1.
お盆休み短期集中連載。朝・昼・晩の三回更新で、三日後くらいに完結の予定です。
「ごめん。今日の夜会には出られなくなった」
婚約者から届いた走り書きの伝言に、ヴェラは「また?」と眉を顰めた。
理由は、来たる精霊祭に向けて、聖女様のお手伝いが必要だから。
夜会のエスコートをキャンセルされたのは、今シーズンに入ってすでに三回目。
お茶会や観劇、展覧会なども含めれば、その数はもう数えるのも嫌になるほどだ。
「まったく、あの聖女様ときたら!」
今夜着ていくはずだった夜会用のドレスを片づけながら、侍女たちが口々に怒っている。
「精霊祭なんて、三ヶ月も先ではありませんか」
「つい先日、花祭りが終わったばかりだというのに。他人様の婚約者を四六時中侍らせて、どういうおつもりなんでしょう!」
「侍らせてはいないと思うわ」
婚約者のクイルは聖女庁に勤める文官だ。由緒ある侯爵家の次男とはいえ、本人が持っているのは法官貴族としての男爵位。聖女が彼の存在を知っているかどうかすら怪しいものだとヴェラは思う。
にもかかわらず、クイルがこれほど忙しいのは、ひとつには彼が紛れもなく優秀だから。
そして最大の理由というか元凶は、半年前に聖女庁にやってきたクイルの直属の上司だった。
――エルバン第二王子。
彼が長官になったとたん、聖女庁は、王宮でも有数の多忙な部署になってしまった。それまでは、一線を退いた王宮職員たちがのんびりゆったり仕事する、閑職の代名詞みたいな職場だったのに。
(油断しましたわ)
ヴェラはひそかに歯噛みする。
彼女はいわゆる転生者。前世は日本という国で、ブラック企業に勤める夫を死なせた記憶があった。
恋人時代の彼とは、休みのたびに旅行に行った。湖が好きな人だった。
プロポーズは摩周湖を見下ろす展望台。日本一の透明度を誇り、世界でも二番目にきれいな湖なのだと、その時初めて教えてもらった。
世界で一番透明度の高いニュージーランドのブルー・レイクを見るのが夢で、だけどそこはものすごく厳しい規制があるし、そもそも辿り着くのが大変だから、結婚してからのプロジェクトだね、と笑い合った彼は、そのために転職した会社で、半年ももたずにぼろぼろになった。
結婚生活はわずか一年足らず。夫の死後、自分がどうなったのかは覚えていない。こうして転生しているからには、どのみち死んだのだろうけど。
――という記憶が蘇ったのは、年頃になったヴェラのもとに釣書が届き始めて間もなくのことだった。
(あんな思いは二度とごめんですわ)
そう思ったヴェラは、だから、今生では出世と無縁の男を選んだ。
おっとりと優しい性格で、勤め先は年に数回、式典を回すだけの部署。
身体を壊した職員の代わりに力仕事を引き受けたり、引退間際のおじいちゃん職員のチェスの相手をしたり。おばあちゃん職員の茶飲み話にも、にこにこしながらつきあう彼は、孫みたいに可愛がられはしても、表舞台に立つことはない。
幸い、彼――クイルもヴェラに最初から好意的で、婚約はとんとん拍子に調った。
結婚したら、夜は必ず家にいて、休日には二人で庭を歩いて、退屈きわまりない老後まで一直線。そういう人生になるはずだった。
――あの王子が来るまでは。
(駄目ですわ。このままじゃ)
ヴェラはふいに立ち上がった。侍女たちが怪訝そうな目を向けてくる。
「そのドレス、やっぱり着せてちょうだい。宰相府に――お父様のところに行くわ」
◆◆◆
王宮別館。
シャンデリアが煌々と灯り、華やかな夜会が催されている本棟の大広間とは対照的に、宰相府の廊下は暗く、ずらりと並ぶ部屋べやの扉から漏れる明かりだけを頼りに進まなければならなかった。
そこらじゅうから、声を抑えたやりとりや、ひっきりなしにペンを走らせるかりかりという音が聞こえてくる。
「聖女庁の人員を増やしてほしい?」
仕事がら多忙を極める父とは、月に一度会えるかどうか。
久しぶりに顔を合わせた父は、目に見えて白髪が増え、心なしか背中も丸まっているようだった。
聞けば、しばらく前から陛下のご体調が思わしくなく、公務が滞っているという。
「あそこはそんなに忙しい部署じゃないだろう。今は花祭りが終わったばかりだし、精霊祭もまだ先だし」
「エルバン殿下もそうおっしゃって、人員を大幅に削減した結果、残った者の負担がとんでもないことになっているのですわ!」
「……そういえば、殿下は今は聖女庁だったな」
宰相補佐官である父は、そう言うと眉根を揉んでため息をついた。
「残念だが、聖女庁の人事は宰相府の管轄外だ。どうしてもというなら殿下に直接お願いするしかないが……」
「無理ですわね」
一介の伯爵令嬢、それも王宮職員でもないヴェラが、聖女庁の長官たる第二王子に仕事のことで直訴するなんて不可能だ。
「殿下は大変優秀な方だ」
「ええ」
優秀すぎて、家臣の中には殿下のほうが王太子にふさわしいのでは、などと言い出す者が出てくるほど。
だから、敢えて閑職と言われる聖女庁に回されたのだが……。
「殿下は、そこでも才覚を遺憾なく発揮された」
「その通りですわ」
要するに、ど田舎の支店に飛ばされた本社の敏腕役員が、復帰をかけて大改革を始めたようなものだ。
しかも、それが成功してしまった。
百年に一度と言われるほど高い霊力を発現した今代の聖女を大々的に宣伝し、聖女様の絵姿だの、聖女の祈りをこめた聖水だのを売り出した結果、王宮内の赤字部署だった聖女庁は、半年足らずで黒字に転じたのだ。
「ですけど、お父様はご存知ですの? 聖女庁の職員は、殿下の着任当時より、さらに減っていますのよ!」
長官職に就くや否や、王子はすぐさま組織の見直しを行い、「不要」と見做した人員をばっさばっさと切り捨てた。
それでも業務は回せただろう。仕事の量が変わらなければ。
だが、そこへ今まではなかった聖女様の国内巡礼の手配だの、絵姿の発注業務だの、聖水の販路拡大だのが加わったのだ。
もともと老齢だったり、身体を壊して聖女庁に回されていた職員たちは、みるみる脱落していった。
今では臨時雇用の平民職員を除けば、正規の職員は殿下とクイルの二人しか残っていない。
「何と。そんなことになっていたとは……」
さすがの父もそこまでは知らなかったらしく、ヴェラの話に目を見開いた。
「このままではクイル様が過労死……いえ、お身体を壊してしまいますわ。お願いです、お父様。何とかクイル様を助けてください」
「わかった。私のほうでもできるだけのことはしてみよう」




