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第七話 微熱に浸る余韻 - 1

「……お、おわったぁ……!」


 シアは荒い息を吐きながら、その場にへたり込んだ。

 全身の力が抜け、膝が震える。指先が床に触れる感触さえ、どこか遠い。恐怖と興奮の余韻が、まだ彼女の瞳の奥で揺らめいていた。

 傍らではルイも、肩で息をしながら立ち尽くしていた。戦闘の余韻が、まだ彼の体内に残っている。喉の奥が焼けつくように熱い。二双のダガーを握り締めたまま、荒い呼吸の合間にゆっくりと言葉を絞り出した。


「……シア、大丈夫か?」


 その声に、シアはゆっくりと顔を上げた。見開かれた大きな瞳が、ルイを捉える。

 得体の知れない恐怖に怯える彼の姿も、星骸を颯爽と撃破してみせた彼の姿も、今はもう静けさの中に溶けていた。


 シアは数度瞬きを繰り替えす。ルイの姿を見た。ぼんやりとした視界の中で、ルイの無事を確かめるようにその姿を見つめ――怪我ひとつないことに、ほっと胸を撫で下ろす。


「……うん! ルイのおかげで、大丈夫」


 ふわりと花のように微笑みながら、そう言った。その笑顔には、安堵と感謝と、ほんの少しの照れくささが混じっていた。

 その様子を見て、ルイはようやく安堵の息を吐いた。武器を静かにショルダーホルスターへと戻しながら、視線をシアの全身へと滑らせる。どこか痛んでいるところはないか――彼女の小さな傷さえも見逃すまいと、真剣な眼差しを向けていた。


 シアは先ほど、戦闘中に壁へ激しく叩きつけられたはずだ。だが、ゆっくりと立ち上がる彼女の体には、大きな損傷は見当たらない。反射的に魔法で身を守ったのか、致命傷は避けられたようだった。

 しかし、それでも完全に無傷というわけではなかった。肩のあたりにうっすらと赤みが差しているのが目に入る。擦り傷だ。


「……シア、肩」


 ルイは呼吸を整えながら、短く、それだけ伝えた。

 シアは一瞬きょとんとし、次いでゆっくりと肩に視線を落とした。服の隙間から覗く、赤く擦りむけた肌。そっと指先で触れた瞬間、遅れて鈍い痛みが広がっていく。


「……あれっ? 擦れちゃってる……」


 小さくつぶやいたシアの声には、驚きと戸惑い、そして少しの苦笑が混ざっていた。戦闘の最中には感じなかった痛みと疲労が、波のようにじわじわと押し寄せてくる。


 この世界ではほんの些細な傷が命取りになることがある。擦り傷が悪化し、化膿するだけでなく、そこから何が入り込むかわからない。目に見えない毒、致死性のウイルス、未知の細菌――どれもがこの荒廃した世界では脅威となる。

 かつての文明が崩壊した今、適切な治療薬を作れる環境はほぼ失われた。正しい知識を持つ医師や薬師の存在も稀で、医療はまるで過去の遺物のように朽ちかけている。感染症にかかることは、すなわち死を意味する。


 ルイは険しい表情で息をついた。


「すぐに手当てしないと」


 ――そう言った瞬間、沈黙が落ちる。


「……」

「……え?シア?」

「なに?」


 シアはぱちくりと瞬きを繰り返し、きょとんとした顔でルイを見返す。まるで、「何か問題でも?」と言いたげな調子だった。

 ルイは眉をひそめ、じっと彼女を見据える。


「治療は……?」


 ルイが念を押すように問いかける。

 しかし、シアはなぜか沈黙したまま、視線を泳がせた。


「……」


 ……言えない。いや、言いたくない。

 シアはとにかくルイと視線が合わせられない。肩がどんどん縮こまっていく。


 ルイの眉間に深い皺が寄る。


「……まさか」


 シアはもじもじと指先をつつき合わせ、小動物のように身をすくめた。


 そして、


「……ルイを助けなきゃって、必死で......!!」


 叫ぶように、顔を真っ赤にして、



「治療道具、ぜんぶ忘れましたああああ!!!!」



 静寂。

 ルイの表情が、時を止めたように固まる。


 風が吹く。


 ――カラッ。


 洞窟の壁から、細かな石が崩れ落ちる音がやけに目立って響いた。



「……は?」


 ルイの呆れ声に、シアは気まずそうに口をへの字に曲げ、頬をちょこちょことかいた。


「だ、だって、ルイがピンチだったから……それどころじゃなくて……」

「お前……」

「し、仕方ないじゃん! それよりルイ、怒るよりもどうするか考えよ!? ね!? ね!?」


 勢いよく両手をブンブン振って誤魔化そうとするシア。しかし、その動きが仇となったのか、肩の擦り傷に刺激が入り――


「いっっったぁ!!!!」

「ほら見ろ!!!!」


 ルイの怒声が響く。シアは涙目になりながら、慌てて肩を押さえた。


「いやもうほんとごめんって! ほんとに必死だったのぉー!!」


 叫びながら、彼女はバタバタと手を振り回した後、勢いそのままに頭をがばっと下げた。


「ごめんなさい!!!!」


 地面に頭をぶつけそうなほどの深い、深い土下座。礼儀作法などお構いなしで、それはもはや芸の域に達しているといっても過言ではない。

 ルイは深々とため息をつきながら、額を押さえた。


「いや、そんなに謝られても……というか、そこまでやるなら最初からちゃんと準備してろよ……」

「それはそうなんだけどぉ!!!」


 シアは悔しそうに頭を抱え、床をごろごろ転がりそうな勢いで唸る。しかし次の瞬間、ハッと何かを思い出したように顔を上げ、ピシッと両手を突き出す。


「ストーーップ!! ルイ、近寄らないで!!」

「……は?」

「私! 血が出てる! 触ったら危ない! 菌とかウイルスとか入ったら大変だから!!」


 必死の形相で「近寄るな!」のポーズを取りつつ、じりじりと後ずさるシア。

 行き当たりばったり。アホ。だけど、それでも彼女の存在が自分にとって大きな力になっていることを、ルイは自覚していた。どれほど、彼女の声に救われたことか。


 ルイはふう、と深く息を吐いた。


「はいはい、わかったよ」


 ルイは腰のポーチをまさぐりながら、固まっているシアへゆっくり歩み寄る。


「ちょ、ちょっと待ってルイ!? ほんとにやばいかもしれないんだよ!?」

「……」

「すっごい苦しい……なんかすごそうな病気とか……!」

「……」

「あと、触れただけですぐ感染する即死の病気とか!? えっと、それから……その……なんか……すごい……何かがあるかも!!」

「うん、なんもわからん……」


 ルイは冷静に切り捨てた。


「いやでもほら、私、わりと運悪いし!? 変なとこで超レアな病気拾っちゃう可能性あるし!?」

「いいからおとなしくしてろ」

「いゃあああああ!! ルイがまた無謀な!! 命を投げ出すまねを!!」

「大人しくしてろって!!」


 ――バッ。


 ルイが一歩踏み出した瞬間、シアは反射的に飛びのいた。しかし、その勢いが仇となり――


「きゃっ!? ちょ、ちょっと……あっ……!!?」


 足元の瓦礫に足を取られ、バランスを崩す。


「シア!」


 咄嗟にルイが腕を伸ばす。



 ――トサッ。


 掴んだのは、彼女の手首。優しく、けれど確実に。そのまま力を込めて引き寄せると、ふわりとシアの髪が宙を舞った。

 重力に抗えなかった身体が、するりとルイの胸元に収まる。


「……」

「……」


 沈黙。


 ルイの腕の中、シアは瞳を見開いたまま固まっていた。

 目と目が合う。空気が張り詰め、ほんの数秒、時が止まったようだった。彼女の肩がわずかに震え、ルイの胸元からこぼれた鼓動に、シアの心臓も高鳴る。


 そして――


 ルイはふっと微笑み、低く、柔らかな声で呟いた。



「……やっと捕まえた」


「!!!!????」


 ぶわわっ、とシアの顔が一瞬で真っ赤に染まった。


「ちょっ……ルイ!? え!? なに!? いまの!? なんで!??」

「何って……見たまんまだろ。お前が勝手に転びそうになったから助けただけだ」

「ちがうちがうちがう!! 絶対!! なんか今の、ドラマみたいな雰囲気だった!!!」

「ドラマ?」

「はっ、そういえば澄幽にその文化は……って、今そんなことはどうでもよくて! 今のセリフ絶対わざとでしょ!?!? ずるいずるいずるい!!」


 顔を真っ赤にして、シアは叫んだ。そして、今はとにかく動揺しすぎた自分を隠したくて、ルイの腕の中から逃れようとする。

 彼の胸板を両手で必死に押し返すが――動かせない。当然、力で敵うわけがないのだ。まるで壁のように動じない彼の体に、抵抗はあっさりと打ち砕かれる。

 自分を退けようとしているシアの様子に、ルイは深く息を吐くと、静かに手を伸ばし――


 ――コツン。


 ルイの指先が、そっと彼女の額に触れた。


「ひゃんっ!?!?」


 飛び上がるほどの驚きに、シアは一瞬で動きを止める。


 視線が交わる。

 彼の――ルイの瞳が、まっすぐシアを捉えていた。


 鋭さとは違う、静かな熱を帯びた眼差し。けれど、眉尻はわずかに下がり、ライムグリーンの瞳が微かに揺れていた。


「……傷が悪化する前に、治療しようとしてるだけなのに。お前が逃げようとするから……」


 ふっと息を漏らし、彼は言葉を継ぐ。



「それとも……やっぱり俺のこと、嫌いになったか?」

第七話 微熱に浸る余韻

1 - 2025.4.6 18:00

2 - 2025.4.9 18:00 投稿予定

となります。次回もぜひ、よろしくお願いいたします。

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