ーー “空”が見たかったの ーー (2)
少しではありますが、螺閃が霞を受け入れ出し、楽しみにし始めます。そして、そこをミロクが見ています。また、ミロクが映像を見せることで、ミロクを“人”として扱うように、螺閃の気持ちが変わっていくのが伝わればと思います。
次の日、修理はさらに続けていたが、実際にはほとんど進んでいない。あの映像が気になって集中できないでいたのだ。
もう一度映像を出してみようと試みたが、まったく作動してはくれず、あの子は目の前に現れてくれなかった。
今日はもう止めようかと、手を休めたときである。
『ーー螺閃っ』
甲高い霞の声が諦めかけた意識を引き止めた。正直、迷い込んだ迷路に1本の光が射し込んだように思えた。
認めたくはないが、霞の声を待っていたのかもしれない。
「ーー霞っ」
思わず手を止めて叫んでしまった。
『どうしたの? そんなに声を張り上げて? もしかして、私のことが恋しくなってしまった?』
一言余計だ。相変わらず何も考えてなさそうな声で喋ってくる。こっちは色々と話したいことが山ほどあるというのに。
いい意味でいえば無邪気な口調の霞に、一括したかった。大きな変化があり、何度も呼びかけたのに返事をしなかったこいつに。
だが落ち着け。ここは冷静に順を追って話すべきだ。
「記録装置の修理が一歩前進したぞ」
『ーーえっ』
スピーカーの奥で霞の声が詰まる。
『本当っ、本当に直ったの?』
「まぁ、完全にとは言えないけどな。元々、さほど壊れてはいなかったらしい」
『よかった~』
胸を撫で下ろしたような、霞の歓声が伝わってきた。それを聞いて俺も嬉しさが蘇って自然と頬が緩んだ。
しかし、一番訊きたいのはこれからだ。
「あのさ、霞。ちょっと、訊いていいか?」
『ーーん? 何?』
息を整え、ミロクの隣りに座ってから、落ち着いた口調で話した。
「実はな、一つの映像が流れたんだ」
『映像? それって、ミロクの記憶?』
記憶…… 確かにあれはミロクの記憶かもな。
思いもよらない言葉が聞こえて、声を詰まらせた。
俺自身、つい少し重たい口調になっていたせいか、霞も緊張したみたいな声になっていた。
「別に心配するような話じゃない。気にするな」
一度笑ってみせた。でないと、内容を聞いて霞は怒りかねない。
「その映像に出てきた人物をお前は知っていないかと思ってな。それでちょっと訊いてみたんだ」
『何よ、心配させないでよ』
案の定、霞は膨れた様子でぼやいた。
『それで、その人って、どんな人なの?』
ミロクの顔を見上げながら、あの二人の姿を思い返した。
「一人は後ろ姿しか見ていないんだ。まぁ、そんなに歳はいってないだろうな。多分、若いと思う。それで長い髪だった。腰より、少し上辺りまで伸びてたかな」
『ほかには?』
必死で思い返すが、考えるほどに眉をひそめてしまう。何せ、後ろ姿しか見ていないので、それ以上の特徴が浮かばなかった。
目線を宙に彷徨わせたり、手を擦り合わせたりと、いろんな動作をして記憶を巡らすが、やはり浮かんでこない。
「悪い。やっぱ、無理だな、それ以上はないな」
『ふ~ん。私もそんな人は。髪の長い人は多いからなぁ』
曖昧な記憶のせいで、霞にも思い当たる人物はいなかった。
気を取り直して、今度はあの踊っていた女の子の姿を思い返した。あの子ならはっきり覚えている。
「もう一人は女のガキだったな。そいつも髪は黒かったけど、そんなに長くない。肩ぐらいまでだったかな。丸顔で目がぱっちりしていた。うん」
長い間、踊りを見ていたせいか、すらすらと顔立ちを喋っていた。修理が一歩前進した嬉しさで、声も弾んでいる。
霞は珍しく何も口出しせず、話を聞いていた。「おいっ、どうした?」
奇妙に思えて声をかけた。
『ロリコン』
「ーーっ」
俺の呼びかけに答えた一言が鋭く体を突き抜け、顔面を殴られたみたいにムカつく衝撃を喰らった。
「てめぇっ、なんだよ、その言い方はっ」
俺は飛び上がり叫んだ。
『だってそうじゃない。大人の人は全然覚えていないのに、子供だとちゃんと覚えてるんだもん。気持ち悪いぃ~』
さらに癇に障るように胸をえぐってくる。もしこいつがそばにいて、仮に男ならば、迷わず殴っていただろう。こいつが女だから、それも堪えているだけで。けど、ムカつく。
実際、胸の前で拳を握り締めていた。
これほどまでの侮辱は初めてだ。そこらにある物を殴りたい衝動に駆られる。
『まぁ、冗談はここまでにして。それでその子、何してたの?』
「あぁん?」
『何をしていたの?』
淡々と先に話を進める霞にムカつきながらも、ここは冷静に握り締めた拳を引き戻した。
「踊っていたよ」
『踊ってた? どんな踊り?』
「知るか。ただクルクルと回りながら踊ってたんだよ」
『ふ~ん』
執拗に訊きながら、最後は呆気ない返事で霞は終わらせてしまった。この態度には顔も歪みっぱなしだ。
久しぶりの霞の声にここまで苛立つとは思ってもいなかった。
『ねぇ、その子、可愛かった?』
まだ質問は続いたが返事を拒んだ。
『ねぇって。可愛かった?』
「ったく。うるさいな。まぁ、そうじゃないのか」
執拗な霞に苛立ちを通り越して、俺は呆れて答えた。すると、その言葉を待っていたように、霞はクスクスと笑い出した。
「なんだよ、何笑ってんだよ」
『だって、その子、私だもん』
「ーーはぁ?」
突然の告白に面喰らい、言葉を失う。事態が掴めず、呆然となってしまった。
『ちょっと、聞いてるの? 急に黙っちゃって』
霞の呼びかけに我に返り、かぶりを振った。
「お前こそ、突然ふざけたこと言うなよ」
『その子、薄い黄色のワンピースを着ていなかった?』
「ーーなっ」
その子の姿は目に焼きついている。何せ、自分の腕が服の上からお腹を貫通したのだから。当然、そのときにその子の服の色も目に入っている。
服の種類と色は確かに霞の指摘と一致していた。
霞は女の子の映像など見ていない。それなのに、服装を当ててしまうと、霞のの言葉を信じないわけにはいかない。
『その服は結構気に入っていたの。だから、よく着ていたのよ』
平然と話されても、俺は困惑しかない。
間の抜けた表情をしてしまう俺を、どこかで見ているみたいに、霞は可笑しそうに笑う。
『どう? 私の可愛さに驚いて声も出ない?』
「あぁ、そうだな」
『へぇ~。意外。正直に答えるなんて、可愛いところもあるじゃない」
「どうりで、生意気そうな顔をしていたな」
俺を侮辱したお返しにと、最後に言い放った。すると、怒った霞の文句が、マシンガンみたいに激しく飛び込んできた。
文句を甘んじて受けつつも、心の奥で正直、あの映像の子が育った今の姿、すなわち、スピーカーの奥で騒ぐ霞に会ってみたいと、微かに願ってしまった。
映像の子が霞だと知ると、疑問が一つ浮かんだ。
「なぁ、お前って歳いくつだ?」
『ーーえっ?』
唐突な質問をしていたせいか、霞は驚いてうるさい雑音が止んだ。
『十七よ。それが?』
『ーー十七?』
質問に答えた霞に、オウム返しのように叫んだ。
『ちょっとっ、急に大声出さないでよっ。それに歳がどうしたのよ? 何か文句でもあるの?』
「あ、いや。あの映像はいつごろ撮られたのか気になってな。それで、今のお前の歳を訊いてみただけだよ」
『それだけでそれほど驚く?』
霞の疑念の問いが胸を突き刺す。
「いや、まぁ、まさか俺と一緒とは思いもよらなかったから……」
『どういう意味?』
「ハハハハハ……」
もっとガキだと思ってた……。
なんて話せるわけもなく、苦笑いをしてその場を回避した。
頬を引きつらせながらも、横目にミロクの顔が見えた。その顔はどこか俺を非難しているように見えて、笑うのを止めた。
『でも懐かしいな。多分、それに映っているの、私がミロクと初めて出会ったときよ。嬉しかったなぁ。友達ができたって』
気まずくなっていると、昔を懐かしむように霞は呟いた。
「よく分かるな。実際に見たわけでもないのに」
『うん。私には分かる』
「…………?」
『ちょっと、話してもいい?』
急に霞は改まった。別に断る理由もないので、「あぁ」と霞の話を待った。
俺はまた座り直し、話すのを待つ体制になったが、霞は声を押し殺していた。
「実は今、修理が手詰まりになっててさ、気分転換になるのがほしかったんだ」
どんな内容かは知らないが、俺に対しての変な気遣いで話すのを躊躇しているのではと、話しやすいように促した。
『実はね、私がミロクの前で踊ったのって、その日だけだったのよ』
「でも、お前ら結構長い間、一緒にいたんじゃねぇのか?」
『そうよ。でも、すぐに「抑」の立場になってからは、監視が厳しくて自由が少なくなっていったのよ』
両手で口元を覆いながら聞いていたが、この段階ではまだ霞が何を言いたいのかは理解できなかった。
「そう言えばさ、お前って軍関係の家系なのか?」
『“家系”?』
「そう。家族の血筋とかの家系」
『ううん。違うけど、なんで?』
「いや、どうしてお前が「抑」ってのに選ばれたのかなって思ってさ」
これまで「抑」という存在自体を知らなかったので、根本的な疑問を訊いてしまった。
口元を覆っていた片方の手を離し、人差し指で目尻を叩いて答えを待ったが、霞も答えに悩んでいるのか、口を開かなかった。
『私もよく覚えていないんだ。あのころ、戦争で親を喪って、生きる術を失っていたかろに、何か軍人のような人に、「戦争を終わらせるのに力を貸してほしい」って言われたの。私にはもう、それしかなかったから。それで』
この短い説明に、胸を締めつけられそうだった。ここにもガキのころに親を喪い、その小さい体で苦しんでいた者がいるのを知って。
俺の気持ちをよそに、霞は明るく話していた。平然と自分の過去を話す霞に、彼女の強さを感じずにはいられなかった。
『それからは、ずっと一緒だったんだけどね、それは「相互関係を高めるためだ」とか言われて。ほとんど、軍の人が私たちのそばで記録を取っていたのよ』
「じゃぁ、実際はほぼ軟禁状態か」
『まぁね。けど、息抜きはあったよ。私がいた施設には丸いドーム状の施設があってね、そこは綺麗な野原になっていたの。綺麗な花が一杯咲いてたりね。大きな木もあったよ。私たちはほとんどそこにいたわ』
野原か……。まるで……。
頭にその施設のイメージを膨らませた。けれど、完全に浮かぶ前に、辺りを見渡した。それは、ここの中庭がイメージと重なったから。
仮にミロクに意識なるものがあるなら、霞のそばに帰れないのを悟り、力尽きる間際に見つけたこの場所に腰を下ろしたのかもしれない。
そして記録装置が直ると、一緒だったころを思い返し、幼い霞の映像を映したのかもしれない。
「なぁ、そこはお前らしかいなかったのか?」
『ううん。ほかにも何組かはいたよ。私みたいなのが。けど、戦争が長引くにつれ、段々減っていったの』
「じゃぁ、そこで鬼兵は育てられ、戦場に出て行ったのか」
『冷静にそんなこと言わないでっ』
俺の一言で、急に霞は感情的に怒鳴った。
中庭の草木に羽根を休めていた小鳥たちが一気に空に舞い上がり、羽根の擦れる音と、風を切る音が響き渡ると、沈黙が空気を重くした。
『……そんな酷い言い方しないで』
「酷いって、俺はただ…… いや、悪かった」
別に悪気があって言ったつもりはない。けれど、震えそうな霞の声を聞くと、謝らずにはいられなかった。
何気なく言ったのだが、れは霞にとって、心を引き裂かれるような凶器になったのかもしれない。
『ゴメン。でも、これだけは知ってほしいの。何も初めからミロクたち、「鬼兵」は恐れられるような、怖い存在じゃないって。確かに、施設から戦場に行った鬼兵は数多かったわ。けれど、それは上からの命令でどうしようもなかったのよ』
「…………」
『異議を唱えた人だって知ってる。「鬼兵は兵器じゃない」って。でも、それは伝わらないの。私たちも、鬼兵を動かすための道具としてしか見てもらえなかったから』
「……マジかよ」
『私たちにはそれが現実だった。終戦間際になってくると、それも酷くなっていった。なかには「抑」の立場の人が泣いてるのだって何度も見たわ。みんな、逆らえなかったから。悔しくても感情を押し殺していたのよ』
あまりにもその内容は重く辛い話だ。俺には衝撃が強すぎて、霞にかける言葉が見つからず、黙り込んでいた。
以前は戦場を激化させた鬼兵に憎しみさえ覚えていた。しかし、鬼兵のそばにいた霞の言い分には信憑性があり、俺の気持ちを否定されそうだ。
顔の前で掌を合わせて目を閉じた。心が揺れている。
『“空”が見えないのも辛かった』
「空が見えない?」
行き先を失いかけていたころに、霞の呟きが聞こえ、目を開いて問い返した。
『うん。その施設はほとんど窓がなかったの。それはドームもそうなの。だから、ミロクとで会ってからは一度も“空”を見ていなかったのよ。せめて、綺麗な空さえ見えれば、私の気持ちも少しは晴れたかもしれないから』
残念そうに声を彷徨わせる霞だったが、霞らが空を見られなかったのは幸いだったと、伝えたかった。
戦時中、空が青い日なんてほぼなかった。昼間は空爆などで舞い上がった炎や煙で空は濁っていたし、夜は暗闇のなかで爆発音が鳴り響く地獄のようなもの。落ち着いて空を眺められる余裕さえもなかった。すべてを失って彷徨っていた俺が言うのだから間違いない。
霞のように、自分の記憶のなかにある青空に期待しているままの方がいいのだ。だからこそ、そのころの空の色を言うのは止めておいた。
「だから、お前はミロクに空を教えてほしかったのか?」
『そう。私は今も見られないから。せめて、ミロクの目から見た空を教えてほしかった。“空”が見たかったの』
「今も、って……」
『うん。そう』
言葉に詰まる俺の声に被さるように、霞は頷く。
「でも、お前、自分の家にいるとか言ってなかったか?」
『そう。私がミロクと出会ってからはここの施設が私の家なの。今もね』
明るく答えているつもりなのだろうが、霞の声からは寂しさが滲み出ており、胸を痛めた。
なぜお前は施設に留まっているのか? 確か、こいつは今、一人だと言っていた。だからその理由を知りたかった。が、答えを知る怖さから躊躇していまい、訊けなかった。
『ゴメンね。なんだか、辛気臭い空気にしてしまって』
口を閉ざしていると、霞が申しわけなさげに謝ってきた。
さほど実感していないのだが、時間は流れているようだ。初めて会ったころのワガママな霞なら、こうも素直に謝らなかっただろうし、俺もこうも親身に霞の心情を気にもしなかっただろう。
「バカか。俺がこんな話で泣き出すと思ったか?」
ついふざけた返事をしてしまう。
『フフッ。そうよね。私もどうかしていたわ。なんでこんな話をしてしまったんだろう』
霞も反抗して嫌みを返してきた。これを機に重たい空気が晴れてくれ、二人の笑い声が弾けた。
そらからは普段の俺たちに戻った。俺がまだ破損している部分の修理にかかると、それを邪魔するように霞が割って入る。
お得意のワガママ振りも健在で苛立つが、もうそれにも慣れてしまい、軽くあしらい、それに霞が腹を立てる。そんな会話が太陽が中庭を覗いている間、続いていた。
今回ぐらいから、ミロクが“人”として見始める螺閃であり、ミロクが映した幼い霞の姿は、ミロクが霞をどう思っているのか、そして螺閃に対して、“人”としての意識としてこういう形にしました。螺閃に見せたのは、霞が一番だと思わせ、伝えるためにこうしました。