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霧の八峰山  作者: ウチダ勝晃
第三章 神域の少女

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神域の少女③

 例の赤外線フィルムは翌朝、少年に携えられ、傘岡市内へ向けて二番列車で八峰町を旅立った。フィルムの現像と焼き付けは、真樹が特に信用を置いている写真店で事情を話したうえで迅速に行われ、サービスサイズのL判に焼いた三十六枚のプリントと一緒に、その日の夕刻に着く、快速の最終便で無事に八峰町へと舞い戻った。

「真樹さん、お待たせしました」

「やあ、ご苦労さん。とんぼ返りさせて悪かったね」

「本当ですよ、行きも帰りも、何かトラブルがありゃあしないか、気が気じゃなかったんですから……」

 改札で少年を迎えると、真樹は構内で折り返しの支度をする快速列車をちらりと見てから、少年を連れて、井村の待つ「八峰館」の部屋へと急いだ。

 宿へ戻ると、到着に間に合わせて支度の行われていた夕食の品々が運ばれてきたところで、一人で本を読んでいた井村は、少年と真樹の姿を見るなり、ちょうど来たとこなんですよ、と、友人の帰還をねぎらいながら微笑んで見せる。

「ごめんよ、井村くん。この人ヘボだから、勝負もシマらなくて退屈だったでしょ」

 宿の浴衣へ着替え、肩にかけていた鞄へ時折目をくれながら、少年が井村に真樹の腕を尋ねる。

「いやいや、そんなことはなかったよ。真樹さん、結構筋はよくてさ」

「――その調子だと、ツメの甘い勝敗だったと見えるな」

「おい、飯が冷めるぞ」

 追及を阻む真樹の冷ややかな態度に少年はへへ、野暮だったね、とつぶやくと、仲居が出て行ったのを伺ってから、件の写真が入った鞄を引き寄せ、真樹の手へDPEの袋へおさまったネガとプリントを手渡した。

「これで任務は完了ッ、と。さて井村くん、どれから箸をつけよう……」

「――ひとまず、見るのはメシの後にするかな」

 ずらりとならんだ山海の珍味を前に手をもむ少年と、すっかり腹を空かせていた井村の顔につられて、真樹は緑色をしたDPEの袋をわきへ置き、二合徳利につまった地酒を手酌でやりだした。日中の暑さがやや尾を引くような、ぬるい風が部屋に吹き込む、夕暮れのことである。

 〆に、宿の裏庭になっている夏ミカンのゼリーをつまむと、真樹は空になった器が運ばれていったのを確かめてから、最前まで料理の並んでいた座卓の上に件の袋を置き、三十六枚のプリントの束をざっくりと広げた。

「――あっ、これじゃないですか」

 L判のプリントに焼き付けられた、真樹が目撃した二つの陰の鮮明な写真に、井村が声を上げる。が、そこに映し出されていたもののあまりの奇妙さに、彼を含めたその場の三人は、続く言葉を見失ってしまったのだった。

 腹ばいになった真樹が捕らえたのは、ちょうど二つの陰の全体像が収まるような、パンフォーカスぎみの場面だったが、その中に収まっていたのは、軽自動車ほどはあるような、いたるところへボロ布を継いで作った巨大な包帯の巻かれたイカかタコと見まがうような生き物と、右腕に大きな鈴をぶら下げた、おさげ髪をした、十六、七前後の、行灯袴を履いた巫女姿の少女という、ひどく釣り合いの取れない二つだったのである。

「……猛獣使いの少女、か?」

 冗談めかして口を開いたのは、無言で写真の束を探っていた少年だった。が、真樹はそれにこたえるでもなく、組んだ右手の人差し指で、神経質に左の二の腕をつつくばかりである。

「これだけの大きさの軟体動物が山奥にいるなんて、にわかには信じがたいなあ。井村くん、どう思う。こいつはハリボテかなんかだと思うかい?」

「さあ、どうだろう。なんせ、実物を見たわけじゃないし……」

 少年の問いにすっかり困惑しながら、井村は真樹の方へ視線をそらす。すると、それまで沈黙を保っていた真樹が真一文字の口元をやぶり、

「……これが本物だと証明する方法は、君たちがよく知っているんじゃないか?」

 と、腕をほどきながら答えたので、少年や井村はしばらく考え込んでいたが、やがてある結論にたどり着くと、そうかっ、と、座卓を平手でたたいて立ち上がった。

「やつの出た後はどろどろに溶けるんだっ、写真の撮れたあたりへ行けばなにかあるんじゃないか」

 少年の言葉に、真樹はその通り、とつぶやきながら、立ち上がって広縁の籐椅子へ座りなおす。

「――ただ、今すぐいってなにかわかるような風には思えない。ひとまず、明日の朝いちばんで、あのあたりへ行ってみようじゃないか……」

 三人の新たなる動向の始まりを告げるように、網戸のはまった窓辺から、強い夜風が吹きつけていた。


 少年たちの予感が意外な形で証明されたのは、翌朝早くのことだった。

「真樹さん、真樹さん、ちょっと……」

 井村の声に目をしばつかせ、浴衣の胸元をはだけさせたまま起き上がると、真樹は眼前に立っている少年と井村をみやって、どうかしたのかい、と、不機嫌そうに尋ねる。はめたままの腕時計の針は、やっと六時半を差したばかりのころである。

「便所にいったら、どの便器も手洗いも水が出ないんですよ。下へ行ったら、そっちも厨房で水が出ないって騒ぎになって……それで、ほかの部屋でも騒ぎになってるんですよ」

「なんだって」

 少年の報告で目の覚めた真樹は、冴えを戻した耳へ飛び込んでくる、同じ階や階下、厨房のざわめきに、事態が容易ならぬものだと否応なしに感じるはめになった。

「ご主人、なにかあったんですか」

 浴衣を脱ぎ、おろしたばかりの開襟シャツに袖を通してから一階へ下ると、真樹はちょうど、事態の収拾にあたっている宿屋の親父に出くわした。

「ああ、お客様、起こしてしまいましたか」

「水が出ないとこの子たちに聞きましてね。どっかで水道管でも破裂したんですか」

 単なる水道の故障だろう、と思っていた真樹は、当たり障りのないことを親父に尋ねたが、その答えたるや、真樹や少年、井村を驚かせるには十分すぎるほどの強烈なものであった。

「――神宮のあたりにある上水道の鉄管が、製鉄所へもどしたみたいにドロドロになったっていうんですよ。おかげで町全体が断水状態でしてね……」

「水道管が――」

「……溶けたあ?」

 少年と井村がそれぞれ、目を見開いて驚くと、親父は平身低頭の様相で詫びながら、

「現場を見たわけじゃないんですが、さっきかかってきた有線放送の様子じゃ、どうもそういうことになるそうで……」

 と、聞いたままを伝えていることを三人に告げ、帳場の方で鳴っている電話の方へ一目散に駆け寄っていった。朝早くと言うのに、どこか遠くで異常を伝える半鐘が鳴り響き、窓越しに人のどよめきがにじんでくる。混乱が町全体に広がっているのは明白であった。

「真樹さん、さっきご主人、神宮のあたりの水道管、って言ってましたよね。まさか……」

 ここまで自分が知りえていることを総合させて、少年がおそるおそる口を開く。

「どうやら、あのでかいやつの通った下に、水道管があったらしいな。これで、あれがハリボテでないことが証明されたってわけだ……」

 階段の手すりへもたれながら、真樹は奥歯を噛みしめ、目の前に広がる八峰町の騒然たる様相をじっと睨んでいるのだった。



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