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学園への帰還

 王都を出るとあたりは寂しかった。秋に寄子の家をまわり、王都に寄ると季節が一つ巡ってしまったのだ。学園が近いこともあって一度復学することに決めた。

 

「屋敷はアルガノドに建てさせるとして、アルガノドにも自警はいたから検問所を敷きましょう。アイビスのいる周辺は敬語を徹底したいわね……人の出入りを見張らせて……アイビスの屋敷にも警備をおきましょう。周辺を嗅ぎ回る不審な人物がいれば尋問ね。後は……」

 

「エノール様、学園についたようですぞ」

 

「ありがとう、バルター」

 

 商会に頼んで引越しの手配をすると、とりあえずアイビスとその息子に関してはアルガルド家の屋敷に匿うことになった。次の活版制作を依頼して、アイビスの屋敷ができるまでアルガルド家の屋敷で作業をしてもらうことになる。

 

 屋敷と商会への手紙を送った後、学園へと赴いた。季節は冬、木枯らしが吹き荒ぶ学園の敷地に足を踏み入れたのはおおよそ一年ぶりである。

 

 長かったような短かったような。仕事をしているとあっという間に時間が進んでしまうので、一年経ったというのが嘘のようだ。学園は以前と変わらない姿でそこにある。

 

 ──学園ではやはり歓待された。


 久しぶりに登校すると学園側も生徒も驚いていて、すぐに人だかりができてしまった。

 

 レガルドにはいち早く文を送っていたので、落ち着いた様子で歓迎される。久しぶりの学園はどこか懐かしかった。

 

 なんでも私が続けていた麦栽培が教育の一環として導入されることになったそうで、一人ひとりがさまざまな土地の土壌で麦を育てている。一年前には見られなかった光景だ。自分がいない間に随分と変わったようである。

 

 変わったといえば、男女の距離感が少し縮まっていた。ここに通う子弟は将来が決まっているようなものなので恋にうつつは抜かせないが、子供の時のちょっとした遊び程度ならと学園側も少しは許しているようである。尤も、本当に話す程度だが。

 

 授業はかなり進んでいて、四年生の後半ともなると軍事の授業は私には難しくなっていた。基本的な概念や教科書程度のことはできるが、実践的なことは難しいかもしれない。

 

 対して、レガルドはそれをしれっとこなしていた。私がいない間にクラスで一番になったらしい。私はそんな婚約者をいじり交じりに褒め称えた。

 

「ごきげんよう、学年主席様?」

 

「よしてくれ、君の方が賢いんだから」

 

「あら、嫌味かしら。私は久しぶりの軍事の授業に唖然としたというのに、レガルドは逞しく手を上げていたものね? 私、感心しちゃったわ」

 

「ありがとう。君の夫に相応しくなれるよう頑張れたかな」

 

 そんな言葉に思わず頬を緩めてしまう。気を引きたくなるようねクールビューティ(自画像)を気取っていたのに、はしたないことだ。

 

 そんなふうに自虐しながら、それでもどこかこのくすぐったい空気を快く思っている自分がいる。

 

「君の誕生日には婚約を宣言してもらうと父が息巻いていてね。俺の方も今まで何の音沙汰もなかったのに、君との縁談があってからは父からひっきりなしに手紙が届くんだ」

 

「公爵が心配せずとも、私がレガルドを逃すなんてあり得ませんのに」

 

「俺もだよ。君はもう逃さない」

 

 ダンスの時のように腰に手を回されて私は口元を釣り上げてしまう。

 

「あら、なんて情熱的な誘い文句」

 

 人の前だからこそ、歌劇でも唄うかのように掛け合う。そのまま情熱の視線を絡めあって、私はレガルドの腕の中から抜けて踵を返した。

 

「次は刺繍の授業なの。ごめんなさい」

 

「ああ、エノールも頑張って」

 

 レガルドも乗馬の授業となって訓練場に急ぐ。この一年でレガルドは苦手な乗馬を克服していたようだった。

 

 ──令息が訓練場に向かう途中、この一年でかなり仲良くなったうちの一人が声をかけてくる。

 

「あーあ、いいなーレガルドは。エノールさんと縁談できて、もう婚約なんだろ?」

 

「父上が急いでいるんだ。もうすぐにでも婚約しようという父を、アルガルド伯爵が止めたらしい」

 

「よくやるよな、公爵なんて伯爵の二階級上だぜ? 俺なら口答えできねえよ」

 

「アイジス様は娘思いなんだろう。俺もよく父を諌められるものだと思ったよ」

 

「伝統ねぇ……もう関係ないんじゃねーの?」

 

 マルデリア家率いる派閥が中心となってこれまでの慣習を過去の遺物として無視する風潮が広まっていた。

 

 元々は王国が貴族の力を削ぐために無意味に広めた慣習だが、それによって王家の縁者である公爵が制限を受けるのは道理に合わないとしている。

 

 対して、ピレライン家が擁立していた公爵の所属する派閥は伝統主義を掲げ、そういった革新的なマルデリア家派閥と政争を繰り広げている。マルデリア家としてはアルガルド家にも革新側の態度を占めてして欲しいのだが、下手な謂れを回避するのなら慣習を守っておいて損はない。

 

 元々、十五婚約十八結婚というのはそれほど損でもないのだ。それでエノールが社交界でやりやすくなるというなら、公爵相手といえど引く気がなかったのが伯爵のアイジスである。

 

 一つの慣習をめぐっても派閥争いが起きていた。それは元が外部だったアルガルド家にも影響が出ている。

 

「そうも言ってられないだろ。王宮派閥ならまだしも、それ以外ではまだ慣習を大事にする傾向があるんだ。名が落ちているアルガルド家を率いるなら、エノールが慣習を守るのが一番安全だ。謂れのないことを囁かれなくて済む」

 

「アルガルド家ねぇ……なんでそもそもアルガルド家は『王族殺しの末裔』とか『王を裏切った一族』とか言われてるんだ?」

 

「それは……」

 

 ──エノールのいる教室では、久しぶりのエノールの帰還に周囲の生徒達が湧いていた。それをアルベレット先生が諌める。


「エノールさん、あまり周囲をざわつかせないでください。授業ができません」

 

「すいません……」

 

「本当はアルベレット先生が一番楽しみにしてたのにね」

 

「本当、昨日の授業とか上の空だったのに」

 

「何か言いました?」

 

「「いっ、いえ!」」

 

 教師の暴露話を噂して釘を刺される二人を見ながらエノールは苦笑いを浮かべていた。どうやら自分の帰りはアルベレット教師も待ってくれていたようである。

 

「ただいま帰りました、アルベレット先生」

 

「……おかえりなさい、エノール」

 

 その夜、エノールはアルベレット教師の元を訪ねた。

 

「先生、失礼します」

 

「入りなさい」

 

 許可があってエノールはドアを開ける。アルベレット先生は寝巻きに着替えていて、どうやら寝るところだったようだ。

 

「あっ、すいません、夜半に。眠られるところだったのですね」

 

「いいです、それよりなんですか?」

 

「えっと……私はしばらくの間、学園に通おうかと思います。五年生に上がればすぐに卒業となりますから」

 

「……そう」

 

 アルベレット教師はエノールに目線で『それだけか』と尋ねる。

 

「えっと……終わりです」

 

「……」

 

「夜遅くにすいませんでした。失礼しま──」


「ちょっと、こっちへいらっしゃい」

 

「はい?」

 

「はやく」

 

 アルベレットは近くに置いてあったくしを取る。

 

 エノールはアルベレットの呼び止めに振り返り、綺麗な所作で側によった。アルベレットが指導した歩き方である。

 

「綺麗になりましたね、エノール」

 

「ありがとうございます、お姉様」

 

 自分をお姉様と呼ぶことも、呼び捨てにすることも、生徒の中で許したのはエノールが初めてだった。

 

 アルベレットはエノールの茶髪の髪を櫛でときながら慈しむように声をかける。

 

「貴方は……問題児でした」

 

「あはは……」

 

「入学早々いざこざを起こして、アリスベリアが泣いていた時は貴方が泣かせたと思いました。彼女が法衣貴族の生まれで、貴方が伯爵家の生まれだからです」

 

「はい」

 

「しかし、実際は違いました。伯爵家の娘である貴方の方がいじめられていて、法衣貴族の娘たちにいじめられていました」

 

「アリスさんは今では友達ですけどね」

 

「……それもまた、貴方の度量です。いじめられてもなお、貴方は意に介していませんでした。それどころかおかしなことが次から次へと発覚して……私は内心頭を抱えていたのですよ?」

 

「すいません……」

 

「……けど、貴方は成長した。淑女の嗜みも知らない愚鈍な娘だと思っていたけれど、実際は背負わされたものが違っていただけ。女でありながら男が背負うものを背負わされていたから、貴方は女の身で女らしくなかった」

 

「そこまでですか?」

 

「そこまでです」

 

 振り返るエノールにアルベレットが真顔で答えて、エノールは苦笑いした。

 

「けれど、貴方に淑女の嗜みもきちんと学びなさいというと貴方はその通りにした。今日の刺繍は見事でした。周囲の生徒も感心していましたよ」

 

「それは……ありがとうございます」

 

「貴方の頑張りです。私のではありません。それをちゃんと誇りなさい」

 

「……はい」

 

 噛み締めるようにエノールは答える。

 

 アルベレットは続ける。

 

「……机に花束が置かれていたあの時、私は頭が真っ白になりました。まさか、そんなことをする生徒がこの学園にいるとは思わなかったからです」

 

「そうですね」

 

「でも、貴方は挫けなかった。それを私は誇りに思います。そして、すいませんでした。私は結局、私の手で彼女を更生させることができなかった。ギャーヴェを……没落の道へと招いてしまった」

 

「そんな、お姉さまは悪くありません。手を尽くしてくださって……」

 

 アルベレットは首を振る。

 

「教師である以上、誰も取りこぼしてはなりません。たとえどんな悪辣なことをしようと改心させ、反省させ、二度としないと誓わせる。それが教師です。しかし、結局被害者である貴方に事後処理を任せる形となり、ギャーヴェもああなってしまった……教会の方に送られるそうです。改心の意味を込めて」

 

「……そうですか」

 

「貴方のせいではありません。彼女が道を誤ったのは彼女のせいであり、それを軌道修正できなかったのは私の責任です」

 

「……」

 

 エノールはそんなギャーヴェの失態を利用してギルベルト達を集め、今はアルガルド領の改革を進めさせているのである。毎月お給金を支払わせ、マルデリア公の求めに応じて内偵までさせる。

 

 ギャーヴェが『葬式の花束』事件の犯人であったことにエノールは喜んでいたのだ。ちょっとした意趣返しと実利の両面を満たせる状況だと、エノールは悲しむよりも先に損得計算をしていた。

 

 そんな中、ギャーヴェの未来を真に案じ、導けなかったと後悔するアルベレット教師の姿はやはり清廉で、だからこそ自分では届かないと思うのだった。

 

「……アルベレット先生は凄いですね。自分は、そこまで清くはあれません」

 

「何を言っているんですか。言ったでしょう? 腹黒くない女などいない。それに『水清ければ魚住まず』ともいいます」

 

「『水清ければ月宿る』とも言いますよ」

 

「そうですね、本当に博識です。しかし、貴方は次期当主。貴方が抱えるべきは『魚』であって『月』ではありません」

 

「……そうですね」

 

「自信を持ってください。私は自分が送り出した生徒は大抵誇りを持っていい子達だと言えますが、その中でも貴方はとびきり優秀です。十五歳になったらレガルドとの婚約も発表されるのでしょう? なら、自信を持ちなさい。貴方にはそれだけの才がある。度量がある。何より努力家で、私はいつも見ていました。大丈夫、きっとやれます」

 

「お姉様……」

 

「エノール、後数ヶ月ですがよろしくお願いします。せめて、学園での日々を楽しんでください」

 

「……はい、お姉様」


「……応援していますよ、我が妹」

 

 その日初めてアルベレットはエノールのことを『妹』と呼んだ。

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