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砂漠の月(第一部 碧沿)  作者: kohama
第二章 春
48/48

第9話 男色

帰り道、リワンの馬に揺られるアイラは、泣き疲れたのもあって放心状態だった。

広い田畑を抜け、美しい湖畔沿いの道に入っても、その景色はアイラの目に入っていなかった。

リワン・エイジャ「……。」

二人は顔を見合わせた。



城へ帰って来ると、アイラは中庭を見やった。

アイラ (つい何時間か前まで、ここに母さまが居たのに…)

王妃「アイラ」

アイラ「!」

母の明るい声が自分を呼んだ気がして振り返ったが、そこには誰も居なかった。

城にはまだ母が居て、植栽の陰や 二階のバルコニーへ続く階段から ひょっこり出てくるような気がした。

アイラは中庭をぼんやり見ながら、今日の夜明け前に 母が舞う姿を重ねていた。

時間を巻き戻したかった。


泣き疲れた筈のアイラが、またハラハラと涙を落としているのを後ろから見て、エイジャはうっ、となった。

エイジャ「おい…、オメーの母ちゃん、まだ生きてんだからよぉ…。泣くなや…」

エイジャは目を逸らして、ガシガシと頭を掻いた。


アイラは自室へ入り長椅子に横になると、そのまま夕方まで眠ってしまった。



夕食は、ついに父と二人きりになった。

父王は無言でパクパクと食事を済ませると、席を立った。

アイラは結局、一口も口をつけずに席を立った。


出口に控えていたエイジャが、呆れたように言った。

エイジャ「オメーさぁ、昨日から何も食ってねーだろ」

アイラ「……。」

アイラは何も言わず ノロノロとエイジャを通り越したが、廊下を歩きながら ふと気付いて振り返った。

アイラ「…あんたは? 食べたの?」

エイジャ「は? いや食ったけどよ…」

アイラ「そう。ならいいわ」

アイラはそう言うと、トボトボとまた自室へ戻った。

寝台に横になると、喪失感の波に漂ってぼんやりした。

エイジャ (ま、こうなるとは思ったけどな)

エイジャは、ボスンと廊下の椅子に腰掛けた。

エイジャ「あーあ! 暗っ!」



次の日も、その次の日も、アイラは食事が取れずに部屋でゴロゴロしていた。

リワン「もう三日目か…。困ったな…」

交代の時、エイジャから引き継ぎを聞いて、リワンは言った。

エイジャ「俺 もっと食えなかった時あるから、まだ死なねーと思うぞ? 水は飲んでるみてーだし」

リワン「死んでもらったら困る」

エイジャ「そらそーだけどよ。まーいーじゃん、とりあえず生きてんだし」

リワン「想定はしていたがな…」

エイジャ「な」

リワン「……。」

リワンは顔を曇らせた。


・・・・・・・・


リファはこの短い期間で、まだ涼しい朝の内に、薬草を採取する所まで回復していた。

リワンとしては、信じられない事例だった。

とは言え、つい熱中する内に日が高くなり、リファはしゃがみこんだまま木に寄りかかった。

リファ (あぁ、私もアイちゃんみたいに身体が強かったらどんなに良いかしら…。きっともっと、自信ができるのに…)

リファは目をつぶり、クラクラする頭を木の幹にすり寄せた。


リワン「リファ」

探しに来たリワンが声をかけた。

リワン「こんな事だろうと思った。無理をするな」

リワンは んだ薬草がごっそり入ったカゴを片手に持つと、もう片方の手を妹に差し出した。

リファ「兄さま、心配しなくても大丈夫よ。一人で少しずつ帰れるから…」

リファは兄の手を取った。

リワン「…来ない方が良かったのか?」

リファは、少しツンとした兄の横顔を見ながら、可笑しそうに笑った。

リファ「ううん、来てくれて嬉しい」

立ち上がりながらそう言った矢先、リファは自分の眼球が落ちたかと思った。

リワン「おっと」

リワンは、後ろにぐらりと脱力した妹を抱き寄せた。


リファは、兄の胸にクラクラする頭を持たれて、弱音を口にした。

唇が痺れて、うまく ろれつが回っているか分からなかった。

リファ「兄さま…、王妃様は私が立派な薬師くすしになれるって言って下さったけど、こんな身体でどうやってなれるっていうのかしら…。医務室のお手伝いだって、午後からお昼寝させて貰ってるし…」

リワン「昼寝してできるなら、それで良いじゃないか」

リファ「そうだけど…。薬草の収穫だって、こんな調子だし…」

リワン「本当は、一人で少しずつ帰れるんだろ?」

リファ「そ…、そうだけど…」

リワン「それに、まだ身体も回復してない」

リファ「……。」

リファは視界が開けてきたので、ゆっくりと目を開けた。


リワン「リファ、できない事を数えたらキリが無いよ。どんなに完璧に見える人だって、欠点はある。できない事を数えて悲嘆に暮れるのは簡単な道だ、諦める為のな。できる事を一つ一つ拾っていったら良いよ。お前なりのペースで」

リファ「うん…」

リファは、リワンの胸に手を当てて頭を離すと、兄の腕を支えにして立った。


・・・


家へ着くと、リファは長椅子にコロンと横になった。

他の家族は食卓でお茶を飲み、リワンがアイラの状況を話し始めた。

リファ「アイちゃん、また食べられなくなってるの?」

リワン「あぁ」

ミーナ「まぁ、そりゃそうだろうね…」

リファ「身体は強いけどメンタルが弱いのと、メンタルは強いけど身体が弱いのって、どっちがマシなのかしらね」

リファは フワフワする視界で、しみじみと言った。


今日は非番で家に居るリヤンが笑った。

リヤン「そりゃ、どちらもマズイな」

ミーナ「でもまぁ、だましだましやっていくしかないよね。完璧主義者より、しょっちゅう薬ばっかり飲んでて のらりくらりやってる人が、最後まで生き残ったりもするし」

ミーナがなつめ椰子を頬張りながら言った。

リファ「えっ?! そうなの?」

リヤン「案外な。リファ、こう見えて、お前が一番長生きするかもしれんぞ?」

リヤンはまた朗らかに笑った。

リファ「…! 私、のらりくらり生きる事にするわ」

家族は笑った。


リヤン「…姫は、食べられなくなって…丸三日か?」

リワン「はい。想定はしていたんですが…。流石にげっそりしてきているし…」

リヤン「ふむ…」

リヤンはお茶をすすった。

リファ「私、お薬湯を作って持って行くわ」

リワン「頼む。あぁ だがお前はまず、一休みしてからだ」

リファ「うん」

リファは目を瞑った。


・・・・・・


かくして、アイラの部屋に四人が集まった。

リファ「アイちゃん、お腹痛いの? お腹の調子を整えるお薬湯を作ってみたから、飲んでみて?」

リファは アイラのそばに腰掛けて、器を差し出した。

アイラ「ありがとう」

器を受け取るアイラの手が骨ばっているのを見て、リファは思った。

リファ (今度はもっと栄養価の高いものを作ってこないと…)

アイラ「スッとするね、美味しい…」

リファ「良かった」

アイラは半分位飲むと、器を下ろした。

アイラ「またもう少ししたら頂くね」

リファ「うん…」

リファは心配そうにアイラを見た。

友人は宴の後の数日で、頰がこけて生気が無くなっていた。



エイジャゃが呆れたように言った。

エイジャ「つかさー、おめー ヒマなんだよ! 仕事してねーから腹減んねーし、食わなくてヘロヘロでも、寝てられっから食わねーんだよ」

リファ「エイジャ…。アイちゃんは目には見えないけど、心が血を流しているのよ」

エイジャ「じゃあ、俺なんてどうなる訳?! 元から母親どころか父親も兄弟もいませんけど? どんだけ出血多量なのよ?!」

リファ「エイジャは元から居ないけど、アイちゃんは途中から居なくなったから辛いんじゃない。あったものが無くなるって、爪剥がされる感じっていうか…。エイジャは元々 爪が無かったのよ」

エイジャ「はぁいぃい? 爪、ありますがな!」

リファ「爪は例えよ」


エイジャ「分かっとるわボケ! おうおう、ちょっと待てちょっと待て。何か俺、今 平気でしょみたいな言われ方してたけど、状況としては俺が一番深刻だろうが!」

リワン「お前は、食べれてるし寝れてるだろ」

エイジャ「はぁ? そんなん当たり前だろ!」

リワン「食べて眠れていれば、大方 心配無い。それにお前は性格も楽観的で、精神的にも強い。ストレスがかかっても、結局全部どうでも良いと思っている。最終的には、社会の規範から外れても構わないとさえ思ってる。世界が自分を中心に回っていて、言いたいこともすぐ吐き出して溜め込まない。確かに、昔は状況的に食えなくて深刻だったろうが、今のお前に心配する要素は、一つも無い」

エイジャ「……? めてる? それ褒めてんの? ねぇ?」

リワン「事実を言ったまでだ」


アイラ(仕事か…)

アイラは窓の外をぼんやりと見た。

アイラ (母さま、今どこを行ってるのかな…)

アイラは、母とお揃いの首飾りをそっと握った。



その後も アイラの胃は中々受け付けず、葡萄ぶどうを潰したのや、パンのミルク粥などを どうにか ちょこちょこと食べる日が続いた。


・・・・・・・・・・・・


半月程すると、王妃を途中まで送って行ったチェン一行が帰って来た。

アイラは自室の長椅子から跳ね起きて、二階の広間へ出た。

アイラ「チェンが帰って来たの?」

ナザル「はい、今しがた下に着いたばかりです」

アイラは父王の王座のそばで、チェンの報告を待った。

父は落ち着いているようだった。


チェンは王の前へひざまずいた。

チェン「無事 草馬そうまの出迎えに合流できました事、ご報告致します」

王「そうか。ご苦労だった。…王妃の様子はどうであった?」

チェンは チラリとアイラを見た。

チェン「姫様と北門でお別れされる際は 取り乱しておられましたが、迎えにお送りする時は 落ち着いていらっしゃいました。皆様にくれぐれも宜しく、とのことでした」

王「そうか。分かった」

王はまだ何か聞きたいようだったが、思いとどまった。

王「…もう良い」

チェン「は」

チェンは立ち上がると、王の前を辞した。



アイラ (父さまは、母さまを敵国に売ったんだ…! 平和と引き換えに…)

アイラは口を引き結んだ。

父は王座に座ったまま消沈し、深くため息をついた。

王「何とでも言え。お前の言いたいことは分かっておる。…国の為だ」

父は諦めたように言った。

アイラ「…!」

アイラは唇を噛むと、きびすを返して広間を出て行った。

エイジャが続いた。


・・・


二階の外廊下そとろうかへ出ると、チェンがバルコニーから街を眺めていた。

チェン「春の草原はまだまだ寒かったですよ。緑もまばらで、お母上も大分 震えていらっしゃいました」

チェンは、アイラとエイジャに振り向きながら言った。

アイラ「……。」

チェン「それにしても…」

チェンはアイラに近付いた。

エイジャが前に出て二人の間に入り、アイラを後ろに押した。

以前の早朝の一件以来、エイジャは何となくチェンを警戒していた。

チェン「フ」

チェンは静かに笑うと、構わず続けた。


チェン「半月はんつき見ない間に、随分とお痩せになっているじゃありませんか。せっかく権力をお持ちなのに、そんな今にも倒れてしまいそうな気力と体力と腕力で、あなたに付いて来る者を守れるのですか?」

アイラ「…!」

アイラは、チェンの漆黒の瞳を見つめた。


チェンは、アイラからエイジャに視線を移すと、怪しく笑った。

チェン「ほら」

そう言うと、チェンは目の前にいるエイジャの唇に親指をわせた。

エイジャ「なっ?!」

エイジャはチェンの腕を払いのけ、アイラの横に飛びのいた。

チェンは可笑しそうに、ククククと笑った。

チェン「可愛い」

エイジャとアイラは、目を丸くしてチェンを見た。

チェン「それでは、失礼します」

チェンはうやうやしく片手を胸に当ててアイラに礼をすると、去って行った。



二人はチェンの背中を ドギマギして見送った。

エイジャ「な、何だアイツ…。アイツさ、前からおかしかったんだよ。俺のことヌメヌメ見やがって…。超気持ち悪ぃんだけど!」

アイラ「う…ん…」

アイラは、エイジャの金色の目を真っ直ぐに見ながら、チェンに言われた言葉を反芻はんすうしていた。

アイラ (そんなんで、下の者を守れるのか…?)

エイジャ「? …聞いてる?」

アイラ「あ、うん」

アイラは、怪訝そうに見るエイジャから目を逸らした。


・・・・・・・・・・・


また半月程 経つ内に、見習いの少年が何人か辞めていった。

そして、兵舎には妙な噂が飛び交うようになっていた。

何でも、チェンが少年達を食い荒らしている、という話だった。


この醜聞しゅうぶんを聞きつけ、ナザルは早速 チェンを呼び出した。

ナザル「チェン、妙な噂がある」

チェン「へぇ?」

ナザル「……。」

ナザルは少し黙ると、強面こわおもてで上目遣いにチェンを見上げた。

ナザル「お前が、見習いの少年を食い散らかしてるって噂だ」

チェン「……。」

チェンは微笑した表情を崩さず、目を伏せて部屋の隅を見た。

ナザル「本当か?」


チェン「さぁ?」

ナザル「チェン。お前が男色だというのは知っている。だからこそ、地方の将だったお前に、カルファの後任に就いてもらった。あの美しい王妃様に対して、お前程 安全で、しかも相応の実力を持ち合わせている者は他に居ない」

チェン「お褒めに預かりまして」


ナザル「しかしだ。この稼業は信頼が第一だ。仲間を食うような者は、置いておけない。しかも、自分より力の弱い者を食うなんて、言語道断だ」

チェン「そう? ここは街だし、あなたが律儀な考えを持っているからだけど、田舎では弱いものが食い物にされるのは当たり前よ? 特に可愛い子」

ナザル「それに目を光らせるのが、上の役目だろうが。まさかお前、向こうでも好き放題やってたのか?」

チェン「嫌だ、違うわよ。あっちには私だって決まった相手が居たんだから。こっちに来てなかなか見つからないから、色んな子にアタックしただけで…。皆 辞めちゃうんだもん、悲しい」


ナザルは、やや頰を引きつらせながら言った。

ナザル「守るべき主人あるじが居なくなって、暇なのは分かる。大役たいやくが終わって緊張も解けたんだろう」

チェン「そうね。ホント、暇過ぎるわ。恋でもしないと…」

チェンはほうけたように言った。

ナザル「相手が大人で同意があるなら良い。だが、子供は駄目だ」

チェン「分かったわよ…。でも人聞きが悪いわ、"食った"だなんて。私は"愛した"のよ?」

ナザル「一方的で力ずくは、ただの暴力だ。それに お前の場合、愛じゃなくて欲だろうが。腹が一杯になったら、相手がどうなろうと どうでも良いんだろ? だから自分より弱い相手ばかり狙って、脅して、使い捨てるんだろうが」


チェン「フフ、手厳しいこと。食欲、性欲、睡眠欲って不思議よね。あんなにお腹が空いていたのに、満たされたら すっかり空腹だった事を忘れてしまうんだもの。社会規範も立場も、欲の前には吹き飛んでしまうわ。しかも、ここは可愛い子が よりどりみどり。どれも食べようと思えば食べられる。天国か地獄か分からないわ」

チェンは、本当に困っているように言った。

ナザルは また、頰をピクつかせた。

ナザル「…業務に支障が無いようにしておけ」

チェン「えぇ? なら手伝ってくれるの?」

チェンは、ナザルを誘うように見た。


ナザル「断る!! 良いか、今度また同じ事をしたら…」

チェン「私を僻地へきちに送り返す? 別に構わないわよ? 憧れの王妃様も居なくなっちゃったし。それに、向こうにはパートナーも居るし」

ナザル「…戻りたいのか?」

チェン「いいえ? みやこの方が刺激的で楽しいわ。本部勤務 希望です」

ナザル「分かった。ならば…」

チェン「分かったわよ! もう良い?」

ナザル「あぁ」

チェンは、一つに編んだ長い黒髪を、さそりの尻尾のように振って、プリプリと去って行った。


・・・・・・・・


リワン「え? お前が狙われてるって?」

交代に来たリワンは、アイラの部屋の壁に寄りかかりながら聞き返した。

リファも、驚いてアイラに渡す薬膳の器を危うく落とす所だった。

アイラは長椅子に腰掛けて、リファからまだ温かい器を受け取ると、さじで口に運んだ。

リファのスペシャル薬膳は、カロリーが取れるようココナツミルクと蜂蜜を混ぜたもので穀物や肉を柔らかく煮て、シナモンやいくつかの薬草でスパイシーに美味しく仕上げてあった。


エイジャ「いや、知らねーけどよ! 前から気持悪りぃ目で俺のこと見てくるし、今日なんか、唇触られたんだけど! お前、あいつからそういうの ねーの?」

リワン「無い」

エイジャ「何で? どんな好み?!」

リワン「まぁ俺は医務室に居る事が多いから、接点も少ないしな。年齢的に 俺くらいの体格になると、腕力もついてきて狙いにくそうだと思うんじゃないか? 辞めていったのも、全員お前位の子だろ」

リワンは既に、チェンや 母のミーナと同じ位の背丈になっていた。

エイジャ「ゲロ」

エイジャはげんなりした。


リワン「……。」

リワンは暫く黙ると、言った。

リワン「ナザルさんには報告したのか?」

エイジャ「いや、まだだけど…」

リワン「伝えておけ。俺もお前がチェンさんと二人きりにならによう気をつけておくが…」

エイジャ「大袈裟じゃね? 別にそんな…」

リワン「お前がどうなろうと良いって? 俺はそうは思わないが、お前が自分の事をそう思うなら、勝手にしろ」

エイジャ「……。」

エイジャは口を尖らせて黙り込んだ。

リワン「いや、やっぱり俺からも報告しておく。上が変だと困るからな」

リワンは目を伏せて、事務的に言った。



アイラ「エイジャごめん。私、そばに居たのに…」

アイラは器を膝の上に置くと、申し訳無さそうに言った。

アイラ「私も気を付けるよ」

エイジャは呆れ顔になった。

エイジャ「は? 今のお前に何かできんの? 一人で立ってるのもやっとじゃん。俺のこと守ってやろうなんて思うんなら、まずは自分がちゃんとメシ食えよな」

アイラ「うん…。そう…だよね…」

アイラは手に持ったココナツミルク粥を見つめた。

アイラ (これ、どうにか全部食べなくちゃ…!)

アイラは 全くグーと言ってくれない胃をさすった。



アイラ「仕事…、やってみようかな…」

ポツリと言ったアイラを、三人は驚いて見た。

リファ「アイちゃん、仕事って…、な、何の仕事?」

アイラ「何か、身体使って運んだりするやつ。お腹空きそうだし…」

アイラは、また胃の辺りをさすった。

リファ・リワン「……。」

兄妹きょうだいは黙りこんだ。


リファ「ねぇ アイちゃん、何も、運ばなくて良いんじゃない? 逆に運ばれちゃう…」

エイジャ「あるぜ! 運ぶ仕事。城の北側の穀物庫が壊れてるとかで、補修するっつってた。煉瓦の運搬、穀物袋の運搬。ぜってー 腹減るって! 今やってるぜ?」

リワン「ちょっと待て」

アイラ「行ってみる」

エイジャ「おーっし」

リワン「待て待て…」


長椅子から どっこらしょと立ち上がったアイラの前に、リワンが両手を腰に当てて 立ちはだかった。

リワン「姫、やめておきましょう。今の状態で行っても、倒れて手間かけさせるだけです」

アイラ「大丈夫よ。きっと、身体使ったらお腹空くわ」

リワン「わかりました。じゃあせめて、散歩にしておきましょう。流石に運搬は無いです。現場はただでさえ忙しいのに、迷惑かけますから。あぁ、そうだ。どうしても運びたいなら、煉瓦を一つ借りてきますから、それを右から左、左から右に何度も置き替えたら良いじゃないですか。今のあなたには、丁度良い運動になりますよ」

アイラは落ち窪んだ目で、リワンの緑がかった瞳を可笑しそうに見つめた。

アイラ「リワンって、たまに面白いこと言うよね」

リワン 「……。」(あなた程じゃありませんよ!)

リファ (兄さま、顔 怖い…!)

リワン「エイジャ! お前がまた余計な事 吹き込むからだろ!」

エイジャ「いや、ぜってー腹減るって! ホント、運搬作業の後のメシの うめーことっつったらねーのよ!」


・・・


案の定、工事現場に出かけようとしたアイラは、城の出口の壁に手を添えて座り込んでいた。

エイジャ「えっ?! もう?! もうなの? まだ出発してないんですけど?!」

アイラ「ごめん…。北の穀物庫って、すごく遠いよね…」

エイジャ「そう?」

エイジャは、ちょっと意味が分からないという顔をしていた。

元気な者にとっては、別に遠くはなかった。

アイラは、今、もう既に横になりたかったが、

アイラ (お腹がすくまで…!)

と壁を伝って立ち上がった。


リワン・リファ「……。」

兄妹きょうだいは、壁に手をついて老婆のように前屈みになっているアイラと、その横の嬉々としたエイジャを、生ぬるい目で見守っていた。

リファ「兄さま、あの二人って…」

リワン「あぁ、どこか似てるよな」


二階のバルコニーから、アイラ達の様子を見ている者が居た。


・・・・・


案の定、アイラは工事現場にたどり着くなり座り込んだ。

エイジャ「あー、待て待て、座り込むならこっちにしろって」

エイジャは、アイラを木陰へ引っ張って行った。

そこは作業場のすぐそばで、ほこりっぽかった。

アイラ「まだ一つも運んでないわ…」

エイジャ「え? 本当に運べると思ってた訳?」

アイラ「……。」

具合悪そうにうつむくアイラを見て、エイジャはケラケラと笑った。


エイジャ「今日は自分の身体 運んだじゃねーか。お前、部屋でゴロゴロしてばっかで、外歩いたの、母ちゃんが居なくなってから一月ひとつきぶりじゃね?」

アイラ「そう…だっけ…?」

アイラは思っていた以上に疲れ、眠気が襲ってきた。

アイラ「筋肉が落ちてるみたい…。それに、何となくお腹も減った気もするわ…」

エイジャ「おー、よしよし! なら、今日はこれで上々だろ」

木漏れ日がチラチラとアイラの頰に揺れた。

アイラは久々に頭の中が空っぽになり、スーッと心地のよい眠りに落ちた。

エイジャ「ったく、良いご身分だよな」

エイジャは腰に手を当て、満足げに木陰に眠るアイラを見た。


工夫こうふ「エイジャ、ちょっと手伝え。姫のそばでできる作業あるから」

エイジャ「えー? ま、いっすけど…」

エイジャは結局、アイラを視界に入れながらの作業に駆り出された。


・・・


夕方になると、作業が終わり工夫達はパラパラと引き上げ始めた。

エイジャ「おい、そろそろ…」

エイジャがアイラを起こそうとすると、片付け忘れた荷車が目に入った。

エイジャ「うわ、置きっぱだ…。んだよ もう…」

エイジャは周りを見回したが、皆 片付け終わって、辺りに人は居なくなっていた。

エイジャ (城の北側って昼間は良いけど、暗くなると何か寂しいよな…。ま、ちょっと返してくるだけだし)

エイジャはアイラを木の根元に置いて、荷車を倉庫へしまいに行った。


・・・


アイラの前に誰かが立ち止まり、笑ったようだった。

アイラ (…?)

アイラは ふと気が付いて、目を開けた。

目を開けた時には、穀物庫の扉がギィと閉まるのが見えた。

アイラ (…エイジャ…?)


・・・


エイジャが荷車を定位置に置くと、出入口から物音がした。

振り返ると、チェンが倉庫に入って来たのが見えた。

エイジャ (は? 何で?!)

エイジャは早く倉庫を出ようと、チェンの居る出口へ向かって平常心を装って歩いた。

チェンは、エイジャが歩いてくる間に 後ろ手で扉を閉め、鍵をかけた。

エイジャ「!」

エイジャは一気に背筋が凍り、足を止めた。

チェンはその上、すぐ横にあった穀物の入った重たい大きな袋を、扉の前にドサドサと二、三袋 置いた。

エイジャは紛れもなく、閉じ込められたらしかった。


エイジャ「な…、何…すか?」

エイジャは後ずさりした。

チェン「手伝いに来たのよ」

チェンは本当にいつも通り、ツカツカとエイジャに近付いて来た。

間合いに踏み込まれそうになった時、エイジャは身の危険を感じ、咄嗟に剣を抜いた。

チェンはそのまま歩きながら自分も剣を抜くと、まるでハエでもはらうかのように、エイジャの剣を振り落としにかかった。


・・・


キン! キン!

金属音が倉庫の中から聞こえた。

アイラ「…? エイジャ…?」

アイラは座っていた木のそばにクラクラしながら立ち上がった。

キィン! キン!

打ち合っている音が続いている。

アイラ「エイジャ…!」

アイラはクラクラして視界がまだ開けない中、穀物庫の出入口の方へ走って行った。


・・・


ガタガタッ! ガタガタガタッ!

誰かが扉を揺らしている。かないらしい。

アイラ「な、何これ?! 鍵かかってる?!」

外からアイラの声が聞こえてきた。

庫内で打ち合っていた二人は、アイラの声で一瞬止まった。


ドンドンドンドン!

今度は、扉が大きな音を立てた。

アイラ「エイジャ?! エイジャ居るの?! ねぇ?! どうしたの? 他に誰が居るの? 大丈夫?!」


エイジャが口を開こうとした時、チェンの口角がかすかに上がったかと思うと、エイジャの剣は一気にふっ飛ばされた。

キィン!

エイジャ「!」


・・・


中からまた金属音がして、その後は静かになった。

アイラ「?!」

アイラは十八番おはこの体当たりをしたが、扉はビクともしなかった。

アイラ「エイジャ?! エイジャ!!」

アイラは扉を叩いて叫び、中の音に耳を澄ませた。

アイラ (ど、どうしよう?!)

アイラは周りを見たが、日の暮れてきた城の北側の倉庫一帯は 人気ひとけが無かった。


・・・


チェンは、剣を落としたエイジャにするりと近寄ると、いきなり抱きすくめた。

エイジャ「?!」

チェン「としの割に随分と強いこと。将来が楽しみだわ。あたし、強い男って好きよ?」

エイジャはチェンの胸の中で驚愕しながらも、チェンを押して逃れようとした。

が、その両手首をチェンは素早く掴み、ぐうの音も出ない程の力で地面に押し倒した。

物凄い力だった。骨が折れてしまいそうだった。


エイジャ「い"っ…!」(な…、何だこのバカぢから…?!)

エイジャは足で蹴り上げようとしたが、両腿りょうももに乗っかられてしまい、体重の軽いエイジャは完全に抵抗できなくなった。

エイジャ (クソ…、コイツの間合いに入ったらダメだ…! ニョロニョロして狐みたいなヤツ…!)


チェンは組み伏せたエイジャの首筋に、早速 舌をわせた。

エイジャ「?!」

エイジャは気色が悪くて、全身に鳥肌が立った。

チェン「しょっぱい」

チェンは楽しそうにそう言うと、長い髪をまとめていた革紐を外し、エイジャの両手を後ろ手に縛った。

エイジャ「!」


エイジャは何が何だか解らずひどく混乱していたが、とにかく叫んだ。

エイジャ「アイラ!! アイラ!! ヤバい!!」

アイラ「えっ?!」

アイラは、中から聞こえたエイジャの叫び声に 神経を研ぎ澄ませた。

エイジャ「ヤバい!! 俺、チ…んっ?!」

いきなり、エイジャの口の中に にゅるりと強引に何かが入ってきた。

エイジャ「?!」

それは、エイジャのファーストキスだった。


アイラは、扉に耳と 骨ばった両手を押し付けて、目を白黒させながら中の様子を伺っていた。

アイラ「…エイジャ…? エイジャ、どうしたの?! エイジャ!!」

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