第16話 返却先は確認中です
土曜日、午前十一時三十八分。
召喚管理局。
ハスターは、榊原からの追加報告を読んでいた。
『受領確認:未了』
その文字列を見た瞬間、彼の視線が鋭くなった。
「……受領確認」
机の端にある未登録の帳簿。
『預かり品:1』
『保管場所:確認中』
扉の向こうからの声。
『お受け取りになりますか』
そして、ホテルの封筒。
『受領確認:未了』
「……」
ハスターは、しばらく動かなかった。
同じ言葉が使われている。
それは、確かだった。
しかし、同じ手続きであるとは限らない。
受領確認という言葉は、通常の事務でも使われる。
預かり品という言葉も、珍しくはない。
それでも。
「……ここまで揃うか」
黄衣の王は、低く呟いた。
彼は、正規の保全記録を開いた。
これまでの表示を確認する。
待機数四十。
接触完了三件。
代理呼び出し。
受付担当者候補。
待機理由。
そして、預かり品一件。
「……」
ハスターは、筆を取った。
『地球側宿泊施設の封筒に「受領確認:未了」との記載あり』
『未登録受付側の表示および発話との語句上の類似を確認』
『同一案件であることを示す直接的証拠は未確認』
そこまで書いて、筆を置く。
「……よし」
少なくとも、ここまでは事実に基づいている。
彼は、未登録の帳簿を見た。
『預かり品:1』
表示は、変わっていない。
「……貴様らが何を預かっているのかは知らん」
ハスターは、静かに言った。
「だが、少なくとも私は受け取らん」
返答はない。
「そして、深町由紀にも受け取らせん」
その瞬間。
ぱらり。
出所不明の帳簿のページが、めくれた。
ハスターは、動きを止めた。
新しいページには、文字があった。
『受領者候補:未登録』
「……」
続いて、もう一行。
『受領者照合:準備中』
ハスターは、ゆっくりと目を細めた。
「……待て」
彼は、椅子から立ち上がった。
「私は、受領者の選定を許可しておらん」
帳簿は、何も答えない。
「候補を登録するな。照合を始めるな。そもそも、預かり品の正体がわからんのだ」
沈黙。
ハスターは、時計を確認した。
午前十一時四十一分。
正規の保全記録へ書き込む。
『11:41 未登録帳簿に「受領者候補:未登録」「受領者照合:準備中」と表示』
『照合対象、選定主体、選定条件、権限は未確認』
そして、もう一行。
『管理局は受領者の選定を承認していない』
書き終える。
ハスターは、筆を置いた。
「……まったく」
彼は、深く息を吐いた。
受付担当者を探す。
確認者を探す。
今度は、受領者を探す。
相手が何をしようとしているのかは、わからない。
しかし、少なくとも表示の上では、必要な役割を後から埋めようとしている。
「……順序が逆なのだ」
黄衣の王は、低く呟いた。
まず、何をするのかを決める。
次に、誰がそれを行うのかを決める。
必要な権限を確認する。
そして、正式に処理する。
それが本来の順序だった。
ところが、今回の記録は違う。
処理が先にある。
役割は、後から探している。
「……」
ハスターは、しばらく考えた。
そして、ふと気づいた。
「……いや」
彼は、帳簿を見た。
『受領者候補:未登録』
『受領者照合:準備中』
まだ、誰かが受領者に指定されたわけではない。
照合が実際に始まったとも限らない。
あくまで、準備中という表示があるだけだ。
「……危ないところだった」
ハスターは、静かに息を吐いた。
表示を見ただけで、相手の処理が進んでいると決めつけるところだった。
それでは、相手の曖昧な記録に振り回されていることになる。
「……落ち着け、私」
黄衣の王は、自分に言い聞かせた。
「……まずは、何が起きたかを確認する」
それが、今できる唯一のことだった。
*
土曜日、午後零時六分。
深町由紀は、公園のベンチに座っていた。
小さな池がある。
水面には、青い空が映っている。
風が吹くと、細かな波が広がった。
「……綺麗」
由紀は、静かに呟いた。
久しぶりに、何も考えずに景色を眺めていた。
少なくとも、そうしようとしていた。
バッグの中には、スマートフォンがある。
手帳もある。
ホテルの部屋には、まだ荷物が残っている。
そして、フロントには、差出人不明の封筒がある。
「……」
由紀は、池を見つめた。
気になる。
もちろん、気になる。
あの封筒は何なのか。
誰が持ってきたのか。
なぜ、自分の部屋番号が書かれていたのか。
そして、受領確認未了とは何なのか。
考え始めれば、きりがない。
「……でも」
由紀は、小さく息を吐いた。
「私が調べても、わかんないよね」
それは、諦めではなかった。
自分にできることと、できないことを分ける。
今週、何度も考えてきたことだった。
ホテルの記録は、ホテルが確認する。
管理局の記録は、管理局が確認する。
旧市民会館の許可証は、月曜日に正式な窓口へ照会する。
そして、自分は休む。
「……うん」
由紀は、静かに頷いた。
「それでいい」
池の向こうで、子どもが笑っていた。
小さな犬が、飼い主に引かれて歩いている。
ベンチの近くでは、年配の夫婦が何かを話していた。
誰も、受付番号のことなど気にしていない。
誰も、代理処理のことなど知らない。
それが、普通の世界だった。
由紀は、少しだけ笑った。
「……こういうの、大事だなあ」
そのとき、スマートフォンが震えた。
「……」
由紀は、バッグを見た。
少し迷った。
そして、取り出した。
画面には、ホテルからのメッセージが表示されていた。
『お預かり物について、引き続き確認しております。お客様に追加のお手続きは必要ございません』
由紀は、文章を読んだ。
「……そっか」
少し安心した。
少なくとも、今すぐ何かを求められているわけではない。
彼女は画面を閉じた。
スマートフォンをバッグへ戻す。
そして、もう一度、池を見た。
「……よし」
今日は、休む。
今度こそ、本当に。
*
土曜日、午後零時二十一分。
召喚管理局。
ハスターは、通常業務の書類を処理していた。
申請者。
担当者。
承認者。
必要な情報が揃っている。
だから、処理できる。
こん。
承認印を押す。
次の書類へ移る。
こん。
また一件、処理が終わる。
黄衣の王は、静かに頷いた。
「……これだ」
本来、仕事とはこういうものだ。
少なくとも、彼にとっては。
しかし、机の端には、未登録の帳簿がある。
『預かり品:1』
『保管場所:確認中』
『受領者候補:未登録』
『受領者照合:準備中』
ハスターは、その文字列を見た。
「……」
そして、ふと考えた。
預かり品。
受領者。
確認。
待機。
これまで、別々に表示されていた言葉が、少しずつ近づいているように見える。
だが、近づいているように見えることと、実際に一つの手続きであることは違う。
「……」
彼は、筆を置いた。
正規の記録用紙を引き寄せる。
新しい見出しを書く。
『未登録受付における役割指定の取扱い』
そして、続けた。
『管理局は、未登録受付に関する受付担当者、確認者、代理人、受領者その他の役割について、正式な権限を確認できない限り、指定または承認を行わない』
一度、読み直す。
さらに、もう一行。
『関係者が当該役割を引き受けたと解釈される行為についても、事前に権限と目的を確認する』
そこまで書いて、ハスターは筆を止めた。
「……いや」
少し考える。
この書き方では、関係者の行動を過度に制限するおそれがある。
たとえば、ホテルの従業員が通常の業務として封筒を保管することまで、管理局が禁止できるわけではない。
そもそも、管理局にその権限があるかも不明だった。
「……違うな」
ハスターは、文章を書き直した。
『管理局の関係者に対し、未登録受付に由来する役割を新たに引き受けるよう指示しない』
『外部機関の通常業務については、当該機関の判断と手続きを尊重する』
『未登録受付の表示を根拠として、外部機関へ権限のない指示を行わない』
「……よし」
今度は、納得できた。
ハスターは、文書を読み直した。
そして、署名した。
所定の印を押す。
こん。
正規の文書が、一件成立した。
「……これで、少なくともこちら側は守れる」
黄衣の王は、静かに息を吐いた。
そのときだった。
ぱらり。
未登録の帳簿が、音を立てた。
ハスターは、顔を上げた。
新しいページが開いている。
そこには、一行だけ、文字があった。
『受領者照合:開始』
「……」
ハスターは、動かなかった。
文字を読む。
もう一度、読む。
『受領者照合:開始』
「……始めるな」
低い声だった。
返答はない。
ハスターは、時計を確認した。
午後零時二十五分。
正規の保全記録へ書き込む。
『12:25 未登録帳簿に「受領者照合:開始」と表示』
『照合対象、照合方法、実際の処理状況は未確認』
そして、最後に一行。
『管理局は当該照合を承認していない』
書き終える。
ハスターは、帳簿を見つめた。
「……」
しばらくして、扉の向こうから声がした。
『お預かりしたものがございます』
「……知っておる」
『お受け取りになりますか』
「ならん」
『確認が必要です』
「……誰の確認だ」
少しの沈黙。
そして。
『お受け取りになる方の確認です』
ハスターは、静かに目を閉じた。
「……だから、それが誰なのかを聞いておる」
返答はなかった。
黄衣の王は、深く息を吐いた。
「……まったく」
彼は、椅子の背にもたれた。
「……受け取る者が決まっていないのなら、まず受け取る者を決めるな」
沈黙。
「何を預かったのか、誰が預けたのか、どこにあるのか。それを確認してから、必要なら正式な手続きを取れ」
返答はない。
ハスターは、少し考えた。
そして、付け加えた。
「……ただし、私の休暇を預かったというのなら、今すぐ返せ」
扉の向こうは、静かだった。
「……」
黄衣の王は、しばらく待った。
返事はない。
「……そこは返事をせんのか」
彼は、深くため息をついた。
*
土曜日、午後零時四十三分。
ホテルのフロント。
白い封筒は、まだ保管用の箱に入っていた。
差出人は不明。
宛名もない。
部屋番号だけが記載されている。
そして、小さな文字。
『受領確認:未了』
女性従業員は、封筒を見つめていた。
「……」
午前中に確認した勤務記録。
荷物の受領記録。
配送業者の記録。
いずれにも、該当するものは見つかっていない。
もちろん、それだけで異常な物品だと断定することはできない。
単なる記録漏れかもしれない。
誰かが、別の場所から移動させたのかもしれない。
確認すべきことは、まだ残っている。
「……さて」
女性は、保管箱の蓋を閉めた。
そのときだった。
若い従業員が、奥から戻ってきた。
「すみません。さっきの封筒なんですけど」
「何かわかった?」
「防犯カメラの記録を確認しました」
女性は、顔を上げた。
「そう。どうだった?」
「……それが」
若い従業員は、少し困った顔をした。
「封筒が最初に確認できる時刻は、わかりました」
「いつ?」
「今朝の九時三十二分です」
「誰が置いたの?」
「……そこなんですけど」
彼は、業務用の端末を差し出した。
画面には、フロントの奥にある作業台が映っていた。
午前九時三十一分。
作業台の上には、何もない。
午前九時三十二分。
白い封筒が置かれている。
女性は、画面を見つめた。
「……途中の映像は?」
「確認できる範囲では、誰かが置いた場面は見つかっていません」
「カメラの不具合は?」
「確認中です」
「……そう」
女性は、ゆっくり頷いた。
「映っていないからといって、誰も置いていないとは限らないわね」
「はい」
「映像の欠落や、死角の可能性もある」
「はい」
「まず、設備担当へ確認しましょう」
「わかりました」
若い従業員は、端末を持ち直した。
そのとき。
「あれ?」
彼が声を上げた。
「どうしたの」
「……この封筒」
画面を指差す。
午前九時三十二分。
作業台の上に置かれた白い封筒。
その表面には、部屋番号のラベルが貼られていた。
「……さっき撮った写真と、少し違って見えるんです」
女性は、目を凝らした。
「どこが?」
「ラベルの下の文字です」
彼は、午前十時三十九分に撮影した画像を開いた。
二枚を並べる。
防犯カメラの映像では、ラベルの右下付近に小さな文字が見える。
一方、写真では、左下付近に文字があるように見えた。
「……」
女性は、しばらく画面を見つめた。
「撮影角度の違いじゃない?」
「……その可能性はあります」
「防犯カメラの画像は、文字を確認するには少し粗いわね」
「はい」
「表示が左右反転している可能性は?」
「それも、確認してみます」
女性は、もう一度、二枚の画像を見比べた。
「……現時点では、文字の位置が変わったとは言えないわね」
「……そうですね」
「画像の表示条件を揃えてから、改めて確認しましょう」
「わかりました」
若い従業員は、端末を操作した。
女性は、保管箱を見た。
白い封筒。
差出人不明。
宛名なし。
部屋番号のみ。
そして、受領確認未了。
「……」
彼女は、静かに呟いた。
「……何なのかしら、これ」
誰も答えなかった。
*
土曜日、午後一時二分。
召喚管理局。
ハスターは、未登録の帳簿を見つめていた。
『受領者照合:開始』
表示は変わっていない。
彼は、正規の権限照合原簿を開いていた。
受付担当者。
確認者。
代理人。
受領者。
それぞれの登録状況を確認する。
該当する正式な指定はない。
「……」
ハスターは、静かに頷いた。
少なくとも、管理局の正規の手続きでは、誰も指定されていない。
それは、確認できた。
しかし、未登録の帳簿が何をしているのかは、わからない。
「……」
彼は、筆を取った。
新しい記録用紙を開く。
『未登録受付に関する役割照合の状況』
そして、確認結果を書き込んだ。
『正規の権限照合原簿に、該当する受領者の登録なし』
『未登録帳簿の照合表示との対応関係は未確認』
『当該表示をもって、正式な役割指定が成立したとは認められない』
書き終える。
ハスターは、筆を置いた。
「……よし」
そのときだった。
ぱらり。
帳簿のページが、めくれた。
ハスターは、顔を上げた。
新しい文字が現れている。
『受領者候補:1』
「……」
黄衣の王は、静かに目を細めた。
「……誰だ」
返答はない。
「候補が一人いるというなら、名前を示せ」
沈黙。
「……いや」
ハスターは、すぐに首を振った。
名前が表示されたところで、それが正しいとは限らない。
そもそも、候補として選ばれたこと自体に根拠がない。
「……候補がいるという表示にすぎん」
彼は、時計を確認した。
午後一時五分。
正規の保全記録へ書き込む。
『13:05 未登録帳簿に「受領者候補:1」と表示』
『候補者の氏名、選定基準、選定主体、本人の同意は未確認』
そこまで書いて、筆を止めた。
「……」
一人。
受付担当者候補。
受領者候補。
そして、深町由紀。
彼女の名前は、以前、許可証の担当者欄に現れたと報告されている。
だが、今回の候補者が彼女であるという証拠はない。
それを結びつけるのは、早計だった。
「……」
ハスターは、深く息を吐いた。
「……候補という言葉は便利だな」
正式に任命したわけではない。
承認したわけでもない。
本人の同意もない。
それでも、候補という言葉を使えば、何かが進んでいるように見える。
「……実に厄介だ」
黄衣の王は、静かに呟いた。
そのとき。
ちりん。
扉の向こうで、ベルが鳴った。
ハスターは、ゆっくり顔を上げた。
『お預かりしたものがございます』
「……知っておる」
『お受け取りになりますか』
「ならん」
『受領者の確認が必要です』
「……誰を確認するつもりだ」
少しの沈黙。
そして。
『お待ちの方です』
ハスターは、動きを止めた。
「……」
今、何と言った。
お待ちの方。
待機者。
受領者。
その二つが、初めて同じ発話の中で結びついた。
少なくとも、そう聞こえた。
「……待て」
ハスターは、低い声で言った。
「お待ちの方とは、誰のことだ」
返答はない。
「待機数四十と表示されている、その対象か」
沈黙。
「それとも、別の誰かか」
返答はない。
ハスターは、ゆっくりと息を吐いた。
「……答えろ」
少しの間があった。
そして。
『お待ちの方です』
「……」
黄衣の王は、額に手を当てた。
「……説明になっておらん」
しかし。
今の発話は、記録する価値があった。
これまで、待機者と受領者の関係は、確認できていなかった。
今回、扉の向こうの声は、受領者について尋ねられた際に『お待ちの方です』と答えた。
それが、待機数四十の対象を指しているのかは不明である。
だが、少なくとも、相手はそのように説明した。
「……」
ハスターは、筆を取った。
『13:05以降 受領者について質問したところ、扉の向こうの声が「お待ちの方です」と発話』
『待機数40との対応関係は未確認』
『発話主体、発話内容の正確性は未確認』
書き終える。
そして、もう一行。
『受領者と待機対象の関係について、初めて直接的な説明らしき発話を確認』
ハスターは、筆を置いた。
「……なるほど」
黄衣の王は、静かに呟いた。
「……少しだけ、話が進んだな」
それは、確かなことだった。
謎は解けていない。
預かり品の正体もわからない。
受領者候補も不明。
しかし、これまで別々に存在していた言葉の間に、一つの接点が生まれた。
待っている者。
受け取る者。
そして、預けられた何か。
「……」
ハスターは、窓の外を見た。
二つの黒い太陽。
黒い湖。
永遠の午後五時。
時計は、午後一時を過ぎている。
だが、窓の外は変わらない。
「……何を待っているのだ、お前たちは」
黄衣の王は、低く呟いた。
返答はなかった。
ただ、机の端にある帳簿には。
『待機数:40』
その数字が、静かに残っていた。
*
土曜日、午後一時二十二分。
ホテルのフロント。
女性従業員は、保管箱の前に立っていた。
設備担当への確認は、まだ終わっていない。
防犯カメラの記録についても、調査中だった。
白い封筒は、箱の中にある。
少なくとも、先ほどまでは。
女性は、箱の蓋を開けた。
「……」
中を見た。
封筒がある。
白い封筒。
部屋番号のラベル。
そして。
『受領確認:未了』
女性は、静かに息を吐いた。
「……よかった」
封筒は、そこにあった。
それだけで、少し安心した。
彼女は、箱の蓋を閉めようとした。
そのとき。
「あれ?」
若い従業員が、声を上げた。
「どうしたの」
「……これ、見てください」
彼は、業務用の端末を差し出した。
画面には、荷物の保管記録が表示されていた。
今朝から確認している、封筒の記録。
受領時刻。
持込者。
保管場所。
いずれも、未確認として扱っていた。
しかし。
「……何、これ」
女性は、画面を見つめた。
新しい項目が、一つ増えていた。
『返却予定:未設定』
「……」
若い従業員は、困った顔をした。
「これ、さっきまでなかったですよね」
女性は、すぐには答えなかった。
本当に、さっきまでなかったのか。
見落としていただけではないのか。
記録の更新履歴はどうなっているのか。
確認すべきことが、いくつもあった。
「……まず、更新履歴を見ましょう」
彼女は、静かに言った。
「誰が、いつ、この項目を追加したのか」
「……はい」
若い従業員は、端末を操作した。
画面が切り替わる。
更新履歴。
そこには、時刻が表示されていた。
『13:19』
そして、更新者欄。
『未登録』
「……」
二人は、しばらく画面を見つめていた。
「……これ、誰ですか」
若い従業員が尋ねた。
女性は、ゆっくり首を振った。
「……わからないわ」
そして、続けた。
「でも、わからないなら、確認するしかないでしょう」
彼女は、業務用の記録用紙を引き寄せた。
『13:19 保管記録に「返却予定:未設定」の項目を確認』
『更新者欄:未登録』
『実際の更新主体は未確認』
書き終える。
女性は、ペンを置いた。
「……よし」
少なくとも、記録は残した。
あとは、正式な手順で確認する。
そう思った。
そのときだった。
保管箱の中で、小さな音がした。
かさり。
紙が擦れるような音。
女性は、箱を見た。
若い従業員も、顔を上げた。
「……今、音しました?」
「……ええ」
二人は、しばらく動かなかった。
箱の蓋は、閉まっている。
誰も触れていない。
「……」
女性は、ゆっくりと箱へ手を伸ばした。
そして、蓋を開けた。
白い封筒がある。
それだけだった。
「……」
彼女は、少しだけ安心した。
しかし。
封筒の表面を見た瞬間、動きを止めた。
『受領確認:未了』
その下に。
新しい一行があった。
『返却先:確認中』
「……」
女性は、しばらく文字を見つめた。
そして、低い声で言った。
「……返却?」
若い従業員が、顔を寄せる。
「……何を、返すんですかね」
女性は、答えなかった。
封筒は、まだ誰にも渡していない。
そもそも、誰から預かったのかもわからない。
それなのに、返却先を確認している。
「……」
彼女は、ゆっくり箱の蓋を閉めた。
「……まず、記録しましょう」
若い従業員は、頷いた。
「はい」
二人は、再び業務用の記録用紙を開いた。
そして、確認できたことだけを書き始めた。
*
土曜日、午後一時三十六分。
召喚管理局。
ハスターは、未登録の帳簿を見つめていた。
『待機数:40』
『預かり品:1』
『受領者候補:1』
そして。
新しい一行。
『返却先:確認中』
「……」
黄衣の王は、静かに目を細めた。
「……返却?」
預かり品。
受領者。
待機者。
そして、返却先。
「……」
ハスターは、しばらく考えた。
預かり品を返却する。
それ自体は、普通の手続きだった。
しかし、返却先が確認中ということは、誰へ返すのかがわからない。
しかも、そもそも何を預かったのかもわからない。
「……」
黄衣の王は、低く呟いた。
「……預けた者へ返せばよいのではないか」
返答はない。
「預けた者がわからんのか」
沈黙。
「……では、誰から預かったのだ」
返答はない。
ハスターは、深くため息をついた。
「……まったく」
彼は、時刻を確認した。
午後一時三十八分。
正規の保全記録へ書き込む。
『13:38 未登録帳簿に「返却先:確認中」と表示』
『返却対象、返却先、返却条件は未確認』
そして、最後に一行。
『実際に返却手続きが開始された事実は確認できず』
書き終える。
ハスターは、筆を置いた。
「……さて」
ここまで来ると、一つの可能性が浮かぶ。
待機者は、何かを受け取るために待っているのではないか。
あるいは、何かを返してもらうために待っているのではないか。
しかし、それはまだ推測だった。
表示だけでは、確定できない。
「……」
黄衣の王は、静かに息を吐いた。
「……何を返すつもりなのだ」
扉の向こうへ、問いかける。
少しの沈黙。
そして。
『お預かりしたものです』
ハスターは、動きを止めた。
「……」
今度は、質問に対する回答らしいものが返ってきた。
少なくとも、そう聞こえた。
「……預かり品を返すのか」
『はい』
「……誰へだ」
沈黙。
「……待っている者へか」
少しの間。
そして。
『確認中です』
ハスターは、静かに目を閉じた。
「……そうか」
彼は、ゆっくりと息を吐いた。
「……やはり、そこがわからんのだな」
返答はない。
しかし、今のやり取りは重要だった。
相手は、返却するものについて尋ねられた際に、『お預かりしたものです』と答えた。
そして、返却先については『確認中です』と答えた。
それが事実かどうかは、まだわからない。
だが、相手がそのように説明したことは、記録できる。
ハスターは、筆を取った。
発話内容を記録する。
時刻を記録する。
質問と回答の順序を記録する。
そして、最後に一行。
『未登録受付の発話において、預かり品と返却行為の関連を示す説明を確認』
『ただし、実際の物品および返却手続きの存在は未確認』
書き終える。
ハスターは、筆を置いた。
「……」
しばらくして、低く呟いた。
「……少しずつ、形が見えてきたな」
それは、謎が解けたという意味ではない。
むしろ、わからないことは増えている。
だが、少なくとも、これまで別々に存在していた言葉が、少しずつ関係を持ち始めていた。
待機者。
預かり品。
受領者。
返却先。
そして、確認。
「……」
黄衣の王は、窓の外を見た。
二つの黒い太陽。
黒い湖。
永遠の午後五時。
時計は、午後一時を過ぎている。
だが、窓の外は変わらない。
「……何を待っているのだ、お前たちは」
ハスターは、静かに呟いた。
返答はなかった。
ただ、机の端にある帳簿には。
『待機数:40』
その数字が、変わらず残っていた。
そして、その下に。
『返却先:確認中』
新しい一行が、静かに表示されていた。
ハスターは、しばらくそれを見つめていた。
それから、ゆっくりと筆を取った。
「……さて」
通常業務の申請書を引き寄せる。
「……仕事だ」
こん。
承認印が、一つ落ちた。
誰が何を待っているのかは、まだわからない。
何が預けられているのかも、わからない。
しかし、少なくとも一つだけ、確かなことがあった。
黄衣の王の仕事は、まだ終わらない。
そして。
今度は、誰かが何かを返そうとしている。
その相手が誰なのかもわからないままに。
カルコサの黒い湖は、静かに揺れていた。




