SPの事情とパンダ&ライオン
2日目、夕方。
「ふぅ……」
たちこめるミストの中に溜め息が流れる。六角形の少々狭い空間には雛壇があり、その1段目にバスタオルを下半身に巻いた蒼神博士がいた。他の客は見当たらない。ミストサウナの外にある人工温泉にも人影は無い。
(…………)
今までの喧騒がウソだったかのように、心が落ち着いていく。和やかな気持ちになって考えがまとまってくると、つい先日のニュース映像が脳裏に甦る。PFRS支配人と傍らに傅く白衣の女性。
「…………ッ」
女性の顔が脳細胞の中を泳ぐ。それに合わせてジワジワと汗が噴き出してくる。
カチャッ
――――――!?
男性客が一人入ってきた。反射的にビクッと体をよじらせた博士を少々訝しがりながら、雛壇の最上段に腰を下ろす。
(落ち着け……とにかく落ち着け)
人が入ってくるのは当たり前だ。しかし、自分はこれほど無防備でいいのだろうか? そう思うと、背中にありもしない気配を感じたりする。斜め後ろに座った小太りのハゲオヤジが実は……ということもありうる。大金を抱えた人間が、周囲の者達全てを強盗と見てしまうように、自分の視界で動く物全てが危険物に見えてしまう。
「すぅ~~……はぁ~~……」
肺一杯にミストを吸い込む。世界は平和だ。人類は笑顔だ。神様は正しい者に微笑む。
カチャッ
――――――!?
「…………」
「…………」
ドアを開けた本人と博士の目が合った。相手は一言も発さず中に入って来ると、周囲の様子をしっかりと確認した後、博士の隣に座った。
「え、え~~と……あの……」
「何か?」
「……いえ、なんでも……」
「そうですか」
男湯のミストサウナにスーツ姿の若い女性が入って来た。
「改めて自己紹介しておきます。私はエンプレス。スノー・ドロップのメンバーです」
「は、はあ……」
「成り行き上、こうなってしまったからには仕方ありません。博士に同行します」
「えっ……本部にですか?」
本部のSPに見張られていては、潜入作戦など成功するハズもない。
「私はチームを抜け、単独で博士の説得にあたるよう、特別に指示を受けました(咲に言えと言われた)」
「じゃあ、この客船にアナタの仲間は……」
「もちろん、いません」
「……そうですか」
「バスタブに転がっていたのは、特に意味はありません(咲に言えと言われた)」
「は?」
「特に意味は無いのです!」
顔を少し赤らめて、ワケの分からない力説をされても困る。
「ところで……蒼神博士はPFRSの事をどれだけ御存知ですか?」
「……?」
彼女は何か言いたげだった。
「ボクがPFRS本部に配属されたのは、『神の設計図プロジェクト』のオブザーバーとしてスカウトされたからです。途中参加だったので、配属される以前の歴史的なことは殆ど関知していません」
「それなのに博士はPFRSを糾弾されたのですか?」
「……たとえ今回の件が、PFRSにおける初めての汚点だったとしても、黙認はできませんでした。最初の間違いを容認してしまえば、次からは躊躇も検討もされなくなり、その数が増える度に人間の良識は削られていきます」
「私は博士が嘘をついているとは思いません。が、支配人の意志に基づいて実行された計画が、世間一般で言われる違法行為と判断されるのは、納得できかねます」
「エンプレスさんは……PFRSと何か特別な関わりがあって配属されたんですか?」
「いえ、私はただの患者でした」
「患者?」
彼女は博士の方に顔を向けると、前髪をかき上げて額のバンダナを外した。
「あ……」
博士の口から驚きの声が小さく漏れた。髪の生え際近くに刻まれた、痛々しい傷痕。一見してただの外傷ではないと、素人目でも分かるモノだ。
「かつて、私は軍のレンジャー部隊に所属していました。2年程昔のことです……訓練中に気絶して緊急入院し、検査で脳に悪性の腫瘍が発見されました」
「…………」
「民間の医療施設を転々として、何度か外科手術に臨みました……が、運の悪い事に、処置の困難な位置に腫瘍ができていたため、全て失敗しました。着々と腫瘍は大きくなっていき、余命1年と診断されて私は人間社会から見捨てられました」
「…………」
「そんな時、軍部の上官からPFRSを紹介されました。軍から多大な出資がされているため、優先的に診てもらえることになったのです」
そう話す彼女の表情に、緩やかな笑みが含まれている。
「PFRS本部に入院した私は、支配人と出会い選択を迫られました」
「選択?」
「余命1年という天寿を人間として全うするか、それとも……“人ではなくなり”生き長らえるか」
彼女のその言葉に博士は表情を曇らせた。
「私は当初、その提案を拒絶しました。支配人に強化人間となる手術過程と、その後の自分の立場について、十分説明を聞いた上での判断です。私はPFRSの療養施設で最期の時を迎えようと、覚悟を決めました」
「…………」
「入院して初めて知りました。当時のPFRSには、私のように不治の病で死の近い身体を預けた者達が、世界中から集められていました。彼等もまた、支配人から人生の選択を迫られ、拒絶を選んだ人達でした」
「…………」
エンプレスの目が次第に泳ぎ出した。
「いつ死んでもおかしくない者達が大部屋に敷き詰められ、これといった生命維持処置も受けられず、毎日のようにダレかが死に、袋に入れられて去って行きました。陸揚げされた魚みたいに体をバタつかせる者……ものすごい勢いで吐血し、自分の血溜まりに顔をうずめ動かなくなる者……日の出と共に首を吊る者……病棟に放火しようとして逮捕される者……終わらぬ妄想に追われて脱走し、海上で浮いているのを発見される者……」
「…………」
「私はレンジャー部隊に配属されていた時分、生き方に絶対の誇りを持っていました。将来に展望もあり、不安も恐れも無かった」
「…………」
「訓練中に点検ミスで実弾が発射され、鎖骨を砕いたことがありました。ボートが転覆して溺れたこともありました。けれど、それを『恐怖』とは感じていなかった。しかし、あの大部屋には……恐怖しかなかった」
「…………」
「荒唐無稽でイライラする空間から、淡々と人間が消えていく……ダレも寝ていないベッドが次々と増え、声が消え、生きているという感覚が薄れて私は……怖くなりました」
「エンプレスさん……」
彼女の指先が小刻みに震えている。蒼神博士はかけてやる言葉が思いつかなかった。
「緩慢に訪れる死の時間に揺られ、呼吸するだけの生活でした。そんな中で私は考えを改めました」
―――――――― 人ではなくなろう ――――――――
「思い知らされました。人間は恐怖に打ち勝てるようにはできていない……私は支配人に陳情し、手術を受けて人をやめました」
「…………ぅ」
エンプレスの瞳をしっかりと見据えながら、博士は涙を流した。
「蒼神博士?」
「うっ……うっ……ぅぐ……」
静聴していた蒼神博士が顔を隠すように片手を押しあて、嗚咽を漏らしている。
「もし、支配人が“悪”と判断された時、ボクに協力してくれますか?」
博士はエンプレスの手をヒシっと握り締め、潤んだ目で見据えた。
「…………」
即答は避けられ、エンプレスは申し訳なさそうに視線を逸らした。
「そ、そうですか……」
一人でも多くの味方が欲しくて強く賛同を求めが、彼女は立ち上がり、ドアノブに手をかけた。その時、何かを思い出したかのように振り向く。
「“アノ連中”には気をつけてください」
「え?」
エンプレスが独り言のように呟く。
「この客船の船長に事情を話して、端末から政府のデータバンクにアクセスしました。その結果、『イレギュラー』などという調査会社の存在は確認されませんでした」
彼女の言葉に博士の顔色が変わる。
「ちょ……ちょっと待ってください、ボクは確かにネットで『イレギュラー』のサイトを見つけ、コンタクトをとったし……」
「確かにサイトは存在するようです。しかし、不動産リストからサイトに記されている住所を調べ、地元の警察に連絡して捜索してもらいましたが、アパートの一室に交換機が一台置いてあるだけでした」
「そんな……!」
不意に力が抜けて俯く博士を他所に、エンプレスはサウナを後にした。
(どうする? どうする? どう……)
できれば耳に入れて欲しくない情報だった。引くに引けないこの状況で、取るべき選択肢の重要性が更に増した。
「わああああああああああああああ──────ッッッ!」
無理矢理ふりきるような大声を出しながら、彼は飛び出していく。そして。
――パタッ
後ろの中年デブオヤジが、のぼせて倒れた。
ブオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォ――――
3日目、正午。客船は予定の港に停泊していた。物資の補給と船のメンテナンスが迅速に行われ、客の殆どは久しぶりの陸地を踏みしめるため、船を降りている。その中に……周囲に対して“見ちゃいけません!”的な空気を振り撒いている一団が。
「…………」
「…………」
俯き加減に押し黙る蒼神博士とエージェント・エンプレスが、歩幅を大きくとって先頭を進む。というか、逃げる。二人の後ろを『パンダ』と『ライオン』がついて来るから。
――――パンダ?
――――ライオン?
正確に言うと、パンダとライオンの着ぐるみがスキップしたり手を振ったり……街角で風船やチラシを配ったりしているアレ。メチャメチャ目立って、通行人は皆振り返っている。パンダにいたっては、デート中のカップルめがけて空き缶を投げつけたりする始末。
「博士……我々はどう対応すれば?」
「慣れてください」
それはそれで問題だ。
「さて」
しばらくして、蒼神博士は巨大なシャッターのある倉庫の前で足を止めた。
「博士、ここが……?」
「はい、海底トンネルへと続く入り口があります」
「しかし、本部は船を衛星で追跡しています。我々がここで降りたことに気付いているのでは?」
「一度にたくさんの乗客が降りましたから、微妙な角度調整に時間がかかって、おそらく5分~10分ほどのカバーしきれていない空白ができたハズです」
そう言って彼は鍵を一本取り出し、シャッターの脇のコンソールに差し込んだ。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴォォォォォォォ──────!
重々しい金属音をたてながら、シャッターが上がっていき……
「へ?」
博士の目が点になる。人がいたのだ。一人や二人ではなく、大勢の人間が……しかも武装していて、一斉にこっちを向いて言った。
「何だオマエ達!?」
まさにこっちが言いたいセリフなのだが、銃口があっちこっちで黒光りしていて、四人めがけて狙いをつけていた。