9.5話 学校医と従者
ロイスは先程リットが座っていた椅子に腰掛け、小さくなってきた暖炉の火を見ながら考え事をしていた。
ふと我に返り、机上にある小さな燭台に目をやった。
『フォイアー』
彼は外に聞こえないほどの小さな声でそう唱え指を鳴らした。
その瞬間に燭台の上の蝋燭に火が灯り、ゆらゆらとした光があたりを照らし始めた。
一人分の足跡が廊下から響いてきた。
その気配にロイスは小さくため息をついた。
ノックにロイスは返事をすることなく静かにドアを開けた。
そこにいたのは三十代半ばほどの全身黒いスーツをカチッと着こなした、黒縁メガネにオールバックをした男だった。メガネの奥に潜む茶色の瞳はロイスのことを警戒しながら見定めているかのようであった。
「初にお目にかかります。メーヴェ家の従者ブルーノ・ハーンと申します。リット様がお邪魔しましたので、お詫びに伺いました」
ブルーノは深々と頭を下げた。
「学校医ロイス・マグノーリエでございます。どうかお気になさらず」
ロイスはそう答え口角だけを上げた。
「リット様があんなに素直に謝って来られたのは久しぶりのことなのです。学校医様は一体どのようなご指導をされたのかと興味がありましてね」
ブルーノは優しい口調でそう言ったが、瞳は相変わらずロイスを警戒しているようだった。
「指導と呼べるようなことはしておりません。少し彼の話を聞いていただけです」
「そうでございますか。いやー、それにしてもこんなにお美しい方が学校医ですと、生徒たちも医務室に来るのが楽しみになってしまいますね。リット様と同様に」
トーンを下げた最後の言葉にブルーノのすべての感情が押し込まれているかのようであった。ロイスはそれを感じ取り心のなかで舌打ちしたのだった。
「ふふ、何をおっしゃってるのやら。では、まだ勤務がありますのでこれで」
ロイスはブルーノの口撃を爽やかに躱すと優雅に一礼した。
その様子にブルーノは左眉をピクリと動かした。
「学校医様に一つ警告しておきましょう。リット様は我がズュートメニアの希望でございます。その芽を摘んでしまう行為はくれぐれも謹んでくださいませ。優秀な学校医といえど、平民など御三家の前では無力ですからね」
「肝に銘じておきましょう。では、私からもよろしいでしょうか?」
「ええ」
ロイスは紺色の瞳でまっすぐにブルーノを見つめた。
「リット様の心を閉じ込めた方がどなたかは存じませんが、一体どのような追い詰め方をされたんでしょうか。彼は気づいていないようですが、これは明らかな」
「それ以上は口を謹んでください。あなたには関係のないことです」
ブルーノはロイスの言葉を遮るように言った。
ロイスはふっと口角を上げた。
「わかりました。しかし、学校医の立場として必要なことはさせていただきます。必要なことはね」
「くれぐれも余計なことはされませんように。学校医様」
ロイスは何も答えず、貼り付けた笑顔のまま深々とお辞儀をした。
ブルーノの足音が遠のくと、ロイスはふぅと息を吐き出した。
「とりあえず上に報告かしら」
そう言うとロイスはカバンに書類を詰め、燭台を持ち医務室を後にしたのだった。




