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馬車はエルド国内に入った。馬車の速度は落とされ、土だった地面は石畳になり、揺れは激しくなったけれど、私は窓の外に釘づけだった。
両親の話には聞いていたし、本を読んで知ってもいたけれど初めて見たのだ。獣人という人達を。ヒュースト国では一度も見たことがなかったから、いなかったかもしれないし、私の住んでいる場所から離れた場所には住んでいたかもしれない。
窓から道を歩いている獣人達に目を向ける。犬や猫などの動物の姿をしている獣人と、鳥のような姿をした獣人。それに、見た目が人間なのに尻尾や耳の生えた獣人が歩いていた。触ってみたいけれど、それは体の一部なのだから失礼に値するのだろう。見るだけにして、揺れる尻尾を眺めた。
もちろん人間もいて、相手が獣人だろうと楽しそうに会話をしている様子が見えた。この国には差別がなく、平和な国なのだろうことが窺えた。この国に住む人達はなんて幸せなのだろうか。決して、他の国に住む人が幸せではないということではない。
けれど、ヒュースト国に突然獣人が住民としてやって来たとしてもこの国の人達のように普通に接することはできないと思う。
もしかすると獣人と暮らし始めた頃は仲が良くなかったかもしれない。長い年月をかけて今のようになったのかもしれない。
「この国に住めたら幸せだろうな」
半分は家に帰される覚悟をしているから、住めるとは思っていない。でも、この国に住めたらいいと思った。
*
「目的地に到着しました。足元に気をつけてください」
エルド国に入って1時間は経っていないだろう。太陽はほとんど沈んでしまい、夜の帳が下りはじめていた。馬車が止まり、馭者が扉を開くとそう言って手を差し出してきた。
「ありがとうございます」
そう言って、左手にトランクを持って右手で馭者の手を掴んだ。躓かないように気をつけて馬車から下りて、手を離してから顔を上げるとそこには驚きの光景が広がっていた。
到着するまで反対の窓から外を見ていたから、目的地に何があるのかを知らなかった。着いたとしても普通の一軒家だと思っていた。もしくは、どこかの公爵家か侯爵家の家だと思ってた。けれど、違った。
「ここって……お城?」
目の前にはヒュースト国で見たお城が建っていた。色はヒュースト国とは違い白くて、少し大きく見えた。こんな間近でお城を見たことがないからそう思うのかもしれなかった。
ゆっくりと鉄の門が開かれると、中から1人の女性が現れた。
「ようこそ、ヴィオレット様。長旅お疲れ様でした」
頭を下げて言ったメイドは、私の服装を見ると眉をひそめた。何も言わないけれど、彼女の態度から言いたいことは分かった。継ぎ接ぎだらけの服でよく嫁ぎに来たとでも言いたかったのだろう。
そして、私の持つ荷物に視線を向けた。すぐに馬車へと視線を向ける。丁度馭者が扉を閉めるところだったけれど、彼女からは中が見えたに違いない。眉が僅かに吊り上ったのが見えた。
「嫁いできたってのに、荷物はそれだけなんですか? それに、なんですかその格好。継ぎ接ぎだらけのドレス。嫁ぎに来たようには見えないのだけれど」
目を吊り上げて腕を組む女性は、先程の態度とは変わり腕を組んで、門の先へは入れないとでも言うように私の正面に立ちふさがった。
見下ろしながら言う彼女に何も言えない。荷物の少なさは異常だ。ローズの荷物の多さも異常だけれど、普通はもっと荷物が多いもの。相手の機嫌が悪くなっても仕方がないのかもしれない。
それに、ドレスが継ぎ接ぎだらけなのは当然だけれど失礼だろう。けれど、私が着れる服なんてこれくらいしかない。トランクの中に入っている服なんて子供の頃に着ていたもの。今まで着ていた服なんて全てローズに取られてしまった。だから、これしかないのだ。
「はぁ。残念だけれど、お城に入れることはできない。今すぐ帰ってくれます?」
「で、でも!」
「なぁに? あんな格好と1つの荷物だけで嫁ぎに来たの?」
「継ぎ接ぎだらけのドレス。公爵家の令嬢なんて嘘なんじゃないのか?」
「ああ、そうかもな。あれじゃあ、召使だよな」
目の前のメイドが溜息を吐いて口元に笑みを浮かべて言うと、門の後ろに数人のメイドと執事が現れた。もしかすると、私が来たから外に出てきたのかもしれない。けれど、メイドが私を入れないから格好と荷物を見て入れない理由に気づいたのだろう。
私に指を差して笑う若いメイド。軽く両手をあげて首を傾げる若い執事。もう1人の執事が言うとおり、公爵令嬢と言うより召使と言うのが合っているかもしれない。
「おいおい、しかもあのブローチについてるの精霊石じゃないか?」
「本当だ。しかも、透明なままだよ。透明なのに嫁いできたっていい根性してるね」
きゃはははと笑うメイドに、周りにいた他のメイドと執事も一緒になって笑い出す。
この様子だと、私はお城の敷地にすら入れず帰されるだろう。せめて、私が嫁ぐ相手の顔だけでも見たかった。でも、それも無理だろう。
「どうやら、他の子達も貴方を迎えるつもりはないみたい。そのまま馬車に乗ってお帰り下さい」
口元に笑みを浮かべて言うメイドは、私に背中を向けた。そのまま門を閉めるつもりなのだろう。
彼女の背中に声をかけたくても、私には出来なかった。継ぎ接ぎだらけのドレスで嫁ぎに来る人なんかいないのだから。顔を俯かせて、石畳を見つめる。泣きたくなったけれど涙は流れなかった。帰される覚悟はしていたから。
ゆっくりと息を吐きだし、振り返って馭者には悪いけれど来た道を戻ってもらおうとした。けれど、私が口を開くよりも前に別の人物の声が聞こえた。
「そんなところで何をしているんだ?」
ここにはいなかった男性の声。少し怒気が込められた声に、顔を上げた。お城の扉に手をかけた1人の男性が目に入った。その男性がこちらを見ている。少し不機嫌そうな顔をした男性が発した言葉だということがすぐに分かった。
離れていても目立つ赤い髪と、鋭い黄緑色の瞳。その目を見て、私は何も言うことができなかった。まるでその目に吸い込まれるような感覚がした。