それは、新しい朝と、セルシティの改革案でした
カーテンの隙間から陽が差し込み、朝がきたことを告げる。ゆっくり休めたクリスが、いつもと違うシーツの感触を堪能しながら微睡む。
そこに軽いノックの音が響いた。
カリストが目覚めの紅茶を持ってくる時間ではある。だが、ノックのリズムがいつもと違う。
クリスが疑問を感じていると、部屋のドアが開いた。
「失礼します」
風に乗って紅茶の香りが鼻まで届く。クリスは目をこすりながら、無理やり体を起こした。
「なんで、朝からおまえが……」
「いけませんか?」
「それは、カリストの仕事だろ」
欠伸を噛み殺しながら、クリスが目を動かす。その先には、赤髪を揺らし、琥珀の瞳を細めているルドがいた。
ルドは紅茶をサイドテーブルに置くと、クリスの髪に手を伸ばした。
「髪の色を変えるなら、ついでに朝の紅茶もお持ちしようと思いまして。あと、寝起きの師匠を見たくて」
「なっ!?」
クリスの顔が真っ赤になる。その様子を眺めながら、ルドが片膝を床につけて見上げる。
「おはようございます」
「ッ……」
クリスは突然のことに言葉が出ない。だが、ルドは気にすることなく立ち上がる。持参した紅茶をカップへ注いだ。
「どうぞ」
「あ、あぁ」
渡されるままカップを受け取り、紅茶を飲む。たぶん、いつもと同じ紅茶なのだろうが、舌が味を感じない。それより、頭がパニックになっている。
作業的に紅茶を飲んでいると、ルドが訊ねた。
「味はどうですか?」
「わ、悪くない」
「そうですか」
クリスがチラリとルドを盗み見する。そこには安堵したように、力が抜けた笑みを浮かべるルドがいた。その表情に、ますます顔が赤くなる。
平常心だ、平常心。
クリスが必死に心の中で呟いていると、ルドが背後にまわった。懐から鼈甲の櫛を取り出し、髪を梳き始める。
「その櫛をカリストに返す気はないか?」
「……何故ですか?」
滑らかに動いていた手が、一瞬だけ止まった。すぐに髪を梳きだしたが、ルドからは冷気が放たれている。
その気配に負けじと、クリスは振り返ってルドを睨んだ。
「そもそも、これはカリストの仕事だ。それに、こんなに朝早くから茶の準備をするのも大変だろ?」
「自分は大丈夫です」
クリスが正面を向き、小声で呟く。
「……私が大丈夫ではない」
「どう大丈夫ではないのですか?」
「うっ、うるさい!」
クリスがカップを置いて立ち上がる……が、すぐにルドに肩を押さえられ、座らされた。
「まだ髪の色が変わっていないところがあります」
「……」
クリスが黙って俯く。ルドが手を止めることなく訊ねた。
「どこか痛いところや、心地悪いところがありますか?」
「それはない」
むしろ心地よくて、再び寝そうになる。その一方で、心臓がバクバクする。この両極端な状況が毎日続いたら、体がもちそうにない。確実に朝から疲弊する。
だが、絶対に言えない。
クリスがどう言葉にするか悩んでいると、ルドが結論を出した。
「悪いところがあれば、何でも言ってください。改善していきます。紅茶の淹れ方も、カリストから学んでいきます」
「いや、櫛をカリストに返すという選択肢は……」
「ありません」
清々しいほどの断言。だが、クリス自身もルドにこうしてもらうのは嫌ではない。だからこそ、たちが悪い。
クリスは唸った。
※※
朝から疲れたクリスは、ルドとともに帝城へ行く馬車に乗っていた。考えることを放棄したクリスが、ぼんやりと窓の外を眺める。帝都は一見すると、以前と変わらず賑わっていた。
ルドがクリスに話しかける。
「影響は出ていないように見えますね」
「そうだな」
クリスが横目でルドの姿を見る。非公式の訪問ということもあり、私服だ。
茶色の礼装に、金糸で縁どりと飾り刺繍がされている。光の加減によっては朱色にも見える生地は、ルドによく似合っている。
最近はケリーマ王国の伝統衣装でゆったりとした服装ばかりだった。そのため、このようなキッチリとした姿に思わず見惚れてしまう。
馬車がガタリと揺れる。
我に返ったクリスは、慌てて視線を窓の外に戻した。ガラスに映る自分は、黒を基調とした男性用の礼装で、地味の一言だ。映えるところも、華やかなところもない。
クリスは首を横に振った。今は、こんなことを考えている場合ではない。
クリスが気合いを入れ直し、正面を向く。するとルドと目が合った。それだけでルドが嬉しそうに微笑む。
「今日の服も、よく似合っていますね」
お世辞と分かっていても、つい嬉しくなる。クリスはルドを殴った。
「人が一生懸命、落ち着こうとしているのに、邪魔をするな!」
ルドは訳が分からなかったが、とりあえず謝る。
「え? は? す、すみません」
「城に着くまで黙ってろ」
クリスの理不尽な言い分とともに、馬車は城門を抜け、帝城へと入った。
城の入り口に到着する。クリスたちが馬車から降りると、先帝を治療した時の案内役であった若い執事に出迎えられた。
「おはようございます。こちらへどうぞ」
通された部屋は、円卓が置かれた広い部屋だった。壁には、この国の象徴である、龍と鳳凰が画かれた国旗が飾られている。ドアには、鎧を着た騎士が物々しく警護していた。
「おはよう、クリスティ。よく休めたかな?」
入り口に近い側の椅子にセルシティが座っている。クリスはその隣に腰を下ろした。ルドはその後ろに立ったまま控える。
「オグウェノたちは、どうした?」
「今回は席を外してもらったよ。今後の国の方針を決めることだから。最少人数で内密に話したい」
「そうだな。オグウェノには、政策の方針が決まってから助言をもらえばいい」
そこに現帝がコンスタンティヌスと、クラウディウスを連れて登場した。
コンスタンティヌスは現帝の第一子であり次期皇帝候補である。白金の髪は柔らかく揺れ、紺色の瞳が室内を見回す。人当たりが良い整った顔立ちだが、今は不機嫌な様子を隠していない。
その後ろにいるクラウディウスは第二子であり、好戦的で他国との戦にも前線で戦う武人である。
政策には疎く、兄のコンスタンティヌスに全てを任せるほど崇拝している。短い金色の髪は太陽のように輝き、強気の紺色の目がクリスを睨む。
「やあ、よく来てくれた」
現帝が笑顔を作るが、疲労は隠せていない。気怠げな動作で、セルシティの反対側の椅子に座る。
「今回のことについて、セルシティから報告は聞いた。にわかに信じられないことだが、実際に神の加護が必要な魔法は、使えなくなっている」
クラウディウスがクリスを睨んだまま詰め寄る。
「特に治療魔法が問題だ! 戦場で治療ができなくのは困る! 即刻、責任をとってもらうぞ!」
「シェットランド領から治療医師を各地に派遣し、治療の補助をしている。あと、治療師に新しい治療魔法を教えるようにした。これ以上、こちらができることはない」
「それだけで済むと……」
今にも噛みつきそうなクラウディウスの頭を、コンスタンティヌスが殴る。
「兄上!?」
「話すな、と言っていただろ?」
「はぃ……」
コンスタンティヌスからの絶対零度の視線に、クラウディウスが小さくなる。
現帝が苦笑いをしながら話を繋ぐ。
「治療の問題もあるが、他の魔法も問題だ。幸い、今は戦をしている地域はない。だが、それも、いつどうなるか分からない」
「ですから、私の案を採用していただきたい」
セルシティの言葉に、コンスタンティヌスが低い声で否定する。
「受け入れられるわけなかろう。すべての奴隷を国が買い取るなど」
予想もしていなかったことに、クリスとルドの目が丸くなった。




