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真昼の夜空 ~呪い子のはずが、実は世界の愛され聖女だった!? 一途な彼に救われ幸せになります~  作者: ぷよ猫


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序章 黒髪赤眼の呪い子

   昼の光は、ソルテス神の恵みと希望。

   夜の闇は、神なき絶望――即ち悪である。

 

        *


 ハヴィルンド王国の冬は、静寂な夜とともに訪れる。

 エテルナ大聖堂の最上階。バルコニーから見上げる濃紺の空には、ダイヤモンドを散りばめたような満天の星が広がっていた。

 輝く星々に圧倒され、老齢の大神官ニコラウスは目を見開く。


「なっ……」


 なんと美しい――。

 思わずそう零しそうになり、口を閉じる。

 危ういところだった。ソルテス真教の最高権威者(トップ)が、神が不在となる不吉な夜を称賛しては、決してならないのだ。

 この世界は一日中、陽が沈まない。太陽神ソルテスの恩寵により、暗い夜がやって来るのは冬場だけで、それも一日のうちわずか二時間ほどである。

 ゆえに人々にとって、夜とは太陽が地平線に留まる白夜のことであり、『神の蝕』と呼ばれるこの二時間の闇は、ソルテス神の加護が届かない忌むべき畏怖の時間であった。


「猊下、夜は冷えます。これを」


 声変わり前の透き通った声が、背後からかけられる。

 振り返ると神官見習いの少年ダリアンが、心配そうに絹のガウンを差し出していた。柔らかな金髪と神秘的な金の瞳……陽光を表す吉兆色()の組み合わせは滅多に見られない。六歳の彼はこの容姿を神官たちに気に入られ、まだ幼いながらもニコラウスの側使いに推挙されたのだった。

 無垢な瞳から敬愛のこもった視線がまっすぐ注がれる。夜に呑まれそうな自分の弱さを見透かされそうな気がして、ニコラウスは咳払いでそれを誤魔化した。


「すまない、ダリアン」

 

 木綿の寝間着の上に青いガウンを羽織ったとたん、ガウンの裾がふわりと風に煽られる。冬だというのに肌を刺すような厳しい寒さはなく、ひんやり涼しい空気が心地よい。この穏やかな気候も、ハヴィルンドが神の祝福に満ちているからなのだが……。

 ニコラウスはおもむろに銀の懐中時計を取り出し、かねてから抱いていた懸念を口にする。


「夜が長くなっている。時計の狂いではない。数年前から測っているが、確実に『神の蝕』の時間が延びているのだ」


「そんな……もしや『終末の極夜』がやって来るのでしょうか?」


「確証はないが、前回の極夜からすでに三百年だ。用心するに越したことはないだろう。当時を知る者は、とうに世を去っている。記録もこの大聖堂にほとんど残されておらず、調べ物が遅々として進まぬのがもどかしいがね」


 ニコラウスはダリアンに微笑みかけると、蔦の装飾を施した鍛鉄(たんてつ)の手すりをきつく握りしめた。

 極夜とは、白夜と反対に一日中、陽が昇らない状態を指す。

 伝承によると三百年周期で極夜が訪れ、三十年もの間、世界は闇に包まれるという。それに先駆け、天は一つの『兆し』を地上に落とすとされている。それは――。


「ニコラウス猊下、お急ぎください!」


 突如、バルコニーの扉が勢いよく開き、神官長のフェルトが滑り込んできた。息を切らし、白銀の髪は乱れている。


「王宮より早馬がまいりました!  王妃殿下が産気づかれたとのことです」


 王太子ヨアキムの誕生から四年もの間、王妃カリーナに懐妊の気配はなく、ようやく授かった待望の第二子であった。 

 王家に新たな命が生まれる際、いち早く洗礼を授けるため、大神官と神官長が王宮に控えるのは古くからの習わしである。


「すぐに支度する。ダリアン、手伝いを頼む」


「はい!」


 ダリアンの手を借りて銀糸の刺繍が入った白い祭服に着替える間も、ニコラウスは年々長くなる『神の蝕』のことが気がかりでならなかった。なぜだろう、胸騒ぎがする。

 いかん、集中せねば――。

 ニコラウスは頭を振り、雑念を払った。



 二人が王宮へ駆けつけたあと、長い難産の末に産声は上がった。

 産室の隣の控えの間で、じりじりと時が過ぎるのを待っていたニコラウスは、安堵の息を漏らす。黙って椅子に座っていたフェルトも、赤子の元気な泣き声を聞いてようやく固い表情を和らげた。

 呼びに来た王妃の侍女に伴われて二人が産室に入ると、部屋は重苦しい空気に包まれている。

 産婆も王妃の侍女たちも、誰一人として喜びの声を上げない。父親であるはずの国王マテウスですら、おくるみに包まれた我が子を抱いたまま黙然としていた。彼の空色の瞳だけが困惑に揺れている。

 一体どうしたというのだ?

 ニコラウスは胸元につけた太陽徽章のルビーに手を当て、ベッドの傍らに立つマテウスへと近づいていった。その後ろを怜悧な青眼を光らせるフェルトが、法衣の裾をなびかせて続く。


「……ああ、なんということだ」


 ニコラウスは王の腕の中にいる赤子を覗き込み、息を呑んだ。


「……陛下……赤子に何か……? 赤子を、赤子を見せてください……お願い、マテウス……」


 命を削るような難産を終えてベッドに横たわる王妃カリーナは、途切れがちな声で夫に懇願する。見るに堪えかねた侍女の一人が、その耳元へ口を寄せた。


「健やかな姫君でございますよ。王妃殿下、どうか今はお身体をお休めくださいませ」


 その囁きに安堵したのか、張りつめていたカリーナの身体から、ようやく力が抜けていった。

 王妃が深い眠りに落ちるのを待って、フェルトはマテウスの震える手からそっと赤子を取り上げる。すると、眠たそうな瞼の隙間から赤い瞳が覗き、露骨に顔をしかめた。

 無理もない。三百年に一度訪れる『終末の極夜』の兆しこそが、黒髪赤眼の娘の誕生なのだ。


「黒髪に赤い目……。よもやハヴィルンドの王女が、世界に闇をもたらす呪い子とは」


 フェルトが零した瞬間、マテウスは弾かれたように、我が子の細い首へと大きな手を伸ばす。


「……殺さねば。情が移る前に、この手で殺してしまった方が、この子のためにも、皆のためにも……」


「お待ちくだされ、陛下!」


 ニコラウスは老骨に鞭打ち、王の手を必死に押さえつけた。

 

「殺してはなりませぬ!  呪い子を殺せば、どのような凶事が降りかかるかわかりませぬぞ」


 咄嗟にニコラウスの口を突いて出たのは、歴代の大神官にだけ引き継がれてきた絶対の禁忌だった。


 ――呪い子は、決して殺してはならない。


 この平穏なハヴィルンドに呪い子が生まれるなど、誰が想像しただろう。なぜ殺してはならないのか。なぜ裏の教義として大神官にだけ伝えられてきたのか。

 その謎は真教二百年の歴史の闇に埋もれてしまっている。だが、殺してはならないことだけは確かだった。


「猊下……」


 マテウスは力なく手を引き、我が子から目を背けた。


「洗礼を。せめて、神の光で呪いを和らげるのです。高貴なる王女の名は、アリシア……」


 ニコラウスは、せめてもの慈悲として美しい名を授けようとしたのだが……。


「お待ちください!」


 フェルトが割って入り、ナイトテーブルに用意されていた銀の聖水盤に自身の指先を浸した。愕然とする大神官の横で、躊躇なく片腕に抱いた赤子の額に冷たい雫を滴らせる。そして、火がついたように泣き出す赤子に向かって、洗礼とは名ばかりの忌み名を吐き捨てた。


「この子の名は、カレド()……。陛下、殺せぬのであれば、この闇の娘は幽閉すべきかと……」


「そうするしかあるまい……王女は離宮で育てるとしよう」


 泣き叫ぶ赤子は、一度も母親に抱かれることなく小さな離宮へと連れ去られた。


 **


 王宮から戻ってからというもの、ニコラウスは寝食を忘れ、大聖堂の執務室に引きこもったままだ。


「なぜだ……なぜ、呪い子を殺してはならない? 殺せば滅びるからか? それとも生かしておかねばならぬ別の理由があるのか……? 先人たちは、過去の『終末の極夜』をどうやって乗り越えてきた?」


 狂ったように古い手記を貪り読む。しかし、どれだけ本棚をひっくり返しても、ニコラウスの求める答えは出てこなかった。

 真教の記録は、二百年前の発足当時の時点で不自然に途切れている。まるで、誰かが意図的に消し去ったかのように。


「猊下……お身体に障ります。どうかもうお休みになってください」


 寝酒用のワインを運んできたダリアンが声をかけるが、ニコラウスは差し出された白磁のゴブレットに目もくれず、乾いた声で呟いた。


「ダリアン。我ら真教の歴史は、たった二百年だ」


「それは……見習いの私でも知っております。私たち真教は太陽神ソルテス様の真なる教えを守るため、ソレニア帝国にあるソルテス正教の本山を離れ、この地にハヴィルンドを興したと」


「そうだ。だとしても、正教から分派する前の記録をたどれないことなどあるはずが……。まさか、ソルテス正教の本山にある原典にしか、真実は残されていないのか……?」


 古びて茶褐色になった羊皮紙をめくるニコラウスの手が、かすかに震えていた。

 原典は無理でも、せめてソレニア帝国で読まれている流布本が手に入れば……。


「猊下、それ以上はソルテス様への不敬となります!」


 ダリアンが、たまらずニコラウスの袖を掴む。

 ハヴィルンド王国は建国以来、他国との交わりを断つ厳格な鎖国体制を貫いてきた。

 他国との接触が許されているのは、国境に設けられた交易エリアのみ。特に正教の人間の入国や書物の持ち込みは、厳しく禁じられている。

 かつて決別した正教の原典に触れようとするなど、露見すれば真教の最高権威者でも無事では済まされない。ニコラウスとて、黒髪赤眼の呪い子を直接見ていなければ、禁忌を犯そうとは考えもしなかったはずだ。

 いや、逆に考えれば、真教にはそうまでして隠し通したい何かがあるということか?

 まさか……。

 その答えの片鱗に触れかけた、まさにその時だった。

 胸の奥を焼け付くような痛みが貫いた。


「が、は……っ」


「猊下!?」


 ニコラウスは机に手を突き、床へ崩れ落ちた。ダリアンの悲鳴が遠く歪んで聞こえ、視界が急速に狭まっていく。


 呪い子とは……あの赤子は……。


 脳裏に閃いた、あまりにも信じがたい推論。

 それを目の前のダリアンに告げることも、文字に書き記すことも許されぬまま、老大神官の意識は暗闇の底へと沈んでいった。




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