ギャーヴェ・ピレライン侯爵令嬢
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翌朝、エノールは寝る前より酷い顔をして起きてきた。安心する場所はあったが、月経の苦痛でうまく眠れなかったのだ。
アルベレットからナプキンをもらったのでまたの気持ち悪さは薄れたが、そもそもここにいる間は風呂に入れない。人手が圧倒的に足りないのだ。百人以上の男女を風呂に入れるには、きちんとした浴場と燃料である薪、それからそれらを確保して投下する人手がいる。とてもじゃないが、学園では確保できない。
コテージに浴場があるわけでもないので、お風呂に入れないのだ。しかし、日本で生まれた佐藤健の意識を持ち、両親もまた綺麗好きで屋敷に浴場があったエノールは貴族の中でも綺麗好きな方だ。
王都ではどこでもお湯に浸かれるが、それが好きじゃない人も一定数いる。何せ髪を濡らしてもドライヤーなんてないのだ。そのせいで風邪をひいたりするので、貴族では嫌っている人が半数といったところである。
レガルドはそんなエノールを見て心配そうにしていた。『大丈夫か?』と聞かれたエノールは『大丈夫だ』と安易に誤魔化すこともできたが、レガルドが好意で心配してくれたのにそれを軽んじるのはあんまりだろうと思って、できるだけ真実を伝えた。
「女には体調が悪うなる日もございます。お目汚しをしてすいません」
「そんな!」
聞けば、レガルドは縁談の話を聞いて真っ先に女性の体について調べたという。それだけを聞くと思春期真っ盛りという感じしかないが、医療書で男女の体の違いについて真面目に調べたという。
エノールは真面目だなと思って、そういえば昨日レガルドに意地悪をしたりキスをしたのは生理のせいなのかもしれないと思った。体調不良で情緒不安定になって、それに気付かない自分は構ってもらおうとしたのかもしれない。
エノールは生理の時期になって性欲が強くなるタイプなので、昨日の別れ際の行動はそのせいなのかなと、後になってまた恥ずかしくなった。
あのキスが性欲ゆえだったと意識すると、途端にあの恥ずかしさの原因がわかってしまって、自分の欲を詳らかに理解するのは何とも居心地が悪かった。
日を跨いで今更になって自分の行動を恥いるエノールだったが、そんなことはいざ知らずレガルドはエノールを紳士にエスコートした。体調が悪い中に優しくされて、エノールの心はそれに少し揺れてしまう。
アルベレットはその光景を見て安堵するのだった。彼女の心の支えがあると、それにレガルドがなれるのだと知って、心の底から安堵した。自分ではなせない役割をこなしてもらっているレガルドに感謝さえある。
さて、そんな様子を遠くから見つめ、大体の事情を理解している人間がもう一人いる。元いじめっ子の法衣貴族の娘、アリスベリアちゃんだ。
周囲から「アリス」の愛称で呼ばれている彼女はしかし、その愛称で呼んでもらいたい本当の相手はエノールだった。皮肉をけしかけたときに圧倒的な度量の差を見せつけられて、彼女は悔しがるどころか尊敬してしまっていた。
どうにかお近づきになりたいが徹底的に取り巻きが邪魔だ。もうこいつら切り捨ててしまおうかと考えていたところで、このツーリングで事件が起こってしまう。
取り巻きを介して、ギャーヴェがコテージ全員を使ってエノールをいじめていると知って、最初はこいつらも返り討ちに会えばいいと考えていた。
しかし、蓋を開けてみれば悍ましい凶行の数々。これにはエノールも落ち込んでしまっているようで、しかもエノールは昨日になって生理が始まっていると言うのだ。周囲はそんなエノールを嘲笑っているが、アリスにはその神経が理解できなかった。
アリスもまた夜中に出血して、アルベレットに介抱された一人だ。困惑して、彼女の生理は軽い方だけれど、それでも辛いことは分かる。
自分たちも苦しんでいるだろうに、どうしてエノールをそのことで嘲笑えるのか。その陰口が自分に返ってくるとか思わないんだろうかと考えるアリスだった。
さて、それならちょっとぐらい自分が近づく隙があるんじゃないかと思って、思わぬ刺客が現れる。エノールと縁談が進んでいるというマルデリア公爵家三男レガルド・マルデリアだ。
聞けばもう婚約しているとか、縁談の最中だとか色々あるが、公爵家が手を出している令嬢に手を出せばどうなるのかわからない侯爵家でもないだろうに、一体ギャーヴェとその家の者達は何を考えているんだと思った。
アリスは法衣貴族の娘なので王宮とズブズブの公爵家・侯爵家の派閥関係はある程度知っている。
ピレライン侯爵家が擁立している公爵家はマルデリア公爵家とは敵対関係にある。しかし、腐っても同じ派閥の人間なのだ。息子と縁談させている娘に、それも伯爵の娘で次期当主であるエノールに手を出してタダで済むはずがない。場合によってはアイジス・アルガルドとユレグニス・マルデリアの共同戦線が敷かれてもおかしくはない。
公爵と侯爵が手を組むのはよくあることだが、伯爵と公爵が手を組むのは異例なことだ。こういった話では領地の規模などは瑣末な問題に過ぎない。問題は元大諸侯として王国が警戒している伯爵家の一つであるアルガルド家と一時的にでも公爵家であるマルデリア家が手を組むことにある。
それは王国と大諸侯の協調関係の模範的な姿とも言える。それを重く見る派閥の人間もいるだろうし、そもそも縁談中の娘に手を出すこと自体、ピレライン家には義がない。一体何を考えているのかアリスには理解しかねた。
とはいえ、アリスにとっての問題はレガルドがいることでエノールと話す機会を失ってしまったことにある。おのれレガルド……エノールを助けてくれたことには感謝するが、そこは私の立ち位置だ、となぜだか縁談相手に対抗心を抱くアリスであった。
エノールはレガルドに連れ回されたことでまた周囲に男子生徒達が群がっていた。エノールが大変だと聞いて、今度はレガルドの方がエノールを守っている。微笑ましい光景だが、そうじゃない。そこは同性である私の出番だ。代わりなさい。
アリスはいつまでもいつまでも勇気が出せずに、時間だけが浪費していくのだった。
さて、ギャーヴェはといえば、こっちもこっちで苦労していた。何せこの催しに生理が被ってしまったのはエノールだけではない。ギャーヴェもなのだ。
エノールのあてがわれたコテージの生徒に使用済みのナプキンを渡したのはギャーヴェである。入れ知恵して、ナプキンは他のコテージから持ってきたと伝えた。だが、実際にはギャーヴェ自身のナプキンである。
自分の経血によって直接エノールを貶める。拭ったようだが、それらしい血の跡がエノールの制服についている。ギャーヴェの言いなりは上手くやったのだろう。それにほくそ笑みながらギャーヴェは腹を抱えた。彼女の生理はエノールより重い。
ギャーヴェのそれは嫉妬だった。ギャーヴェもまた生理が重く、女性ホルモンが多いのだ。男子に興味があって、しかし、持ち前のプライドの高さのためにまともに話すことはできない。それに対してエノールは男子と自然に話せて、さわいで、打ち解けている。羨ましかった。
最初はただの嫌がらせだった。一年生の時に言いなりに指示して机の上に花束を置いて、騒ぎを起こした。『葬儀の花束』事件の首謀者は彼女だったわけだ。伯爵家の娘風情が調子に乗っていると、ギャーヴェの目に止まったエノールは懲らしめられる予定だった。
それ以降興味をなくしていたが、段々段々と授業内で発言力を強めていく。単純にエノールの努力が実を結んだのだ。嫌がらせをしてもあまり効いている気配はない。どうしてやろうかと策謀を張り巡らせていたことで、突如エノールが半分のカリキュラムを終了した。男子達の授業に混じるためだ。
その話を聞いて嫉妬した。何であいつばかり……と、自分は政治の道具に使われるため結婚相手も決められずに父親からは男に近づくなとさえ言われているのに、落ち目のアルガルド家であるはずのエノールはその次期当主で、転落人生を歩んでいるはずの彼女が男子達にチヤホヤされていた。それが我慢ならなかった。
教師をさっさと買収して嫌がらせしようかと思えば、エノールを天才だ何だと騒ぎ始める始末だ。特に剣術や馬術の人間はうるさく、そのせいでエノールを担ぎ上げる風潮が男子教室内で出回って、教師の買収が難しくなってしまった。一度軍事の教師を口説き落とそうとしたが、やんわりと断られてしまった。
そもそもが学園側は『葬儀の花束』事件で侯爵家に圧力をかけられていたのだ。自分の娘が通っているのに不祥事とはどう言うことだねと隠蔽工作を強要され、誰を犯人に仕立て上げても王宮に反感が向かうその事件は、王宮とズブズブなピレライン侯爵家を中心として箝口令を敷かれてしまった。
どうしようもなかったが、心情的にはエノールの味方なのである。特にエノールの容姿は男性教師に対してもある程度有利に働いていたので、エノールの勉強熱心な態度と成績の優秀さ、それを鼻にかけることのない謙虚さとあのアルベレットのお気に入りというお墨付きまである。下手に手が出せないどころか、教師陣にもある程度の人気があった。
突飛なことも言うが、そのどれもが筋の通る話で、思わず教師達はエノールの言葉に頷いてしまいそうになるのだ。表面上はそんなことできないが、内心では懐柔されてしまうためエノール派は多い。
どうにもならないギャーヴェは、この特殊な環境で自分に逆らえないようにすることを思いついたのだ。
もう一つ許せないことがある。それはレガルドとの縁談だ。
彼女は男子達にもある程度異性として興味を示していたが、とりわけ思いを寄せていたのがレガルド・マルデリアという美青年だ。
線の薄い彼は、博識で物静かで、まるでギャーヴェの考えた物語に出てくる貴公子のような理想的な男性だった。だというのにぽっと出のエノールとの縁談話が持ち上がったという。ギャーヴェはエノールが男子の授業に混ざったのはレガルドを誘惑するためだと考えた。そんなことをしても縁談を決めるのはマルデリア公爵だというのに。
とにかくギャーヴェの中ではエノールは卑しい女、体を売った女というレッテル貼りがされていた。そういった発想が出てくるのは、有体に言えば、ギャーヴェの脳内がピンク色だからである。彼女もまた生理と排卵に二回に分けて性欲が湧くタイプだった。
公爵家に生まれた彼女は耳年増で、幼い頃から使用人のディープな話を好んで聞きたがった。父親もそれを把握した上で見逃していたが、そのせいでギャーヴェの価値観は少し偏ったものとなる。
多面的な情報が溢れている日本で育った佐藤健と違って、彼女の環境は隔絶されているのだ。とてもとても悍ましい妄想を思いつくませた少女が出来上がった。
彼女の性的趣向がサディストにあったのも起因する。その本質は周囲の人心掌握に利用され、彼女の呼ぶところの『言いなり』が形作られた。自分の言うことには何でも聞く奴隷みたいなものだと理解していた。
加虐的かつ嗜虐的、嫉妬深く性欲が強い。それがギャーヴェという少女だ。その内には少女に相応しい恋心も眠っている。それを取られた彼女は今嫉妬に狂って復讐を果たさんとしていた。
また夕暮れになればギャーヴェの時間が来る。今度はどういたぶってやろうかと痛む腹を抑えてギャーヴェは考えていた。




