後日談5(クリスの場合・前編)
治療師総統に就任して以降、クリスは休みなく働いていた。平日は治療魔法の実技指導。十日に一回ある休養日は、持ち帰った書類仕事。
それはルドも同じだった。しかも、家に帰る時間もないほどで、魔法騎士団の宿舎に寝泊まりしている。休養日でも、家に帰ってきたことは一度もない。
そのため、二人は久しく顔を合わせていなかった。いや、すれ違う程度に顔を見ることはある。ただ、会話や共に食事をする時間はなかった。
それが数日前、久しぶりに二人で食事をすることができた。とても楽しく、そして、あっという間に時間は過ぎた。
そのため、別れ際。クリスは寂しくて、ついルドの服を掴んでしまった。何も言えなかったが、ルドが何かを察したらしく、次の休養日には家に帰ると宣言した。
そのことが嬉しくて、クリスも休養日を完全な休みにするため、書類仕事をどうにか終わらせた。かなり無理をしたが、明日の休養日のことを考えると、喜びのほうが勝る。
すべてを終えたクリスは、ベッドに倒れ込んだ。
「犬は……まだ帰っていないか。夜中に帰ってくるかもしれな……」
意識を失うようにクリスは眠りについた。
窓から入る明るい陽射しでクリスは目が覚めた。慌てて起き上がると、カリストが目覚めの紅茶を持ってくる前に、水浴びを終わらせた。
服は数日前から準備していたドレス。夏らしい爽やかな水色に、清楚な白のレースが裾を飾る。装飾品はなく、シンプルなデザインだが、体のラインが綺麗に見える。
クリスが鏡で姿を確認していると、ノックの音がした。
「おはようございます。おや、起きているなんて珍しいですね。しかも、服まで着替えて」
「……そういう日もある」
「いつも、そうだと助かるのですが」
カリストがクリスに紅茶を差し出す。クリスはカリストを無視して紅茶を飲んだ。それから、急いで食堂へ移動した。
「おはようございます、クリス様」
ラミラが笑顔で挨拶をする。クリスは周囲を見ながら椅子に座った。
「犬は?」
「犬? 帰っていませんけど」
「……そうか」
仕事が終わらなかったのだろう。決してルドが無能な訳ではない。むしろ有能だ。だが、今は人手がない上に、相当量の仕事をセルシティから押し付けられているのだろう。
クリスの顔に影が落ちる。
突然、暗くなったクリスにラミラが驚く。ここまで露骨に表情が変わることは珍しい。
「どうかされましたか?」
「いや、気にしないでくれ」
ルドが帰ってくることを誰にも話していなかった。そのため、ラミラはクリスが落ち込んだ理由が分からない。
クリスはテーブルに並んだ朝食を口に運ぶ。いつもと同じ料理のはずなのに、味気ない。もそもそと業務的に食べると、すべてを紅茶で流し込んだ。
「さて、今日はなにをするか……」
ポツリとクリスがこぼす。そこにガタガタと盛大な音が突進してきた。
「師匠!」
呼び声と同時に食堂のドアが開く。今にも倒れそうなルドが、壁にもたれかかりながら言った。
「師匠、約束通り帰っ……」
「おい!?」
ルドが倒れる。慌てて近づくと、眠っているだけだった。よく見れば目の下にクマがあり、顔も青白い。
「相当、無理をしたんだな」
クリスがルドの顔にかかっている赤髪に触れるが、起きる気配はない。
物音でやってきたカリストが手を差し出した。
「運びましょう」
「そうだな。任せる」
カリストが自身より大きなルドを軽く持ち上げる。その光景は違和感が強い。しかし、本人は悠々とルドを肩に担ぎ、部屋へと運んだ。
魔法騎士団の服や鎧を外され、身軽になったルドがベッドで眠る。クリスは椅子に座って、その様子を眺めていた。
「まったく。ここまで、無理しなくても良かったのに」
そう言いながらも、顔はずっと緩みっぱなしだ。赤髪に触れても、頬をつついても、しっかり寝ている。
そのことにクリスが調子づく。普段は触らない鼻筋に触れてみたり、耳を撫でたりする。
「んっ……」
ルドが少しだけ身じろぎ、こちらを向く。無防備で幼い動きに心が疼く。
「……ヤバい」
可愛いかもしれない。
クリスの中で新たな感覚が芽生える。クリスはルドの顔がよく見えるように、ベッドにうつ伏せた。
安心しきって眠る顔が愛おしい。ずっと見ていられる。
クリスは頭を撫でたり、髪を指に絡めたりして、飽きることなくルドの寝顔を眺めていた。
気持ち良さそうな寝息につられ、心地よい眠気が瞼にのる。瞬きの回数が増え、そのまま眠っていた。
何かが頬に触れる。優しく何度も撫でられる。あたたかく、筋張った大きな手。
そこでクリスは目を開け、体を起こした。
「寝てしまったか!」
「おはようございます」
ルドが嬉しそうに微笑む。クリスは喜びかけて、顔を背けた。
「お、おまえは、もっと寝ていてよかったんだぞ」
「せっかく師匠と過ごせるんですから、寝ているなんて勿体ないです」
「なら、起きた時に、私も起こせ」
「いや、師匠があまりにも気持ち良さそうに寝ていたので。あと、師匠の寝顔が可愛くて、ずっと見ていたかったんです」
「かわっ!? そういうことは、言うな!」
クリスが顔を真っ赤にして否定する。ルドはクリスを抱きしめようと両手を広げたところで、慌てて離れた。
ルドの不審な動きにクリスが首を傾げる。
「どうした?」
「あ、いや。最近、ロクに水浴びも出来なくて。風呂に入ってきます」
ルドが脱兎の如く風呂場に駆け込む。
部屋に残されたクリスは、まだ温もりが残るベッドにうつ伏せた。
「別に臭いなんて気にしないのにな。それより……」
(抱きしめてほしかった)
思わず浮かんだ言葉に、クリスがシーツを鷲掴みにする。
「そうじゃない! そうじゃない!」
クリスはルドのベッドの上でゴロゴロと悶えた。
「こんなの自分ではない!」
ルドといると感情が振り回される。一生懸命、気持ちを整理しようとするが、様々な感情が溢れ出しコントロールできない。
頭からシーツを被り、苦悶し続ける。そのため、ルドが戻ってきたことに気が付かなかった。
「師匠」
シーツごと背中から抱きしめられる。クリスの胸が跳ねた。
「お待たせしました」
「ま、待ってない! 待ってないぞ!」
体を小さくするクリスをルドが全身で包み込む。ほのかな温もりと、石鹸の匂いが漂う。クリスの体から、自然と力が抜けていく。
「遅くなりましたが、出かけませんか?」
「どこへ?」
クリスがシーツから顔だけ出して振り返る。ルドがすまなそうに言った。
「本当は馬で遠乗りを考えていましたが……この時間からだと難しいので、近場でピクニックなどいかがでしょう?」
「ピクニック?」
「はい。昼食をバケットに詰めてもらいました。それを景色がいい場所で食べませんか?」
「天気もいいし、たまには良いな」
クリスが体を起こす。
「では、いきましょう」
チュッ。
唇が触れる軽い音。ルドがベッドから下りる。クリスは額を押さえ、顔を真っ赤にして硬直した。
後編を夜に投稿します
それで完結です




