エンドⅢ
「茉央、今日時間あるか? 付き合って欲しい場所がある」
穏やかな日曜日の午前。
神妙な面持ちで私の部屋の前で俯く一番目の兄から発された言葉に、私は首を傾げた。
真剣なのか、怒っているのか分からず自然と丁寧語が口を出た。
「えっと、真面目な所? それとも怖い所ですか?」
「……違う」
兄はふるふると首を振って一枚の紙切れを私の面前に掲げた。それには風船を持ったクマの人形が此方を向いてダブルピースしている。まさか。
「遊園地だ」
「遊園地なんていつ振りだろう。ね、お兄ちゃんは?」
兄の横顔を見上げながらクルクル回る。あまりにはしゃぎすぎてるのは自覚してる。仕方がないでしょ、だってあのお兄ちゃんが遊園地に誘ってくれたんだから。
貰い物だという遊園地のチケットを見せられてすぐ用意して隣町まで出てきたからまだ存分に時間はある。
家に門限もなければ叱る両親もいないから、今日は久し振りに遊べる。
その隣にいてくれるのが翔兄ぃでも慧兄ぃでもないお兄ちゃんという事に更に嬉しくなる。
そう言えば、兄と何処か遊びに行くのはこれが初めてだ。
「……十年、振りだ」
「十年……なら、お母さんと一緒に行ったんだ?」
「記憶にはないだろうが、父以外の四人の最初で最後の旅行がここだ」
「……そう」
十年前というと丁度母が亡くなった年になる。
一番目の兄が十一歳、二番目の兄が八歳、三番目の兄が七歳、私が五歳……そりゃ記憶がないのも当たり前だ。
兄は懐かしむ様にして華やかな、私達には幼すぎる遊具を見て微笑んだ。
十年前の思い出が流れているのだろうか。
それを共有出来ない、幼き日の私の記憶力を恨んだ。
「お兄ちゃんは何の遊具が好きだったの?」
「私は何にも興味を示さないで、辞書を読んでいた」
「あっ、はは……」
兄はなんて扱い辛い小学五年生だったんだろう。
きっと母も楽しまない兄を見て、狼狽し努力したに違いない。
「しかし、あれは嫌いじゃない」
兄が指差したのは、幼児達が羨望の眼差しで群がる中心の有名な遊具。
一体幼い兄はどんな表情で乗ったのかと想像するだけで笑いが溢れた。
「じゃあ、乗ろうよ」
「既に成人した良い大人が、か?」
兄は苦笑し、自らを省みた。
「お兄ちゃんが嫌いじゃないって言ったモノを共有したいの」
「……そうか」
兄は変に機嫌を良くしたみたいで、軽く頬を掻いた。無言で踵を回し、幼き兄が好きだと思った遊具――メリーゴーランドへと向かった。
「やっぱり、高校生になってアレに乗るのは恥ずかしいね」
「嫌いじゃない。と思っただけで楽しいと思った事はないからな。だが、悪くない」
メリーゴーランドから降りる幼児達に何でこんな大人が乗っているんだという不思議な視線をぶつけられながら、間を縫って出た。
子供の親にもいぶかしむ様に見られこの上なく恥ずかしかったのだが、白馬に跨がり上下する兄を横で見てたら羞恥も吹き飛んだ。
しかも、兄は真剣に一点を見つめているから可笑しくて堪らなかった。
「十一歳のお兄ちゃんと同じ気持ちになった気分。こういうのなんか嬉しい」
「五歳の茉央も一緒に乗ってたがな」
兄は優しく微笑んで私の頭を撫でた。あやす様な手つきに目を細める。
今日の兄は常に穏やかで思わず身構えてしまうが、他意はないみたいだ。
遊園地に誘ってきたり、すぐ撫でてきたり兄らしくないけど、これもまあ良い。
私も兄に影響されてか、兄に触れられて胸が熱くなっている。
「次は何処行きたい? 私はね、ジェットコースター」
「茉央の好きな所で良いと言いたい所だが、それは遠慮させてもらう。ジェットコースターなんて、ただ大規模に上下させられ移動する物だ。乗りたいと思う茉央の気持ちが分からん」
早口に兄は捲し上げた。
「ねえ、もしかして怖いの?」
「私が恐怖していると言いたいのか? あんな幼稚な遊具に私が畏怖する筈ないだろう」
「なら乗ろうよ。きっと楽しいから!」
「茉央は身長制限で乗った事ないからそんな戯言を言えるのだ。一度乗った私には分かる。あの短い乗り物が複雑怪奇な動きをして乗車者をどんな不快な思いをさせるのか」
兄は最後まで言ってから口を押さえたがもう遅い。最後まで聞いちゃったからね。
一番目の兄には恐れるモノはない、と今まで思っていた。
虎の弱味を握った様な感覚を味わいながら、二番目の兄がよく私に見せる嫌味ったらしい笑顔を自然と浮かべる。
「お兄ちゃんにも怖いモノがあるんだ」
「私に『怖いモノ』等ない。た、ただ得意でないだけで……」
珍しく狼狽する兄の姿にニヤニヤ笑顔は収まらない。
「行こうよ。楽しくないでしょ。思い出になるかもしれないじゃない」
ははっ、と兄は乾いた笑いを洩らした。
「やはり、記憶になくとも母子なのだな。その台詞、母さんも言っていた」
「お母さんが?」
「絶叫系統が好きなのだそうだ。身長制限のある下三人は乗れないからと長男の私が連れ回された」
「なら、思い出を掘り返す為にも乗ろうよ」
「上手く纏めたつもりか。……仕方がない。埒があかないから、行ってやるとしよう」
ようやく折れた兄の歩みは何だかんだ言いながらもやはり鉛の様に重かったので、早く早くと急かしながら前を歩いた。
渋々戦地に赴く様な表情に、私は喉の奥を見せて大きく笑ってしまった。
「……遊園地は悪魔のテリトリーなのか?」
「ごめんね、お兄ちゃん。まさかお兄ちゃんがそんなにも弱かったとは思わなくて」
「……弱さとかは関係ない。園内全ての絶叫系を連れ回されれば誰だってこうなる」
私は寧ろイキイキとしてるけど、兄は行き絶え絶えに言葉を繋ぐ。
申し訳ない。そう言ってベンチで横になる事を勧めたのだが断られた。私の膝を枕として使えば良いと言えば余計強く断られた。
何とか譲歩して、私の肩に兄が頭を落としもたれ掛かる事で決定した。
兄に膝枕しようだなんて一度も考えた事なかった。あの威厳ある兄を乗せるのは烏滸がましい。私なんかが触っても良いのか。
その思いは今も変わらない。威厳ある兄を尊敬しているし、私が近付いて良いものかと常に躊躇う。
けれど、最近の兄は変わった。威厳はあるが、近寄り易い雰囲気が出来た。
思えば、アノ写真の事で話したのがキッカケだったのかもしれない。
感情的になって兄に泣き顔を見られたのは今でも悔やまれるが、お互いの思いを晒し合ったお陰で兄への思いが深くなった。気がする。
どうでも良いけど、兄が頭を落とす右肩が妙に緊張して熱い。と、言うか兄と触れてる右半身が熱を帯びてる。
「暫く、こうしてても良いか?」
「私が連れ回した結果だもん。良いに決まってる」
「確かにな」
くっくっく、と控え目に兄は笑った。
「茉央の調子はどうなのだ? あんなにも回って気持ちは悪くないのか?」
「大丈夫だよ。寧ろイキイキとしているよ」
「母さんも、同じ事を言っていたな。茉央は顔も仕草も全て母さんに酷似している」
「あの、写真見たら分かるよ」
兄は、割れた写真立てに入っていた私そっくりの少女は私の母であると、三者面談の帰りに教えてくれた。
「自由奔放な人で、振り回して、だが人一倍努力家で素敵な人だった」
「なら、私は似てないよ。私はそんな素晴らしい人じゃないもの」
「いや、似ている。きっと翔も慧も思っている筈だ」
「へえ」
私の中の探し続けてきた母との繋がりが、チラリと姿を現した。
「お兄ちゃんはお父さん似なの?」
「……そう、かもしれないな。真面目で無機質で頑固で、いつも母さんを困らせていた」
「ふふっ。見てみたかったなー」
「写真が残っている筈だ。今度見せる」
「珍しい。お兄ちゃんが写真なんて持ってるんだ」
そういう形に残るモノ、お兄ちゃんは嫌いだと思っていた。と、呟く。
「私も形に残しておきたい時があるのだ。美しい思い出として振り替えれる様に」
「なら、今日の写真も撮る? 連れ回されたのを良い思い出として見れるかは分からないけど」
「ふ、悪くないな。……だが、まだ立ってどうこう出来る程回復していない。しばし待ってくれ」
「うん。ごめんね」
「謝るな。情けなくなるだろう」
兄の自嘲的な笑いを肩で感じながら、兄の頭に自分の頭を乗せて目を閉じた。
何故か自然と落ち着く。兄も落ち着いてくれているのだろうか。
ふと、周りからキャアキャア好ましくない声が聞こえて片目を上げて見た。
私達を注目しているみたいだ。
『いいなー、羨ましい』『可愛いわー』『仲の良いカップルね』なんて声が細く聞こえる。
――え、カップル?
「ちっ、ちちちち、違うよ!!」
慌てて弁解しようと立ち上がると、私に体重を預けていた兄がぐらりと傾いた。
眉間にシワを寄せて私の挙動を見やる。
「……急に起き上がるな。何があった」
「え、あ……何でもない」
兄には聞こえてなかったのか、周囲の私達の評価する声が。
「何でもない顔ではないだろう。頬を染めているぞ」
「あ、それは……」
兄に凝視されると、自然と目を外したくなってしまう。照れくさいし、何より恥ずかしい。
トトトトト、と心臓が鼓動を早めている。
「周りの人が、カップルだって言ってるのが聞こえたから、つい、恥ずかしくて」
「かっ」
兄は目をひんむくと語尾を立ち切って項垂れた。
急に貧血を起こしたのか、それとも体調が優れなくなったのか。どちらにしよ兄が良い状態でない事には代わりない。
「お、お兄ちゃん。大丈夫?」
「……大丈夫か、そうでないかと問われればそうではないな」
兄は真っ赤に染まり上がった自身の顔を両手で押さえながら、唸る様に呟く。
――お兄ちゃんも、照れてるの?
きっと、今私の顔も赤いだろう。兄に負けない位に。
早い鼓動が更に早く強く聞こえてくる。ヤバイ、これじゃあ兄にまで聞こえているだろう。
取り合えず落ち着く為に、兄から少し距離を置いて再度ベンチに座った。
「…………」
「…………あ」
妙な沈黙の中、私の手を覆う様に兄が手を乗せた。熱く、汗ばんでいる。
「私は、そう見られて嬉しい。茉央は否定する程嫌か?」
「……嫌じゃない。むしろ、う、嬉しい……と、思う」
兄は赤らめたまま、嬉しそうにかつ控え目に笑った。
何だろう、この感じ。凄い、初々しいカップルみたいじゃんか。イヤでも、嫌じゃないしただ照れくさいだけというか。ああもう!
「普通に話せてるし大丈夫なんでしょ? 次はゴーオンクライムジェットコースターに乗ろう!!」
「治っていないし、あれに二度も乗ると流石の私も死んでしまうぞ!」
青ざめた顔をする兄の手を掴んで、グルグル螺旋を描くジェットコースター目掛けて走り出した。
後日、兄が写真を見せてくれた。
「なにこれ、全然ちゃんと写ってないね。自撮りじゃなくて、他の人に頼めばよかったー」
「これもまた良い思い出だ。また、共に何処か行こう。回数重ねれば上手になるだろう?」
「ふふ、そうだね」
(愛end)
次話から、攻略対象が翔となり物語が進みます。




