26話 不穏な動き
9の月24日目。俺は剣術の稽古帰りに医務室へ寄った。
本当はもっと早く来るべきだったけれど、先生と顔を合わせるのが少し恥ずかしかったのだ。
今日はいつもの通学用の斜めがけバッグの他に、手にはプロテクターの入った布袋と先日買った紅茶が入った紙袋を下げていた。ちなみにこの布製のプロテクターは定期的に持ち帰って点検をしているのだ。一人に付き数セット持つことが当たり前なので、メーヴェ家にはフランツの分も合わせて大量のプロテクターが存在している。今回は肘と膝用のプロテクターである。
俺はいつものように丸テーブルに通された。
テーブルの上の花瓶には白いマーガレットが生けられていた。早咲きの品種らしく、イレーネさんが買ってきてくれたのだと先生は言った。イレーネさんは今温室で作業中とのことだった。
「あの、先日はすみませんでした」
俺は頭を下げた。先生はこちらこそごめんなさいね、と言った。
「特にアレクシアが迷惑かけたわね。失礼なことばかり言って本当にごめんなさい」
「いえ、俺は大丈夫です」
「あぁ、フォルカーの坊っちゃんの方が精神的に負傷してたか。彼女には釘を刺しておいたから、万が一どこかで遭遇しても大丈夫よ。坊っちゃんには今度私から伝えておくわ」
「俺からもそう言っておきます。あと、これ、その。どうぞ」
俺は膝元に隠しておいた紙袋を差し出した。心臓が張り裂けるのではないかというほど仕事をしている。
「え?」
先生は全く予期していなかったのか目を丸くしていた。
「日頃のお礼です。気に入ってもらえるかはわからないんですが」
自分の心臓の音がうるさくてちゃんと喋れているかわからないほどだった。
俺は何をドキドキしているのだろう。
ただ日頃の感謝の気持ちを表しているだけなのに。
先生は困惑の表情を浮かべていた。
「申し訳ないけれど、受け取れないわ。上からもうるさく言われているの」
「そう、なんですか」
俺たちの間に気まずい空気が流れた。
俺はひとまず紙袋をテーブルに置いた。
言われてみればそうだろう。教員と生徒の間に物のやり取りなどあってはならないはずだ。今まで様々な事に関心がなかったツケがこんなふうに回ってくるなんて、と俺は肩を落とした。
「でも医務室で使えるものなら大丈夫ですよね?その紙袋、先生がいつも飲んでる紅茶のお店のやつですし」
その声は突然降ってきた。それはちょうど温室から戻ってきたイレーネさんのものだった。
「それはそうなんですけど」
先生は相変わらず気まずそうにしていた。が、イレーネさんはそんなことを気に留める様子もなく、いつものようにニコニコとしたままこちらのテーブルまで来た。
「受け取ってあげたらどうです?」
「先生、お願いします」
俺もお願いしてみた。このまま自分で持ち帰るというのも恥ずかしい。
「でも」
先生は頑なに断ろうとしていたが、ここでイレーネさんがぽんと手を打った。
「わかったわ!メーヴェくんが来たときに一緒に飲めばいいじゃないですか!」
私ったら天才だわ、とイレーネさんは付け加えた。
「「えっ?!」」
俺たちは同時にそう言った。
「そうすればあまり後ろめたさもないでしょう?ふふ、名案すぎるわね!」
「別の意味での後ろめたさが生まれるわ」
「いいじゃないですか。ふふ、私もご一緒してあげるわ」
「それが目的ね。もう、イレーネさんってさりげなく強かですよね」
先生はジト目でイレーネさんを見つめながらそう言った。
彼女はふふっと笑った。
「世渡り上手だと言ってほしいわ。そこのお店のフレーバーティー好きなんですよ、コーヒーの次に」
ね?いただきましょうよ、とイレーネさんは先生にキラキラとした目線を送り続けた。
先生はついに折れ、わかりました、と答えた。
「では、いただくわ。本当にありがとう」
先生のその言葉と笑顔に俺は小躍りしたくなった。
なんと晴れ晴れしい瞬間なのだろうか。
「こんなくらいじゃ返せないほどの恩がありますから」
俺のその言葉に先生は少し頬を赤らめ、ぼそりとつぶやいた。
「それは私も」
そんなふうに聞こえたが、よく聞き取れなかった。
「今、なんて?」
本当に"私も"だと思ってくれているなら嬉しすぎる。けれど、俺は先生に何もしてあげられていない。いつもお世話になっているのは俺の方なのだから。
「なんでもないわ。ここのお店の茶葉、すごく好きなの。開けてみてもいい?」
「ええ」
先生はわざと話題を変えたようであった。追求したくもあったけれど嫌われたくはないので話を合わせることにしたのだった。
先生は丁寧にラッピングを解いていく。先生のスラリとした美しい手とその手付きに見とれていた自分に気が付き、俺は心の中で自分の頬をつねったのだった。
先生は現れた瓶の中身を見て顔をほころばせた。
「素敵な組み合わせね。カモミールはもちろんだけれど、オレンジピールもエルダーフラワーも好きよ。今度美味しいのを淹れてあげるわ」
「それは楽しみです。でも、あの、僕のことは気にせず二人で楽しんでくださいね?」
そう、俺がいなくても二人でお茶を楽しんでほしいのだ。そのために買ったのだから。
しかし、俺の気遣いはうまく伝わらなかった。
「あらやだ!私、温室用の肥料買いに行きたかったんです!早く行かなくちゃお店がしまってしまうわー!では、私はこれでー」
イレーネさんはかなり棒読みでそう言うと、小さなカバンを一つ持って出ていってしまった。
彼女は俺に気を遣いすぎである。
「イレーネさんって、、、色んな意味ですごいですね」
俺はイレーネさんが出ていったドアの方を見つめながらそう言った。
「すごいってもんじゃないわ。あの人にバレたの。魔法使えることが」
「、、、はい?!」
先生の言葉に俺はすぐさま首の向きを先生の方に戻した。
あまりに急に動かしたのでポキっと鳴った気がしたけれどそんなことはどうでもいい。
先生のそのパワーワードに頭がフリーズしかけた。
「迂闊だったわ。気をつけてたつもりだったんだけれど、氷室の氷が全然減ってないことでバレたわ。備蓄室の火元もあまり使ってないところも不審に思ってたんですって」
先生は平然と言ってのけた。
「それはその、、バレますよね」
俺はジト目で先生を見つめた。
まさか先生ほどの人がそのへんの工作をしてないとは思っていなかったのだ。
「えへへ」
先生はごまかすように笑った。
これはなかなかレアな可愛さ、、などとは言っていられない。
俺はすぐさま、えへへじゃないですから!とツッコミを入れた。
「イレーネさんなら脅したりしないと思いますけど、、、まさか!関係を迫られたりしてませんよね?!」
俺は多分青ざめていたと思う。自分でも血の気が引いていくのがわかった。
今度は先生が逆に俺をジト目で見てきた。
「なぜ坊やの思考はそっちにばかり行ってしまうのかしら。大丈夫よ」
「先生には前科がありますからね。心配してるんです」
そう、例のオッターの件があるのだから。いや、イレーネさんがあんな奴と同じだとは思えないけれど、彼女はしょっちゅう先生のことを見ては"眼福だわぁー"などとと言いため息をついているのだ。怪しくないわけがない。
「前科って言わないでよ。イレーネさんはね、昔違うところで働いてた時に魔法を使った人族の子を診たことがあるんですって。王宮によって箝口令が敷かれてたからずっと口外できなかったらしいわ。そのこともあってすごく寛容みたい」
その言葉に俺はふぅと小さく安堵のため息をついた。
「心配しました。イレーネさん、なんだか先生のこと気に入ってるみたいですし」
「彼女は面食いなの。もっと言うと性別問わず美男美女には目がないのよ。特に私の顔が好きなんですって」
「余計心配ですよ!」
「ちなみに坊ややフォルカー坊っちゃんもお気に入りみたいよ。あとはエルマー坊っちゃんや、保健委員の何人かもお気に入りだって言ってたわ」
「ストライクゾーンが広いな!」
少なくとも俺ら3人は顔も体型もほぼ共通点はないというのに。
「ちなみに、坊やとフォルカー坊っちゃんも正体を知ってることは伝えておいたわ。そしてこれ以上他人に知られたくないことも伝えた」
「わかりました。学園の中で知ってるのは俺らとイレーネさん、だけですか?」
「そこについてはノーコメントね」
先生は涼しい顔でそう答えた。
それはつまり居るということなのだろう。
「ってことはまだいるんですか?まさか、エルマーさん、とか?」
「彼は知らないわ。というか生徒ではあなた達以外に居ないの」
つまり、先生の正体を知る教員がいるということか。
先生は嘘がつけない質らしい。
居ないと言っておけばいいのにそうしないあたりがさらに好感が持てる部分でもある。
「これ以上詮索すると困るでしょうから引き下がります」
「そうしてくれるとありがたいわ」
「でも、ついでなので、聞いておきたいことが何個かあって」
俺はこれを機にいくつか気になってたことを質問することにした。
「答えられることならね」
先生がこう答えるときはだいたい教えてくれないやつである。けれどダメ元であたってみることにした。
「先生は、僕やフォルカー以外の生徒と接するとき、キャラを変えてるんですか?」
「あら、気づいてたの。そうよ。正確に言うと坊やとは早々に険悪な雰囲気になっちゃったじゃない?だから無理して変える必要がなくなったって感じかしら。フォルカー坊っちゃんは坊やとセットだからおのずとね」
セットじゃないですけどね、と俺はすぐ訂正をかけたけれど先生には鼻で笑われたのだった。
「なぜそんなことを?」
「色々と事情があってね。オネエキャラっていうのかしら?あぁいうのは疲れるからやりたくないんだけれど。役者だと思うようにしてるの。高いお給料の分はお仕事しないとね」
先生はふふっと笑った。
お給料の分、ということは校長や学園長レベルが絡んでくるということなのだろうか。
「その事情、ってのも秘密なんですよね?」
「ええ、ごめんなさいね」
ここは追求せずに先に進もう。
「次です。僕の瞳の色は村の毒蜘蛛にそんなに似てるんですか?」
これはこの前からずっと気になっていたことだった。
「えっと、その、、」
先生は少し目線を反らせた。あぁ、似てるのか。やっぱりそうなのか。
「正直にどうぞ」
「に、似てるわ。あのね、彼女も言ってたように村人にとっては益虫なの。弱毒だし、万が一噛まれてもいいように一家に一瓶は解毒剤が置いてあるくらいよ」
「そうだったんですね。先生も第一印象で蜘蛛のこと思い浮かべたり?」
「いいえ。アリーシア様みたいなきれいな瞳だなって思ったくらいよ。ペリドットみたいで素敵だと思うわ」
先生は少しばかり頬を赤くしていた。
それにつられて俺も頬が熱くなった気がした。
いやいや、俺は一体どうして照れているんだ。
「ありがとうございます。そう言われることばかりだったんで少し驚いたんです。先生は、女装も似合うんですね」
「別に趣味ってわけでもないから、その、誤解しないでね」
「はい。ずっと前に黒髪の男の人との時にそんな話しましたもんね」
「覚えてたの」
「ええ。あのことは忘れられなくて。僕、ずっと後悔してたんです。あの日僕が怪我をしたせいで先生とアイツとの関わりができちゃったんじゃないかって」
俺は最後に聞きたかったことに自然につながるように続けた。先生も薄々と気づいているかもしれない。
「気にしないでよ。早かれ遅かれバレてたはずよ。貴方ほどじゃないにしても私の紺色の瞳も珍しいでしょうし、幼い頃に何度か顔は合わせたことがあったから」
「その、最後に聞きたいのは、そのオッターに関することなんです。大丈夫ですか?」
「平気よ。そんなに軟じゃないわ」
先生は本当に気にしていないようだったので続けることにした。
「あいつって結婚してたり、子どもがいたりします?」
「どうして?」
「実は、、」
俺は昨日帰り道にオッターと幼い少年か一緒に歩いているのを見たことを伝えた。
先生はみるみるうちに険しい表情になった。
先生に聞いたのは失敗だっただろうか。
「あのね、正直に言うと、彼が結婚してるとか子どもがいるとかはよくわからないわ。あいつに呼び出されて会ってたのは離れだったから、本館に奥さんや子どもがいてもおかしくないのだけれど、、どんな子どもだったか詳しく教えて?」
「遠目だったので詳しくはわからないんですけど、金髪で、初等部前半ほどの少年でした」
先生は腕を組み少し考えてから徐ろに口を開いた。
「そう。じゃあ息子なのかもしれないわね。だとすれば、オッターは自分の父親共々本当にクソ野郎だわ。でも、一番クソ野郎なのは私ね」
「先生?」
「初めから脅しに屈しなければよかった。同情なんかすべきじゃなかった。もっと強い心を持っていればこんなことには、、」
先生の紺色の瞳に少し陰りが見えた気がした。
彼は自分を責めているのかもしれない。
奥さんと息子が居るならば自分はまた人の人生を崩してしまった、などと思っているのかもしれない。
もちろん、先生の本心はわからないけれども。
「先生は悪くないです。どうかそんな言い方しないでください。すみません、こんな話題を出してしまって」
「ごめんなさいね。あら、もうこんな時間なのね。新学期になったらお茶を飲みにいらっしゃいな」
先生は少しばかり寂しそうに笑みを浮かべたのだった。
俺はまたやらかしてしまったのかもしれない、そう思うと心にモヤがかかるような気がした。
気がつけばあたりはすっかりとオレンジ色に染まりつつあった。
どうやら一時間ほどいてしまったようだ。俺は椅子から立ち上がった。
「ありがとうございます。本当にすみません。では、また」
「ええ。またね」
こうして俺は肩掛けカバンを持って医務室を出た。
◇◆◇
馬車に乗りこんでしばらくしたところで俺は忘れ物に気がついた。プロテクターが入った布袋を医務室に忘れてきてしまったのだ。
「ブルーノ、すまない、引き返す。学校にプロテクターを忘れてきた」
俺のその言葉にブルーノは首を傾げた。
「明日予備のものを持って行けばいいでしょう?」
「そうなんだが、ちょっと、、」
プロテクターは素肌に触れるものではないが、汗臭いかもしれない。そんなものを先生に触られたりしたら恥ずかしくてしょうがない。
その瞬間、ブルーノはくっとメガネを上げた。これは機嫌が悪いやつだ。
「まさか、寄り道をなさってそこに忘れてきたんじゃないんでしょうね?」
「いや、、そんなことは、、」
俺はブルーノから視線を外した。
彼は大げさにため息をついてみせた。
「坊っちゃんは本当に嘘をつくのが下手になりましたね。医務室ですか?」
「だったらなんだ?」
俺はおとなしく開き直ることにした。別にやましいことなどないのだから。
ブルーノはわざとらしく小さくため息をついた。
「はぁ。あれほど彼には関わるなと言っているでしょうに」
「うるさい。お前には関係ないだろう?」
「ありますとも。学校医とシュヴァンの次男坊は要注意人物ですからね」
ふっとブルーノは笑った。
勝手に要注意人物にしないでもらいたいものだ。俺の中ではお前のほうがよっぽど要注意人物だよ、と喉まで出かかった。
「とにかく戻る。お前は馬車にいろよ」
「仰せのままに」
こうして俺は中央校舎に引き返したのだった。
◇◆◇
俺は急ぎ足で医務室を目指した。
あたりはだいぶ暗くなっており、医務室には薄っすらと明かりが灯っていた。よかった、先生はまだ中にいるようだ。
先生の声が聞こえた。
何を言っているかはわからないけれど、イレーネさんとでも会話しているのだろうか。
話の骨を折るわけにはいかないのでドアに耳を当て様子を伺った。
「金髪の初等部前半ほどの少年らしいわ。調べられますか?」
それは先生の声だった。どうやらさっきのオッターの話に関することらしかった。
でも、調べるとはどういうことなのだろうか。
「わかった。万が一ってこともあるからな。任せておけ」
俺は固まった。
中から聞こえたのは男のものと思われる低い声だった。
「助かります」
「相棒だろう。遠慮なく頼れよ」
「カールさん、ありがとうございます」
男はカールという名前らしい。
そんなやつは高等部や中等部の教員にはいない。
一体誰なのだろうか。
「お前も大変だな。最初から俺に言ってくれればどうにかしたのに」
「それはそうなんですが。そんなプライベートなことまで言うのは申し訳ないというか」
「そのせいで今回のことに繋がってるかもしれないんだろ?言い方は悪いが、お前の判断ミスだ。コンバーター案件はもっと慎重に動かなきゃいけないんだ」
コンバーターという言葉を知ってるということは村の関係者か?ますます意味がわからなかった。
「すみません。今後は気をつけます」
「まぁ、まだ決まったわけじゃないがな。あと、例の坊や達についてなんだが」
俺はドキッとした。
俺とフォルカーのことかもしれない。
その瞬間、少し動いてしまい、物音が立ってしまった。
「誰?!」
先生の声がこちらへ向かって発された。
俺はドアをノックした。
先生はそれで俺であることがわかったようで少し待っててと言った。
それからまもなく先生がドアを開けた。
「どうしたの?」
「プロテクターを忘れてしまって」
「あぁ、あの茶色い布袋ね。明日取りに来るかと思ってたわ。ちょっと待ってて、持ってくるわ」
そう言うと先生は自席の近くに行き袋を持ってきてくれた。
部屋には誰もいる気配はなかった。
「忘れ物しちゃダメよ。じゃあまた今度ね」
「はい。ではまた」
俺は医務室を後にした。
先生の表情は硬かった。あれはまずいことを聞かれたという顔だと思う。
俺はちゃんと平然を装えていただろうか。
中の男は何者だったのだろうか。
相棒とはどういう意味だったのだろうか。
先生はどうしていつも俺の心を掻き立てるのだろうか。
俺は何度も自問を繰り返し馬車に戻ったのだった。




