13.はじめてのデート①
「──うん、却下」
マリーに呼び出され、マリーの私室で話を聞いたコンラートは、笑顔でそう言った。
マリーは目を大きく見開き、兄に詰め寄った。
「な……なぜです!?」
「マリーを街に連れて行くのは難しい。王女の身分を考えれば、わかることだろう」
「わ、わたしはまだ国民に顔を知られていません! だから別に……」
「……マリー。顔を知られているとかいないとか、そんなことはささやかなことでしかない。私たちは王族だ。もしマリーになにかあったら、どれだけの人数が動くことになると思う? 最悪の場合、今の職を失う者だっているかもしれない……マリーのせいでね」
「それは……」
そんなこと、わかっている。
そう言うのは簡単だった。だけど、真にそのことを理解していたかと問われれば、頷けないのも、確かだった。
王族は民の血税によって、一般庶民よりも裕福な生活を送れている。
それは国力を示すためだとか、国の象徴であるためであったりだとか、様々な理由があってこそのものだ。
だからこそ、王族は国のため、国民のために尽くすべきなのだ。
「……どうしても、だめですか」
そうは言っても、王族だって一人の人間だ。
たまには好きに行動したいし、自分の感情を優先したいと思うときだってある。
マリーにとっては、今がそのときだった。
「……私はおまえに意地悪がしたくて、だめだと言っているわけではないよ」
「わかっています」
「おまえがどれだけマルクスのことが好きか、私は知っているつもりだ。だけど、街に二人だけで行くことは、許可できない」
「……そう、ですか」
マリーはうつむき、ぐっと拳を握った。
これは、王族である以上、仕方のないこと。そう言い聞かせても、落ち込む気持ちは消えなかった。
(……マルクスさまに、なんて言おう……)
キラキラとした笑顔で衣装のことを話すマルクスに、どんな顔をしてやっぱり行けないと言えばいいのだろう。
安請け合いしたマリーが悪いのは、わかっている。王女である以上、そういう約束は簡単にするべきではなかった。
けれど、好きな人に一緒に出かけないかと誘われて、心躍らない乙女がいるだろうか。気分が高揚しない人が、いるのだろうか。
少なくともマリーは嬉しくて、王女であるとか、そういう身分のことは吹き飛んでしまった。
それが、自分は王族であるというマリーの自覚が薄いという、なによりの証だ。
「……そんなに落ち込まないで、マリー」
ぽん、とコンラートはマリーの肩に手を置く。
マリーが顔をあげると、コンラートは穏やかな顔をした。
「私の話をよく聞いていた? 私は、マルクスと二人で街に行くのは許可できないと、言ったんだよ」
「……どういう、こと、ですか……?」
きょとんとした顔をするマリーに、コンラートは楽しそうに笑う。
「簡単な話だ。──カール」
「……はい。私にこっそりお供せよ、とそうおっしゃるんですね」
まったく人使いが荒いんですから、とコンラートと一緒にマリーの私室にやってきていたカールハインツはブツブツと文句を言う。
「カール……いいの?」
「姫さまは奔放な方ですが、今まで我が儘をおっしゃることはありませんでした。そんな姫さまの我が儘の一つや二つ、叶えて差し上げても罰は当たらないでしょう」
「カール……! ありがとう、大好きよ!!」
「はいはい。姫さまはこういうときだけ調子がいいんですから」
呆れた口調ながらも、カールハインツの表情は穏やかだった。
マリーは二人の優しさと、マルクスと一緒に出かけられることが嬉しくて、頬が緩む。
「カールに騎士を数人付けるよう、私から言っておく。だから、マルクスと一緒に楽しんでおいで、マリー」
「はい、お兄さま! ありがとうございます!」
「だけど……これが最初で最後だからね?」
「もちろんです、お兄さま。これ以上の我が儘を言っては、罰が当たってしまいます。それに……これ以上、幸せな思い出は望みません」
「マリー……」
胸に手を置いてマリーは儚く微笑む。
これ以上、マルクスとの思い出は望まない。今のこの幸せは、長くは続かないのだ。
せめて王女として知られる前に、マルクスとの幸せな思い出を少しだけ、作る。そしてその思い出は大切に胸にしまって、あのときは幸せだったな、と時折思い出して懐かしむ──それ以上は、望まない。いや、望んではならないのだ。
「……マリーのお披露目の日が決まったよ」
「そうですか」
「マリーが王女として紹介されるのは──建国記念日の夜会だ」
意を決したように、少し痛ましそうな顔をして告げたコンラートに、マリーは淡々と「わかりました」と答えた。
「大丈夫か、マリー?」
「いやだわ、お兄さま。大丈夫に決まっているでしょう。ずっと前からわかっていたことですもの」
だから、そんなに辛そうなお顔をなさらないで、とマリーは笑う。
「ああ、でも……マルクスさまたちの勇姿を近くで見られるのは嬉しいです。お父さまに感謝しなくては」
「しかし、マリー……その日で、マルクスたちに本当の身分が知られてしまうことになるんだよ?」
「いずれわかることですもの。それが遅いか早いかだけの違い……どちらにせよ、わたしがマルクスさまたちに嘘をついていたことに変わりはありません」
そう言って、マリーは少しだけ悲しそうな顔をした。
しかし、すぐにいつもの笑顔を浮かべる。
「お兄さま、わたしは本当に大丈夫ですから。全部、覚悟したうえで、お兄さまに我が儘を言ってきました。だから、お兄さまがそんなに辛そうなお顔をなさる必要はないのです。わたし、お兄さまの穏やかな笑顔が大好きです。幼い頃、わたしが寝込んでしまったとき、お兄さまのその穏やかな笑顔にいつも励まされてきました。だからどうか、笑ってくださいな」
それは、マリーの心からの言葉だった。
確かに、その夜会でマリーの嘘がバレてしまうことに、なにも思わないわけではない。
でも、それは覚悟していた。こうなることも、予想していなかったわけではない。だから、コンラートが思っているよりは、ずっと平気なのだ。
「……マリーは、強いね」
コンラートは虚を突かれた顔をしたあと、マリーが大好きだと言った笑顔を浮かべた。
そんな兄の笑顔に安心し、マリーもにっこりと笑う。
「そんなことはありません」
「おまえを励ますつもりが、逆に励まされてばかりだ」
「それもわたしの台詞です、お兄さま」
マリーの軽口に、コンラートはどことなくほっとした顔をした。
「……マリー。私はいつもおまえの味方でありたいと思っている。だから、辛くなったら、いつでもすぐに私に言うんだよ」
「……はい、ありがとうございます」
頼りにしていますね、とマリーが笑顔で答える。
そしてコンラートとカールハインツは、マリーが街へ出かけるときの打ち合わせを少しして、マリーの部屋をあとにした。
一人、部屋に残ったマリーはぼんやりと天井を見上げた。
「……そう。やっぱり、そうなったのね……」
──覚悟はしていた。それは、嘘じゃない。
だけど、大丈夫だとコンラートに言ったのは嘘だった。
「覚悟はしていたつもりだけど……やっぱり辛いものね」
マリーの身分が嘘だと知ったとき、マルクスはどう思うだろうか。
嘘つき、とマリーを見損なうだろうか。きっと多かれ少なかれ、嘘をついたことに関して、許せないと思うだろう。
あの優しい笑顔をマリーに向けてくれるマルクスの表情が、軽蔑したものに変わったら。
そう考えると、夜会なんて永遠に来なければいいのに、と思ってしまう。
(お兄さま……わたし、強くなんてないです。ただちょっと、見栄っ張りなだけなの)
尊敬する兄に、要らない心配をかけたくない──そんなちっぽけな意地で、マリーは嘘をついた。
マルクスとの幸せな思い出はこれ以上望まない、と言ったのも、ただの逃げだった。これ以上、マルクスとの幸せな時間を増やせば、別れのときに辛くなる。その辛さに耐えきれなくなって、みっともなくマルクスに縋り付きそうで怖い、というのが本音だった。
それを格好の良い言葉で、誤魔化した。
嘘をつくたび、自分が汚い人間のように思えて、そんな自分がマリーは心底嫌いだ。
だから、マリーはそんな自分から目を背ける。
今は楽しいことを考えて、嫌な自分のことは忘れるのだ。あとからやってくる辛い別れのことも、考えないようにする。
──今は楽しいことを、精一杯楽しもう。
そう思い切ることはマリーの長所だと、皆は言う。
しかし、それがただの逃げであると、マリーは自覚していた。




