譲れない一線
何やってんだろ、俺。
バイト先とは別のカフェで、マサは小さくため息をついた。スマートフォンには自分のツイッターページが表示されている。
バイトも休みで、特に予定もない暇な一日を、アオイにとってはライバル店ともなりうる他店で過ごすのには訳があった。
海に向かう車の中で、アオイが言っていたのだ。カフェ巡りをするのが趣味だと。趣味の延長でその店の特色をチェックする職業病的な癖が悲しいと笑って話していた。それからというもの、アオイの人格の一部が心に貼り付いたかのようにマサを突き動かした。カフェ巡りなんて柄でもなかったし、昔デートで行くのも退屈だとさえ思った場所なのに、カフェに出向くという行為にアオイの影がちらつく、ただそれだけで心を幸せに染めた。
そのついでというわけではないが、アオイの悩みを少しでも和らげることができたらいいと思い、ツイッターで店のクチコミを書いたりした。あまり連投すると関係者のステルスマーケティングだと言われかねないので、ツイートの回数は加減しながら。
ん? 短期バイトとはいえ俺も一応あそこの従業員だし、ある種のステマ…?
アオイには避けられているというのに彼女の店のクチコミを書いて集客数アップを狙うなんて、しょせん自己満足なのかもしれない。クチコミサイトならともかく、それもツイッターの裏アカウントを使ってするなんて。
とはいえ、着実に効果は出ている。カフェ好きなユーザーがリツイートしてくれたり、店の常連がツイートを見つけ出していいねを押してくれる。変な言い方かもしれないが、クチコミを広げるこの時間にやりがいすら覚える。マサにとって初めての感覚だった。
アオイと海に行った日から早くもひと月が過ぎようとしていた。八月も中旬を通り過ぎようとし、マサのアルバイト生活も残りおよそ一ヶ月となった。大学の夏休みは九月末までなので、カフェで働けるのもそれまで。このままアオイとぎくしゃくしたまま終わってしまうのだろうか。
彼女への気持ちは隠してきたつもりだ。でも、自覚できない部分で漏れていたのかもしれない。それで困ったアオイは、やむなくこちらを避けることにしたのだろうか。それも仕方ない。相手は既婚者だし、話を聞いている感じだと旦那に惚れ込んでいる。親友から奪ってしまうほどに。そんな女性に惚れてしまったのがいけなかった。
そう思おう。それが自然だ。俗に言う不倫という関係にすらなっていない。今なら引き返せる。アオイは単に寂しかったのだ。……そう思おうとしても、できない。あの夜抱きしめあって眠ったことがマサの胸を去来していた。
忘れられないのなら、もう、好きでいるしかないじゃん。
ある種の開き直りだった。アオイがどう思っているのかは分からない。もしかしたら、彼女の気持ちはマサにとって不都合な方へ流れた可能性もある。避けられているのがいい証拠だ。それでも、はいそうですかと受け入れられる度量をマサは持ち合わせていなかった。持ち合わせる気もない。
今後のことなんて分からないし、今を過ごすのに精一杯だが、アオイへの消しがたい気持ちを自覚してしまった以上、なかったことにできないのだけは分かった。だったら、したいようにするしかない。浅はかかもしれない。それでも、やはり、こんな気持ちを持てた自分を肯定したいのも本当だった。
切ないけれど嬉しい。人を好きになるのは、まさに不思議な感覚だった。自分の感情をじっくり観察するように、ライバル店の抹茶ラテを口に含んだ。イルレガーメの同一品より主張の弱いデコレーション、甘い生クリーム。嫌いではないが、アオイの作るイルレガーメ製が一番美味しいとマサは思った。
ま、俺の場合、評価に八割方私情入ってるから、レビューとしては偏ってるけど。
アオイは今も店で接客したり、軽食メニューの下ごしらえをしているのだろうか。想像するだけで愛おしさが込み上げた。あんな細い肩に店の命運を背負っているのだと思うと改めて尊敬の気持ちが湧くし、一学生の身であるが自分もアオイの役に立ちたい。そう思う。
「お客様、お水のお代わりはいかがでしょうか?」
ぼんやり考え事をしていたら、店の従業員がマサの元へやってきた。
「お願いします」
抹茶ラテを飲んでいるし大して水を飲みたい気分ではなかったが、何となく断れずコップ用のグラスを差し出した。
接客の鏡とはこのことか。水を注ぐ従業員の姿の所作は美しく、絵になると言うと大げさかもしれないがとても様になっている。三十代中頃の男性だった。女性受けの良さそうな端正な顔に、作りすぎない微笑が浮かんでいる。一般的に見て気持ちの良い接客をする男だ。
へえ。いい接客。歳的に社員かな。
やや上から目線で批評してみる。アオイの旦那を見たことはないが、こういうタイプなんだろうなと勝手な想像が働いた。積極的に顔を見たいとは思わないが、見えないと見えないで見てみたいと思うのが人情である。
ま、ライバル店とはいっても、この人達はアオイの店のことなど気にもかけていないんだろうけど。
なにせ、ここは全国規模のチェーン店だ。店ごとのオリジナルメニューが数種類あるようだし客層も幅広い。若者受けに特化した個人経営のイルレガーメなど目ではないだろう。
「ごゆっくりどうぞ」
水を注ぎ終えた従業員は軽く会釈をしてマサの席を離れていった。今後、自分でもああいう接客を心がけよう。アオイの全てになることはできなくても、欠片でも役に立てるのならそれがいい。それでいい。
抹茶ラテを飲み終え会計をすまし、店を出た。ビルの多い雑多な歩道をしばらく歩くと、見覚えのある姿とかちあった。
「おお! マサ君じゃーん」
「真琴さん。お疲れ様です」
最近イルレガーメに来た年上アルバイターの真琴だった。真琴はアオイの親しい友人だと聞いている。マサは自然と背筋が伸びた。この人はアオイと自分のことをどこまで知っているのだろう。
「バイト帰りですか?」
「ううん。バイトは休み。院の先輩ん家に行ってきた」
「ああ、そういえば心理学系の大学院に行ってるんでしたっけ」
「うん。昼頃飲みに誘われてね~。ごめんね、けっこう飲んだからお酒くさいかも」
言うほど臭いはなかったが、真琴の顔を見て、ついさきほどまで泥酔していたのだろうなということだけは分かった。ちょうど視界に入る場所に自販機を見つけたマサは、ペットボトルの水を購入し真琴に手渡した。
「おお、ありがとね~。お金はっと……」
「いいですよ。普段のお礼です」
「へ? 何かしたっけ?」
カバンを探る手を止め、真琴は赤らんだ頬のままポカンとマサを見つめた。
「バイト中、店長と俺の間がおかしくならないよう立ち回ってくれてましたよね。けっこうあれに救われてたとこあるんで。ありがとうございます」
「ああ、そんなことー……」
真琴は気まずげに視線を泳がせた。アオイがあからさまにマサを避けている様子に唯一気付いた真琴は、二人が仕事をしやすいよう何かと立ち回っていたのである。
「なんか悪いね。でもありがとう。いただきます。酔い醒ましにちょっと歩かない?」
「はい……」
雑路を抜けた先に、河川沿いに伸びる遊歩道があった。真琴の先導で、マサは初めてその道を歩いた。時間帯的に暗がりなのに街灯が多く、綺麗な景色が広がる場所だった。
「水を見てると気持ちが落ち着くよねー」
「はい。何でですかね」
「ああ、それね。人は元々海の生き物だったからって説があるよね。それと、お母さんの胎内にいる時を想起させられるからって説とか」
「へえ。そうなんですね。初めて聞きました。真琴さん、そういうことよく知ってますよね」
「かなぁ。無駄に好きなんだよね、そういう小話」
「無駄って。聞いてて楽しいですよ」
「そう? なら私も嬉しいよ」
二人はどちらかともなく鉄製の欄干に寄った。真琴は腹を、マサは背中から欄干にもたれた。
「この時間でも夏は暑いね~。昼間よりはマシだけど」
「太陽出てないだけで暑さ半減しますよね。真琴さんはお酒飲んだ後ってのもあるんでしょうけど」
「あー、酔うと暑くなるよね~。冬はそれがいいんだけど夏はね」
「大人ですね。俺にはまだよく分かりません。ビールとか美味しいと思えないし」
「あはは。そういえばマサ君まだ未成年だもんね。初々しいなぁ十八歳。私にもあったなぁ、そんな時代が」
「時代って。そんな昔の話でもないですよね」
「んーん。大きいよー、十八歳から二十三歳までの五年は……。価値観も感性も大きく揺れ動き変わっていく年月だから」
笑い合う二人の間に、必然のような沈黙が落ちた。ポトンと音まで立ったかのように。マサと真琴は同じことを考えた。そう、アオイのことを。
「真琴さんは店長の友達ですよね。なのにどうして俺のフォローまでするんですか? 偏見かもしれないけど、女の人って男より同性の友達の味方するイメージあるんで、意外というか、何というか……」
「もちろんアオイの味方だよ。だけどマサ君の敵になるつもりもない。アオイには幸せになってほしいんだ。ただ、それだけ」
「友達の幸せをそこまで願えるって、なんかすごいですね。友達いても、俺はそういうの感じたことないから」
「そうなんだね。私も、友達全員の幸せを願ってるわけじゃないよ」
河辺にやっていた視線をマサに向け、真琴は言った。
「アオイのことだから、そう思える」
真琴は語った。初めてアオイに出会った時のことを。
「二人は友達歴長いんですか?」
「んー。玲奈ちゃんとアオイの付き合いに比べたら浅いかな。アオイと友達になったのは高校に入ってしばらく経ってからだしね」
「玲奈って、店長の幼なじみでしたっけ。真琴さんもそのくらい長い付き合いかと思ってました」
マサは意外に思った。正直な感想を言うと、玲奈とアオイより、真琴とアオイの仲の方がずっと深く濃い友情に思える。
まあ、俺は玲奈って人と接点ないし、バイトで真琴さんとアオイの絡みを見てるからそう思うのかもしれないけど。
真琴は穏やかにかつ淡々と話した。
「玲奈ちゃんとアオイの間には、私には到底立ち入れないものがあるよ。それはたしか。でも、玲奈ちゃんが感じないものを私がアオイに感じていたのも本当」
「どういうことですか?」
マサは前のめりになる。
「心理学かじってる人間として、スピリチュアルな話は信じないでおくべきなんだろうけど……。高校入学後アオイと同じクラスになって、しゃべったことすらない頃から〝自分と同じ人かもしれない〟って直感したんだ。いわゆるソウルメイト的な感覚。アオイはあんな感じでしょ? 可愛くて明るくて人当たりもよくて爽やかで男子にもモテてて、雰囲気からして私とは正反対だから、人にそんなこと言ったら笑われちゃうだろうけどさ。真面目にそう思ったんだよ。実際、そうだった」
真琴も、両親の不仲で幼少期から人知れず寂しい思いを抱えて生きてきた。アオイと仲良くなって彼女もそういう生い立ちだったと聞いた時、直感は当たったと思った。
「まあさ、そういう家庭はいくらでもあるよ。アオイと私んちだけじゃない。アオイとの出会いは偶然に偶然が重なった程度の、日本のどこにでも転がってる話なんだと思う。それでも私には貴重な出会いに感じたから、アオイが私に友情を感じてくれている限り、私も全力でアオイを大切にしたいと思ったんだ。運良く、今日まで縁は続いてる」
「運良く、って……」
真琴の発言が自虐的にも聞こえ、マサは思わず言葉を挟んだ。
「彼氏彼女と違って、友情ってそう簡単に壊れたりしないでしょ。裏切ったりしない限りは」
って、イクトを裏切った俺が言うのも滑稽かな。
真琴は寂しげに小さく笑った。
「残念なことに、裏切りだけが友情崩壊の原因とは限らないんだよ」
「そうなんですか?」
「噂。誤解。偏見。価値観の相違。色々あるよ。同性同士の交流も、ささいなことでボタンのかけ違いが起きる。摩擦が生じる。そしていつしか互いに苦しくなって離れてしまう」
「……何かあったんですか? アオイと出会う前に」
「あはは。そりゃあまあ。ひとつやふたつくらいはねー」
「訊かないでおきます……」
「そうしてくれると嬉しい」
真琴は余裕すら感じさせる笑みでマサを見つめた。
「アオイもね、心の奥深くに私と同じものを持ってる。人とつながれない寂しさ。孤独。そこから抜け出せないという諦め」
「でも、アオイには旦那がいますよね。今すごく順調そうですけど。あ、嫌味とかじゃなくて」
慌てて言葉尻を付け足すマサに、真琴は諭すように「分かるよ」と言った。
「結婚する。その行為自体は実は簡単なんだよ。双方に気持ちが伴ってなくても婚姻届に印鑑を押して役所に持っていけば完了させられる。気持ちがあってもなくても可能な作業」
「そう言っちゃうと元も子もない気がしますけど、たしかにそうかもしれないですね。俺達のおじいちゃん世代くらいの人達は今の人達と違って見合い結婚が当然のようだったって、親戚も言ってたし」
「アオイもそう。それを分かってて今の旦那さんと結婚したはずなんだけど、今になって自分がしたことの虚しさを実感しはじめてる。相手の気持ちは婚姻制度で縛れないことを。婚姻届には愛情を引き出す効力なんて微塵もないということを」
「そうだとしても、今は旦那と上手くいってるから俺を避けてるんじゃ……」
「そうだね。そうかもしれない。夫婦のことは夫婦にしか分からないし。ただ……。似た者同士だし、アオイとは付き合いが長いから、あの子の考えが手に取るように分かってしまうんだ。口にされなくても」
「真琴さん……」
真琴が何を言いたいのか、マサは分かった。
「幸せになってほしいんですね。アオイに」
「そういうこと!」
真琴は苦笑した。
「私の身勝手極まりないんだけどさ。アオイには、胸を巣食う孤独から脱却して自分を取り戻せる真の幸せを手にしてほしいんだよ。そしたら私も少しは未来の人間関係に希望を持てるかもしれない。解せない過去を昇華できるかもしれない」
「真琴さんの気持ちは分かりました」
マサはゆっくり真琴の気持ちを飲み込んだ。
真琴のように気さくな人でもそんな孤独を抱えているんだな。正直、意外だった。
その上で思う。人とはそういうものかもしれないと。恋など知らなかった自分がアオイのことばかり考えてしまっているように、どれかひとつではなく、いくつもの異なる面が合わさって一人の人間が作られているのかもしれない。
「ざっくり言うと、アオイと俺の関係を応援してくれてるってことですよね」
「そういうこと」
「でも、アオイが何を求めてるか、決めるのは本人だから。今アオイが旦那を大事にすると決めたなら、俺の出る幕ないですよ」
「店長からアオイに変わってる」
「え?」
「呼び方。さっきまでは、アオイのこと店長って言ってた。まるで自制心を保つみたいに」
指摘され、マサは顔を真っ赤にさせた。真琴の前でくらい一バイトとして振る舞うつもりだったのに、いつの間にかプライベートな顔が出てきてしまった。
「すいませんっ。今の忘れて下さい」
「えー? いいと思うけどな。マサ君がアオイの名前呼ぶ時、愛しさが込められてた。個人的にはすごく萌えるよ」
「萌えって! からかわないで下さいよっ」
「あはは。ごめんね。酔っ払いの戯言だと思って流してー。ああー。今さらだけど、変なこといっぱいしゃべったかも」
「ここだけの話にしておきますよ。ま、酔っ払いのわりには流暢にしゃべってましたけどね」
「マサ君には敵わないね!」
本気か冗談か分からない口調で最後の言葉を飾り、真琴はフラフラと帰っていった。
「じゃあ、またバイトでねー。あ、これ、ごちそうさま!」
水のペットボトル片手にそう言い残して。
真琴の姿が全く見えなくなったのを確かめ、マサは大きくため息をついた。とても疲れた。しかし、悪い疲労感ではなかった。酔っ払いの相手は疲れるとよく言うが、そういうのとも違っていた。
「真琴さんも色々たまってるんだな……」
それでも、普段は苦労を表に出さず明るくしている。そんなところはたしかにアオイと似ている。真琴が心理学系の大学院に行っているのは、将来臨床心理士になって悩める人を助けたいからだとバイトの休憩中に話していたが、それが本当なら、自分のことより他人のことを優先させるのが真琴の本質なのだろうか。だとしたら、その性質はアオイにも備わっているということか。
真琴さんは、人の悩みより自分の心の闇を解決するのが先だと思うけど。って、これこそ余計なお世話かな。
プライベートな話を聞いてしまったせいか、真琴に対しても同情めいた気持ちが生じている。あくまで、少し親しいバイト同士の範囲でだが。
わざわざ言いたくないような過去を持ち出してまで真琴はアオイとのことを後押ししてきた。よほどアオイを大切に思っているのだろう。それだけは分かる。
「アオイの心に巣食う孤独、か……」
アオイの旦那には、彼女の孤独を癒すほどの器はないのだろうか。真琴は暗にそれを伝えようとしていたのか。
「んー、分からない!」
真琴は、明確にアオイの旦那の悪口を言ったわけではない。ぼかしているのだとしても、マサにはそれを決定づけることはできなかった。
「アオイも真琴さんも、分かりづらい……」
一人ごちる。彼女達の分かりづらさも、今のマサには快適な悩みのように感じられる。
分からないから知りたい。そう思うのも間違ってる?
今考えられる唯一の希望は、アオイの親友が後押ししてくれていることだった。それも、少し前の自分だったら喜べていたかもしれない。しかし、今はただただ複雑である。当のアオイからは避けられたままなのだから。
いっそのこと、はっきり嫌いだと言われれば楽になれるのに。いや、アオイの性格的にそれはないか。
どんな嫌な客に対してもスマイルと感じの良さを貫くアオイに、残酷な態度を望むのは酷というもの。やはり、自分から突き放すしかないのだろうか。旦那と幸せになれ。そう言って。
いやいや! そんな思ってもないこと言えないし!
頭の中は困惑に満ちていた。真琴の後押しがかえってマサを悩ませた。
アオイの家庭を壊さない程度の友情を彼女と育みつつ、ぼんやり片想いしていられたらそれでいい。その程度だった小さな気持ちが、今はもう、別のものに変わってきている。
本音を言うと、バイト先で顔を見るだけではもう満たされない。本当は彼女と食事に行きたい。同じものを口にして美味しいだのまずいだのと言い合いたい。出来ることなら一緒に綺麗な景色や映画を見て感想を語り合いたい。バイトとは別の枠でアオイの時間を独占したい。何もしなくてもいいから、自分のアパートに寄っていってたわいない会話をしていってほしい。仕事の後、旦那のいる家に帰ってほしくない。
「一緒にいても寂しいなら、そんな旦那切っちゃえばいいのに……」
本人には到底言えるわけのないセリフを吐いて、満たされない思いをごまかした。
「ははっ、情けなー……」
ださくて無様で報われない。その上どうしようもない独りよがり。一方的に膨らむ独占欲。感情のまま狂ったように大声で叫びたくなる。それらはもれなく片想いがもたらす副作用なのだと、激しく思い知る。
真琴さんの応援があったって、アオイにその気がなければ意味ないよ。
河川から流れる静かな波の音。先日の大雨のせいか、水の流れはやや激しい。まるで自分の今の気持ちだとマサは思った。高校時代までとはまた違う、こんなに汚い身勝手な心が自分にもあったなんて。
「今なら、あの頃のイクトの気持ちがよく分かる……」
両手で欄干を強く握り、内から込み上げる悪い感情をなだめようとした。今はまだ大丈夫。この感情を知るのは自分だけなのだから。なかったことにすればいい。アオイに知られてしまう前に消してしまおう。
消えろ。消えろ。
独占欲も、恋情も、全てを握りつぶす勢いで欄干を強く握った。両方の手のひらが熱くなり、こめかみからはだらだらと汗が流れた。この上ない不快感が全身を覆う。
「…………!」
スマートフォンの着信音が鳴った。やけに大きく耳に響いて、反射的に体がびくつく。発信元を見て全身が強ばった。
「アオイ……?」
バイト先のイルレガーメからの電話だった。バイト同士でのシフト交換の相談は基本的にラインでやるので、店から直接電話をかけてくるのは店長以外にいない。それにアオイとは個人的な連絡先のやり取りをしていないから、直接連絡してくるとしたら店の電話から以外ありえない。とはいえ、仕事の件で連絡が来たことは今まで一度もなかった。あるとすれば、バイトの面接の合否を伝えてもらう時くらいだった。イルレガーメの番号を登録していたのもそのためで、普段は番号登録していたのを忘れているほどだ。
ってことは、個人的な話で電話してきたんだよな?
マサは電話に出るのを迷った。留守番電話に切り替えてしまおうかと思ってしまう。避けられている手前、いい話題ではないだろうから。
諦めようとしてるんだから、もう少し待ってよ。
今アオイに何かを言われたら、限界のところで塞き止めていた感情が決壊してしまう。そんな、悪い想像で胸が張り裂けそうだ。
何で今なの!? お願いだから、何も望まないでいられる自分になるから、気持ちの整理がつくまで待ってよ!
マサの切実な願いとは裏腹に電話は鳴り続けた。アオイにもここで引けない意地があるのだろうか。スマートフォンの着信音に深い絶望感とそれに伴う恐怖を持ったのはこれが初めてだった。




