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転職市場と人材育成

 エノールは学園を出発する前に少しだけレガルドと話をしていた。馬車の中で二人身を寄せ合い、濃厚なキスをする。

 

「んっ……」

 

「んっ……エノールは酷いな。俺も参加していいって言ったのに、採用する気がなかっただなんて」

 

「ごめんなさい、本当に採用する気があったのは嘘じゃないのよ。貴方にも恥をかかせたくなかったし。ただ……貴方が忙しくなると、二人の時間がさらに減るでしょ?」

 

「……」

 

「私は……きっとこれからも忙しいわ。領地のことがあらかた片づけば、今度は伯爵として貴族とのコネクション作りをすることになる。次は王家……時間がいくらあっても足りないのよ。そんな中で貴方が領地に縛られでもしたら……」

 

「どうしてそんなに急ぐんだ? 大変なのはわかるが」

 

「……」

 

 エノールは少しだけ沈黙した。

 

「……貴方にこれを話すのはもう少し先だと思っていたけど、少しだけ話すわね」

 

「何?」

 

「私は死ぬ」

 

「……何を言ってるんだ?」

 

 レガルドの声は震えていた。

 

「……ごめんなさい、不安にさせてしまったわね。安心してちょうだい。すぐすぐ死ぬわけじゃないから」

 

「そ、そうだろ。病気とか、そんなんじゃないよな? 治らない病気とか……」

 

「大丈夫よ。体は至って健康……だと思う。多分。少なくとも把握している中で病気はないわ」

 

「なら……」

 

「人はいつか死ぬって話よ。だから、すぐにでもやらないと」

 

「なんだ、そんなことか……びっくりしたじゃないか」

 

「あはは、ごめんなさい……」

 

 エノールは途中で誤魔化すことにした。レガルドがあまりにも悲壮な顔をするから、今の、十四歳の彼には荷が重すぎるだろうと考えて。

 

「レガルド、愛しているわ」

 

「ああ、俺もだ」

 

「……男らしくなって、私、手籠にされそう」

 

「あはは、婿に行くのは俺だけど」

 

「……もう」

 

 それから二人は二十分間熱いキスを交わした。

 

 

 

 

 エノールは屋敷に帰っていた。自室でアイシャと談笑している。

 

「それでね、レガルドったら私のことを離してくれなくてね、ずっとキスばっかりするの」

 

「お幸せそうですね」

 

「もう手も出していいのに……いやまあダメなんだけど、そういう身持ち固いところも素敵でね。あと、レガルドってあれでいてテクニシャンなの。すっごいキスにバリエーションがあって、私驚いちゃって、あんまり楽しませてくれるもんだから私も夢中になっちゃって、泥みたいに唇を重ねてね──」

 

 アイシャは主人の惚気話を聞くのも使用人の勤めだと思った。

 

「失礼します、エノール様。従者ロンダーが執務室でお待ちです」

 

「え? もうそんな時間? 早いわね、もう少しゆっくりしてくれてもいいのに」

 

「エノール様があんまり仕事が早いものですから、ロンダー殿も張り切っておられるようです」

 

「まったく……せっかちな男は嫌われるって知らないのかしら」

 

 エノールはすぐに執務室へと向かった。

 

 

 

 

 

 アルガルド家の執務室にはエノールが椅子に座っていた。目の前には経済学者のロンダーが立っている。

 

 部下に呼び出されたエノールは紅茶を一杯飲んで目の前の部下に向かい合った

 

「ロンダー、これから領内の経済状況についてまとめるわ」

 

「はっ」

 

「まず、産業構造から。第一次産業から第三次産業の発展状況を教えて」

 

「まず、第一次産業の農業・牧畜ですが、アルガルド領ではもっぱら麦の栽培が主流です。下流域が麦畑に陣取られているものの、エノール様の取引規制の効果もあって麦の供給は安定しています。しかし、作物の多様性がないこと、牧畜に関しては生産量が芳しくないことが挙げられます」

 

「そういえば遊牧民が毛糸を生産する家畜を飼っていたわね。あれはどうなの?」

 

「遊牧民との交易によって我が領内にもたらされています。貴重な生産源ですから、有益であることは変わりません。しかし、大抵の場合は交易によって領外に流出しております。通貨獲得に貢献してはいますが、領内の産業を支えるには至りません」

 

「縄張りの問題もあるから……草原を利用した牧畜はやめておいた方が良さそうね」

 

「左様かと」

 

「多様性の問題は土壌との兼ね合いもあるから致し方ないと思うけど、貴方はどう思うの?」

 

「私も今後十年程度は致し方ないと思っています。しかし、技術発展による将来性は残されていますから諦めるのも早計かと。十年単位ディケイドスケールでの発展を見込まれた方が良いかと思います」

 

「単純に麦栽培にだけと舵を切るのは危ないってことね」

 

「エノール様が以前おっしゃられていた二期作……などに関しては、現在利用されている麦は一年を通して栽培するので土地利用の観点から不可能かと。同じく二毛作も同様です」

 

「輪作も畑が合うかわからないしね。現状維持として麦栽培の拡大を目標とするので当面はいいかしら」

 

「問題ないかと。第二次産業に関してはエノール様が下地を作っている最中にございます。しかし、第一次産業がもう少し盤石化しなければ、労働力や購買力をそちらに集中できません。業界としてまだ貧弱かと……」

 

「財政政策で民を潤して購買力を養った後に大量生産方式で刈り取るのが良さそうね……ただ、こっちで刈り取りすぎると他が育たないから市民の購買意識を植え付けるところに焦点をおきたいわ。そうなると安価な商品が好ましい……分業制を広めるべきね」

 

「分業制ですか?」

 

「ええ、規模の経済性の前提条件よ。大規模工場分業制マニュファクチュアを資本家に広めることで安価な物資を生産するわ。ただ、質の面で問題が残るのよね……」

 

「申し訳ないのですが、エノール様。できれば私に説明していただけると……」

 

 ロンダーは知識人として雇われたのに、その雇い主の話についていけないのは沽券に関わる。最低限理解できるようにならないといけない。

 

「ああ、そうよね。規模の経済性は生産規模が大きいほど生産コストが下がること。特に、分業制は学習効果によって生産効率がぐんと上がるから、規模の経済性は遺憾なく発揮される。分業制の重要性を説いた人は、それで商品の生産を二百倍以上効率化したというわ」

 

「に、二百倍ですか……⁉︎」

 

「驚くことじゃないわ。分業制は柔軟性と引き換えに効率を高める。単純な職務ほど効率は高まるはずよ。貴方達だってやってるじゃない」

 

「え?」

 

「農民と雇用主の関係、あれこそ分業制よ。営業と生産の分業、それによって効率化している。領内全員が手工業も商業も農業も携わっていたら効率なんてないも同然だわ」

 

「それはそうですね……」

 

「まあ、需要がないことには事業は始められないわね。第二次産業は業界として成熟するのを待ちましょう。商人達に任せればいいわ。それで、第三次産業は?」

 

「……そちらは専ら性風俗業界となっております。やはり根強い人気を誇るかと」

 

「いっそのこと税をかけようかしら」

 

「えっ」

 

「前にバルターに聞いたけど、何もしてないみたいなのよね。王命の名の下に徴税すれば案外いけるんじゃないかしら」

 

「そ、それだと我々まで彼らの手先だと思われてしまいます! 売春による金を受け取るなど──」


「あら、王国によれば『貴族は売春を取り締まる義務がある』のよね?」

 

「え、ええ。そうです。だからこそ……」

 

「なら、税ではなく罰金という名目にすれば容易いわ。我々はこんなに罰を与えてるんだって言えばいいのよ。あんまり締め付けると裏営業が横行するから、ある程度の管理下において徴税すれば問題ないわ」

 

「エノール様、しかしそれでは伯爵家の家名に泥を塗ることに」

 

「あら、誰が泥を投げるのかしら」

 

「それは……」

 

「言いなさい。誰かしら」

 

「……周囲の貴族などが、話を聞いて突いてくるやもしれません」

 

「それで? さっきの大義名分で言い返せると思うけど?」

 

「……かしこまりました」

 

「大体、ああいうのって放置してると犯罪組織の温床になるのよ。ちゃんと管理してみかじめ料取っておかないと大変だわ。その代わり、ある程度は守ってあげないとね。『婦女暴行の取り締まり』とかいって彼らの営業を保護するとか」

 

「……エノール様にお任せします」

 

「あら、拗ねたの?」

 

「……」

 

 ロンダーはなんでこんなことになったのかと内心頭を抱えた。

 

「まあ、そっちは商会と街に話を通さなきゃね。それじゃあ産業状況の確認はおしまい。次よ、貴方にはこれからアルガルド領で足りないものを考えてもらう」

 

「足りないもの、ですか?」

 

「ええ、それにはまず市場について教えないとね。貴方は市場についてどんな見識を持っている?」

 

「……商人と庶民が売買をする上での舞台、これが整っていないと経済活動が成り立ちません」

 

「概ね正解ね。私は『需要と供給のマッチング機能』というふうに理解しているわ」

 

「需要と供給のマッチング……またおもしろい事を考えますね」

 

「ええ、私もそう思うわ。そして、取引をする上で必ず必要な三つのものがいる。それが何かわかる?」

 

「……人、金、商品ですか?」

 

「正解。この三つが揃っていないと商売は成り立たないわ。むしろこの三つさえ揃えば基本的になんでもできるというのが統治学のいうところなのだけれど……商品はしばしば『物』という形態を取る。需要と供給のマッチングは商品を持つ人と金を持つ人を引き合わせること。つまり移動させなきゃいけないわ。だから、『人』『物』『金』の流動性が大事になってくる」

 

「だからエノール様は物流が大事だとおっしゃるわけですね」

 

「そういうこと。物流は商品や人、金を一緒に運んでくれるからね。そっちはネルコに投げてるけど」

 

「ネルコにですか?」

 

「ちょっと前にネルコを屋敷に呼びつけたのよ。それで事業報告をさせて、馬のレンタル業と馬に対する保険業、それから財産の委託業務なんかをやっていたわ」

 

「すべて交易商に対する事業ですね……」

 

「経済圏で活用されていない馬を貴重な労働力として活用して、保険業によって稼ぎを得つつ物流を促進する。どちらも素晴らしいわ。経済の発展を促すような事業をしろと言ったけど、ここまで達成してくれるとは思わなかった。財産の委託業務も市場で放置されている資産を運用して利潤を上げているし、まあそっちは銀行の預金業務で大体できるようになるから、いい感じのところで撤退を始めて顧客はこっちに誘導するように言ってあるけど、ともかく運送業と保険業はとりあえず領地全体に広げるように言っておいたわ」

 

「りょ、領地全体ですか……」

 

「ええ、伯爵家の公共事業として進めるわ。レンタル業の形をとるけど、伯爵家の所有馬も増やして物流を促進させたいところね。で、よ。これらは市場の物理的流動性を促進するわけだけど、他に問題点はある? 市場の独占は金銭の流通が滞るうえに市場のマッチング機能を衰退させるから禁止する方向で動いてる。それ以外で市場を更に流動的にする方法はないかしら」

 

「……一点、人の流動性に関してですが」

 

「何?」

 

「運送業を利用するのは大抵、行商と相場が決まっております。庶民が利用するにしても範囲は限られており、庶民の行動範囲の狭さを考えれば流動的とは言えないかと」

 

「ふむ……どうしたらいいと思う?」

 

「……職などを変えればあるいは。ただ現実的ではないと──」


「転職市場の開発ね。盲点だったわ」

 

「まさか、本気ですか⁉︎」

 

「何よ。貴方が言い出したんじゃない」

 

「それはそうですが……難しいと思いますよ」

 

「なぜ?」

 

「まず一つが住居の問題、二つが金銭の問題、三つが雇用先の問題です。これらのハードルがあるからこそ人は別の場所に移り住もうとは考えないのですから」

 

「なら、それをどうにかすればいいのね。宿舎を附属した職業訓練施設を各地に建設しましょう。求人募集を集めて伯爵家からも公共事業を打ち出す。領内に失業者はどれくらいいるかしら」

 

「まま、います。職を失ったものは大抵が盗賊や強盗などの犯罪者に……」

 

「失業者政策は考えていなかったわ。それが治安改善につながるのであれば市場の流動性確保にもつながるわね。ネルコにも指摘されていた点だもの」

 

「まさか、本気でやるおつもりですか……?」

 

「そう言ったはずだけど?」

 

「……」

 

 転職というのは大変なのだ。余所者というだけでどこも煙たがってくる。日雇いを探している店もあるが、そう言った店は長期にわたって雇用する事をしない。

 

 だが、ロンダーはなぜだか予感がする。この少女の手にかかればその問題も解決してしまうんじゃないかと。

 

「伯爵家からの公共事業を失業者のセーフティネットにしましょう。そしたら、常に仕事の打診をしている状況がいいわね。人手がいくらあっても困らない事業って何かしら。できれば経済の発展に寄与する事業がいい」

 

「……やはり、治水や道路工事などではないですか? 各地で指導できる人間も雇って工事を進めさせればいいと思います」

 

「そうね。他には……草刈りなんてどうかしら」

 

「草刈りですか?」

 

「あと、肥溜めの管理も。年中やれる仕事だし、干からびた草も焼いて灰にすると畑が豊作になるのよ。それを伯爵家が買い取る。公共事業の財務管理と賃金の支払いも職業訓練施設に任せましょう。それから求職者を集めて加入申請によって失業者数の統計を取らせる。人材の育成もしたいわね……読み書き・計算なんてどうかしら。どこに行っても腐らないでしょう」

 

「ええ、まあ役に立たないということはないでしょうが……」

 

「なら、加入者に対する教育も任せないとね。そうなると、職業訓練施設は事務仕事と財務管理、求人募集の管理に加入者への仕事の斡旋ね。加入者が雇用される時は一ヶ月は体験労働期間としましょう。食料はこちらで配給して、一ヶ月試しで雇用できるとなれば施設加入者の起用にも積極的になるわ。気軽に求人募集も出せるだろうしね。なら、下手な人材を寄越すと信用に関わるから信頼できる人材を職員として雇わないと……町長にでも紹介させましょう。それからお試し労働期間を悪用して無償で加入者を取っ替え引っ替え働かせ続ける悪徳雇用者も出てくるだろうから、契約破談が続けばレッドリスト・ブラックリスト入りを検討させましょう。財務管理をするなら用心棒も必要だから──」


「……」

 

 ロンダーは少女の頭の中でどんどんとアイデアが溢れる様を眺めていた。彼はこういうのが天才なのだと悟る。そんな人に自分は仕官してしまったのだ。

 

「……」

 

「ロンダー、聞いている?」

 

「は、はい!」

 

「貴方には領地の街を全て回ってもらうわ」

 

「……は、なんと?」

 

 ロンダーは目を丸くして聞いた。

 

「だから、貴方が町を回って求人市場を調査していらっしゃい。職業訓練施設の候補地選定と管理者候補のスカウト、後者は町長にも調べさせておくけど貴方が直接見ていらっしゃい」

 

「な、なんで私が⁉︎」

 

 悲鳴のような声をロンダーはあげた。

 

「だって、今屋敷で動かせるの貴方ぐらいしかいないもの」

 

「……」

 

「ほら、さっさと支度なさい。施設の条件は求職者がたむろできる場所があって、教育する十分なスペースがあって、近くに宿舎になる物件があるかどうかよ。管理者は最優先に読み書き・計算ができる財務管理と仕事の斡旋を任せていい人間。次に人当たりがいい人よ。賃金は月に金貨二枚、二人以上雇うからそのつもりでね」

 

「まっ──」


「ほら、行ってらっしゃい」

 

「……」

 

 ロンダーはとんでもない人に仕えてしまったと思った。

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