34話 作戦変更
あれ以来先生とは委員会の水やり当番の関係で顔を合わせることはあったけれど、個人的な会話はしなかった。俺たちの違和感に気がついたクラウディアには不審な目で見られたけれど、そんなのは知ったことではない。
好きだと気がついた時には遅すぎたのだ。
もっと早くにこの気持ちに気づけていれば、正直になっていれば違う未来があったかもしれない、と悔やんでも悔やみきれなかった。
もちろん、この婚約は穏便に破棄できるように最善は尽くすし、何よりも相手が理解あるヴィクトーリア様でよかったとは思っている。
フォルカーとはほとんど顔を合わせることがなかった。彼自身も俺と距離を取っているようだった。こうなって初めて、俺はフォルカーに構ってもらっていたというのがよくわかった。彼はクラスも稽古場も違う俺にわざわざ声をかけてくれていたのだ。
本来であれば俺からちゃんと話をしなければいけないのはわかっているけれど、どう切り出そうか悩んでいるうちにここまで来てしまった。
そして11の月27日目。約束の休暇日前日の放課後、稽古を終え馬車の待つ正門へと向かっていた時だった。
途中、片側が小さな林のようになっている場所を通り過ぎたとき、木陰で人影を見つけた。
それは紛れもなくヴィクトーリア様だった。彼女は大きな木の幹に追いやられているように見えた。そして、彼女に壁ドンならぬ幹ドンをしていたのは、従者のローラントさんだったのだ。ヴィクトーリア様は顔を真っ赤にしていた。
俺はその状況に目を見開いたけれど、すぐさま少し離れたところに身を潜め、二人の会話を聞くことにした。その場所からでは二人の表情は見えなかった。
「お嬢様、明日どうしてもデートに出かけるんですか?」
「も、もう約束してますし」
ヴィクトーリア様のその言葉にローラントさんは小さく舌打ちをした。
「俺は行かせたくないんですが。あのガキがお嬢様に釣り合うとは思えません」
その声色には明らかに俺への怒気が含まれていた。
「リット様に失礼よ。そんな言い方をしてはいけないわ」
ヴィクトーリア様の言葉にローラントさんはうるさいですよ、と反論した。
「顔合わせの後からニヤニヤしてばかりで。そんなに奴のことを気に入られてしまったのですか」
それは推しの三角関係が目近で見られるという意味のニヤニヤでは!俺は喉から出かかったその言葉を必死に飲み込んだ。ここで邪魔をしてはいけない。やはりローラントさんに秘密にしておいてよかった、と俺は小さくガッツポーズした。
「違うの」
「彼はカッコイイですしね。俺と違って嫉妬深くなさそうですし」
「嫉妬って、え」
ここに来てヴィクトーリア様は初めてローラントさんの気持ちに気づいたのかもしれない。本当に鈍いお嬢様である。ついこの間自分の気持ちに気がついた俺が言えたことではないけれど。
「これ以上こんなお嬢様を見ているのは辛いですので旦那様に配置替えをお願いしようと思います。むしろ実家に戻らせていただきましょうか」
「そんな、ローラント、待って」
ヴィクトーリア様がそう言った瞬間、俺も勝手に体が動いていた。
「ちょっと待った、ローラントさん!」
俺は二人の目の前に姿を現した。
二人は一瞬目を瞠っていたけれど、ローラントさんはすぐさま俺を冷たく睨みつけてきた。
「盗み聞きですか。趣味が悪い」
そう言うとローラントさんは幹ドンをやめこっちに向き直した。相変わらず目つきは鋭いままであった。
「たまたま通りかかって」
「いいですよね、貴方は。なんの苦労もせずお嬢様と一緒に居られるなんて。ムカつく」
「ローラント、ダメよそんなことを言っては。彼は」
ヴィクトーリア様が多分真相を打ち明けようとしたものの、ローラントさんは彼女の言葉を遮るようにして言葉を放った。
「だいたい貴女は鈍感なんですよ。ようやく貴女も俺のこと意識してくれるようになったかと思ったら邪魔が入るし」
「ローラントさん、落ち着いてください。話を」
俺も弁明しようとしたけれど、ローラントさんの勢いは止まらない。
「聞きたくなんてありません。何が御三家だ!何が家柄だ!そんなものなければ」
そう言うとローラントさんは俺の胸ぐらに掴みかかってきた。
「やめて、ローラント!!」
それを止めようとヴィクトーリア様がローラントさんの手に触れようとした。でも、ここでヴィクトーリア様もそれに気づいたらしく、はっとしながらローラントさんを見つめた。
「でもわかってるんだ。一番ムカついてるのはそれに怖気づいて何も行動できないでいる自分自身にだ。悔しい」
そう言いながら、ローラントさんは涙を流していたのだ。
それほどまでに彼はヴィクトーリア様が好きだったのだ。
俺は彼に対して失礼なことをしてしまった。
彼の気持ちを知っていながら弄ぶようなことをしてしまったのだ。
これは殴られてもしょうがない。
俺は抵抗することなく静かに瞳を閉じた。
その時だった。
「リット様から手を離しなさい」
その声に俺は振り返った。
「マグノーリエ、先生」
そう、そこに立っていたのは先生だったのだ。
なぜ、彼がこんなところにいるのだろうか。中央校舎からは離れているのに。
しかもよく見ると、彼が履いているのは医務室と温室を行き来する時用のサンダルだった。
"俺のことを助けてくれたなんて"
どんな理由だったにせよ、そう思ったら嬉しい気持ちが溢れてしまいそうだった。
「従者がお嬢様の婚約者に掴みかかるなどしてはいけないでしょう」
先生はローラントさんをたしなめるように言った。
「新しい学校医か」
ローラントさんは先生の白衣姿を見て不機嫌そうに言った。
「左様でございます」
「あなたには関係ないだろう。邪魔しないでくれ。これは俺達の問題だ」
ローラントさんのその言葉に先生は、いいえ、と即答して続けた。
「どなたが怪我をされても私の仕事が増えてしまいますからね。温室の植物たちのお世話もまだ残ってますし、残業はなるべくしたくないの」
先生はニコリと学校医スマイルを浮かべた。
「理由が、ちょっと切ないです」
俺はほぼ無意識にそんなことを呟いてしまった。
そんな俺を見て先生はクスッと笑った。これは普段の笑みであり、それだけで少し嬉しくなってしまった。
「あら、リット様の身に危険を感じたから来たの、なんて言ってほしかったかしら?」
「いや、それは」
そんなことを言われたとしたら俺は嬉しすぎて何をしでかすかわからない。
「そもそも、貴方ならさくっと投げ飛ばすことくらい容易いでしょう。その筋肉は伊達ですの?」
「うるさいですよ、先生。ヴィクトーリア様、作戦変更ですね」
俺は先生の茶化しに悪態で返し、ヴィクトーリア様に声をかけた。それに対して彼女は肯定で返した。
「作戦、だと?」
ローラントさんは俺たちを鋭く睨みつけた。ヴィクトーリア様はひぃっと小さく声を上げた。
「先生、僕たちに医務室を貸してください」
「はぁ、しょうがないわね」
先生はどうやら何か勘づいたようで、大きくため息をつきながら承諾をくれたのだった。
◇
「「すみませんでした!」」
医務室につくなり、俺とヴィクトーリア様は腰を直角に折ってローラントさんに全力で頭を下げた。
幸いにも他の生徒が居なかったのでそんな行動に出たのだった。イレーネさんは居たけれど、彼女は多分大丈夫だろう。
「ヴィクトーリア、様?」
ローラントさんは目が点になっていた。
先生は大きくため息をついた。
「婚約なんかしたくない僕と」
「私の意見が一致しまして。私が卒業するまでは偽りの婚約者として過ごそうと言うことになりまして」
「は?」
俺たちの言葉にローラントさんは理解が追いついていないかのように聞き返した。
「近いうちに信用できる人にはお伝えしようと思ってたのですけど、こんなに苦しめることになってしまって。本当にすみませんでした」
俺は再度深々と頭を下げたのだった。
「まさか。俺を動かそうとしたんじゃないだろうな」
ローラントさんは恨みがましい目で俺を見てきた。俺は取り繕うように笑顔を作った。
「ほら、顔合わせのときバレバレでしたしね。視線で殺されるんじゃないかってほどでしたし」
「このガキが」
「ふふ、大成功ですね、ヴィクトーリア様?」
「え、あ、はい」
ヴィクトーリア様は頬を赤らめて頷いたのだった。
それに対してローラントさんは作り物のような綺麗な笑みを浮かべた。
「お嬢様」
「ひっ」
ヴィクトーリア様はさっと顔色を変えた。
「いつか覚えててくださいね」
「その笑顔で言わないで」
どうやら、彼女は黒い笑みを浮かべている時のローラントさんが怖いらしく、すっと俺の後ろに隠れた。
「あ、ガキの後ろに隠れないでくださいね」
そう言うとローラントさんは優しくヴィクトーリア様の手首を掴み、俺の後ろから引き離し、自身の隣に戻した。
溺愛にも程がある。
「あんなにニヤニヤして、俺の反応が面白かったんですか?」
「それは違うの。その、あのね、」
ヴィクトーリア様はちらりと俺と先生の方を見た後、ローラントさんに耳打ちした。
ローラントさんは一瞬目を見開いたかと思えば、小さく安堵のようなため息をついた。
「最近の推しでしたか」
ローラントさんはボソリとそう言った後、少々生温かい目で俺を見てきた。同情やら軽蔑やらその辺の感情が見え隠れしている気がした。
"うるさいな、先生が好きで何が悪い"
俺はそんな感情を込めてローラントさんを軽く睨んだ。
そんな俺たちのやり取りを生温かい目で見ていた先生たちは、自身が腰掛けている丸テーブルに俺らを招いた。
「で、私はあなた達の茶番に巻き込まれてしまったわけね」
先生は机に頬杖を付きながら、呆れたわ、と付け加えた。そんな冷たい目線を向けられたのにも関わらず、俺の心臓は大忙しであった。そういう趣味はないはずなのだけれど。
イレーネさんは打って変わってニコニコと嬉しそうにしている。この人にとってヴィクトーリア様は眼福であるし、ローラントさんも爽やか系好青年なので目に入れても痛くないのだろう。
「すみません。先生方にご協力願いたいのです。このまま婚約が破棄になれば、あの父のことですから新しい婚約相手を見つけてくるに決まってます。助けてください」
俺は必死に先生たちにお願いした。イレーネさんは笑顔で頷いてくれたが、マグノーリエ先生は少しだけ頬を赤くして一瞬たじろいだ。
「うぅ、そもそもなんでそんなに嫌がるのよ」
先生が赤くなった理由はわからないけれど、とりあえず可愛いのでいいこととしよう。
「それは、あれですよ、自由でいたいというか。まだそういうのは早いというか」
俺の言葉に対して、先生は鼻で笑った。
「バカね。言い方は悪いかもしれないけど、そんなことしてると売れ残りを押し付けられるわよ。まぁ御三家なら引く手あまただろうからそんなことないでしょうけどね」
「とにかく、大切な学生生活をあの人に邪魔されたくないんですよ」
「先生、お願いします。私も、他の方と婚約なんかしたくないんです。ローラントとずっと一緒に居たいんです」
「お嬢様」
ローラントさんはヴィクトーリア様の言葉に目頭を熱くしていた。
そんな俺たち二人からのお願いに先生は折れた。
「わかったわよ。私からは他の誰にも言わないわ。こうなったらバレないように徹底的にやりなさい。イレーネさんも、それでいいかしら?」
先生はやれやれというように肩をすくめた。
「もちろん!!うふふ、偽りの婚約者に、従者との秘密の恋!あぁ、なんと尊いのかしら!お腹いっぱいだわ!」
さすがはイレーネさんである。
俺たちは安堵し、同時にふにゃりと机に突っ伏した。
ここで先生はお茶を淹れてくるわと言って席を立った。イレーネさんは用事があるとのことで先に帰るらしい。3人で居るのは気まずかったので、俺は先生を手伝う許可を得た。
備蓄室に入ると、先生は案の定いつものように魔法でお茶の準備を始めた。俺はもうツッコむことはしない。それほどまでに当たり前になってしまっているのだ。今日は初見の客なので無難な紅茶にするらしい。
「先生、その、この前は逃げるように帰っちゃってすみません。あと、父のことも」
俺は紅茶を蒸らしているタイミングで謝罪した。先生は顔を上げなさいなと言った。
「どっちも気にしてないわ。ふふ、結果として辞めさせられてないわけだし、坊やともこうやって話せてるしね」
先生は普段の笑みを浮かべてそう言ってくれた。それだけで心が溶かされていくようだった。
「また坊やって呼んでくれるんですか?」
「偽りの婚約者様なんだったら問題ないでしょう?呼び方変えるの大変だったのよね」
少し先生の頬が赤くなった気がした。
いや、気のせいか。紅茶の湯気のせいかもしれない。
「ありがとうございます。嬉しいです」
「変な人」
「お互い様ですよ」
こんな何ともないやり取りが幸せでしょうがない。
好きだと自覚してしまった脳は幸せ物質を過剰に放出しているらしかった。無意識のうちにニヤついていたらしく、先生に不審な目で見られたのだった。
俺たちがお茶を持って医務室に戻ると、顔を真っ赤にしたヴィクトーリア様と、それを満足気に見つめているローラントさんがいた。
何があったのかを聞くほど無粋なことはしない。
やはり、席を離れて正解だったようだ。
四人で紅茶を喫していると、突然先生があっと声を上げた。
「坊や、フォルカー坊っちゃんにまだ何も言ってないでしょう?そうとう落ち込んでるわよ。道端で襲われたとしても、私は痛み止めの軟膏くらいしか用意してあげられないわ」
「フォルカーにも言わなくちゃとは思ってたんですけど、、って!んなもん用意しなくていいですからね?!」
「あら、何に使うとは一言も言ってないのに。ふふ」
先生はまたいつものように恥じらいがなくなっていた。俺は軽く頭を抱えた。
「キャー、なんという展開!」
ヴィクトーリア様は大興奮だった。
「お嬢様、興奮しないでくださいね」
そんな彼女を目の当たりにしてもローラントさんは動じていなかった。
「今、フォルカー連れてきてもいいですか?俺一対一で話す勇気がない」
「脳筋坊っちゃんですからね。許可しましょう。お嬢様方ももう少しお付き合い願えますか?」
先生の提案にヴィクトーリア様は大きく頷いた。
「むしろ嬉しいわ。3人のやりとりが生で見れるなんて!!」
ヴィクトーリア様はキラキラとした瞳で俺たちの方を見てきた。
「だまりなさい、お嬢様。はぁ、俺の悩んだ時間を返してほしい」
ローラントさんは頭を抱えた。それでも、彼の口元はこころなしか緩んでいる。
少しタイミングは遅くなってしまったけれど、彼に打ち明けられてよかった、と素直にそう思えたのだった。
俺はフォルカーが居るであろう体術の稽古場へ急いだ。
◇
体術の稽古場には異様な空気が流れていた。
俺が到着するなり、同学年の男子たちに囲まれ、"もうお前しか止められないんだ!!"と強い口調で言われた。彼らは全身至るところに青あざができていた。
嫌な予感しかしなかった。
俺は奥にポツンと一人で佇んでいたフォルカーに声をかけようとした。
彼は疲れ切っているようで、目の下には酷いクマができていた。
何と言っても目に光がない。
これはマズイ。絶対に俺のせいである。
俺は意を決して彼に声をかけた。
「フォルカー、ちょっと一緒に来てくれないか」
「リットが見える。幻かな。こんなところにいるわけないのにね」
フォルカーは俺のことを幻だと思っているらしく、虚ろにそう呟いた。これは完全にまずい状態である。
「いや、本物だ」
「えっ?!リット?!な、なんで?!」
フォルカーは目を瞠った。一瞬にして瞳に光が戻ったのを見て俺はひとまず安心した。
「ごめん、ちゃんと話さないといけないって思ってたんだけど、なかなか言い出せなくて。とにかく、一緒に医務室に来てくれ。ヴィクトーリア様もいるんだ」
ヴィクトーリアと聞いて、フォルカーは眉をひそめた。
「リット。僕、先生にもヴィクトーリア様にもお会いしたくないんだけど」
「ちゃんと話をしなくちゃいけなくて」
「聞きたくない。いっそのこと、ここで君を僕のものに」
そう言うとフォルカーはジリジリと俺との間合いを詰めてこようとした。目がギラついているように見えるのは気のせいだろうか。いや、気のせいではないか。
恐怖しかない。
俺はフォルカーの両肩をがっしりと掴み、少々乱暴に揺すった。
「目を覚ませ。そしてちゃんと話をきけ」
フォルカーは正気に戻ったようで、渋々頷いた。
俺たちは稽古場を後にし、医務室へ向かった。
途中、会話らしい会話は何もできなかった。
医務室につくなり、フォルカーは先生にガンを飛ばした。
「あら、八つ当たり?」
先生はふふっと冷たく笑った。
"やめて、煽らないで"
俺は先生に目で訴えたけれど何もわかってもらえなかった。
「女性を睨むわけにはいかないですから」
二人の間にいつものバチバチが飛び散る中、俺は偽りの婚約についての話をした。ヴィクトーリア様も補足してくれたおかげもあり、フォルカーの表情はみるみるうちに明るくなった。
「なーんだ、そうだったの?!もう、早く言ってよー」
フォルカーは口を尖らせひどいよー!と付け加えた。
「ごめん。なかなか言う勇気が」
「僕、心が折れかかってたんだよ。君が何も言ってくれなくて。婚約したって言ってくれればちゃんと祝ってあげようと思ってたのに」
「ごめん。その、傷つけたくなくて」
「言ってくれないほうが傷つく。まぁ、事情もわかったけどさ、僕には話をしてほしかったな。何年友人やってると思ってるの」
「本当にすまない。色々あって、心に余裕がなくて、、」
俺がタジタジになっている横で、ヴィクトーリア様は頬を赤くして俺たちを交互に見つめていた。そんなに見つめないでほしい。
フォルカーはそもそもさ、と言いながら先生に向き直った。
「おじさん、リットに何かしたんでしょ?」
「フォルカー、だまりなさい。別に何もしてないわよ」
「リットがこうなるのは九割方あなたのせいなんですよ。本当に迷惑」
フォルカーの言葉に俺は過剰に反応してしまった。
「やめろフォルカー。でたらめなこというんじゃない」
俺がフォルカーを抑え込もうと必死になっている横で、ヴィクトーリア様が悶ていた。
「ローラント、は、鼻血が出そうだわ」
「堪えてくださいね。お嬢様の品格が疑われますので」
そう言いながらも、いつ鼻血が出てもいいようにとハンカチを差し出すローラントさんはやはり過保護だと思う。
先生がフォルカーの分の紅茶も持ってきて、少し休憩を入れたところでフォルカーが口を開いた。
「そういえばこれからどうするの?偽りの婚約者とはいえデートしたりはしなくちゃでしょ?あんまりにも何もないと疑われちゃうだろうし」
「デートくらいしてきなさいよ。歌劇でも見に行ってきたら?」
そんな先生の言葉に心が締め付けられる感覚がした。先生には言われたくないのに。
「それじゃあ本格的なデートじゃないですか!」
「ゆくゆくは他の人と婚約するんだから練習してきなさいな」
俺の向かい側に座っている先生は俺の反抗に気を留めることもなくそう言った。その言葉に眉をピクリと上げたのは他ならぬローラントさんだった。
「マグノーリエ先生。お嬢様に対して練習台かのような言い方はやめてもらっていいですか?」
ローラントさんは鋭い目つきで先生を見つめた。先生は失礼、とすぐに謝った。
「言葉のチョイスが悪かったわね。練習させてもらいなさいな」
「それならいいでしょう」
いいんだ、というツッコミを入れそうになった俺を熱く見つめてきたのはフォルカーだった。
「ねえ、リット?僕じゃだめ?ちゃんと女装するからさ」
「待て待て待て。なぜ俺がお前とデートしなくちゃいけないんだよ」
俺は光の速さでツッコミを入れた。どう考えても流れがおかしい。
「だってさ、この前のデートもどこかの女装おじさんに邪魔されちゃったし」
その瞬間、向かい側から舌打ちが聞こえた。
「あれもデートじゃないからな」
「ひどいなぁ」
フォルカーは拗ねたように口をとがらせた。
ヴィクトーリア様は頬を赤らめ締まらない顔のままローラントさんに助けを求めていた。
「ローラント、少し仰いでくださる?のぼせそうで」
「貴女には困ったものですね」
そう言いながらもローラントさんは自身のポケットから扇子を取り出すと優しくヴィクトーリア様を仰いだのだった。
俺とフォルカーがデートをするしないという不毛な言い争いをしていると、ヴィクトーリア様が突然大きな声を発した。
「わかりましたわ!!みんなで歌劇を見に行きましょう!ここにいるメンバーで!」
ヴィクトーリア様の瞳は今日一番に輝いている。晴れた日の空のような美しさであった。
「はい?」
俺とフォルカーは首を傾げた。
ここにいるメンバーということは、つまり。
「え、私も巻き込まれるの?!」
予想外の展開に一番驚いていたのは先生だった。
「当然ですわ。でも、その長い髪だと目立ってしまいますからウィッグか何かでショートヘアにしましょう。フォルカー様は女装してみましょう。要はあのブルーノさんとうちの侍女たちの目をごまかせればいいわけです」
何が当然なのかわからないわ、と先生がツッコんだものの、ヴィクトーリア様は気にせずに話し続けた。
「フォルカー様は私のお友達、先生はフォルカー様のお兄さんという役で。私達二人だとデートは恥ずかしいと、従者とお友達がついてきて、私達だけだと不安だからと年上のお兄様がついてきてくださった。ええ、なかなか良い配役ですわ」
この人はきっと、推しの三角関係を目の前で見ていたいのだ。なんと無理やりな設定なのだろうか。でもここでツッコむようなことはしない。どんな理由であれ先生と出かけられる機会を逃してたまるものか。
「私、いらなくない?若い子たちだけで行ってきなさいよ」
「それだとダブルデート感が出ちゃいますし」
俺は必死に先生を止めようとした。何か勘づいたかのように先生はピクリと眉を上げた。
「別にいいでしょうが」
どう反論しようか考えていたところで助け舟を出してくれたのはローラントさんだった。
「先生にも来ていただいたほうがいいかもしれません。観光特区でのデートとなると俺一人で要人たちを守れるわけではないですから」
「まぁ、私がいたところで何にもならないけれど、、いいわ、付き合ってあげる」
先生は反抗を諦めたかのように言った。
「いいんですか?!」
「意外。おじさん、何企んでるの?」
俺とフォルカーの言葉が重なった。先生はフォルカーのおじさんという言葉に瞬時に反応し、それやめて、と冷たく言った。
「企んでないわよ。例の事件が解決したとはいえ、物騒だから大人が多いほうがいいと思ってね。学校に内緒にしないとクビになるかもしれないけれど」
クビと聞いて俺はピクリと反応してしまった。もう二度と彼に迷惑をかけるものかと思っていながら、彼が来てくれることを喜ばずにはいられなかった。俺はなんと自分勝手なんだろうかと少しだけ落ち込んだ。
「では、来週の休暇日にしましょうか。チケットはこちらで準備しますわ」
「フォルカー。こうなったらあんたは私と女装の練習よ。徹底的に仕込んでやるわ」
「不本意ながらしょうがないですね。ってかあなたメイク教えられるんですか?!確かにこの前はなかなかうまく化けt痛てぇ!!」
フォルカーが叫んだ。どうやら先生が机の下でフォルカーの足を踏んだらしい。羨ましいだなんて思っていない。断じて思っていないのだ。
「師匠を舐めないほうがいいわ。私が女装したくなったとき用にってメイク道具一式そろえてコツも教えてくれたんだから」
「それも師匠から?!ってか師匠過保護すぎません?!」
師匠とやらは本当に過保護なようだ。そして師匠が女性だと知っていてよかった。知らなかったら俺はまた余計な嫉妬心を抱いていたことだろう。
「ふふ。タダ働きし続けた甲斐があったわ。まぁ私は別に女装したくなったりはなかったんだけど」
先生はニカッと笑った。
ヴィクトーリア様は俺達のやり取りに満足したようで、お腹いっぱいだわ、、と小さく呟いていた。隣のローラントさんはそれはよかったですね、と少々冷ややかに返していた。
◇
「それにしても驚きましたわ」
ヴィクトーリア様は正門に向かう道すがらそう言った。
「あの人の口調のことでしょう?」
フォルカーは察していたかのように言った。この二人はこの短時間の間にすっかりと馴染んだようだ。
「ええ。あんなに自然にお二人と会話されてて。こっちの方が好感が持てますのに」
「色々と事情があるそうで。ってか、やっぱりそんなに違うんですか?」
「だいぶ違いますわね。なんというか、軽すぎるノリのお姉さまというか。正直あまり得意ではなかったんですの」
そんな会話をしていたら彼女の馬車が見えてきた。ヴィクトーリア様とローラントさんは俺たちに挨拶すると二人で仲良く馬車に向かっていった。
「あぁ、普段の先生も見てみたい」
俺の願望はいつの間にか言葉になっていたらしく、隣りにいたフォルカーから肘でどつかれた。
「はぁ。ついに自覚しちゃったか」
彼はボソリと呟いた。いつもの俺なら、なんのこと?などと答えただろうけれど、もう自分の気持ちに嘘はつけない。
「自覚したんだ」
俺の言葉にフォルカーは小さくため息をついた。
「やっぱり僕は諦められないよ。それでも、隣に居ていい?」
「それは俺からもお願いしたい。友人として、だけれど」
俺たちの間には大きな認識差がある。それは互いにわかっているけれど、簡単には離れられない。いつかはその時が来るだろうけれどそれは今ではないのだろう。
「今はそれでいいんだ。この二週間、辛かった」
「ごめん」
それ以降、俺たちはしばらく無言になった。正門の外、奥にはメーヴェの馬車が来ているのもわかっていたけれど、もう少しだけこうしていたいと思った。
「ねぇ、僕って、都合のいい男になってるよね?!なんかちょっと爛れた関係だよね!!」
フォルカーは瞳を輝かせていた。
「やっぱり、友達やめたい」
俺はため息とともにそう呟いたのだった。




