聖女の初夜
「きみを愛することはできない」
新婚初夜、夫婦の寝室で、夫からの初めての言葉は陳腐な物語に出てくるようなそれだった。
「え、あの……」
声を出したものの、何と答えてよいのかわからぬサラを残して
「っすまない!」
夫となったジュリスは風のように部屋から出て行ってしまった。
え、え、え、ちょっと待って!!
なんなのあれは!?
サラは混乱していた。
公爵家嫡男のジュリスと聖女であるサラの王命で決まった結婚。
顔合わせもないまま式を上げ、初めての会話は先程のあれ。
プラチナブロンドの長めの前髪の隙間から除くブルーサファイアのような輝く瞳はうるうると憂いに満ちて、野いちごのような小さめの可愛らしくも赤く色付いた唇からは聞き惚れるような美しい声。
すっごい可愛かったんですけど!!
結婚式では真横にいたため、あまりしっかりと顔を見ることができず、けっこうイケメンかも?とちょっとだけ期待していたが、まさかまさかの好みど真ん中の可愛い系美男子だった!!
少し前から聖女と幼馴染の侯爵子息との恋物語が民衆の間で囁かれるようになっていた。
商業が盛んな領地をもつ侯爵家は外交も盛んで、血筋としては申し分ないが、聖女が侯爵家に嫁ぐことにより、国を介入せずに他国と交流し、万が一にも聖女が他国へ移り住む可能性があることを王家は良しとしなかった。
聖女と侯爵家子息との縁談がまとまる前にとばかりに、王家を通して格上の公爵家から縁談が持ち込まれた。
公爵家子息であるジュリスは国王からすると実弟の息子、甥にあたる。
その甥が、ちょうど、といっては何だが隣国の王女から婚約を破棄されたばかりであった。
年もジュリスが18才、サラが17歳とちょうど良かった。
これまでのサラの聖女としての功績に対する褒章のように決められた今回の結婚だが、実態は聖女サラを王家が囲いこむため。
ジュリスにとっては幼い頃から交流していた婚約者との婚約破棄直後にくだされた王命での聖女との政略結婚。しかも婚約期間もなし。
長く婚約者のいる隣国に留学していたジュリスは聖女サラの存在は知っていても顔すら見たことがなかった。
そんな状況では「愛することができない」と言われても納得してしまう。
サラは聖女として神殿に所属しているが、生家は政治力の強くない田舎伯爵家。なんとかなるさケ・セラ・セラを信条としているような家風である。
神殿は王家に属しているわけではなく、独立して成り立っているのだが、やはり王家と必要以上に揉めることもない、とばかりに誰もサラの意見なんて求めずに、今回の縁談はまとめられた。
え?
結婚するの?
誰が?
わたし?
誰と?
いつ?
からの今日である。
ピカッピカに仕立てられて、中央神殿で身内だけの厳かな式を挙げ、ツヤッツヤに磨き上げられて、放り込まれた寝室で。
はぁ、とサラはため息をつき、一人では広過ぎる寝台に潜り込んだ。
神殿の清潔だが固いベッドとは違い、適度な弾力のある寝台に体を横たえ、目を閉じた。
あんなイケメン初めて見た。
興奮して眠れないかも……
と思いながら、あっという間に夢の中に落ちていったのであった。
鳥のさえずりを目覚ましに、サラは起き上がった。
昨日嫁入りした公爵家のベッドは大変寝心地が良く大満足である。
聖女の朝は早い。
神殿の居住区で生活していたサラは、一通り自分で身支度を整えることができる。
聖女の主な活動場所は神殿となるが、サラは地方や催事に駆り出されることが多く活動時間もまちまちであるため、侍女には基本的には自分の世話は不要であると伝えている。
部屋に備え付けの小さな流しで顔を洗い、簡素な聖女用のワンピースに着替えた。
式典などは真っ白なドレープの美しい正装が用意されているが、普段は木綿の茶色のワンピースが制服として支給される。
聖なる力とされる光魔法で人の怪我を治療したり、大地の豊穣を願ったり、聖女はけっこう血とか土にまみれがちなので、丈夫で汚れが目立ちにくい制服になったのだ。
動きやすさ重視のためスカート丈もくるぶしより少し短いが、編み上げブーツを履くため肌の露出は無い。
長い髪は邪魔にならないように後ろでひとつ結びにし、「よし!」と気合を入れて出勤だ。
エントランスに向かう途中、中庭に面した窓から夫となったジュリスの姿が見えた。
朝の鍛錬だろう。木剣を振る姿が様になっている。
剣を振り下ろす度に揺れる前髪、そこから覗く真剣な眼差し。華奢な体型のわりにまくり上げられた袖からは筋張った腕が見える。
か、かっこいい。
可愛いのにかっこいいって!!
あ、木剣がすっぽ抜けた!
ジュリスの手を離れた木剣が宙を舞い、スコンと彼の頭に落ちた。
しゃがみ込んで頭を押さえるジュリスの姿にくすりと笑みがこぼれる。
進行方向を変え、彼の元に向かう。
「ジュリス様」
呼ばれた声のほうを見上げると、朝日を受けて輝くサラがいた。
「おはようございます」
言葉と同時に頭上にかざされた手からほんのり温かいぬくもりを感じ、木剣を受けた頭の痛みが引いていった。
「行って参ります」
何も言葉を返せぬうちに、聖女のように美しい彼女は行ってしまった。
いや、彼女は「ように」ではなく、紛れもなく聖女である。それも神殿と国が認めた稀代の大聖女。
昨夜はひどい言葉を言ってしまったのに、自己嫌悪で集中できない鍛錬でアホみたいなドジを見られた上に、優しく微笑んで治療してくれるなんて。
「行って、らっしゃい」
もう彼女の耳には届かないだろうけれど、ジュリスは小さな声で彼女を送り出した。
数ある作品の中から見つけてくださり、読んでくださり、ありがとうございます。
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