番外編SS スヴェンの女神
「女神だと思ったからです……」
ピンクの薔薇が咲き誇る裏庭。
どうして呪い子の自分に親切だったのか……と、アリシアに詰め寄られたスヴェンは、思わず正直に白状してしまった。
墓場まで持って行くつもりだったのに……。
みるみる顔が熱くなっていく。
ソルテス神のみを信奉する真教において、女神などという発想はあり得ない。しかし、当時まだダリアンと呼ばれていた十一歳の彼は、アリシアに初めて会った瞬間、本気でそう思ってしまったのだ――。
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そもそもダリアンが聖職者の道へ進むべく、たった五歳でエテルナ大聖堂へ送られたのは、義母の意向によるものである。
カニシウス伯爵家の嫡男として生まれた彼は、次期当主と目されていた。だが、早くして母を亡くしたあと、侯爵家出身の後妻が男児を産むと立場が一変したのだ。
彼女は表面上優しく接してくれはしたが、自分の子を後継者に望んでいるのは一目瞭然だった。
「なんて美しい金髪、金の瞳なのでしょう。きっとソルテス神の祝福を授かっているのですわ。早めに出家させ、神官への道を歩ませたほうが、この子のためです」
体のいい厄介払いだが、ダリアンの父は妻の言葉にあっさりと従ったのである。それが納得してのことなのか、権力のある侯爵家との軋轢を避けるためなのかはわからない。
この頃すでにダリアンは、家庭教師が舌を巻くほど優秀で、教えたことはなんでも器用にこなすことができたので、年齢よりしっかり者に見えた。
そうして神官見習いとして励むうちに、時の大神官ニコラウスの側付きとして仕えることになったのだった。
「美しい……」
大神官である彼が、冬に訪れる『神の蝕』と呼ばれる不吉な暗い夜を見上げ、無意識に漏らしていたのをダリアンは、時折、耳にした。
そこには、いつも満天の星が広がっており、つい釣られて見入ってしまう。
ニコラウスは、美しいものを美しいと認められる人だった。だからこそ、呪い子に関する絶対教義を無条件に鵜呑みにしたりせず、一心不乱に疑問を追究できたのだろう。
真実に行き着く前に儚くなってしまったが、彼の行動は正しかった。本当の夜は優しく、美しいものだったのだから。
その尊師の死から五年後に、新たな大神官フェルトから離宮に住む呪い子の世話係を任じられたことは、もはや運命としか言いようがない。
この日、ダリアンは、フェルト直々に大神官の執務室まで呼び出された。
「王女の乳母が退職したので、私から世話係を派遣することを国王陛下に申し出たのです」
彼は感情のこもらない声で切り出し、ポンとダリアンの肩に手を置く。
「呪い子の世話は苦痛だろうが、よろしく頼みますよ。必要最低限で構いませんからね。死なない程度に」
徳が高いとされる大神官の地位にいる者がそこまで言うのなら、呪い子は余程おぞましい外見をしていて、邪悪さをまき散らしているのだろう。皆が世話を嫌がり、聖職にある神官見習いにそのお鉢が回ってきたに違いない。
ダリアンはそう思い、翌朝、覚悟して離宮を訪れると、そこには小さくうずくまった寂しげな少女がいた。きょとんとした顔で、こちらを見ている。
黒い髪は艶を失くし、麻のワンピースは薄汚れ、見るからにサイズが合っていない。しかし、大きく見開かれたつぶらな瞳と目が合った瞬間、ダリアンは衝撃を受けた。
まるで女神みたいだ……!
太陽徽章のルビーを思わせる赤い瞳が、星のようにきらきらと輝いている。宝玉のごとく気高い、それでいてこんなに可憐で、いたいけな女の子のどこが邪悪だって!? 無垢そのものじゃないか。
服はボロボロだったけれど、それは明らかに乳母が手を抜いたからで彼女のせいではない。
気づくとダリアンは少女に近づき、跪いていた。
「アリシア・カレド・ギルデンローゼン王女殿下。本日より、未熟ながらこのダリアンが、貴女様のお世話を仰せつかることとなりました」
驚いたことに、女神は自分の名前を知らなかった。彼女の乳母は、一体何をやっていたのか?
『アリシア』は高貴な女性を意味する、上流階級にはよくある名前だ。先代王妃と同じ名でもある。
当時、大神官ニコラウスによって洗礼名として提示されたものが、俗名として採用になったと聞いているが……。
ぐううぅぅぅ……。
説明の途中でアリシアのお腹が鳴る。急いで本宮の厨房へ駆け込むと、料理長は渋い顔で文句を言いながら、トレイに朝食を用意してくれた。
「昨日、姫さんの乳母は、夕食を取りに来なかったんだ。届けようにも、あの離宮には予め許可のある者しか入れないんでね。まったく辞めるなら辞めるで、ちゃんとしてくれないと……」
料理長はダリアンにではなく、引継ぎを怠った乳母に対して怒っているのだった。
「王女殿下は、いつもお一人で食事をされているのですか?」
寂しそうにうずくまるアリシアを思い浮かべてダリアンが尋ねると、料理長は少し首を傾げ、考え込む。それから、手早くもう一人分の皿をトレイに追加した。
「乳母とは別々だったと思うが……ダリアン、だったな。これからは二人分用意するから、姫さんと一緒に食べたらどうだ? 食事は話し相手がいたほうが楽しいだろう」
「はい、お願いします」
彼の善良さに安堵してダリアンが離宮へ戻ると、アリシアはスプーンの扱い方さえ知らない。さらには、日々の食事で食べていたのは、白パンではなく、黒パンだという。黒パンは王宮の使用人たちに提供されるものだ。
おそらく、乳母が使用人用の食事と差し替え、王女のための料理は乳母が食べていたのだろう。そうして、マナー教育も施さず、文字すらも教えることなく去ってしまった。乳母は、生きるのに必要最小限の世話しかしていなかったのである。
ダリアンは、頭が痛くなった。
――必要最低限で構いませんからね。死なない程度に。
フェルトの言葉を思い出す。国王の指示だろうか?
違和感を覚えたのは、乳母が使っていた部屋へ足を踏み入れたときだった。
やけに整っている。ほかの部屋は相応の傷みがあるのに対し、この部屋は随所に修繕の痕が見られ、新しい家具に入れ替えられた痕跡があった。
とても乳母が自費で修繕したとは思えない。であれば、王女であるアリシアには、毎年それなりの予算が割り当てられている……?
翌日、彼女の小枝のように細い腕を目の当たりにして、乳母のしてきたことに、おおよその察しがついた。王女はずっと、乳母に搾取され続けてきたのではないだろうか。彼女の不正については、あとで調べるとして……。
それより、とにかく今は、目の前にいるこの女神のことだ。
お腹いっぱいに食べさせ、身支度を整えたあとは、綺麗な部屋で人間らしい生活をさせねばならない。そして、読書や絵を描く楽しみを教え、笑顔を取り戻してほしかった。
密かに離宮の外へ出したことは失敗だった、とダリアンは思う。アリシアの散歩がフェルトに発覚したために、辺境へ追放されてしまったからである。
しかし、後悔はしていない。悔やむとすれば、もっと上手くやればよかったということだけだ。
「死なない程度に……と言ったはずですよ」
「呪い子に親切にすれば、もしかしたら『神の蝕』の進行を止められるのではないかと考えたのです」
切れ長の目を吊り上げるフェルトに対して、ダリアンはもっともらしい言い訳を試みたが通用しなかった。
「東の辺境に人手の足りない教区があります。明日、発つように」
そう言い渡され、フェルトの側付きの神官見習いによって、大きな鞄を押しつけられる。
「部屋にあったものは、全部ここに……」
憐れみの混じった声だった。
真教の本山であるエテルナ大聖堂で大神官の側仕えまでしていた者が、正式な神官になる前に辺境へ飛ばされる――事実上の破門だ。
荷物の中を確認すると、ニコラウスの遺品である銀の懐中時計だけ見当たらないものの、彼の遺したノートは没収されず、そのまま入っていた。
そのノートは、ニコラウスが呪い子についての禁忌を調べていたため、誰の目にも触れぬように、こっそりとダリアンが持ち去っていたものである。
アリシアに別れを告げられぬまま辺境へ赴き、初代の国王によって焼き討ちに遭った小さな廃村を目にして、彼は驚愕した。
「禁書の廃棄だけじゃない。焼き討ちや処刑まで……正教の教えを葬るために、こんな残酷な行為をしていたなんて……」
ソレニア帝国へ渡ろう。アリシア様をこのままにはしておけない、救う方法を探し出すんだ――。
そう固く心に誓い、ダリアンは無我夢中で、この八年の月日を駆け抜けたのである。
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「スヴェンったら……女神だなんて持ち上げ過ぎよ! すぐそうやって揶揄うんだから」
アリシアから抗議の声が飛ぶ。しかし、悪い気はしないのか、顔は嬉しそうにほころんでいた。
ああ……この笑顔を生涯守っていきたい。
そして、叶うなら、いずれ横に並び立つことを望んでもいいだろうか?
「アリシア様」
一目見たときから、彼女に魅了されていた。そのおぼろげな感情の名前を、スヴェンはもう知っている。
「貴女を愛しています」
「私もよ」
次の瞬間、長い黒髪を青い風にたなびかせ、アリシアが胸へと飛び込んでくる。鼻腔を抜ける、いっそう濃密な薔薇の香り。
スヴェンは微笑み、その柔らかな身体を力強く抱きしめた。
これにて完結です。
最後までお付き合いいただき、感謝します!




