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100 *R15

「やぁ、おはよう! 二人ともちゃんと起きてるかい?」


 ミーナが決意を固めてから暫くの時間が経つと、快活な声と共に複数人の人間が部屋へと踏み入って来た。


「えぇ、起きてるわよ」


 拒絶の意を込めて冷たく言い放つが、正面に立つ男は何処吹く風に無遠慮な視線をジロジロと向けて、こちらの様子を伺ってくる。

 男の背後を見れば、魅了の力を持つ女も居た。どこか別人のような違和感があるが、気の所為だろう。


「それじゃあ、族長だったエルフ。貴方には――」


「死ぬか奴隷になるか選べ、でしょう? 娘から話は聞かせて貰ったわ」


 男の声に被せて言う。

 里を襲撃した輩の声など聞きたくなかった。

 そして何よりも……これ以上この男とは関わりたくなかった。


 男はそれなりに鍛えているように見受けられるが、体格は平凡に近しい部類。容姿も特筆すべき所がなく、何か武器を持っている訳でも無い。後ろに居る女ほど、脅威を感じない。

 だというのに、ミーナは他の誰よりも正面に立つ男を恐れていた。

 男が入った途端に身の毛が総毛立ち、動悸が早くなり、視線を向けられるだけで吐き気が催された。生理的嫌悪感の塊で、関わっているだけで苦しくなる。


 出会って一分と経ってないのに、理解した、理解させられてしまった。

 この男は、化け物だ。この世に存在してはいけない異物。迂闊に関わってしまえば、魂ごと貪り食われる。


「なら話は早い、返答は?」


「奴隷になるわ。ただ、一つ聞かせて。どうして私達二人を一緒に売り払おうと思ったの?」


 奴隷になる決意は固まっている。

 だけど、それだけが気掛かりだった。わざわざ母娘を一緒にさせるメリットは薄い。見返りの無い親切に、裏を感じて仕方無かったのだ。相手が得体の知れない怪物ならば、尚更である。


 これ以上この男とは関わりたくない思いに掻き立てられるが、これも娘を守る為だと自身に言い聞かせて、必死に嫌悪感を抑え込む。


 訝しむミーナの態度に頓着すること無く、男は滔々と疑問に答えた。


「あぁ、それは君の娘が一番最後まで逃げたからだよ。必死に逃げてて、捕まえるの大変だったんだから……。それで捕まえた際に頑張ったご褒美として、一つお願いを聞いてあげる事にしたんだ。ま、僕の気まぐれだね。そしたら、お母さんと一緒に居たいって。健気な娘さんだねぇ」


 言葉では褒めているものの、そこから何の関心も感じない乾いた口振りだった。

 だがだからこそ、この男はそういう存在なのだろうとしっくり来る節があり、本当のように思えた。


 隣で袖を握って縮こまるアンナを見れば、静かに肯く。


(馬鹿だな、私……)


 アンナはこれだけ自分の事を想ってくれていたのに、それに気付けず、あまつさえ人間に協力していたと疑ってしまっていた。

 娘を勝手に変人と認定して、本質を見極められてなかったのだろう。親失格である。

 里の事といい娘の事と言い、自分が愚鈍であったと今更ながらに自覚する。その自覚の遅さに、自嘲してしまう。


「人間、私は貴方の奴隷になるわ」


 最早、吹っ切れたミーナに迷いも躊躇いも無かった。




「主人の命令は絶対遵守。自殺、他者を傷付ける等の危険な行為は禁ずる――」


 目の前で一人の女が無防備に、淡々と首輪の効果を説明している。

 だが、ミーナに女を襲おうとする気概は無い。襲った所で返り討ちに遭い、娘を置いて先に逝ってしまうのが目に見えていたから。


「――奴隷になるのを、誓いますか?」


「はい、誓います」


 だから、素直に答えた。


 首輪が仄かな光を放つと、音を立てて在るべき所へと嵌まって行く。

 本来は忌々しき行為であるはずなのに、ミーナの心には不思議と安心感が湧き上がっていた。


(これで良いんだ……。これからはアンナと二人で、奴隷として生きよう。みすみす奴隷になった情けない私だけど、アンナは頼ってくれている。罪滅ぼしも兼ねて、出来る限りの範囲でアンナを幸せにするんだ……)

 

 今日だけで色々な事があった。心の整理もまだ出来ていないし、この過酷な現実を受け入れられるかも分からない。

 だけど、頑張ってアンナと生きよう。

 この先沢山の苦難が待ち受けているかもしれない。それでも、娘と二人で一緒に協力して乗り越えよう。


 今日何度目かの決意を改めて固めるミーナ。




 ――ふふっ。


 そんな彼女の背後から、重々しい空気に似つかわしくない軽快な笑いが聞こえた気がした。


 一瞬ミーナの身体が硬直する。

 だが、直ぐに疲労から来た幻聴だろうと受け流した。こんな状況で笑う者が、背後にいる訳が無いのだから――


「あはははははっ!!! もーう我慢出来ない! 面白すぎでしょー!」


 しかし彼女の背後から、今度は全てを馬鹿にするような歪んだ嘲罵の笑い声が、けたたましく響いて来た。


「アン……ナ?」


 声のした方向に振り返れば、先程まで号泣していたはずのアンナが、こちらを指差しながら腹を抱えて笑い転げていた。

 まるでこの状況を楽しんでいるかのように。

 母親である私を馬鹿にしているかのように。

 

 突然の杓変っ振りに理解が追い付かず、呆気に取られて茫然と立ち尽くすミーナ。

 アンナはそこに追撃の如く囃し立てる。


「『生きていればきっといつか、幸せな事があるから……!』だって! 笑っちゃうよねー! 族長のお母さんがエルフをここまで追い込んだ原因なのに、どの口が言ってるんだって話だよ。それに、人間に買われるエルフの奴隷がどう足掻いても幸せになれる訳が無いじゃん! 夢見すぎな馬鹿じゃないのー? 襲撃で痛い目見たのに、馬鹿って死なないと治らないんだね!」


 とても演技とは思えない、心底からの歪んだ嘲笑だった。


「凄い変貌だねぇ、演技力も大したものだよ」


 人間の男がそう言うと、鍵が開いた音が鳴り、続けて鉄柵の扉が開いた音がする。


 アンナは平然と立ち上がると、悠々と鉄柵を潜って外へと出て行こうとする。娘の顔には終始、悪戯が成功した事を喜ぶような、悪辣で愉しげな笑みが張り付いていた。


「えっ……あ……ぁ?」


 娘を止めようとするが、喉から声が出せず、足が動いてくれない。そもそも、今まで私はどうやって声を出し、歩いていたんだっけ? それすらも思い出せず、身体が石になったかのように動けなくなる。

 結局、ミーナは外に出て行く娘を視線で追う事しか出来なかった。


「そうそう、その顔! 絶望に陥ったお母さんの顔! 私はこれが見たかったの!」


「僕なりに頑張って考えたつもりだけど、満足したかい? 大丈夫なら取り決め通りに事を進めて行くよ」


「満足したね! 長らく楽しめそうな良い玩具を作ってくれるなんて、想像以上だよ! 流石はご主人様。理解者が居てくれるだけで、こんなにも違うのね!」


「まぁ、そうだね。理解してくれる同志が居るのは大事だよ。居ないと孤独になって覚束なくなっちゃうから……。というか、その話し方が素なの?」


「昂っちゃってて自分でも分かんない! けど、こうして口調を変えた方がお母さんの精神を掻き乱せるのは確かね! 私の気分も乗るし!」


 気が付けば、アンナは媚を湛えた瞳を人間に向けて、愉快げに、そして親しげに、言葉を交わしている。長老を殺し里を滅茶苦茶にした人間に、だ。


「あっ、ア、アンナ、裏切ったの……? 嘘、嘘だよね……?」


 我ながら媚び諂うようなみっともない声だったと思う。


「いつから……どうして……? お願い、アンナ、嘘だと言って?」


 それでも、ミーナは否定して欲しい一心で、娘に対して卑屈になって懇願する。

 しかし彼女の行いの全ては、アンナの心に何ら響く事は無かった。


「ざんねーん、本当だよ。襲撃の時に何人か老エルフが居なかったじゃん? それは私が殺してたからだよ!」


 アンナは誇らしげにそう言うと、人間の女から何かが入った袋を受け取り、鉄柵越しに袋の中身を見せてくる。

 ミーナは、中の物と目が合った。


「ひっ!」


 それは、首。

 襲撃時に姿を現さなかった老エルフの生首だった。それが複数個、乱雑に袋へ押し詰められている。どの顔にも、苦痛と恐怖で歪んだ死相が浮かんでいた。

 更には、顔の損傷具合も酷い。

 眼はくり抜かれ、鼻は無くなり、口は大きく裂けている。中には植物の枝らしき物が生えている顔もあった。


 ミーナは胃から苦い物が押し寄せて来るのを感じる。


「どう? これ全部私一人でやったんだよ、凄いでしょ?」


 頭上から聞こえた声に、袋から目を逸らしたい一心から顔を上げれば、アンナの表情が目に映る。

 同族を殺した事に対する後悔や罪悪感が微塵も感じられない、満開の笑みを浮かべていた。


 ……あれは、誰だ?

 私はアンナを狂った子に育て上げた覚えは無い。他人と接する機会が少なかったのは否めないが、それでも他者とのコミュニケーションはしっかりとさせていた。里という閉鎖的な空間では、異質な思想と触れ合う機会も無い。

 歪められて狂う要因は、どこにも無かったはずだ。


 であれば、アンナはどこかで精神に異常をきたした訳では無く、元より狂っていたのだろうか? 私達の娘として、生きる権利を享受したあの時から。


 ――私は……何を生み出してしまったのだ?


「ほら、お母さん、頑張った娘を褒めてよ」


 円な瞳で無邪気な要求をしてくる娘。


 狂ってる。気持ち悪い。理解出来ない。そんな目で私を見ないで! 私をお母さんと呼ばないで! 私の心が耐えられない!


 長く共に過ごしてきたはずなのに、今はあんなにも気持ち悪い。今や彼女の中でアンナは、生理的嫌悪感の塊である男と同等の存在にまでなっていた。

 そして、そんな存在を自分が産み育てた娘だと認めるしかないのが恐ろしかった。


 ミーナの精神は、限界を迎えて擦り切れつつあった。


「私、古老を殺せる立派な子に育ったよ? 今までお母さんが頑張って育ててくれたお陰だよ。ありがとう」


(私のお陰? ありがとう? アリガトウ……?)


「ァ……」


「ん、なになに? よく聞こえな――」


「アハハハハハハハハハハハハッ!!!」


 自分は奴隷になって逆らう事が出来ない。長老は殺された。数多の同族達は、その二つどちらかの道を辿っている。実の娘であるアンナは……生まれた時から狂っていた。

 最早、自分に何が出来ると言うのか。何を成せると言うのか。今まで積み重ねてきた全てが、無駄だったというのに。


 ミーナは、その全てを否定され世界からも拒絶されているような幻想に囚われ、自分自身が存在する意義すらも見出せなくなっていた。


「アッ、アハハッ! アハッ!」


 人間やアンナに対しての感情も湧いてこず、壊れた機械のようにただ乾いた笑いが口から延々と漏れるだけ。


 このままでは心が壊れて、自分は狂ってしまうだろう。

 ミーナの未だ機能していた心の片隅では、自分の将来を的確に察していた。が、それでも構わないだろう、とも同時に思う。狂ってしまえば、この苦しみから解放されるのだから。

 

(もう、どうでも良いや! このまま壊れちゃえ!)


 壊れる事で、私は救われるのだ。嫌な事の全てを忘れて、自由で幸せな妄想に耽ることが出来る。かつてあった平穏な里での日常に戻る事が出来る。

 そうだ、それで良いじゃないか。もう娘や同族、エルフの誇りなんてどうでも良い。忘れてしまえ。そんなものは無かったんだ。


 ミーナは自暴自棄になって、そんな破滅願望を抱いた。


「アヒャッ! アハハッ!」



 ――だが、アンナは発狂して冷酷な現実から逃避する事さえも許さなかった。


「あー、待って! お母さんが壊れちゃう! リンさん、何とかして下さい!」


「えぇ……。ミーナに命令です、落ち着いて」


 魔力が込められた言霊に反応して、奴隷の首輪が狂おうとするミーナを戒めようとする。

 そこで首輪が暴走を制御しきれないと判断したのか、ミーナは突如激しい眠気に襲われた。


「眠れ」


 女の声が、冷淡に命じる。

 ミーナに抵抗する気力は残されていない。虚無感と無力感に身を預けて、全てを投げ出した。


「ふぅ、危ない危ない……。おやすみなさい、お母さん。お母さんには、この先ずーっと苦しんで貰うから。楽に死ねるとは思わないでね」


 その声を最後に、何も聞こえなくなる。

 ミーナの薄れゆく意識の中で、過去の幸せだった頃の記憶が走馬灯のように過ぎっては消えていた。

 そして、最後に思う。


(どうしてこうなったの? 私は何を間違えたの?)


 彼女の疑問に答える者は居ない。


 ……やがてミーナは、長い長い眠りについた。






「ご主人様、要求を叶えて下さりありがとうございました。とても楽しかったです」


「アンナが楽しんでくれたようで良かったよ」


 アンナが仲間に加わった後にされた一つの要求。

 それは、母親と族長の立場を兼ねるミーナという名のエルフを出来る限り苦しめて欲しい、というものだった。苦しめる手立てを僕一人で考えて欲しいと。


 前世で心理学を齧った事も無い僕がそんな難題を叶えられるのか不安ではあったが、何とか捻り出した案がアンナの嗜好に刺さってくれたようだ。

 これでアンナが裏切ろうと考える確率は、更に落ちると思いたい。

 

「それにしても、彼女には何か恨みでもあったのかい?」


 そう言って目線を下に降ろせば、アンナに引き摺られるようにして運ばれるミーナの姿があった。


 彼女は母親と族長という上の立場を使って、里でのアンナの行動範囲を制限し、恨みを買っていたのだろうか。

 こんな形で復讐されるとは、何とも憐れな母親である。百年近く一緒に過ごしておいてアンナの本性に気付けなかった事を思えば、斟酌することは出来ないのだか。


 気付ける機会は幾らでもあっただろうに。寿命が長く平穏な森でずっと過ごしていたせいで、楽天的になっていたのかもしれない。だとしたら、襲撃しやすくて有難い話だった。


 果たして問いを投げ掛けられたアンナは、涼しげな顔で答える。


「恨みとかは無いわよ? ちょっと窮屈ではあったけど、里の存続の為に必要な規律だって理解してたもの。母親を対象にしたのは、単に一番面白そうだったからよ」


「成程、母娘の関係を利用するって事か。確かに面白いね」


 僕は努めて快活に同調した。


 ……前々から何となく理解出来る人だと思っていたが、その理由がようやっと分かった。

 僕とアンナは似ているんだ。目的の達成の為なら、私情を押し殺して苦痛や手間を厭わない所が。


 まぁ、アンナは引き続き様子見で良いだろう。

 目的は違えど、排反はしていないんだ。

 向こうから擦り寄ってくる気配も無いし、僕らが変に腫物扱いしても不信感を募らせるだけ。適切な距離を保って、継続的に観察していこう。


「さて、念の為ミーナには睡眠薬を飲ませた上で拘束して、後始末が終わるまで放置しておこうか」


 僕は親切ごかした笑顔を浮かべながら、内心で算段を巡らせる。出来ればアンナも不老不死の研究に興味を持ってくれたな良いな、とも思いながら。



――――――――――――――――――――



 その日の夜、鉱脈内の一室で枕に頭を預ける僕は、中々寝付けずに居た。


 研究に没頭し過ぎたり、その影響で仕事が溜まったりと、寝付けない事自体はそう珍しくは無い。

 だが、今回はそのどちらも当てはまらない。


 原因は分かっている。


『理解してくれる同志が居るのは大事だよ。居ないと孤独になって覚束なくなっちゃうから……』


 考えを理解し共感してくれる者には、心を開きやすくなるし、仲間意識も芽生えてくる。

 今日の晩方に、アンナの中での僕の存在価値を高めておこうと軽い気持ちでそう言ったのだが……それが何故か、未だ僕の心に引っ掛かっていた。


 思えば、あの場に居たリンが同調するように頷いていたが、どこか他意があったような気がする。


 ……それは僕にも当てはまるからだろうか?


 僕には、八歳の頃からずっと隣にはリンが居た。


 忌み子の奴隷として売られていたリンを拾うと、僕は優しく丁寧に偏った教育を施し、僕以外の人との接触を極力避けさせて、僕に依存するように仕向けた。

 訳も分からぬままに両親を亡くし奴隷落ちしてと、精神が弱りきっていたので、前世の記憶がある僕にとって懐柔するのは差程難しくなかった。


 それ以降は時々トラブルを起こしたものの、一貫して健気に僕の手駒として尽くしてくれている。


 今ではツバキやナダール、三人のホムンクルスのように、僕の夢を理解して協力……ナダールは渋々だが、してくれる手駒は一定数確保出来ている。

 が、それでも尚、リンは特別な存在だ。


 ほぼ一から僕が長い年月を掛けて手すがら育て上げて、最初の手駒でもあり傑作とも呼べる優秀な性能を持つのだ。思い入れが深いのも、当然の事だろう。



 ……では、もしもリンが存在していなかったら?


 その時、僕はどうなっていたのだろうか。


 無論、不老不死の実現を志すのに変わりはない。

 ただ、学校に入学するまでは半端者な奴隷を買うことでしか手駒を増やせないし、入学してからもツバキのような訳アリの生徒と上手く接点を持てなければ、優秀な手駒は増えてくれない。

 優秀な手駒が増えないのは大問題だ。それに加えて、村で僕を監視していたかつての師である狩人の対処や、研究資金をどのようにして調達するかという問題もある。


 誰かしらの研究者の助手として働く事を強いられていただろう。僕が手助けをする研究者の最有力候補は、レナート教授だろうか。

 まぁ有り得ない世界線なのでどこまで行っても空想上の話にはなってしまうが、確実に今の自分よりも、自由と余裕が無い生活を強いられていたに違いない。


 精神面の不安もある。

 僕の精神はそう強靭では無いのだ。寧ろ弱い。弱いからこそ、こうして過度に死に絶えて存在が喪失する事を恐れ、頻りに悪夢に魘されているのだ。


 そんな僕が、大した理解者も優秀な手駒も無くして、不老不死という果てしない夢へ打ち込めただろうか。


 信頼出来る護衛が居なくて、常に怯えていただろう。

 共に道を歩む協力者が居なくて、ずっと孤独だったろう。

 きっと今よりも酷く、悪夢に魘されていただろう。


 想像するだけで、背筋が凍る思いがする。

 僕の貧弱な精神で耐えられるはずが無い。どこかのタイミングで心が折れて、その挫折感に打ちひしがれ無気力に陥り、失意のどん底でいつかは来たる死を待つだけの屍になってしまっただろう。それはもう、死んだも同然である。発狂してしまってもおかしく無かった。


 今更ながらに、リンの存在の偉大さを痛感した。


 貴族に手を掛けるという大胆な策を行えたのも、現在貴族に目を付けられているがそこまで焦っていないのも、彼女が居るからこそなのだ。


 誰よりも僕の事を理解し支えてくれる彼女を……下手すれば長老との戦いで失っていた?



 机上の空論に過ぎない推察を終えて、そっと目を開けば、同じく横になるリンが居た。


「リン、起きてるかい?」


「勿論です、ご主人様」


 当然のように即座に返事が帰ってくる。

 彼女は冒険者時代に森の中で夜通し一人で活動してた名残もあって、眠りつつも周囲の警戒をするという離れ業が出来るようになったと聞いている。

 きっと、いつ声を掛けても返事が来るのだろう。


「……」


「……」


 沈黙が部屋を包む。

 いけない。無意識の内に声を掛けて、何を話すかを具体的に考えていなかった。長老との件は慰める際に一区切りつけたので、わざわざ掘り返す意味は無いだろう。


 ……いや、何を話すか難しく考える必要は無い。

 元より彼女は僕に絶対服従、信頼関係も築けている。変に取り繕わず、素直に思ったままを言えば良いじゃないか。


「僕がここまでやってこれてるのは、リンが居るからこそだよ。ありがとうね」


「勿体無きお言葉、有難く存じます。ご主人様」


「リンは僕にとって一番の理解者であり、替えの利かない特別な手駒なんだ。だから、そう簡単に死なないでくれよ。僕には君が必要なんだ」


 死ぬな、とは言わない。僕が死の危機に瀕した際に、可能ならば躊躇い無くリンを盾や囮に使うだろうから。

 ただ、それ以外のつまらない理由でリンに死んで欲しく無かった。


 果たして、視線の先から息を飲む音がした。


「……身に余る思いです。この先、ご主人様が不老不死の実現を果たされた後も、永遠にお傍で仕えさせて頂きます」


 薄暗い部屋の中で僕を直視する赤く濁った瞳に、温かみのある安心感を覚える。


「改めてありがとうね、リン。おやすみなさい」


「はい、どうぞごゆっくり、心行くまでお休み下さいませ」


 こうしている間にも、僕の肉体は刻一刻と死へ近付いている。やはり、怖い。死にたくない。

 だけど何故だろう。今夜は悪夢に魘されずに済みそうなのだと、心の底から思えたのだった。


 僕は安らかな心地で眠りについた。

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