それは、山田太郎でした
クリスはガラスに手をつけ、見上げた。まるで木に実った果実のように、ずらりと並び、果てが見えない。
「この一つ、一つ、すべての中に人がいるのか?」
「そうです」
「生きて……いるのか?」
「もちろん、生きています。ここで黒の一族と出会った"神に棄てられた一族”も、この中に入ることで生き延びました」
「眠っているのか?」
「そう、ですね。そこは少し複雑なのですが……こちらで説明しましょう」
カリストが手を振る。すると、空中に小さな建物と歩く人々が現れた。
初めて見るものに、オグウェノが警戒する。
「なんだ、これは? 人形か?」
「映像です。実物は、ここにありません」
「映像?」
眉間にシワを寄せるオグウェノに、カリストが説明を続ける。
「これは、この中で眠っている人々が見ている夢を、可視化したものです」
「夢? この中の誰かが見ている夢をここに出した、ということか?」
「そうです。ただ、これは誰かの夢ではありません。全員が見ている夢です」
「どういうことだ?」
クリスが伸びた枝が繋がった先に視線を向ける。
「この中にいる全員が、あの枝のような物で繋がり、同じ夢を見るように操作されているのか? そして、その夢の中で生活をしているのか? それが夢の世界だと知らずに」
「なんだって!?」
驚くオグウェノの耳に、乾いた拍手の音が入る。
「その通りです」
「おまっ!」
怒るオグウェノより先に、クリスがカリストの胸倉を掴んでいた。
「これが、どういうことか分かっているのか!? 人を閉じ込め、自由を奪っているんだぞ! なぜ、そんな悠長にしていられる!?」
「クリス様」
説得するでも、落ち着かせるでもない。感情もなく、抑揚もない声。光のない漆黒の瞳が、凪いだ海のようにクリスを見つめる。
「これが最善だったのかは、いまだに分かりません。ただ、生き残るためには、必要でした。月にいたクリス様の一族が、生き残るために選択したように、私たち一族も選択肢は多くありませんでした」
やりたくてしたわけではない。ただ選択肢がなかった。その、やるせない気持ちは、なんとなく理解できる。
「そう……か」
クリスが力なく手を下げる。
「私たちの一族は、今までの文明よりも遥かに高い水準の、魔法文明と科学文明を構築しておりました」
「科学とは、なんだ?」
オグウェノの質問にカリストが手を掲げる。その先に様々な映像が浮かび上がった。
「魔法だけでは、実現できなかったこと。気候の完全制御、不老長寿、宇宙への進出、などを実現したのが科学でした。しかし、神と悪魔の交代劇で、地表の文明が紀元0年まで戻され、その技術は消えました。ここにある施設を除いて」
「ここしか残らなかったのか?」
クリスの質問に、カリストがガラスの先を見つめる。
「はい。ここ以外で、地表にない施設はありませんでした。他に頼る人も物もない中、限られた資源で生き残る道を模索しました。その結果。人々は眠り、夢の中で生きる道を選びました。必要最低限の資源で生き延びるために。しかし、これもいつまで続けられるか分かりません。ですので、我々は決めました。神と悪魔に干渉されない世界を創る、と」
カリストがクリスたちの方を向く。
「私たちにとって、人も貴重な資源の一つです。厳選した人を定期的に偵察隊として、世界に送り出しておりました。その結果、長い年月の中で、現地に溶け込み、子孫を残した人もいます」
漆黒の瞳がオグウェノの黒髪を見つめる。オグウェノが自分の髪に触れた。
「まさ……か。いや、だが親父の目は黒くないぞ」
「はい。そもそも、この世界に黒髪、黒瞳の人間はおりません。なのに何故、黒髪の人間がいるのか? それは私たちの血を引いているからです。私たち一族は、神によって黒髪、黒目の男しか、生まれないようにされました。ですが、それは長い年月の中で血が薄まり、黒目以外の子が生まれるようになりました」
クリスが顎に手を添えて考える。
「金髪、緑目で女しか生まれない一族と、黒髪、黒目で男しか生まれない一族……その二人が交わったら……」
「〝神に棄てられた一族〟のお袋からは女しか生まれないはずなのに、男であるオレが生まれたのは……もしかして」
「私たち一族の血が影響したのでしょうね」
「オレに認識阻害が効かないのも、そこが原因か?」
カリストが答える前にクリスが訊ねる。
「認識阻害?」
「クリス様の一族と同じです。神と悪魔の交代劇が起きた時、私たち一族は〝神に棄てられた一族〟として黒髪、黒目は不吉な存在とされてしまいました。ですが、それだと世界を渡るのに、不自由でした。そこで、この世界には黒髪、黒目の人間は存在しない、という認識を張り巡らせました。そうすることで、黒髪、黒目の不吉な存在の人間は存在しない、と人々の認識を上書きしたのです」
クリスが深緑の目を鋭くする。
「それは人の意識を自由に操作できる、ということか?」
「すべてではありませんが」
「一部であろうとも、それは神の領域ではないのか?」
クリスの指摘に、オグウェノが目を丸くする。カリストは微笑んだまま答えない。クリスが諦めたように言った。
「神と渡り合うには同レベルの力が必要、ということか」
「そういう問題ではないだろ! いざとなったら、こいつらはオレたちを自由に操れるってことなんだぞ!」
「だが、その力がなければ、この世界から神と悪魔を切り離すことができない。これは私の想像だが……神や悪魔は、それだけの力を私たちが手に入れる前に、交代劇をしているのではないのか?」
「なっ……」
オグウェノが絶句する。
「その通りです。神と悪魔は人類がある程度進歩したところで、文明を紀元0年まで戻しています。このままでは、人間は永遠に神と悪魔の手のひらの上で転がされるでしょう」
「いや、それでも!」
不服そうなオグウェノにクリスが説得する。
「感情では理解したくないのは分かる。だが、今はこれしかない。今、しなければ、また続くだけだ。それなら、ここで連鎖を断ち切らなければならない」
オグウェノがガラスの壁を叩く。
「クソッ!」
「私だって、すべてを納得しているわけではない。こんな形で生きていると言えるのか分からない。それでも、ここまで生きてきた人々がいる。それは、神と悪魔から干渉されない世界を創るためだ。なら、その想いに応える必要があると思う」
「ありがとうございます」
カリストが普段通りに頭を下げる。オグウェノがいら立ちを隠すことなくカリストに言った。
「だが、どうやって神と悪魔をこの世界から切り離すんだ? 月姫に危険がおよぶなら、オレは阻止する」
「おまえなぁ、神と悪魔を世界から切り離すんだぞ? 安全なわけないだろ」
クリスが呆れたように話す。そんな二人にカリストがクスリと笑った。
そのことにオグウェノの機嫌が、ますます悪くなる。
「なんだ?」
「いえ。報われなくても相手を想い続ける、その感情が私には分からないので」
「は?」
オグウェノが眉間にシワを寄せる。カリストは軽く首を横に振った。
「違いますね。私が勉強不足なだけです。さて、クリス様。次の部屋へ行きましょう」
二人はカリストに案内されるまま、部屋から出て行った。
靴音だけが響く廊下を歩いていく。壁は白一色で、無機質な空間が続く。
しばらく無言で歩いていると、カリストが足を止めた。
「こちらです」
カリストが手をかざすと、そこにあった壁が消えた。室内は薄暗く、壁には無数の小さな光が星のように瞬いている。
オグウェノが警戒する隣で、クリスが珍しそうに見回した。
「ここは、どういう部屋だ?」
「ここで犬の中にいる神が、どうやってこの世界に来ているのか、そのルートを解析します」
「ここで?」
半信半疑のクリスたちの前に人影が現れた。金色の髪に黒の瞳をした、可愛らしい少女だ。
少女はカリストの姿に、嬉しそうに笑うと、親しげに声をかけた。
「よっ、おかえり。山田太郎」
「「ヤマダ、タロウ?」」
クリスとオグウェノの声が重なる。一方のカリストは、苦笑いを浮かべていた。




