109 帝国の北で
デュフォー帝国の北に、ヘイス・シャレットはいた。
ルーデンス魔導伯の養子となった彼は、北に視線を向けていた。
そこはデュフォー帝国の土地であるが、現在はアスター・デュフォーが反旗を翻したため、実質的な国境となっている。
向こうには、多くの兵の姿が見える。諸侯が引き連れている兵がそこまで屈強な男たちというわけではなく、たいていは徴兵したばかりで使い物にならない者たちだ。
しかし、アスターが各地に送り込んだ者たちは、それとは一線を画する。
ヘイスは敵を見据えながら、これまでの出来事を思い返していた。
ルーデンス魔導伯の義子である彼とルフィナの結婚は、ほとんど民に知らされることなく進められた。それはもしかすると、帝国側としては、たかが平民に第四皇女とはいえルフィナを出すのには少々の反発があったからだろう。
そして人々がそれを知れば、なぜそのようなことに、と思うに違いない。のみならず、ルーデンス領の力を借りなければならない現状を知ることになる。
ゆえに彼らの婚姻は、ヘイスが勝利を収めてから知らされることになっていた。
(裏切り者アスター・デュフォーの兵を蹴散らし大勝利を上げた英雄、ヘイス・シャレットに惚れたルフィナ・デュフォーは恋に落ちた。おおかたそんな筋書きだろうな)
英雄譚さながらの活躍を見せれば、それは皇帝の権威の失墜ではなく、民にとっては憧れるべき平民からの成り上がりという風に見られることだろう。
どこまでいってもやはり身分はつきまとうものだが、ルーデンス領の戦力を当てにしての婚姻だ。無理もないことだ。
けれど、ヘイスは腐っているわけではなかった。むしろ、その逆である。この上なく士気は高かった。
「よし、お前ら。竜騎兵隊の強さを見せてやろうじゃないか!」
ヘイスは部下たちにそう告げると、大きな声が上がる。
が、その規模は普段よりも小さい。これはどちらかと言えば、ヘイスの親衛隊としてついてきたという形が近く、全軍で来たわけでもないのだ。
あくまで将軍は帝国の者である。もっと言えば、竜騎兵隊は端っこのほうにおまけ程度にくっついている形だった。ドラゴンに踏み潰されたり暴れたりしないかと、危険視されていたのかもしれない。
そのような状況だが、ヘイスはそれでも活躍しなければならない。そんな彼の近くで、隊員たちは口々に好き勝手なことを言っていた。
「隊長は、かっこいいところ見せないと、振られちゃいますからね」
「いいなあ隊長。あんな美人な嫁さんもらえるなんて」
「すぐに尻に敷かれるぞ。一ヶ月も持たないと見た」
「じゃあ俺は一週間に賭けるぞ」
そんなことを言われていたヘイスは、彼らを振り返ると、表情を改めて告げるのだ。
「お前ら、言いたい放題言いやがって。戦いの前だってのに、緊張感はないのか」
「いやまあ……隊長が普段こんな調子だったものですから。仕方ないじゃないですか」
そう返されると、ヘイスも立つ瀬がない。
お調子者のヘイスはずっとこんな調子であったし、その配下の兵たちもつられてこうなってきたのだ。時間をかけて作り上げられた竜騎兵隊の雰囲気とも言えよう。
しかし、お気楽というわけではない。ゆったりと構えているのだ。
だから、この隊は逆境にも強いし、緊張することもなく安定して実力を出せていた。
そんな彼らであったが、帝国の将軍が命令を下すと、全軍が動き始める。すでに北の諸侯率いる部隊はこちらに向かってきていたのだ。
やがてそれらが衝突することになるだろう。
「進め! ほかの隊を置いていかないようにな!」
ヘイスが号令をかけると、ドラゴンたちは足並みを揃えて進軍する。歩兵と比べると体が大きく、ゆっくり歩いているだけでも突出してしまいそうになる。
ルーデンス領では歩兵も魔術師ばかりであったため、こうして調子を揃えるのはあまりない経験だった。
けれど、彼らはドラゴンを巧みに操って、敵との距離を詰める。
そしていよいよ、距離が間近になると、遠くから弓矢による攻撃が始まった。
矢が飛び交う中、竜騎兵隊の前方では幾何模様が生じ、風の壁が矢を阻んでいた。
「突撃!」
歩兵による突撃が始まると、互いにそれらが動き始める。
群と群がぶつかろうとする一方、ヘイスはドラゴンによって迂回しながら横、あるいは背後から一気に攻める予定だった。
遊軍ということで、ある程度好き勝手なことをしようが、敵さえ倒していれば文句も言われない立場だ。期待されていないと言い換えてもいいかもしれない。
だが、ヘイスは声を張り上げる。
「さあ、お前ら! だらしないところを見せては、ルーデンス領に帰れねえぞ!」
彼は手にした深緑の金属、竜銀を手にすると、それはすぐに形を変えて槍を形成する。そして一気に歩兵の横から飛び込むと、ドラゴンは大きな音を立てて数名を踏み潰し、ヘイスが奮う槍が一気に十を超える兵を宙へと飛ばした。
そしてさらに十数のドラゴンがあとに続くと、絶叫が上がる。
歩兵は衝突に備えて密集しており、動くこともままならなかったのだ。
次々とドラゴンが敵を蹴散らすと、中心から離れたところにいる兵から、その場を離れて逃げ出した。帝国ではドラゴンはほとんど見られないため、ここまで強い生き物だとは想像できなかったのだろう。しかし、ひとたび知ってしまえば、震え上がらずにはいられなかった。
「進め! 敵将を討ち取るぞ! 俺たちが手柄を上げるんだ!」
ヘイスは激しく槍を振るったかと思えば、次の瞬間にはドラゴンに立ち向かってくる敵兵目がけて風刃の魔術を用いている。
竜騎兵は、上に乗っている魔術師が主体となるものではない。ドラゴンの突撃力を生かして武器に衝撃を載せたり、魔術でドラゴンを守ったりするのが主な役割だ。
そしてドラゴンはそれを信じ、ひた走る。敵を蹴散らし、大群の中でも勇猛に吼えるのだ!
浮き足立つ敵兵に、帝国の兵も飛びかかっていく。
元々、地力には差があったのだ。鍛え上げられた常備兵による部隊は、寄せ集めの兵など簡単に打ち倒していく。
だが――
「ぐわああああ!」
血しぶきが上がる一帯があった。
それは帝国の陣形を崩していく。そこにいるのはただ数名の、大柄な男だった。
それを遠くから見えていたヘイスは、はっとした。そして同時に激しい怒りも覚える。
「あいつは……!」
その動きは人型をしていた肉塊とさほど変わらない。見た目こそ人の姿を保っているが、おそらくは完成に近づいたというだけ。
すなわち、あれが禁術を用いられたアスターの兵。かつてトゥッカの命を奪ったやつらの手先!
「よくもルーデンス領を襲いやがったな。ここで俺に合ったのが運の尽きと思え!」
ヘイスは激しい怒りを、一呼吸で静める。
気持ちが乱れていれば、それはドラゴンに伝わってしまうから。ゆえに、腹の底に怒りを押さえ込み、努めて冷静に敵を見据える。
ただ、苛烈な闘志だけを残して。
「ギュオオオオオ!」
ドラゴンは彼の意志を反映して声を張り上げる。びりびりと空気を伝わる振動に、腰を抜かす敵兵すらいた。
その中を、竜騎兵隊は駆ける。背を向けた者は追わず、立ち向かってくる敵を一太刀で仕留める。
もはや、戦いの趨勢は決したと言えよう。だが、それは敵にとっても似たようなものだった。
アスターの兵は将軍のところへと突き進んでいっているのだ。このままでは、討ち取られるのも時間の問題。
ヘイスはドラゴンの速度を上げて思い切り突き進んでいき、そしてようやく敵を捉えた。
槍を構え、ドラゴンの体重を乗せて、背を向けている大男へと突撃する。
直後、重い手応えがあった。穂先はその胴体をしかと貫いていたのだ。
まずは一人。
そう思った直後、男は上体をあり得ないほどにくるりと向けて、ヘイスへと顔を向けてくる。そして手にした大剣が勢いよく放たれた。
「伏せろ!」
ドラゴンが咄嗟に頭を下げるも、そうなると今度は背に乗っているヘイス目がけて刃は突き進むことになる。
そこでヘイスはドラゴンの上から跳び上がった。敵の背には槍が突き刺さったままであり、それを握っていれば、敵が振り向くとともに振り回されるように動くことができたのだ。
そしてヘイスは槍を器用に用いて空中に跳び上がるとともに、竜銀を変形させた。
舞い上がった彼は力の魔術を用いて自身の体勢を整えつつ、くるりと回転する勢いとともに、薙刀のように刃の長い得物を放った。
緑の刃は敵の頭を真っ二つに引き裂く。そしてヘイスはその反動を生かしてドラゴンのところに戻ると、さっと背に乗る。
「バッチリだな、相棒」
ドラゴンに声をかけたヘイスは、それでもなお動く敵を見て、ぎょっとした。
先ほどと動きがまるで違うことから、頭を割られて死んだのだろう。それでも、魔力が残っている限り、敵を打ち倒すように禁術を用いられているのかもしれない。
そしてその男たちは、狙いをヘイスへと切り替えていた。
が、竜騎兵隊もすぐそこに到着している。
雑兵たちはこの戦いにもはや参加することはできず、遠巻きに見守っていた。
おあつらえ向きだ、とさえヘイスは思う。彼がすべきことは、ヴィレムの敵である魔術師を倒すこと。そしてここで手柄を上げることなのだ。決して、雑魚を蹴散らすことではない。
「よし、お前ら。ぶっ倒すぞ!」
ヘイスの声とともに、ドラゴンが一斉に動き出した。