エンドⅠ
私は馬鹿だ。
まさか、夢で見た事が過去の出来事な筈がない。つまりの所は、夢で見た公園なんて存在しなかった。
十六年間この街で暮らして、思い付く限りの公園を走り回ったがお兄ちゃんは何処にもいなかった。当たり前。アレは夢であって、現実とは違うんだ。
「振り出しに戻るのか」
また、二番目の兄の手掛かりが途絶えてしまった。
兄が行きそうな場所なんて心当たりない。そもそも、兄の私生活は謎に包まれていたのだから。嫌いなお茶を飲んで、私の事を苛める程に嫌って、私の嫌がる顔に本当の笑顔を見せてくれる。
……私、本当に翔兄ぃの妹なのかな。余りにも知らない事ばかりで、正体不明の不安に刈られる。
兄を救うヒーローになる、なんて意気込んでいた私は何処へ行ったのか。少女漫画のヒロインみたいに肝心な所が抜けていて頼りない私になってしまった。
ヒロインになんてなれないのに。
探す宛もなくなって、走り続ける足を静止させた。
いつの間にか団地にまで戻って来ていたようだ。十数棟も並ぶ内のどれかに、子供の頃の友達が住んでいたからよく遊びに来たのだった。
子供目線だと棟なんてどれも同じに見えて、毎回友達の家を探す事が楽しみだった。
……違う。何かオカシイ。母が他界してからは一番目の兄の命令で、友達の家に遊びに行けなくなった。保育園児が友達の家まで一人で遊びに行くとは考えられにくい。
『何でついてくるの。まおはかんけいないでしょ、あっち行ってよ』
『やだ。かけるにぃのそばにいるもん……』
『ああ、もう。分かったからなかないでよ。つれてってあげるから、かわりにうるさくしないでね』
あ、ああ。
そっか、単純だった。
子供の頃の私は、二番目の兄の後ろを追い掛けてこの団地に遊びに来ていたんだ。懐かしい、そう思えば記憶が湧いて出てくる。
『かける、何でいもうとつれてきてんだよ。二人であそぼって言っただろ』
『ごめんね、こいつがどうしてもボクからはなれなくて。なかせるのもイヤだから、さあ』
兄が離れると毎度泣き出す私に困って、遊びにも連れていってくれた事も。
『しゃあねえなあ。おれの家に三人でできるゲームなんてないぞ。DSだって、二つまでしかねえし』
『いいよー、まおはかけるにぃがいればたのしいもん!』
遊びに交ぜてもらえなくても、兄達が楽しそうにゲームをする様子を見るだけで幸せを感じていた事も。
『つまんねぇの。……そうだ。外にあるあそび場でおにごっこしよーぜ! 色おに、高おに……何でもできるぜ!』
『まおもやりたい!』
『当たり前だ。二人のおにごっこなんてつまんねぇしな』
一緒に遊びに参加した時は、踊り出しそうな位に嬉しかった覚えがある。ああ、懐かしい、幸せな記憶……ちょっと待って。
団地に忍び込んで目指すは、子供の頃鬼ごっこをした遊び場。
夢の中のアレは公園であると決め付けていた。幼子の視点からなら狭い遊び場も公園のように広く見えていたから。そう、そうだ。やっぱり、私は馬鹿だ。
抜けた先に広がる小さなスペース。子供が遊ぶには十分だけど、大きくなった今では少な過ぎる遊具によく遊べたなと感心してしまう。
滑り台もシーソーもない。あるのはベンチと錆び付いた元パンダ、現白熊の像と、ブランコだけ。
そしてーー。
「お待たせ、翔兄ぃ。迎えに来たよ」
ベンチに座り込む二番目の兄の姿に、我慢出来なくなった笑顔が弾け飛んだ。抱きつきたい衝動を抑えながら、ゆっくりと距離を縮める。
「どうして、茉央がここに? ……アイツに何か助言でもされたの?」
「お兄ちゃんは関係ないよ。翔兄ぃとの記憶を思い出したら、ここだと思ったの。だって、よくここに来てたじゃんか」
「よく、覚えてるね」
兄は苦笑して俯いた。兄らしくない、人間味のある表情に胸が苦しくなる。
「茉央に助けられるのは二度目だ。母さんが死んだ時もだよね。ウザいと思った覚えがあるよ」
「今じゃあ、想像出来ないけどね」
嫌味ったらしく舌を出すと、兄は五月蝿いと笑った。案外拒絶されなくて驚いている。兄との間にあった見えない壁が壊れたみたい。
「あの時は世界が終わったかと思った。母さんがいないのなら、生きる意味がない。けど、死ぬに死ねない憤りを友達にブツけるのは筋違いだと踏み留まった」
「だから、このベンチにいたんだ」
「そう。そして、格好の標的がノコノコ現れて『心配だから』なんて宣うから冷たくあしらったんだよね」
「私ってこと……でも、あれは本心で」
「ふーん、そう」
兄の顔には意地悪笑顔が戻っている。嬉しいような悔しいような、腹立たしいようで、やっぱり嬉しい。何だかんだ、私は兄が嫌いになれないのだ。
「どちらにしろ、茉央が来てくれなければ僕は壊れていた。結構感謝しているんだよ?」
「そ、そう……じゃあ、今回は何で」
ーー家から出ていこうとしたの?
滑りそうになった口を止めて兄を見つめれば、兄はそうだねえと言い淀んだ。流石に聞いちゃ、いけない、よね。
「理由は三つある。聞きたい?」
兄は三本の指を立てると首を傾げた。返事の代わりに、咄嗟に首を縦に振った。
「一つ目は、茉央を解放する為。いつまでも僕が兄の節度を超えて接するのは、茉央の今後においても障害となる筈だ。茉央の幸せを願うのなら、僕は去らなくちゃいけないと思った」
何を言えば良いのか、分からない。この気持ちをどう言葉にすれば良いか煩悶していると、兄は続けた。
「二つ目は、実の兄妹じゃないから。血が繋がっていないのに、あの家に居座り続けるのはオカシイ話でしょ。戸籍謄本も取って確認して万が一にでも間違いではないと分かったのが決め手かな?」
「う、嘘……」
「嘘じゃないんだな、これが。まあ、僕はどちらでも良いんだ」
兄は更に続ける。
「三つ目は、隆也が一人暮らしを始めるから」
「え? た、隆也って誰?」
「ここの団地の友達。子供の頃遊びに行ってたのは隆也の家だからね? もうそろ隆也が来る時間だけど……」
「ま、待って。どういう事? 隆也さんが一人暮らしをするから、翔兄ぃが出てくのは話が繋がらないんだけど」
「それは、隆也が一人暮らしには広すぎる部屋を借りてしまって余ってるから、同居しようって誘われたんだよね。今払っている生活費と計算してみたら、同居の方が安く済む」
な、なら。兄が私を嫌いになったから出てったって事ではないのか。兄がいなくなるのは寂しいが、一人立ちなら祝福しなきゃ。
「寂しそうな顔しないで。もう荷物は新居に送ってるから、戻れないよ。なんなら隆也を追い出して茉央と住むっていう手もありだけど」
「や! それは隆也さんに申し訳ないよ!」
「嘘だよ。嫌がらなくても良いじゃん」
クスクスと笑う兄は、以前の『僕を信用しなくて良い』と言った頃とは一変して明るさを帯びている。
振り切ったのか、それともまだ信用されたくないのか。深意は掴めないけれど、私に笑顔を見せる兄が目の前に存在する事だけは確かなんだ。
信用しないでどうするんだ。
「何があろうと、私はずっと翔兄ぃの妹だから。誰が何と言おうと、私は妹だから。覚えててね」
「兄として会いに行くから心配しないで。僕は大丈夫だよ」
「……うん」
熱のこもった指先を兄の頬に這わす。
皮膚の下を流れる血が別物であったとしても、私と兄が過ごしてきた過去も兄妹として紡いでいく将来も変わらない。変えないんだから。
(妹エンド)




