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天国か地獄か  作者: 垓
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報酬の話

「全くの健康に見えます」

 粗末な小屋に、蝋を引いた革製のガウンと嘴状の細長いマスク、つば広の帽子を被った医者が入っていったのは、それから3日が過ぎた頃のことだった。案の定というか、呼び寄せた医者は順調にこの村に向かうことが叶わず、道中の橋が落ちたとかで随分と迂回させられた末に予定の日数にさらに1日時間を掛けて、この廃村に到着した。

 それまでの間、廃村に残された物的証拠と捕らえた真主神信仰の信者たちへの尋問などから、悪事の摘発に必要な資料は十分に集まり、そのためにテオやスティカが走り回ることになるのだが、一方で神父は伝染病を広めないために粗末な小屋に隔離され続けた。

 ところが、神父は小屋の中で随分と元気そうだった。初日こそ多少は具合が悪そうにしていたが、翌日以降は全く不調の素振りを見せず、続いていた咳さえも一度も聞こえてこなかった。テオ、スティカのみならず、廃村に踏み込んだ警察官たちも神父の身を案じていたのか、あるいは単に野次馬精神のためか、黒死病専門医が小屋に入っていくのを大勢の者たちが見守る中、短い問診がなされた後、小屋から顔を出した医者が告げたのは神父が全くの健康であるという冒頭の診察結果であった。

「えっ……、じゃあ、先輩は最初から感染なんてしてなかったってことですか?」

「いえ、テオ神父様のご判断は正しかったかと。あの状況では隔離が必須であったでしょう。経過を聞くに、感染もあったものと思われますが……神父様の自身の体力で治癒してしまわれたのでしょう」

 医者がマスクの下からくぐもった声で言った。治療のために大きなトランクを携えていたようだが、それすら用済みになったもので医者が溜息を吐いた。

「ですが、もはや隔離も不要。念のため、お体は清められた方が良いでしょうが、さらに病の広がる恐れはないでしょう」

「そうですか……」

 ぽかんと呆気に取られた様子で口を開けて医者の話を聞いていたテオは、間の抜けた返事をするので精一杯だった。スティカは喜んで小屋の扉を開けて、「もう出ても大丈夫」と神父を呼ばわった。神父が小屋から遠慮がちに顔を出す。数日ぶりに見る神父は、病などとは無縁の血色の良い顔色で、出迎える者たちに向かってぎこちなくはにかんだ。

 大半の者たちが神父の無事を喜ぶ一方、少し離れた場所で成り行きを見守っている護衛だけは微妙な顔をしている。神父はそれに気が付くとすたすたとその側にやってきて、珍しく気安い調子で話しかけた。

「ありがとうございました」

 何の打算もなく、ただそう告げただけなのに、護衛は気まずそうに神父から目を逸らす。おや、と首を傾げる神父の方は見ることなく、護衛は明後日な方を見つめながら言った。

「あー、その……何故礼を?」

「何故?」

 一瞬、神父は周囲の者たちの視線を探るように振り返る。既に集まった警官たちの興味は神父から逸れて、医者の出す指示へと向いている。医者の到着を待たずに息を引き取った司祭の死体の処理について、感染を広げない形での火葬を医者が提案しているところであった。誰も、神父と護衛の会話など聞いていなかった。

「あなたが何かしてくださったから、病が治癒したのではないですか?」

「うん、その、したな」

 珍しく、妙に護衛の歯切れが悪い。ますます神父は怪訝な表情で護衛を見返す他ない。そんな視線を受けて、ようやく護衛はバツが悪そうに神父を見た。

「覚えてないのか?」

「どういうことですか?」

 護衛が何を言いたいのか本気で分からず、神父は再度首を傾げた。ある晩を境に、神父の体調は劇的に良くなった。同じ晩、護衛が夢枕に立ったことも覚えている。何かされたというならその時だろうが、具体的に何をされたものであるかは神父にも分からない。夢の中でのあの会話がそれに当たるというのなら、覚えているということになるだろうか。

「覚えているというのは、あの会話の内容ということでしょうか? あなたが普段何を食べているとか、そういう……」

 ようやく、護衛の表情が変わる。肩の力が抜けたような、安堵の表情というのが一番近いか。何となく、護衛の言いたいことと己の指摘とがずれていることだけを感じ取って、神父は言葉を切った。構わず護衛は頷いた。

「まぁ、そういうことでいい」

「いやそれ絶対違うじゃないですか。何をしたんですか? 何か対価を求められるようなことを?」

「そうじゃないから安心しろ。この話はおしまいだ」

 ぴしゃりと護衛が言い切った。空気の張り詰めるような錯覚を覚えて神父は次なる言葉を呑み込む。護衛の虫の居所があまり良くないのを察したのだ。自分で聞いておきながら、勝手に話を切り上げるとは横暴であると思わないでもないが、そうしてまで聞かれたくないことであるなら、神父に踏み込むことは許されない。

 仕方なく、神父は話題を逸らすように続けた。

「……では、報酬のことですが──」

「ぐぅう」

 潰れたカエルのような声を上げて護衛が天を仰ぐ。全く予期せぬ彼の反応に、神父は目を丸くする他ない。神父としては話を逸らしたつもりだったが、護衛にとってはほとんど話が逸れていなかったことに、神父が気が付くことはない。

「……元より、この廃村での手助けの数々に加え、どうやら病からも救っていただいた件もあるでしょうから、どれくらいの報酬を差し出せば、あなたに満足していただけるものかと相談したかったのですが」

 神父が話している内に、何故か護衛は頭を抱えて俯いたり、またもや天を仰いだりと忙しい。何が彼をそうさせているのか全く分からず、神父は問う。

「以前のような、『味見』で払える対価でしょうか?」

「……いい、要らない」

「ということは、まさかそれっぽっちじゃ払い切れない大きな代償を……?」

 護衛の反応に神父は震え上がった。護衛の手助けは、もはや味見では払いきれない働きに到達してしまった? そうなれば、今すぐ命をもってして護衛の働きに報いねばならないという話にでもなるのだろうか。あるいは、以前危惧したような、腕一本、目玉一つといった報酬が必要になるのかもしれない。

「味見では足りないと、そういうことでしょうか? では、一体何を差し出せば……?あ、脚は困ります、歩けなくなっては仕事に支障が出ますので。それに、私の裁量を超えたものの支払いはできかねます、他人の魂だとか、そういったものの用意は──ですから、腕一本くらいで見逃してくだされば、私としても助かるのですけど」

 神父の、いっそ献身的にも思える提案に、護衛はがくりと肩を落とす。違う、そうじゃない。最近、神父は妙に物分かりが良かった。良すぎて困るのだ。歯止めが効かなくなる。護衛は報酬の中身を思案する神父の目の前に詰め寄って、憤慨した様子で言った。

「だから、すぐそうやって魂で払おうとするな! もっと自分の身体を大事にしろ。味見で食い尽くされちゃ世話ないって言ってるだろうが」

「でも私には他に払えるものがありません」

「あー、その、今回はもういい、もらったも同然なんだ」

「私、あなたに何か差し上げましたっけ?」

「聞くな!」

 理不尽にも思える護衛の論理展開に、神父もそれ以上は口を挟めなかった。本気で聞かれたくない風の口ぶりである。元よりめちゃくちゃな存在であるのだから今更だろうが、それでも護衛の振る舞いは常に理路整然としていたことを思うと、子供の癇癪のような今回の反応は珍しかった。だが、本人がいらないというのだから、それはそれでありがたく受け入れておこうではないか。神父が知らぬうちに報酬とやらを受け取った風な護衛であるが、神父にしてみれば失ったものは何もない。噛み付かれたり、引き裂かれたりするのも進んで引き受けたい業ではない。奇跡的に、神父と護衛の思惑が一致して、その話はそこでおしまいとなった。

後ろめたい護衛と、何も気が付いてない神父でした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] バディ的な立ち位置だけど全然信頼関係なくて、でも仕事は優秀。ドライな二人組がどういう展開を見せてくれるのか気になります! [気になる点] 神に愛されるのはいいことばかりじゃないんだな、と怖…
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