第四話
闘技場へと続く道は活気に満ちていた。
立ち並ぶ数々の商店、そのほとんどは武器屋であり、道を歩く人々の多くが腰に剣をぶらさげている。普通ならば、あからさまに武装している姿は、あまり好ましく思われない。しかしこの町では、立派な剣を持っていれば羨望の眼差しで見られ、尊敬される。そうした様子はまさしく、この町が闘技場を中心に作られたという歴史を如実に示していた。
そんな町中を、ディータは一人、普段よりも少し早足で歩いていた。ナツメは例の通り商人としての仕事があり、現在は別行動をしている。
(……それにしても、本当に大きいな)
前方にある闘技場を見ながら、ディータは内心で呟く。
これほどまでに大きな建物を、彼は今までに見たことが無かった。これを建てるのに、果たしてどれだけの労力が必要だったのか。それも、ここ二十年ほどの間に建てられたというのだから驚きである。
闘技場の中から歓声が聞こえてくる。彼は受付で入場料金を支払い、中に足を運んだ。
観客席にたどり着く。中央では二人の男が武装して向かい合い、そして戦っていた。
「……………………」
その様子を、ディータはただじっと眺め――そして、その戦いが終わるのと同時に、彼は深いため息をついた。
(何だ、これは……)
闘技場は歓声に包まれている。ここにいる人達は皆、今の戦いに胸を打たれたというのだろうか? ディータには理解不能だった。
(闘技場だと? これではただの稽古場だ)
二人は真剣を取り、戦っている。だから怪我もすれば、血も出る。場合によってはどちらかが死んでしまう。……しかしこの場では、それは不運な事故にすぎない。
彼らは最初から、命を奪い合ってなどいない。どちらの技術が上かを競っているだけ。戦いを模倣しているだけであって、それは戦いではなかった。
深い落胆と共にディータは踵を返し、その場から立ち去った。
◇
「あれ? どうしたんですかサムライ様? 何だかすごく暗い顔をしていますが」
顔をあわせた途端、ナツメはそう言った。
「……そんなに表情に出ているか?」
「はい。慣れるとすぐ分かりますよ。……それで、何があったんです?」
彼は少し迷った末、闘技場が自分の期待はずれだったことを彼女に伝えた。すると彼女は申し訳なさそうに言った。
「それは……ごめんなさい! 私が、この闘技場のことを言わなければ、サムライ様も無駄足にはならなかったでしょうに……」
「いや違う。無駄足ではない。ナツメには感謝している」
彼ははっきりとそう告げた。
が、それでもやはり、今まで期待していたからこその落胆というのがあった。
さらにそれだけではなく、ディータは静かな怒りさえ感じていた。先程の闘技場の様子は、それ自体が既に剣というものに対する侮辱ではないか、と。
ディータは何度目か分からないため息をついた。
◇
それから少し後。ディータとナツメは酒場に来ていた。
つい先程、「そういう暗い顔をしたくなる時は、酒でも飲んでしまうと良いですよ!」とナツメがディータを強引に連れてきたのである。
賑わっている酒場の中を見渡しながら、ディータはぽつりと言った。
「そういえば、酒を飲むのは初めてだ」
「あ、そうだったんですか? なんか意外です。……といっても、私もあまり飲まないんですけど」
酒の種類などについてディータは何も知らなかったため、注文はナツメに任せることにした。
しばらくして、二人の前にそれぞれグラスが置かれる。
一口、二口と飲んだあと、ディータは呟いた。
「なるほど。これが……」
じんわりと体の奥が温かくなってくる。
「確かに、心地良い」
味についてはよく分からないが、たまにはこうして飲むのも良いかもしれない、とディータは思った。
彼はゆっくりと時間をかけてグラスを空にした。そうしてふと隣を見ると、ナツメはテーブルに突っ伏していた。
「……何をしている?」
尋ねるが、返事はない。
(まさか、眠ってしまったのか? 俺と同じ量しか飲んでいないはずなのに)
聞こえてくるのは微かな寝息。ディータは小さくため息をついた。
(あまり飲まないと言っていたが、つまりは酒に弱いということか)
しばらく待ってみたが、彼女が目を覚ます気配はまったく無かった。
ディータは二人分の勘定を済ませ、彼女を背負って酒場を出た。ひんやりとした風が心地よい。ゆっくりと酔いが覚めていく。
背中に彼女の重さを感じながら、彼は宿屋へと歩いていった。
◇
深夜。昼間はあれほど騒がしかったその町も、今では落ち着き、静寂に包まれている。
そんな町中を、ディータは一人でうろついていた。
先程までベッドの中で眠ろうとしていたが、どうにもうまく寝付くことができなかった。とりあえず風にでもあたろうと、ディータは外に出てきたのだった。
(慣れない物を飲んだからか……。寝酒という言葉はあるが、個人差があるらしいな)
月の明かりは眩しく、石畳で舗装された道を白く照らしている。闘技場へと続くその広い通りを歩いているのは、ディータ一人だけであった。
ふと、ディータは立ち止まった。
(……? 何だ?)
胸の奥がざわついた。自らの側を通り抜けていく風に、微かな熱気が含まれている。何かの気配を感じる。
本能の赴くまま、ディータはその気配を感じる方向に進んでいった。何かが自分を呼んでいるようにディータは感じていた。
気づけば闘技場の前に来ていた。しかしこの中ではない。この熱気の出処は、恐らくはこの反対側。
闘技場を迂回するために、ディータは道を曲がり、進んでいく。
彼の耳に、微かな剣戟音が届いた。それは昼間に闘技場で聞いたものとは違う。本物の戦いの音であった。ディータは知らず早足になっていく。
やがて、彼はその場所に到着した。
明かりもほとんどない場所に、大勢の人が集まっている。その中で二人の男が、戦っていた。まわりの人々は距離をとり、ただそれを眺めている。観客席など存在しない。歓声もない。そもそも剣戟音と剣士の掛け声意外は何も聞こえない。
ディータはその集団に近づいていった。よく見ると、二人の男のうち片方は既にかなり出血をしており、今にも倒れそうな様子であった。しかしその目には闘志がやどり、諦める気配などまったくない。対する男もまた、手加減をする様子はない。二人は間違いなく、命を賭けて戦っていた。
さらに幾度か剣の交差があった後、片方の男が倒れた。誰の目から見ても明らかに、その男は死んでいた。
「見ない顔だな」
ふと横から一人の男に声をかけられた。
「見たところ、あんたも相当腕が立ちそうだ。戦いの熱気にあてられ、ふらふらと迷い込んできたか?」
「ここは?」
「見ての通り、決闘をする場所だ。そこにある闘技場とは違う、本当の命を賭けた戦いだ。……しかしあんた、運が良かったな、今日は凄いものが見れるぜ」
男がそう言うのと同時に、群衆がざわめいた。ディータはそちらに顔を向ける。
そこにいたのは、整った顔立ちの若い金髪の男の姿だった。
彼はゆっくりと歩いて行く。その先にはもう、彼の対戦相手らしき男が立っている。そして、二人は対峙した。
ディータはその金髪の男の動きに目を奪われていた。誰でもする、何気ない動作。当たり前の動き。何か技術的に優れているとか、そういうことではない。ただ彼の動きは、あまりにも静かだった。
これから命を賭け、斬り合おうとしているのだ。死ぬことへの恐怖、戦うことへの高揚、緊張、喜び。否が応でもそういった感情は動作に現れてしまう。
しかし彼の動作には、そういうものが何一つ無かった。あまりにも静かで、自然体であり、透き通っている。
そんな彼の様子は、決闘が始まり、相手の男が倒れるまで、ずっと変わらなかった。さざ波一つ立ちはしない。
「――あいつの名前はフェリクス。この町で、いや、恐らくはこの大陸中で、最も強い剣士だ」
この大陸中で最強、などという男のその言葉を、大言だと切り捨てることはできなかった。
ただ見ているだけで分かる。彼は圧倒的に強い。ディータが今まで戦ってきた誰とも、到底比べられならないくらいに。
気づけば、ディータの足は自然と彼の方に向かっていた。
「お、おい……?」
隣にいた男の戸惑う声が聞こえた。しかしもう止まらない。こんな剣を見せられたら、止まれるはずがない。
近づく足音に、その金髪の男は静かに顔を上げた。
目が合う。吸い込まれそうなほどに綺麗な目だった。
彼に近づき、ディータは口を開いた。
「フェリクス、だったな?」
「はい」
彼の声は淡々と、透き通っていた。
「俺と決闘をしてくれ」
「あなたは?」
「ディータ。剣の道を極めるために旅をしている」
僅かな間の後、フェリクスは言った。
「分かりました。やりましょう」
彼の言葉に、周りの群衆はざわついた。
「あなたみたいなタイプは久しぶりです。僕としても戦いたい」
「なら、良いのか?」
「今すぐは無理です。そうですね。一週間後にしましょう」
「分かった」
ディータは頷く。
そうして、二人の決闘の日時は決まった。
◇
ディータがそうして決闘の約束をしている頃、ナツメは一人ベッドの上で夢を見ていた。
それは半月ほど前に見た、ディータと一人の聖職者との決闘の光景であった。二人が命を賭けて戦っているのを、彼女は木々の間からじっと眺めていた。
やがて決着はつき、それと同時に目を覚ました。
そのままぼうっと天井を眺める。
あまりにも美しい剣筋だった。こうして夢に見るだけでも、暫く呆気にとられてしまうくらいに。
(……本当、どういうことなんでしょうね。なんでサムライ様の剣は、ああも私を惹きつけるんでしょうか)
真っ直ぐ冷たく、研ぎ澄まされた剣。
と同時に、今日、二人で酒場に行ったことを思い出す。あの後、酒場からここまで、ディータは自分を運んでくれた。かなり途切れ途切れの記憶ではあったが、彼の背中の大きさ、温かさははっきり思い出すことができる。
彼はすごく冷たい人間だ。強い者であれば、例え人々に慕われている神父であろうとも、躊躇いなく剣を向け、斬ることができる。それによって悲しむ人がいようとも、彼は感知しない。
彼にとって、善とか悪とかいう概念は関係ないのだ。ただ、剣の腕が立つか立たないかだけ。人を苦しめる盗賊の頭領も、子供に勉強を教える聖職者も、彼の前では同じだ。そんな純粋で真っ直ぐな、機械的な冷たさ。
(でも、あの背中は暖かかった……。多分、サムライ様は、自身が思っているよりも、ずっと――――)
そこまで考え、ナツメはため息をついた。
彼の内面について考えるよりもまず、ナツメには考えなくてはならないことがあった。それはつまり、明日以降どうするのか、ということだ。
(……サムライ様とは、ここに来るまで一緒に行動する、って話でしたからね……)
闘技場に行くという理由があったから、ナツメはディータと共に行動することができたのだ。しかしそんな利害関係ももう終わってしまった。ナツメは彼と一緒にいたいと思っているが、彼のほうにはもうそうする理由が無い。
――と、そんなことをナツメが考えていた時である。
途端、妙な気配を感じて彼女は慌てて体を起こした。護身用の二本の短刀を掴み、そのままベッドを抜け出す。
小さな物音が廊下の方から聞こえる。部屋の前に、誰かがいる。
(もう夜中……どう考えても、まともな人じゃなさそうですね……)
身構える彼女の視線の先で、ドアノブはガチャリと音を立てた。外側から鍵が開けられたのだ。
(この宿、値段が高いくせに全然防犯できてないじゃないですか!)
音を立てず、扉が開いていく。
そして現れたのは小柄な人影であった。マントを羽織り、顔は布で隠している。
「……あれ?」
その人影はナツメに気づくと、ぽつりと声を出した。それは少年のようなあどけない声だった。
「起きてたの? 朝までぐっすりかと思ってたのに」
「ちょうど今、目を覚ましたところです。……それはそうと、もう帰ってくれません? 見ての通り、部屋を間違えてますよ」
「いや。部屋はここであってるよ。……ま、こうなったら仕方ないか」
マントで姿を隠した少年はそう言うと、一本のナイフを取り出した。薄暗い部屋に刃がきらりと光る。それに合わせるよう、ナツメも二本の短刀を抜き、左右に構えた。
「眠っていれば、死なずに済んだのにね」
そう言うと同時に、少年はナツメに一気に踏み込んだ。ナイフを使った連続攻撃。それを彼女は、左右の短刀を使って的確に捌いていく。
「……あれ? 予想外」
少年は一旦距離を取り、首を傾げながら言った。
「すっごく強い用心棒を連れてたから、あんた自身はまったく戦えないかと思ったけど……そうでもないんだね」
「あなたの目的は何です? 私、誰かに恨みを買ったりは――――結構してますけど、でもあなたのことは知りませんよ」
「別に恨みなんて無いよ」
「じゃあお金ですか?」
「うん。……実は昼間に一度、あんたとすれ違ったんだ。その時、なんだか、すごくお金の匂いがしたからさ。こうして盗りに来たってわけ」
「お金の匂い? 私、全然持ってないですよ? 商人としてまだまだ駆け出しですし、何よりこんだけ大きな町なんですから、私なんかよりももっと凄いのがうじゃうじゃいるでしょうに」
「すぐバレる嘘はいいよ。あんたは持ってる」
「根拠は?」
「僕の勘」
と同時に、少年は再びナツメに襲いかかった。
鋭いナイフの連続攻撃。ナツメはそれを受け流していく。少年の攻撃は素早いが、単調だ。落ち着いて対処すれば、見切るのは難しいことではなかった。
――が、幾度目かの攻撃を弾いた時である。突然ナツメの視界は傾き、次の瞬間にはもう、彼女はその場に倒れ込んでいた。
「汚いやり方でごめんよ。実は僕も、あんたと同じで得物は二本あるんだ」
目の前がチカチカと明滅している。立ち上がろうにも、全身がひどく痺れていて動かせない。
(これは、毒……?)
ナツメに見えていたのは一本のナイフの攻撃だけ。彼の発言から推測するに、彼はもう一つ、武器を隠し持っているのだろう。片手で連続攻撃をしかけ意識を逸らし、隙をついて本命の毒を塗った武器で攻撃をする。気づかないうちに、ナツメはその毒を受けていたのだ。
動けない彼女の耳に、少年が荷物をあさる音が聞こえてくる。
しばらくして、彼は言った。
「――あった。ほら、やっぱり持ってた」
ナツメは唇を噛んだ。
実際のところ、少年の言うとおりであった。彼女は多額のお金を持っていた。それは彼女が旅を始めてからここに来るまでの間、手段を問わず、ひたすら貯め続けたお金だった。彼女はそのお金を、いくつかの高額な宝石に換え、常に持ち歩いていた。
「凄いな。これ、全部でいくらになるんだろう」
中身をざっと確認し、少年はその宝石の入った小袋を自らの懐にしまった。
(……あれを、取られたら。全部、無駄になっちゃうじゃないですか……!)
何とか抵抗しようとするが、今の彼女には声を出すこともできない。
「この宝石以外には、もう何も無いみたいだね。それじゃあ、怖い用心棒が戻ってくる前に、さっさと退散させてもらうよ」
動けないナツメを一瞥した後、少年は素早くその場から立ち去った。
宿に戻ったディータが異変に気づいて駆けつけたのは、それから僅か数分後のことであった。