第一話 終わりと始まり
ルナエ王国ミル公爵家嫡男。
――それが、今の私の肩書だ。
けれど。
本来の私は違う。
私は王女だった。
名前すら与えられることなく、生まれたその日に王家から切り離された第一王女。
そして前世では、ごく普通の女子高生だった。
名前は、佐藤真彩。
どこにでもいる高校生。
……と言いたいところだけれど。
一つだけ、普通ではないことがあった。
私は乙女ゲームが大好きだった。
中でも、人生を捧げる勢いで遊び尽くした作品がある。
乙女ゲーム――。
『ナエラ王国物語~戦場に舞う乙女~』
攻略対象はもちろん全員攻略済み。
隠しルートもコンプリート。
設定資料集も持っていたし、ドラマCDも集めていた。
限定版が出れば迷わず買った。
何度も同じルートを繰り返して、台詞まで覚えてしまうほど好きだった。
中でも一番好きだったのが――。
王国最強の騎士、レオン。
そのレオンが登場する後日談ドラマCDの発売日。
学校から帰った私は、浮かれていた。
「ふふん、ふふ~ん♪」
自然と鼻歌まで出てくる。
(帰ったらすぐ聴こう!今日はオール決定!)
そんなことばかり考えていた。
だから、気付くのが遅れた。
交差点へ突っ込んでくる、一台の車に。
「……え?」
視界の端に、車体が映る。
赤信号。
なのに。
車は止まらなかった。
ブレーキ音が響く。
タイヤが地面を擦る音。
誰かの悲鳴。
(えっ、ちょっと待って)
(うそ……)
次の瞬間。
強い衝撃が身体を襲った。
身体が宙へ浮く。
何が起きたのか理解する暇もない。
(これ……、死ぬ……?)
全身を激痛が貫いた。
視界がぐちゃぐちゃに揺れる。
遠くで誰かが叫んでいる。
けれど、声がどんどん遠ざかっていく。
(嫌だ……、まだ……、まだドラマCD聴いてないのに……!)
最後に浮かんだのは、そんなくだらないことだった。
意識が暗闇へ沈んでいく。
そして。
私の人生は、一度終わった。
◇◇◇
――次に目を覚ました時。
私は病院のベッドにいなかった。
天蓋付きの大きな寝台。
見たこともないほど豪華な調度品。
壁には美しい絵画が飾られ、窓には分厚いカーテンが掛けられている。
(……ここ、どこ?)
身体を起こそうとする。
けれど。
動かない。
(え?)
腕を動かそうとしても、思うように動かせない。
足も重い。
何より――。
身体が、妙に小さい。
(……何これ)
声を出そうとした。
「だぁ……」
自分でも驚くほど幼い声が出た。
(……え?)
その時。
誰かに抱き上げられた。
視界が高くなる。
そして、部屋の隅に置かれていた鏡が目に入った。
そこに映っていたのは。
小さな赤ん坊だった。
頬は丸く。
髪は柔らかく。
何より、私が知っている自分とは、まったく違う姿。
(……赤ちゃん?)
理解するまでに、しばらく時間がかかった。
ふと、一つの言葉が頭に浮かんだ。
(……転生?)
そんな馬鹿な。
そう思うのに。
目の前の現実は、それ以外では説明できなかった。
混乱している私の耳へ、女性の声が届く。
「おめでとうございます、王妃様」
「元気な女の子でございます」
その瞬間。
部屋の空気が変わった。
「……女?」
低く冷たい声。
寝台に横たわる女性――王妃が、こちらを見る。
その目に浮かんでいたのは。
喜びではなかった。
「女の子なの?」
「はい。母子ともに――」
「いらないわ」
短い言葉だった。
けれど、その一言だけで、十分だった。
私は何を言われたのか理解できない。
生まれたばかりなのだから。
でも、声の冷たさだけは分かった。
「私は男児を産むために、どれほど苦しんだと思っているの」
王妃は、私から視線を逸らす。
「その子は連れて行きなさい」
「ですが、王妃様……」
「見たくもないわ」
胸の奥が締め付けられる。
(……私、いらないの?)
まだ何もしていない。
何も知らない。
ただ生まれただけなのに。
その時。
大きな扉が開いた。
「リエラ」
部屋へ入ってきたのは、一人の男性だった。
四十代ほど。
豪華な衣装を身に纏い、周囲の者たちが一斉に頭を下げる。
――この国の王。
それだけは分かった。
私は、思わずその男を見つめた。
(お願い……、この人なら……)
(せめてこの人だけでも、私を認めて……)
赤ん坊の身体では、何もできない。
でもせめて、笑おうとした。
小さな口元を精一杯動かす。
私にできる、唯一のことだった。
王は私を見た。
ほんの一瞬。
そして。
「……女か」
それだけだった。
残念そうでもない。
怒っているわけでもない。
ただ、興味がない。
それが一番近かった。
「男児ではなかったか」
「はい」
王妃が答える。
「ですが――」
「もういい」
王は私から視線を外した。
「処分する必要はない」
「……え?」
侍女が戸惑う。
王は淡々と続けた。
「ミル公爵家へ渡す」
その言葉に、部屋の中が静まり返った。
「ミル公爵家……でございますか?」
「ああ」
ミル公爵家。
この王国でも最も古い家柄の一つ。
そして。
今の王にとっては、実の弟が治める公爵家だった。
かつて王位継承権を持っていた弟は、自らその権利を放棄した。
その代わりに与えられたのが、ミル公爵家の爵位と領地。
公爵夫妻には、まだ子供がいなかった。
「公爵家には後継ぎがいない」
王は事務的に言った。
「ならば、この子を後継ぎとして育てさせればいい」
「ですが、陛下。この子は女児でございます」
「だから何だ」
王の声は冷たい。
「女児だと知られれば、王家との関係を疑われる」
「……」
「王女として存在させる必要はない」
私は、何を言われているのか分からない。
ただ。
自分の人生について話されている。
それだけは理解できた。
「男児として育てろ」
王は、そう言った。
「ミル公爵には事情を伝える。公爵夫人にもだ」
「お二人には、真実を?」
「ああ」
王は迷うことなく答えた。
「この子が女であることも、王家の血を引いていることも知っておけばいい」
「そして、男として育てることも了承させる」
そこに迷いはなかった。
まるで。
一人の人間の人生ではなく。
余った駒をどこへ置くか決めているようだった。
私は必死に手を伸ばす。
「あ……」
けれど。
言葉にはならない。
嫌だ。
そう言いたかった。
ここにいたくない。
捨てないで。
そんなことを伝えたかった。
でも。
「だぁ……」
出てきたのは、赤ん坊の声だけだった。
王は、そんな私を一瞥した。
そして。
「名前は必要ない」
そう告げた。
「王女としては、存在しなかったことにする」
――名前すら。
与えられない。
「死産だったと処理しろ」
「そしてミル公爵家には、王家から預けられた子ではなく、養子として迎えさせる」
王はそれだけ言うと、もう私を見なかった。
私が泣いても。
手を伸ばしても。
何も変わらない。
王にとって私は。
生まれたばかりの娘ではなく。
王家に残しておく必要のない子供だった。
◇◇◇
その後。
私は何も分からないまま、王宮を離れることになった。
もちろん。
私に選択肢などなかった。
誰が私を抱くのか。
どこへ連れていかれるのか。
これから何と呼ばれるのか。
何も知らない。
ただ。
誰かに抱き上げられ。
誰かに運ばれ。
誰かの決めた場所へ向かう。
それだけだった。
そして数日後。
私はミル公爵家へ引き取られる。
そこで初めて。
私の人生に――名前が与えられることになる。
ここから、私の長い長い人生が始まった。
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