バルターの信頼
「ふぅ……疲れたわ」
エノールは客室で伸びをした。
契約も終わり、少し疲れたエノールは客室で休ませてもらっていたのだ。この旅は移動に調査、聞き込みに交渉などやることが多い。羽を少しでも伸ばせるかと思いきや、ベラルクの商会と怪しい組織のつながりが判明したのだ。今日も朝からその調査に追われて、休む暇がなかった。
彼女の側付き女中であるアイシャは口を開く。
「エノール様、昨日行きそびれたケーキを今らか召し上がられるのはどうですか?」
「あぁっ、忘れてた! すぐに行きましょ! 私、結構惜しかったのよ!」
「かしこまりました、案内致します」
アイシャとエノールはそそくさと客室を出てしまう。エノールの子供らしい仕草を見て、バルターは呆然とするのだった。
「……はあ」
大きなため息をつく。肩の荷が降りたようだ。
最近、エノールのそばにいると度々喉が締め付けられるような緊張に出くわすことが多い。どうなるかとヒヤヒヤして結局うまくいくのだから、この令嬢は恐ろしいのだ。
それなのに、時折あんな年相応の振る舞いを見せられると突然のことに何が何だかわからなくなってしまう。自分の見ているエノールはどっちなのか。
おそらく自分は邪魔だろうなと思って、ここら辺に医者がいないかと売春・下水について調査しようと執事長が客室を出ようとした時だった。
扉が開かれ、商人の一人が姿を現す。商会長ではない。あの騒ぎにいた青年の一人だ。
彼の顔から真意は読み取れない。何やら嬉しそうにしているが、それが一体何なのか。エノールとは違って執事長には汲み取れなかった。
商人はバトラーに話しかける。
「やあやあ、これはエノール様の執事長ではないですか。エノール様はどちらに?」
「現在は近くのケーキ店に向かわれております。プライベートの時間なので、エノール様へのご用は後にしていただけると……」
「それは良かった。何せ私は貴方と話がしたかったのですからね」
「私と?」
「はい」
男はニンマリと笑った。
「見れば、貴方も随分あのご令嬢に手を焼いているようではないですか」
「……エノール様は星見の儀式で変わられました。きっと、伯爵家の後継としての意識が芽生えたのでしょう。私はその後についていくだけですので」
「いやいや、素晴らしい忠誠だ。感服いたします。しかしですね? いささか自由にさせすぎではないかと」
「……何がですか?」
「おやおや、そんなに怖い顔をなさらないでください。単なる世間話ですから」
バルターは商人というのが嫌いだ。彼らは言葉巧みに人を騙して金をむしり取る亡者だ。言葉も軽いし何より信用ならない。バルターが商人の相手を苦手とすることもまた嫌悪感の理由の一つだ。
だから、エノールが商人まがいの──否、それ以上のことをしているのに少々複雑な気持ちもある。
「エノール様は確かに優秀だ。しかし、まだほんの七歳。たとえ天才でも幼少期に失敗をすることはあるでしょう」
「……今回の件はエノール様のお父上である現当主アイジス・アルガルド様のご許可をいただいております。心配することはないかと」
「ですが、アイジス様は王都にいらっしゃるのでしょう? やることなすこと事細かに手紙に書いているものなのですかね?」
「……」
バルターは商人がアイジスの動向を知っていることに訝しく思った。
「おやおや、どうしたんですか? 眉間に皺が寄っていますよ。アイジス様が王都にいることぐらい、王都の商人相手に商売をしている者は誰でも知っているでしょう」
「……それで、貴方は何をしにきたんですか?」
「いやね、貴方がエノール様を正しい道に導いて差し上げたらどうかと」
「正しい道……?」
商人は笑った。
「ええ、いくら優秀でも失敗はするもの。そして、あの歳で大きな失敗すれば傷ついて失敗してしまうかもしれない。その前に、我々大人がどうにかするべきとは思いませんか?」
「話が見えてきませんね。これで失礼します」
バルターは外に出ようとする。それを商人が阻んだ。
「退いていただけますか?」
「まあまあ、そんなに焦らずに。エノール様は今プライベートなのでしょう? 我々にもたっぷり時間があります」
「執事としてエノール様のお近くにいるのは当然のことです」
「ですが、今貴方はそばにいません」
「……」
「そう警戒しないでください。私はただ、エノール様を助けたいだけなんですから」
「エノール様を……助ける?」
「ええ、もちろん。あの年にして、よくぞあそこまで交渉できたものだ。しかし、利を負うということは責任も受けるということだ。我々商人は、もらう報酬が多ければ多いほど仕事に対して責任を感じる。今の状況ではあまりにエノール様が儲けすぎる。果たして、その重圧に耐え切れるのかとね……?」
「結局、貴方の本音はそれでしょう。エノール様が勝ちすぎて面白くないから、だから貴方は言葉巧みに私を騙そうとしている」
「騙そうだなんて剣呑な。私は貴方に相談しているのです」
「相談……」
「ええ、助言と言ってもいい。あのままではエノール様は潰れしまうでしょう」
「……そんな方が貴方達相手にあんな大立ち回りはできません。それに、私はエノール様の成功を信じております」
「商売に絶対はありません。不測の事態でつまづいてしまうことがあります。そして、それは事業が大きければ大きいほど被害が大きくなる……今彼女は巨人だ。大きなものを背負って一歩一歩踏み出そうとしている。そんな彼女が転んでしまったら、下敷きになるのはどれほどの領民になるか……」
「……」
「私はね、バルターさん。みんなで手を取り合いましょうと言っているのです。見るに貴方のエノール様は我々商人達を信用していない」
「私のではありません! それに、それは貴方方が自分の利益しか考えないからでしょう! エノール様は違います!」
「果たしてそう言い切れるんでしょうかねぇ。それに、どんな事業でも人を信用しないことには始まりません。私だって金貸しをする上で赤の他人を完全に信用はできないけれど、それでも一応は信用するんです」
(こいつ、金貸しか……)
「だから、貴方達に忠誠を求めた。話は以上です」
「いえいえ、終わってません。それは我々が信用ならないからでしょう? もう少し我々を信用してください。手を取り合って進みましょう?」
「何をばかな……まともに税も払っていない金貸し風情が、何をいうかと思えば信用しろだと? 自惚れるのもいい加減にしろ。貴様は……貴様らは、勝手に金を押し付けて、理不尽な金利で搾り取る悪魔じゃないか!」
「失礼な。私はただ金に困っている人の手助けをしているだけです。その見返りにちょっとばかし上乗せして支払ってもらいますが、こっちも商売なんでね。それに、金利をつけないといつまで経っても踏み倒されるでしょう?」
「結局貴様は何が言いたいんだ! エノール様をバカにして、それ以上の狼藉は許さんぞ!」
執事長の激昂に、商人は一度ため息を吐く。
「……執事長、あなた、屋敷に勤めて何年ですか?」
「……二十五年にはなります。十の頃からお屋敷には勤めていました」
「二十五年、それで執事長ですか。いやはや、貴方は敏腕のようだ。さぞ仕事ができるんでしょう」
「なんですか、いきなり……」
「きっと領地の運営を領地を空けているアイジス様に代わっていたのは貴方だ! これまでの二年間、貴方はようやく手に入れた執事長の立場でその仕事についた。違いますか?」
「だから、何の話だと言っている!」
「まだ貴方にできることがあるんじゃないですか?」
「私に……できること?」
「ええ、エノール様はまだ未熟だ。貴方のように経験を積んでいない。将来は立派な領主になられるだろうが、少なくとも今じゃない。後二、三年、いや、四、五年は貴方が領地を任されるべきだ! それが、二十年以上屋敷に勤めてきた権利! 私はそう思いますが、違いますか?」
バルターは揺れた。
確かに、幼いエノールが実行するには荷が重い仕事なんじゃないかとエノールの話を聞いた晩に悩んだこともあった。自分が矢面に立って行動するべきじゃないのかと、この令嬢を数多の重圧から守るべきなんじゃないかと。
計画の全容は聞いていないが、商人達と話している内容を聞くだけでもそれが突飛なことはわかる。伯爵であっても誰でもできるようなものじゃない政策を、たった七歳の少女が、それも他の問題も含めて後八年以内に解決するというのだ。尋常じゃない。
その小さな肩にどれだけのものがのしかかるんだろうか。果たして、エノールは耐えられるんだろうか。彼女を小さい頃から見守ってきた執事は悩んでいた。
この男のいう通りなのかもしれない。エノールは本来経験不足なはずだし、今だって過酷な旅をしている。これからもっと大変なことがあるだろう。自分の苦手な商人相手に交渉して、大人と真っ向からやりあわなくてはならない。
多勢に無勢、大人が寄ってたかって七歳の少女に群がっている。それがどれだけ醜く見えたかバルターは表現できない。
バルターは息を吸った。覚悟を決めて、深呼吸をして。
「──お断りします」
「なぜですか」
「私は……エノール様を信頼しています。信用でも信仰でもなく、信頼です。盲目と言われるかもしれません。お前の持っているそれは妄信だと……」
「そう言わざるをえません」
「しかし、元はあのような人ではありませんでした。年相応の、めんどくさがりで自堕落なお嬢様。皆様が考えているような箱入り娘です」
「私には未だそう見えます」
「──しかし、星見の儀式を終えてから、自分の将来の姿を見てからエノール様は変わられました。当主になるとおっしゃられて王都にいるお父上に手紙を書いて当主代理の立場を明確にし、そして、各地を訪問されることを決定された。並大抵の行動力ではありません。私は、エノール様は信頼に足る方だと信じています」
「それが強がりだと言っているのです! もしあの少女が、胸中に何か抱えていたらどうするおつもりか!」
「その時は私が立ち上がりましょう。エノール様が起き上がるその時まで、私が代わりに支えます」
「手遅れになってからでは遅いのですよ!」
「舐めないでください。私は、アルガルド伯爵家執事長バルター・イルクニス。お嬢様のことは子供の頃から見てきております。最近のエノール様には困惑されることも多いですが……自らの主人と向き合い、決してそのお心を取りこぼさないことを誓います」
「っ……」
それから商人は悪あがきのようにバルターを説得しようとしたが、執事長の覚悟は決まっており心を動かされることはなかった。
「──勝手にしてください!」
「貴方も勝手にしてください」
「失礼する!」
バタンと扉が閉められる。
「……エノール様、やはり貴方のようにはうまく行きません」
バルターは心の中でエノールに謝罪した。
「おいしー!」
「美味しいですか、エノール様」
「さすが商人御用達ね! ケーキを食べるなんて初めてだわ!」
「……」
伯爵家のご令嬢とは思えない発言に胸を痛めるアイシャ。
そこにバルターが現れる。
「エノール様……」
「あら、バルター。どこに行っていたの?」
「申し訳ありません、少し野暮用で……」
「それより、次の町に行くわよ。モタモタしている暇はないんだから」
「ですが、いいのですか……? まだこの町の調査が……」
「商会長には釘を刺しといたし、私たちが商会と犯罪組織の繋がりを知っていてよく思っていないことは遠回しに言っておいたわ。今頃は躍起になって縁を切る準備を始めているでしょうね」
「一体、何をしたんですか……?」
「あら、人聞きが悪いわね。私はただ『地元の悪友達と随分面白いことをしているみたいね』と言っただけよ?」
「……」
「『私は全ての商人の味方だから、この町で商売をする他の商人の迷惑になるんだったら、私はそっちに肩入れするわよ』って言ったら血眼になってね!」
「ほどほどにしてください、エノール様……」
バルターはこのおてんばお嬢さまの気質は変わっていないなと思った。
ここらへんで領内旅編は終了です。読了ありがとうございました。まだ学園入学まで三年間ありますのでお付き合いください




