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事後処理

「ん〜、朝のお風呂はやっぱり気持ちいいわね〜」

 

「……」

 

「……エノールちゃん、大変だった?」

 

 私は俯いて、水面に浮かんだ自分の顔を見る。暗くてよくわからない。

 

「……はい」

 

「そっか……」

 

 母はじゃぶじゃぶと水音を立ててこちらに来る。やはり、同性でも惚れ惚れしてしまうような肉体だった。

 

「ぎゅーっ」

 

「……」

 

「エノールちゃんは一人じゃないからね。私たちがいるから」

 

「……はい」

 

 私はゆっくり母に抱きついた。

 

 

 

 

 

 お風呂から上がると、私は父のいる執務室に来た。ドアをノックして、許可の返事があった後、中に入る。

 

「失礼します」

 

 私は行儀良くカテーシーをした。

 

「……お疲れ様だった、エノール」

 

「……ありがたきお言葉」

 

「かしこまるな。お前と、腹を割って話がしたい」

 

「……はい」

 

 父が切り出したのは領地のことだった。

 

「今回、病の死者が出たのは町の四割、村の三割。これをどう見る」

 

「……なんともいえません。病の強さによって程度が変わりますから」

 

「なるほど。なら、感染地での死者が全体の三割。これについてはどう見る」

 

「……それは、私の想定する病気では小さい方なのかもしれません。致死率については調べておりませんでしたが」

 

「ふむ」

 

 父は、アイジス・アルガルドは机に肘をつく。

 

「私はこの件を高く評価している」

 

「……」

 

「寄子であった男爵領と子爵領の一部が、おそらく我が領地でも蔓延したと見られる病気によって壊滅している。死者は聞くところによれば半数以上、全員が病に倒れていたとしても死者数は全体の五割を超える」

 

「……そうですね」

 

「対してうちは、感染者を全体の五割に止め、そのうち死者は三割ほど。感染率もそう高くはない。死者数は全体の一割にも満たないだろう。これを、私はアルガルド家の伯爵として王国でも屈指の手腕だと思っている」

 

「お言葉ですが、お父様。感染地は上手くやれば三割にとどめることができました。感染地での罹患率、死者率もまたこれより一割以上下げることができました」

 

「だとしてもだ。いや、むしろそれが可能であるというのが手腕に対する評価だ。往往にして理想通りにはいかないもの。その上でお前は病による死者を一割にとどめた。これは誇るべきことじゃないのか?」

 

「それは……」

 

「……マルデリア公爵家との縁談が決まった。十五歳、エノールが成人した時に家督を譲ることとする」

 

「そんな!」

 

「私ではもう手に余る。お前に手紙で指示されて、ようやく具体的な施策が打ち出せた。私は……少なくとも領地を守る領主としてはお前に劣る。公爵家にしても、嫁入りなのか婿入りなのか早く具体的なところまで確定させておきたいそうだからな」

 

「っ……」

 

 マルデリア公爵が私とレガルドの婚約を早く確定させたいのは知っていた。父が私に対してある程度の劣等感を抱いているのも感じている。

 

 しかし、あまりにも早すぎる。普通なら家督受け継ぎは十八歳から。

 

 たった三年の違いだが──当時者である私にとっては急な話だった。

 

「……分かりました。謹んでお受けします」

 

「私もお前が領地にいられない時は代理として働く。私もできることをやろう、この領地のためにな」

 

「ありがとうございます、父上」 

 

「エノール、お前には自信を持って欲しい。お前は私の誇りだ。愛すべき娘だ。お前は良くやっている。それを自分でも認めてやれんか?」

 

「……」

 

「……分かった。すぐにとは言わん。だがな、父として私を──頼りないかもしれんが、頼ってほしい」

 

「そんな……ありがとうございます、お父さま」

 

「ふっ、一度ぐらいお父さんと呼ばれてみたいものだ」

 

 伯爵は笑った。

 

 

 

 

 

 アイジスはエノールの相談によって被害を受けた寄子に対し食糧支援と有償の資金提供を行なった。アルガルド家が商会との借金を仲介したのだ。

 

 これにより、商会は男爵や子爵に対して融資の機会と利息の交渉権を得た。動かす金額は一介の商人のそれではない。その莫大な利潤により、エノールはまたも商会に恩を売ることができた。寄子も伯爵家──特に仲介を担ったエノールに多大なる恩ができたことになる。

 

 更に、商会の資金力を注入して病によって被害を受けた町や村の復興を行なった。緊急時における食糧支援や物資提供も含めて、破産した騎士達の分を補填したエノールは借金が膨らんだわけだが、その代わり領地内のほぼ全ての実権を握った。

 

 騎士達はまだいる。しかし、破産申請によって彼らの土地の権利は全て伯爵家に移動したのだ。残る騎士達も後四名となっては今のアルガルド家に歯向かえないだろう。各地で水増しされていた税を元の基準に戻し、一時的にだが被害の甚だしい地域については税率を緩和することにした。

 

 今回の病についてマルデリア家やピレライン家に意見を求めたが、あまり聞き馴染みがないという。貴族は庶民の生活や領地ではやっている病について実はあまり知らなかったりするので、もしかしたら他の領地でも流行っているのかもしれない。

 

 とりあえずエノールは今回の病を『黒死病』と命名して、この病気について有力な情報を提供した診療所の医者については報酬金を出すとしたが、そちらに注力しすぎないようにとも伝えた。

 

 エノールはこの時代の医学では解明し得ないし、したとしても技術力が足りないと踏んだのだ。必要なのは早期発見、完全な隔離、回復が見込める病人に対する十分な栄養補給と遺体処理の徹底であると手紙で伝えた。

 

 またしばらくは礼儀に反しない限り外では口布を着用することを義務化した。領内では酷い騒ぎとなったため、被害地では住民自ら意識が高まり、被害をあまり受けていない土地でも風聞でその凄惨さを聞いて気をつけるようになった。

 

 庶民でもできる消毒方法は『外から帰ってきた後と食事前に石灰を十分に混ぜた水で手を洗うこと』だけ。口布の着用義務化によって口頭の会話により直接の飛沫感染と、手洗いの習慣づけによる体表面についた飛沫や接触による感染を防げば十分だった。コレラや破傷風の原因になる糞便についても既に対応済みだ。

 

 感染拡大の最中で対応に追われる医者達は病人の髪、糞便、体液、その他触れたもの、体の一部全てが病気の源となるというのが驚きだったそうだ。微量でも感染の可能性があると伝えると、そこまで徹底しているとは思わなかったと直接言われた。

 

 エノールは今回のような重病者であれば特に、嘔吐による吐瀉物や下痢などは適切に処理し、殺菌・消毒に努めるようその方法も明記した。

 

 ギルベルト達農学者は被害なかったようで、ネルコに関しても無事だった。ロンダーは学園においてきてしまったが、大丈夫だろうかとエノールは心配する。

 

 そして、特にエノールが気を使ったのは死ななかった感染者である七割の人間達だ。彼らは全体の七割に及ぶ。外見の醜悪化、難聴、視力低下、脱腸など日常生活で支障をきたすほどの後遺症を抱えている人たちもいる。

 

 働ける人たちに対してはエノールが騎士領の実権を持った後、診療所を介して金銭面の支援もした。無利子・無期限、借りる上限金額はあるが生活を立て直す上で必要と判断されれば地元の住民であるという条件のもと融資がされる。

 

 復興の際もしばらくは食糧支援を行い、領主として領民を見捨てない姿勢をアピールした。更に診療所と町長を通して感染して生き残った人たちへの差別をやめるように促した。恐れるべきは病であって、人ではないと。

 

 生き残った彼らも被害者なのだというふうに言葉を届けた。信頼する医者から言われ、また領地を救った伯爵の言葉とあって水面下で嫌悪感を募らせたりはするものの、表立って彼らを非難する者はマイノリティとなった。

 

 これから伯爵家は領地経営によって借金を返すことになる。そこで真価を見せてくれるのはギルベルトを筆頭とした農学者、事業家のネルコ、そしてお抱え経済学者のロンダーだ。彼らが領地改革に必要なのである。

 

 エノールが学園で育てていた麦は夏には収穫期となっていた。石灰を混ぜて効果が出たところとそうでないところが出ていたため、その土の由来である土地は土壌が酸性に傾いているのだろう。調べてみればピンポイントにその地域は実りが少なかった。

 

 それは対応に追われていたエノールのひと時のささやかな和みだったが、ようやく実を結べる時が来たのである。農学者達はもう気づいているかもしれないが、該当地域に石灰を送りつけよう。耕作の際に土作りの時に撒かせるのだ。

 

 耕作物の成長に不可欠なリン・窒素、そして弱アルカリ性の土壌。二毛作や輪作なんかをやってもいいかもしれない。自分は専門外なので詳しいことはわからないが同じ作物を育て続けると畑が痩せ細ると聞いたことがある。農学者達に打診してみよう。

 

 しばらくは農地改革と耕作地の拡大、経済の透明化と事業推進、潤沢になる財政を使った財政政策と経済活動に対する課税が課題だろう。本当は明確な測量技術の確立と行政的な経済活動の管理、領札の発行とそれに伴う金融政策も視野に入れたいのだが、管理には人材が必要な上、金融政策は一歩間違うと領内の経済を一気に崩させる。

 

 エノールは今回の事後処理と今後の計画の立案を終えて、屋敷を出発した。道中も仕事をして考えることをやめなかった。

 

 それは、そうしてないと駄目だったのだ。

 

 

 

 

 

 エノールは深夜に学園にたどり着いた。馬車の中には乱雑に紙が散乱している。

 

 目的地に到着し、エノールは散らばっていた紙を集め出した。そうして、エノールは二ヶ月ぶりに学園に帰ったのである。

 

 エノールのやることは山のようにある。騎士達から実権を取り戻した以上、やれることが増える。とりあえず借金を返すために領地改革に本格的に着手しなければならない。それから寄子の家を巡って根回しを進め、エノールの十五歳の誕生日に備えなければならない。すぐにでも家督を継ぐことになってしまったからだ。

 

 父親にはこれからエノールが留守の間の領主代理として仕事をしてもらわなくてはならない。法律の明文化とその流布、地方裁判と領主裁判の二審制の導入によって領主は係争の仲裁まで担わなければならなくなるのだ。常に屋敷には領主の立場で誰かが控えていなければならなくなる。エノールが忙しい時はこれからも父に頼むことになるだろう。

 

 仕事は膨大だ。農地改革、経済改革、法整備に金融改革、挙げただけでもキリがない。その一つ一つがかなりの仕事量となるだろう。更に具体的に農学者達との連携を深め、ネルコと協力して経済を推進し、ロンダーと話し合って経済政策について決めていかなければならない。

 

 後、一年だ。一年で家督をついでしまう。もはやエノールに休んでいる暇はないのだ。

 

 だから、おそらくレガルドともこれでお別れ。度々会いに来ることはできるだろうが、エノールは自室か屋敷に篭りきりになり、執務に追われることになるだろう。事実上の休学もしなければならない。

 

(アルベレット先生にお話をして、それから……)

 

 エノールはベッドで泥のように眠った。


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