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夕暮れの金色が、卒業式の余韻を染めていた。
花飾りが敷き詰められた学園の大広間では、在学生と卒業生、そして来賓たちが一堂に会し、最後の舞踏会が始まっていた。
舞台中央では、ゆったりとしたワルツの調べに乗せて、王子ダレンと婚約者ジュリエットが軽やかに踊っている。
王子は凛とした姿勢でジュリエットの手を取り、時折見せる笑みに穏やかな感情が滲んでいた。
ジュリエットのドレスは淡いバイオレットに金糸を散らした美しいもので、彼女の表情にも張り詰めたものはもうない。
「……踊ってる」
クリスが、ぽつりと呟いた。
ジルはその隣で、静かに微笑む。
「ええ、仲良くね。…もう、迷ってなんていない」
「うん。あの時、“婚約破棄”って言葉を口にした彼が、今こうして……ジュリエット様を、ちゃんと見てる」
「魔法のせいじゃなくて、自分の意志で選んだのかもね」
クリスの声は、不思議なくらい落ち着いていた。
ドレスの裾を小さく整え、彼女は胸に手を当てる。
鼓動はある。でも、痛くない。ただ、どこか懐かしくて、少しだけ胸が温かくなるような感覚。
王子とジュリエットは、数か月前まで不安定だった。
チャームの影響で、愛の形も不明瞭だったあの頃。
けれど、努力と理解、そして勇気を持って歩んできたことで――今、確かにそこに“ふたり”がいた。
「……ちゃんと報われるんだね、気持ちって」
クリスが小さく笑った。
「そうね。遠回りしても、向き合ったからこそたどり着けた場所よ」
ジルはそう答えながらも、ちらりとクリスの横顔を見る。
ほんの少し前まで、彼女は怯えていた。
自分のせいで誰かを傷つけてしまうのではないか。
自分は“愛される資格がない”のではないか――そんな風に。
でも今は違う。
誰かの幸せを見つめ、そこに心から安堵し、喜べる彼女がいる。
「ありがとう、ジル」
唐突に言われて、ジルは目を瞬かせた。
「なにが?」
「わたしが、自分の気持ちを信じられるようになるまで……そばにいてくれて」
「わたし、本当に、怖かったの。誰かを好きになることも、誰かから好かれることも」
「でも、あなたがいたから――逃げずに済んだ」
ジルは肩をすくめて苦笑した。
「べつに、あなたを引っ張ったわけじゃないわ。ただ見てただけ」
「でも、見ていてくれたから、わたしは歩けたの」
その言葉には、揺るがぬ感謝があった。
そして、ジルの胸にもほんの少し、温かいものが染み渡る。
「……じゃあ、次はあなたの番ね」
「え?」とクリスが首を傾げる。
ジルはにやりと笑った。
「人の背中を見て育った子は、今度は誰かの手を取って、引っ張ってあげる番。……あなたの手は、もう震えてないでしょ?」
クリスは照れくさそうに笑い、うなずいた。
「……うん。そうかも」
舞踏会はなおも続いていた。
ダレンとジュリエットはもう一曲踊り、今度は別のカップルに中央を譲っていた。
笑顔を交わしながら、それでもふたりの指先はしっかりと繋がれている。
「きれいな光景ね」
「うん。こんなふうに終われて、本当によかった」
クリスとジルはその場から踊りに出ることはなかったが、満足そうに場の空気を味わっていた。
これまでの月日がすべて無駄ではなかったと感じられる、優しい時間。
そしてそれは、終わりではなく、はじまりでもある。
魔法による歪みは消えた。
次に紡がれるのは、嘘のない気持ちの交差。
未来はまだ不確かで、誰が誰を選ぶかも分からない。
けれど、クリスはようやく「恐れずに人と向き合える自分」になった。
「ねえ、ジル」
「なに?」
「……もしまた誰かを好きになったら、そのときはまた、そばにいてくれる?」
ジルは笑う。
「もちろん。何があっても、私が一番の味方よ」
華やかな光の中、ふたりは言葉少なに微笑みあう。
春の舞踏会は、これから始まる新しい季節の前奏曲。
誰かの幸せを祝福できる心がある限り、彼女たちは何度でも立ち上がれる。
たとえ魔法がなくとも、きっと――未来は、まぶしいほどに美しい。




