りに行ってたんだよ」
すっと差し出された剣を見て思い当たる。アータが魔王家にきてすぐに見た、魔王クラウスの持つアーティファクトに並ぶ伝説級のアーティファクト――フラガラッハだ。
「そういえばこの街にいらっしゃった際は持っていなかったですね。城から盗んだんです?」
「違う。もともと俺が持ってたんだが、十年ほど前にこの国の守護のために王と大臣に預けてたんだよ。返してもらってきた」
「十年も前に国の王と接点が……? っていうか、さも当たり前に登場しないでください。クリスの蛮行で慣れてる私じゃなかったら驚きで大声出してます」
深い溜息と共にそう答え、アンリエッタはほっかむりを被ったままのアータの姿を見て、瞳を細める。
「……あの、何に座ってるんですか」
「いい椅子だけど?」
「背丈より大きい、立派な椅子だとお見受けするんですが……」
「あぁ、思ったより重くて、荷車に変えたフラガラッハに乗せてここまで来た。見てみろよ、このあたりの紋のデザインいいだろ? 座り心地も抜群だ」
「その紋章、この国の王家の紋章ですよね……?」
「よく知ってるな、勤勉はいいことだ」
どや顔のほっかむり姿に、アンリエッタは顔を伏せ、わなわなと拳を震わせ、もう一度だけ問う。
「何に、座って、るんです?」
「何って、玉座だけど。引っこ抜いて盗んできた。これが欲しかったんだ、座るのに」
「どこに夜中に城に忍び込んで、国の王が座るべき玉座を盗んでくる大馬鹿がいるんですかね!?」
慣れてても、どうにもならい叫びが美しい庭園に響き続けた――。