1.真実の愛とやら
会場の空気がざわりと揺れ動いたのがわかった。待ちに待った二人がやってきたのだ。
私はゆっくりとそちらへ向かう。
さあ、お楽しみの始まりだ。
私が移動を始め、周囲の貴族たちが不安げにその進むべき方向から身を引く。やがてそれは真っ直ぐと、正しく、私の婚約者へと辿り着く通路となる。
王宮のダンスホール。贅を尽くした会場は美しく磨き上げられている。あちこちにできらめく魔導具の照明が、昼のように周囲を照らしていた。その中でも今特に、私たちの周りは輝き浮かびあがっている。
こちらが気づけばもちろんあちらも気づく。
私の婚約者であるチャールズ殿下は同じように真っ直ぐこちらへ向かってきた。
その腕に身を寄せているのは我が妹アビゲイル。いつの間に作ったのか、チャールズ殿下の瞳の色である青いドレスを着ていた。
そう、私とまったく同じ青いドレスだ。
「これはいったい――」
「グレンウィル公爵、説明をする」
「お父様お待ちください」
父が口を開くのを、チャールズ殿下は即座に止める。私が止めたのも同時だった。
二人に言葉を遮られ、父は道を譲ってくれた。視線で礼を言っておく。
あたりにはたくさんの貴族がいた。冬が近づき、貴族は領地からタウンハウスへ移動する。春から秋にかけては領地の経営が忙しい。やっと落ち着いてきた冬に、王都で今度は社交に勤しむ。
今日はいわば、その社交の始まりの会だ。今年もこうやって国中の貴族が集い、次の年へつなげる、そんな集まりだ。
王家主催で開かれ、すべての貴族が招待される。よっぽどの理由がない限り、国中の貴族が集まる大きなパーティーだった。国中のすべての貴族の視線が集まっている。
口火を切ったのはチャールズ殿下だった。
「パトリシア、すまない。本当に、申し訳ない。私は……真実の愛を見つけてしまったのだ。アビゲイルを愛してしまった。何度も間違っていると自分自身を律しようとした。だが、この気持ちを抑えることは難しかった!」
さすが王家、お顔は大変良いチャールズ殿下だ。苦悩に顔をゆがめる姿はこんな状況でなければ私の嗜虐心を煽ってくれてたいへん面白い。
「お姉様!! わたくしが、わたくしが悪いのです。チャールズ殿下に惹かれる自分を止められなかったのっ!」
父の後妻の連れ子であるアビゲイル。赤い髪が母親そっくりで、緩いウェーブを描いて彼女の肌の白さを引き立てている。瞳は同じく母親似の茶色で、今はその瞳に涙を溜めていた。器用な涙だ。あれが上手に出たり入ったりする姿を何度も見ていた。
父が身じろぎをする。
だから、私は父が口を開く前にはっきりと宣言した。
「承知いたしました」
隣に立っていた父は、再び口を開いたまま止まって私の方をまじまじと見やった。父は私の方がチャールズ殿下との婚約にこだわっていると思っていたのだから。
それがあっさりと、受け入れたのだ。
だが、これだけでは納得しないだろう。
そして、納得させられない。
何事にも勢いというものが必要なのだ。私はこれを全力で押し切るつもりだ。
「殿下とアビゲイルはとてもお似合いだと思います。妹は流行り物が好きで、観劇や流行の菓子や服装、そういったものを受け入れるのがとても上手なのです。殿下もお好きですものね」
私がにこりと笑うと、チャールズ殿下は喜色を浮かべ、アビゲイルは驚いたように目を見開いた。
まさか私が泣き叫んですがるとでも思ったのか?
チャールズ殿下は本当に私と趣味が合わない。
彼は動物全般が苦手で、遠乗りが好きな私に一度も付き合ってくれることはなかった。礼儀として何度かお誘いしたが、断りの文句もあっさりしたもので、本当に興味がないのだ。さらに王族男性のほとんどが習得するよう言われる剣の授業もすっぽかし、狩りも嫌いだ。王家所有の広大な狩り場に、私はよく一人で騎士を連れ出向いた。もちろん誘うが、生き物を殺すなど野蛮なことはしたくないと返される。単に身体を動かすことが面倒なだけだろう。王子ならばいつか社交でこういった場を設けなければならないだろうに、未来を見据えて努力をすることを怠る人物なのだ。
読書も嫌い。王子としての実務も私に回せるだけ回す。いつも彼相手に話題を考えるのが大変だった。
婚約は白紙へ。
なんてありがたいお言葉だ。
ちらりと、彼のそばに立っているアビゲイルへ目をやる。
私の異母妹。
母親はたいそう美しい人だ。彼女もその容姿を十分に引き継いでいる。どうせならもっと小さいうちに公爵家へ呼び寄せていればよかったのに。
「アビゲイル、王子であるチャールズ殿下を助けて差し上げてね」
驚きに止まっていたアビゲイルは、私の言葉にハッとして涙を流し始める。
やだ、うれし泣きをしたいのは私の方よ。
「わたくしは喜んでこの座を貴方に譲るのだけど、ほら、外から見れば姉の婚約者を強奪したわけだから、今年の冬の社交は居心地の悪いものになってしまうでしょう?」
チャールズ殿下とアビゲイルは、笑顔を引っ込めて真顔になる。軽い嫌悪感までにじませて、どうしたの? まさか、このままあなたたちを祝福して終わるとでも思ったの?
誰がどう見たってそうなのだ。
「この冬の社交場に、わたくしがいたらやりにくいでしょう。殿下は来年十八、あなたは十六。婚約からすぐではあるけれど、結婚できる年齢になるのだから、今年の冬は重要よ」
にこりと笑う。
私の笑顔は自慢じゃないがとても美しいのだ。亡くなった母親譲りのプラチナブロンドと、宝石のような緑の瞳。この私の何が不満だったのでしょうね、殿下。
「だからお父様、わたくし領地へ向かおうと思います。その方が殿下とアビゲイルのためになるかと」
笑顔のまま、さらにキラキラした瞳で見ると、お父様が絶望の表情を浮かべていた。
「パトリシア、お前……」
「本格的な冬になって道が閉ざされる前に行きたいわ。これから準備いたしますね! それでは皆様たいへんお騒がせいたしました。ごきげんよう。チャールズ殿下、アビゲイル、お幸せに!」
私は優雅に礼をすると、一度も振り返ることなく会場を後にした。
貴族らしい笑みを貼り付けたまま。
「ふふ……ふふふ」
「お嬢様、漏れてらっしゃいますよ。もう少し、もう少しだけ我慢なさってくださいませ」
「んっ、そうね。ここでボロを出してはいけないわ」
まだ貴族たちの馬車に囲まれた状態だ。ここを抜け出し、タウンハウスに帰ることが第一段階。
「混乱に乗じてすべてを終わらせるわよ、グレンウィル領への道はどう?」
「昨日連絡が入った時点では、まだ馬車は通れるようでした」
「なら、手前で止められることはなさそうね」
グレンウィル公爵家のタウンハウスは王城も近く、最高の立地だ。すぐに着いた。出迎えてくれるのはすっかり支度を調えた馬車だった。
「お嬢様、こちらを」
高価な毛皮でできたコートを差し出すエイダの頬に、私はキスをする。
「今までありがとう」
「そんな、本当は私も一緒に連れていっていただきたかったです」
「ごめんなさいね、早さが肝なの。春になってどんな風になるかもわからないけれど、もしそのまま領地で好きにできるようなら呼び寄せるわ」
人数があまりいると進みが遅くなる。普通の侍女でしかないエイダには厳しい道のりだ。
「お待ちしております」
栗色の髪を結い上げた、パトリシア付きの一番若い侍女。話しやすかったのもあり、何かと目をかけていた。
「お嬢様、行けます」
馬車に同乗していたグレンダが、最終チェックを終えた馬車へ乗り換えている。グレンダはパトリシアの護衛騎士だ。黒髪を一つに結い上げ、茶色の瞳は私の周囲を警戒している。いつも一番に悪巧みを相談する相手だ。この後は御者となる。さらに、馬車の中には長年仕えてくれている侍女のケイリーが乗り込んでいた。
「それじゃあみんなありがとう。お父様に手紙は残してある。全員を解雇するわけにはいかないだろうし、わたくしの性格はよくわかってらっしゃるから大丈夫よ。エイダは今後はブライアンの侍女とするようお願いしている。しっかり教育してあげてちょうだい」
ブライアンは私の十二離れた弟だ。弟を産み、産後の肥立ちが悪く、母は亡くなった。母の愛を知らないのが哀れで、つい甘やかし気味だった。エイダはしっかりしているから、きっとこの冬のうちに、まだできていない読み書き計算をしっかり叩き込んでくれるだろう。
私が馬車に乗り、扉が閉まるとその場に出てきていた使用人たちがそろって頭を下げる。
「さあ、行って!」
早さが重要なのだ。
門で止められるが私が顔を出せばすぐに通してもらえる。
「こんばんは。お父様にも許可はいただいているから大丈夫よ。ちょっとした用事なのだけれど、すぐに戻るわ」
王子の婚約者である私の顔を知らぬ兵士はいない。生来動くことが大好きな私は、チャールズ殿下が嫌がるので控えていたとはいえ、騎士団に顔を出し、兵士の間でもよく知られていた。あちこちで顔を売る私を殿下は疎ましく思っていたが、あなたがやらないからこちらがやるしかないんですよ、を上手く、貴族らしい、あちらを持ち上げる言い方に変えて表向き納得させていた。
「いってらっしゃいませ、パトリシア様」
こんな夜に王都の外に出る用事なんて、いったいなんなのか。
私も知らない。
しばらく帰ってくる気はない。
とにかく距離を稼ぎ、進むつもりだ。馬で追いかけられたら馬車は敵わない。だが、さすがに衣装も何も持たずに向かうわけには行かなかった。
そう思わせたい。
あの後すぐ国王陛下が入場したはずだ。そして、そこに生まれた惨状をまとめ上げるのに少しかかる。婚約を白紙に戻したいといって、本来ならばそれがすぐ叶うわけがない。
本来ならば。
私がそれを受け入れ、後押しまでしたのだ。さらに私はもうその場から去っている。
冬の社交の始まりである王家主催のパーティーが前代未聞の事態になり、かといってやめるわけにもいかず、父もまあ、半刻はあの場に残るだろう。
家に着くのは早くても一刻後。殿下とアビゲイルは下がるように言われ、裏で話を聞かれ問い詰められして、そうなればもう半刻稼げる。
「いや、やはり相手を舐めてはいけないわね」
「そうですね。もうすぐ次の合流場所に着きます。着替えましょう」
爆走する馬車の中でドレスを脱いで服を着るのはかなり大変だが文句は言ってられない。エイダが渡してくれた暖かいコートがありがたかった。
「荷物は間違いないですか?」
「ええ、大丈夫」
「見えてきました」
御者席の小窓が開いてグレンダが告げる。
「こちらも問題ないわ」
ほどなくして指定の場所に止まり、鍵を開けると外から開かれる。
現れたひげ面たちに、私はにっこり微笑んでみせた。
「お早いお着きで、パトリシア様」
「久しぶり、チャド。みなさんもごきげんよう。あとはお願いするわね」
「グレンウィル公爵様に絞め殺されなければいいが」
「お父様が直接貴方に触れるわけがないでしょう? 魔法で一発よ。とはいえ、馬車が領地に着かねば、この冬わたくしが着るものがほとんどなくなってしまうの。お父様が馬車を止めることはないわ」
馬車を降りると馬の手綱を渡された。
馬で追いかけられれば、一週間はかかる領地までの道で、必ず捕まる。
ならばこちらも馬に乗るしかないのだ。
「はい、これが報酬」
金貨がたっぷり入った布袋をチャドの手のひらに握らせる。周りの男たちが口笛を吹いた。
「あちらに着いてからでいいのに」
「領地に無事着いたら倍額よ。もしかしたら途中で捕まり解雇されるかもしれないでしょう? さっさと分けておいて。そのときは無理に抵抗せずに言うことを聞きなさい。自分たちは金を積まれた傭兵ですって言っていたらいいの。こちらに義理も何もないって顔をしてらっしゃい」
男たちは神妙にうなずく。
「ケイリーを無事届けてね」
「それはもう。あんたたちの中で一番おっかない女性じゃないか。俺たちが死んでも生き残る人だよ」
それはそうだ。ケイリーは単なる侍女ではないのだから。常にそばに控え、私を守ってくれた人だ。父が私に特別につけてくれた侍女の姿をした人だ。
しかし、女三人の旅はさすがに目立つし、グレンダの方が領地への道は詳しかった。
「それじゃあケイリー、早く来てね。待っているわ」
「お嬢様もご無事で。グレンダ、頼んだ」
「任された。行きましょう、お嬢様」
そうして、乗馬の得意な私は、夜も駆けてかなりの距離を稼いだ。
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軽い令嬢ものを書きたいですってなって軽く書き始めたのに四万字を越えました。
おかしい!!
全13話。毎日更新します。




