強がりと本音
で? どういうことだコレは。
マサはとある居酒屋にいた。テーブル席でアオイと向き合い、互いに同じメニュー表を見ている最中である。
まだ帰らないで。……そう言って彼女に引き止められた時、一瞬だけ淡い期待が胸を駆け巡ったものの、次の瞬間それは無きものになった。
「マサ、焼き鳥とか好き?」
「え? ああ、はい。まあ、普通に好きですけど」
焼き鳥なんて意識してチョイスしたことはないし、人生の中で数えられる程度しか食べてこなかった。嫌いでもないが別段好きでもない。なのに、アオイにそう尋ねられたらとっさに好きだと答えてしまった。
「よかったぁ! 近くに美味しいところがあるの。今日のお礼にごちそうさせて?」
満面の笑みでそう言われたら断れなかった。「まだ帰らないで」の続きは、居酒屋への誘い文句だったのである。
仕事場以外でこうして二人きりになれるのが嬉しい反面、アオイの旦那からしたら嫌なことをしているのではないかという罪悪感も湧く。
罪悪感? 俺が?
前までは知らなかった感情。もし自分がアオイの旦那だったら、彼女が自分以外の異性と食事に行ったら嫉妬してしまうだろう。
「ここのネギマすごく美味しいの!」
「へえ。じゃあそれも食べたいです」
アオイのお勧めを聞きながらひととおりの注文を終える。食べ物より先に最初の飲み物が運ばれてきたので乾杯をした。アオイはカシスオレンジ。もちろんマサはウーロン茶で。
「かんぱーい! マサ、今日は本当にありがとう。あの時は本当に怖かったけど、マサのおかげで乗り切れた」
「俺は別に……。あの人も分かってくれたみたいだし良かったですよ」
「あ! 今は友達モードだから敬語なしにしよ。無礼講!」
「無礼講の使い方間違ってないですかね」
「いいからいいから」
アオイはやけにテンションが高かった。まだ酒は一口、二口しか飲んでいないはずなのだが。
「ん? なんかすでに酔ってます?」
「だーかーらー。友達モードっ!」
「うん。酔ってるね」
「酔ってないよー」
「酔っ払いはそう言いますよね」
バイト先の歓迎会での先輩バイトや主婦達の酔いっぷりを思い出しマサは言った。
「そういえば、店長ってお酒飲めるんでしたっけ? 俺の歓迎会の時はあまり飲んでなかった気がするんだけど」
「うん。大抵一人は酔って潰れちゃう人が出てくるから、車で送ってあげないとでしょ。だから、ああいう場面では飲まないことにしてるの」
「へえ。偉いね。店長って感じ」
「今はアオイって呼んで!」
拗ねた口調で、アオイはカシスオレンジのグラスを両手で握る。罪深い可愛さ。
この人、俺の気持ちなんて微塵も知らないんだよなぁ。その仕草ひとつひとつがこっちの気持ちを大きく揺るがしてるってことも。
「でも、なんか、旦那に悪いね。お礼とはいえ、こんな遅い時間帯にアオイと居るのさ」
「えー? そんなこと気にしてるの?」
「そんなことって。男的にはけっこう嫌なシチュエーションだよ。好きな子が他の男と夜遅くに飲んでるなんて。まあ、飲んでるのはアオイだけだけど」
仕方なく、アオイに合わせて友達モードに切り替えた。アオイは満足そうに笑った。
「だって、マサは友達だもん。妬く理由がないよー。仁だってそこは理解してくれてるよー」
すでに酔いが回っているらしい。仕事中では考えられないほど気楽な様子で、アオイはしゃべった。
「それに、私がどこで何をしてようが、仁は干渉してこないの。理解があるんだー。うちの旦那さんは」
「うーん。それ、理解があるのとは少し違うような気が」
わりと真面目に答えたマサだったが、アオイはあまり気に留めていないらしい。
「私も結婚してみて分かったけどさ、夫婦ってそんなものなのかもしれない。恋愛中と違って、男と女じゃなくなってくっていうか。子供ができたら更にサバサバした関係になるのかなー。いないから分からないけど」
「うん。俺には全く分からない。結婚してたって元は他人の男女でしょ? 更に絆が深まるとかそういう系の話はないの?」
「そういう夫婦もいるかもしれないけど……。私は知らないかなー。うちの親も絆ってよりは利益で繋がってた感じだし、私自身の結婚生活も絆ってのとは違うし」
「それって、どういう?」
「何だろね。自分で言っててよく分からないや」
「なにそれー」
曖昧に濁された感じだ。
旦那と仲良くなれるように頑張るんじゃなかったの?
マサの中に疑問が芽生えるが、それを口に出していいのか分からなかった。結局、アオイから明確な答えが聞けないまま話題は移り変わっていった。
「プリクラ、見る?」
アオイがカバンの中から手帳を取り出し、とあるページをパラパラと見せた。友人達との写真シールを貼りつけてあった。
唐突なアオイの言動にドキマギしつつ、まあこれもある程度親交のある仲ならよくあるやり取りだと思いマサはアオイの手帳に目を落とした。アオイはだいぶ酔いが回っているようだった。言葉こそはっきりしているが目が潤んでいる。
「これが、玲奈。可愛いでしょ」
アオイとは違ったタイプの美形が写っている。大人しそうな雰囲気に清楚な服装。玲奈は、カジュアルスタイルのアオイとは何もかもが正反対だった。
「へえ、この人が」
「反応薄!」
「どうしたってそうなるって」
砕けた口調で、マサは返した。
「色々聞かされてる身としてはコメントしづらいよ」
「だよね」
マサにつられるように苦笑し、アオイは大きく息を吸った。瞳は憂いを帯びる。意味なくおしぼりで指先を拭うと、マサはアオイの言葉を待った。
「玲奈のこと、子供の時から大好きだった」
「知ってる」
「でも……」
「でも?」
「こんなこと言ったら引かれるかもしれないけど……」
「俺なんて引かれるどころじゃ済まない過去晒されたんだよ。今さら変な遠慮はなしで」
マサはわざと茶化してみせた。アオイが話しやすいように。彼の心遣いを察して、アオイは一気にしゃべる。
「本音を言うと妬んだ瞬間もあったんだ。玲奈には頼もしいお父さんがいて、親身に悩みを聞いてくれるお母さんがいた。イトコとも親交が深くて。いつも玲奈から聞かされる親戚の話は楽しそうだった」
「うん」
「だから、玲奈の大切にしてる人が……。仁が私の元に来てくれた時、嬉しかった。でもその感情は百パーセント純粋な喜びじゃなくて、玲奈に勝った! 私の方が上なんだ! っていう、邪な思いも何割かは混ざってた」
「うん」
「引いた?」
「ううん」
「本当に?」
「本当だよ」
マサがきっぱりそう言っても、アオイは不安に顔を曇らせる。
「だってさ、そういうの俺も分かるし。人望厚いイクトのことが羨ましいって思ったことある。身近な友達が自分にないもの持ってたら気になるでしょ。無視する方が難しいって」
「でもさ、やっぱり悪い感情なんて持つものじゃないよ。人を蹴落としたら必ず報いがあるんだなって改めて分かった」
手帳のプリクラページに重なるように、アオイは二枚のチケットを置いた。見覚えのあるそれに、マサはみるみる目を見開いていく。
「これ……」
「ごめんね。せっかくくれたのに、無駄になっちゃった」
以前マサがアオイにあげた物だ。旦那と行くと言っていた、恋愛アクションものの映画のチケット。人気の映画とはいえ旦那受けは良くなかったのだろうか。悲しげなアオイの顔を見てマサは一瞬言葉に詰まったが、次の瞬間には平然を装った。
「でもまだ期間あるし、めげずに誘ってみたら? 恋愛ものって男でも意外と楽しめたりするし」
「この前の休みに行こうかって話してたんだけどねー……。出かける直前になって突然、仁が仕事先から呼び出されて行けなくなって……。なんかね、それで、もういいかなーって」
「あー、それはまあ、行く気なくすねー。ドタキャンみたいな扱いされたわけだし」
「前々からそうかなって思ってはいたけど。仁の気持ちは、やっぱり私にはないんだよ」
「仕事なら仕方ないんじゃない? 旦那も悪気はないと思うよ。今頃どう埋め合わせしようかって考えてるんじゃない?」
アオイを元気づけようと、マサは言葉を選んであらゆる励ましを試みた。酔いのせいもあるのだろうが、今日のアオイはネガティブモードが過ぎる。ここまでマイナス思考な彼女は出会って以来初めて見た。旦那と上手くやっているのだとばかり思っていただけに、深刻な雰囲気の彼女に戸惑ってもいる。
「ううん。それはないよ。自分で自分に引くんだけどさ、会社に電話して確かめたんだよね。急な仕事だなんて嘘。その日、仁は呼び出しなんて受けてなかった」
「それって……」
「仁は多分、浮気してる」




