共存できない気持ち
それから二日後、マサはバイトに出た。
ラブホテルに一人残された直後は底なしの切なさを味わったが、今は何とか平常心を保てている。昨日、アパートに大学の友人数人が訪ねてきた。そこでの会話がきっかけで、気分転換の方法を見つけたのだ。
ツイッター。面倒だと思って全く触っていなかったが、中学の頃からアカウントだけは作ってあった。大学の友人達の大半が私生活の楽しい出来事や愚痴をつぶやくためにツイッターを利用しているとかで、だったらこの際自分もやってみるかと思い至った。とりあえず今の思いをツイッターに落としてみたら、期待以上に気持ちが晴れやかになったのですっかりはまった。
《二日ぶりに顔みれるー!緊張するけど楽しみの方が大きい!》
バイト前に書いたツイッター。内容はアオイへの感情そのものだった。
不思議なもので、気持ちを何かに表現するというのはこんなにも身軽になれる。アオイと顔を合わせたらどう接しようか悩んだりもしたが、ツイッターに本音を書いたのも手伝って、今日はあまり悲観的にならずにすんでいた。むしろ前向きにすら考えられた。アオイならこれまで通り店長として普通に接してくれるだろう、と。
もちろん、ラブホテルでのソフレごっこやアオイの甘えた表情は今でも胸に焼きついている。ただ、アオイとの関係を穏やかなまま保つのには自制心第一であるのもたしか。アオイが仕事をしづらいと感じてしまわないようこちらも振る舞おうと思う。裏口からスタッフルームに入ると店の制服に着替え、マサは数回深呼吸をした。
大丈夫。アオイは友達なんだ。普通に今まで通りの感じで。リラックスしてこ。
スタッフルームから店内のキッチンスペースに入ると、アオイの姿があった。ランチのサラダに使う野菜を切っている。それまでと変わらない仕事中のアオイの姿に、もう胸が溶かされそうになった。あれほど落ち着いていたのが嘘のように急激に心拍数が上がる。
「おはようございます」
ポーカーフェイスで挨拶をした。アオイもこちらを見て明るく挨拶してくれるものだと思った。だが、彼女は野菜から目を話すことなく、
「おはよう。3番テーブルの片付けお願いしていい?」
と、淡々と指示を出した。心なしか口調もそっけない。
「了解です」
いつものアオイと何かが違う。普段なら、指示を出す時は必ず相手の目を見る人なのに。引っかかりを覚えたものの、ざっと客席を見るとこの時間にしては多くの客がいたのでアオイも忙しいのかもしれないと思い、この時は気にしないようにした。
だが、客足が落ち着いてからもアオイの不自然な言動はそのままだった。さすがにマサは違和感を覚えた。
もしかしなくても、避けられてる?
客足が落ち着き、スタッフ同士の雑談が許される空気ができた。これまでなら、アオイとも取り留めのない会話で場をつないでいた。アオイに苦手意識があった頃はやや気まずい時間だったが、今なら唯一の楽しい時間帯になるはずだった。しかし、今日はただただ静かで、漂った沈黙の空気に、互いの心情を探り合う気配すら感じるようだ。
アオイの不自然な態度に、マサは自分が避けられていることを確信した。そして、自分の気持ちが悟られているかもしれないことを懸念した。
でも、バレるようなこと言ったりしたりしてないし……。
あくまで友人として振る舞った。そういう自覚だった。恋とは非常に不思議で、他人の事ならば的確に観察できるのに自分のこととなると客観視しづらくなる。バレていないと思っているのは自分だけだったりする。今のマサもまさにその状態だった。アオイへの好意を寝言でつぶやいてしまっていたなんて、それこそ夢にも考えていない。
ただ、そこで突っ走らないで一旦冷静に思考できるのは、元々の性格がうまく作用した結果と言える。理由はともあれ、避けられている以上、強引に踏み込むわけにはいかないと考えた。当然、避けられる理由がはっきり分からないことによる戸惑いはある。だが、ここで詰め寄ってもこじれるだけだと思った。だったら、しばらくこのまま観察してみるしかない。
それに、今の自分にはツイッターがある。そこに思いの丈を吐き出してしまえばいい。そしたら多少は楽になれる。
《避けられている。知らないうちに嫌われるようなことをしてしまったかな。前みたいに会話できなくて寂しい》
《置いてってもらった宿泊費、返すつもりだったけどその隙すらない。受け取ってもらえないならせめて割り勘でいいって伝えたいけど……。それすら許されない空気が漂ってる。》
休憩中、現実から目を逸らすような気持ちでそんなことをつぶやいた。
結局その日は、仕事に関する味気ないやり取りに終始し、アオイと笑い合うのはおろか目が合うこともなくバイトは終わった。いつも通り「お疲れ様でした。お先に失礼します」の挨拶ですませてもよかったが、こちらまでそんなことをしたら取り返しのつかないほどアオイとの距離ができてしまいそうでこわい。なので、マサは一言付け足すことにした。
「お先に失礼します。遅くまで大変でしょうけど、無理しないで下さいね。お疲れ様でした」
そこでようやくアオイは顔を上げマサの顔を見た。……が、アオイが視線を上げる頃にはそこにマサの姿はなく、彼が店の外に出る音だけが残った。
「マサ……」
アオイの胸に、罪悪感と同じくらいの熱が込み上げていた。人に惹かれた時特有の熱が。
「もう、優しくしないで」
アオイ一人の店内に、その囁きは淡くにじみ溶け込んだ。心の中に、マサの優しい言動と、それに重なるように仁の顔が浮かんだ。
最近の仁はやけに明るく機嫌がいい。元々穏やかな人柄ではあったが、結婚後は慣れない仕事に疲れた様子を見せることも多かったので、ようやく笑える余裕が出た仁を見てアオイは安堵した。その安堵は永遠のもの。そう思ってしまうような出来事が起きた。仁の方からスキンシップをはかってきたのだ。ここ最近手さえつないでもらえなかったのが嘘かのように彼の方から強い抱擁をしてくる。久しぶりに感じた旦那の体温。仁の変化にかすかな違和感を覚えたものの、そんな旦那の対応を見ていたら、やはりこの結婚生活を壊すような真似はできないと思い直した。
私は仁の妻なんだ。他の人に揺らいじゃいけない。もう、絶対に。
身勝手だと分かっている。さんざん甘えておいてそっけなくするなんて、マサからしたら酷なことをしている。
もう二度としないから。
明日からは真琴がバイトで店に来る。真琴を雇ったのは当然、仕事探しで困っていた彼女を助けたかったからだが、マサに惹かれ始めている今、真琴が職場にいることで自分を律することができるかもしれないと思った。もしマサに変な気を起こすようなことがあったら遠慮なく指摘してもらえる。
それから数日間は、穏やかながらもマサを避ける日常が続いた。もちろん仕事に必要な会話は交わしていたがそれだけだ。バイトに入りたての真琴も、アオイとマサの様子を見てさすがに眉を寄せた。
「アオイ、気持ちは分かるけどあからさま過ぎない? それじゃあ特別意識してますって言ってるようなものだよ」
「そうかもしれない。でも、どういう感じが〝普通の言動〟なのか分からなくなっちゃったんだよ……」
「アオイ……」
真琴はそれ以上何も言わなかった。
アオイは非常に葛藤している。仁に対する義理と、マサに対する気持ちの在り方。二つの気持ちは同居できないししてはいけない。
アオイの幸せを祈ってる。ただそれだけだよ、私は。仁君はともかく、マサ君はどう動くんだろう?
そんなことを考えながら真琴はバイトに臨んだ。意識せずとも、アオイとマサ、二人を見守るような心持ちになっていくのだった。




