第三話
「さてサムライ様、それじゃあ包帯を交換しましょうか」
「いや、大丈夫だ。自分で出来る」
「ホントですか?」
「今までやってくれて本当に助かった。だがもう手足は普通に動く。包帯を巻くくらい、どうということはない」
それから数分後、ナツメは大きなため息を吐いた。
「……サムライ様って、剣の扱い以外は結構不器用なんですね」
「まさか」
「何でそんな澄ました顔で言えるんです? 明らかに巻けてないじゃないですか!」
「そんなことはない」
「――ほら、腕を上げてくださいな。私がちゃちゃっとやってあげますから」
ディータはそれでも少しの間「巻けている」と言い張ったが、結局それは無駄に終わった。
◇
夜も更け、草木も眠りにつく時間帯。ディータは馬車の端にじっと腰掛けていた。
彼はナツメと一緒に旅を始めてから、野営をする時、夜に眠ったことは一度もなかった。ナツメの用心棒として、夜を徹して見張りをしなくてはならないからだ。物取りなどに出くわす可能性が最も高い時間帯なのだから、それも当然である。
ディータは横になって休んでいるナツメに目を向けた。彼女は微かに胸を上下させながら眠っている。
彼女と共に行動するようになってから、既に一ヶ月が過ぎていた。
(……旅に出てから、これほどの時間、同じ人間と共に過ごしたことは無かったな)
ナツメといると、時々ふと懐かしい気持ちになる。ディータはそれが何なのか興味を持ちながら、同時に恐ろしくもあった。あまりこの感情に浸っていてはならない、そう本能が訴えていた。
ふと唐突に、ディータは自らの師匠のことを思い出した。
なぜ彼のことを思い出したのか、ディータには分からなかった。師匠はナツメとは何もかもが違う。到底似ても似つかない人であったというのに。
ディータは静かに頭上を見上げた。そこには満天の星空が広がっている。彼は小さく息を吐いた。
◇
――ディータの両親が殺された夜、外では雨が降っていた。
叩きつけるような激しい雨だった。誰かの罵声も、懇願も、悲鳴も、雨音にかき消され、隠れている彼の耳にはほとんど届かなかった。当時七歳であったディータはただ息を殺し、それが過ぎ去るのを待っていた。やがて雨が止み、夜が明け、彼が出てきた頃にはもう二人は死んでいた。
死体を前に呆然としていたディータは、ふと外がとても騒がしいことに気がついた。
家から出ると、そこにあったのは、町が燃えている光景だった。
どういう経緯だったのか彼は今でも知らないし、また知ろうとも思わない。が、丁度その頃、ディータの住んでいた町の近くで大規模な戦争が勃発していたらしいということだけは、随分後に人づてに聞いていた。
燃える町。悲鳴。爆発。剣戟。住民は混乱し、ただ右往左往するだけ。そうしている間にも、人はどんどん死んでいく。
そんな極限の混乱を前に、まだ七歳であるディータがまず最初にとった行動は、足元に落ちていた、恐らくは隣に横たわる死体の持ち物であろう剣を拾い上げることだった。彼が生まれて初めて人を斬ったのは、それから数十分後のことである。
相手は体格が一回り大きい大人だった。もちろんディータは戦い方などまったく知らない。ただ危険だから殺さなくてはならないと、初めて握る剣を滅茶苦茶に振り回しただけだ。だから彼がその戦いに勝利したのは、完全にただの偶然だった。
◇
戦争がいつ終わったのか、ディータは知らない。
争いが一段落した頃にはもう、彼の住んでいた町は廃墟になっていた。
そうなるまでに、ディータは幾度も人と戦い、殺してきた。戦い方さえ知らない彼がそこまで生き残れたのは、いったいどういうことなのか。一度や二度ならただの偶然と言うことができる。しかし彼のそれはもう、幸運だったという説明で納得できる域をとうに越えていた。
分かりやすい言葉を使えば、才能。
いわゆる天から授かった素質とでもいうべきものであった。その才能は彼の内側深くに眠っていた。そして、戦い、一人斬るごとに、その才能は少しずつ表層へと浮かび上がってくるのだ。戦いを繰り返す度に、彼の剣は成長していた。
彼はさらに、人を斬り続けた。かつて町だったその廃墟は無法地帯と化していた。日々、僅かな食料な物資を奪い合うため、あちこちで人が殺し合っていた。
ディータがその男と遭遇したのは、そんな極限状態の中で、半年ほど生活を続けた頃である。
◇
それは赤髪の痩せた男だった。僅かばかりの荷物を持って、ただ一人彼は歩いていた。
ディータは物陰から飛び出し、その男に剣を突きつけた。彼はうろたえること無く、細い目でチラリとディータを見た。またか、という落胆と、仕方がないという諦め。彼は微かな吐息と共に腰の剣を抜いた。
じわりと空気が重くなったような気がした。何かがおかしい、とディータは直感的に思った。この男は今まで戦ってきた人達とは違う、と。
自分が斬られる様子が、瞬時に脳裏に浮かび上がった。空想の痛みと恐怖。ディータはただそれを飲み込み、一歩その男に近づいた。そして、剣を振るう。
一撃、二撃、三撃。
当たり前のように攻撃は受け流され、同時に焼けるような痛みが走った。勢い良く血が溢れ出す。ディータはただ強く唇を噛んだ。
「――まさか」
血で赤く染まりながらも構える子供に、男は呟いた。
「今ので、仕留めるはずだったというのに」
その乾燥した声に含まれているのは、強い驚き。
対してディータは、その男に攻撃を加えるため、再び間合いを狭めようとしていた。
――彼はこの時、当たり前のように戦闘を継続する選択をしたが、言うまでもなく、これは異常なことである。
攻撃は全て受け流され、それどころが深い怪我まで負わされた。実力差は明白であり、この時点で彼に勝利はありえなかった。ここで彼が取るべき行動は、いかにして逃げるのかを考えることであった。
しかしディータの頭の中には、逃げるという選択肢は微塵も存在していなかった。
彼はそのまま男に対して剣を振るった。一撃、二撃――そして三撃目の途中で、彼の意識は突然途絶えた。
◇
ディータは見知らぬ小屋の中で目を覚ました。
はっきりしない意識で粗末な天井を眺めていると、突然視界が滲んだ。
彼は泣いていた。涙と共に、無数の強い感情が溢れ出てくる。悲しいのか、嬉しいのか。あるいはただ単に、悔しいのか。
やがて彼が泣き止む頃、小屋の入り口が静かに開いた。
「目が覚めたか」
赤髪の男だった。とっさに身構えようとするが、全身が痺れていてうまく動かせない。
「あまり動かない方がいい。傷はかなり深いのだから」
そう言い、横たわるディータの側に彼は座った。
「まずは非礼を詫びよう。すまない。剣を抜くということは命を賭ける覚悟をするということ。子供だろうとそれは関係ない。最低限の礼儀として、俺はお前を斬り捨てなくてはならなかった。生きたままここに連れてきたことについて、申し訳なく思う」
彼は横たわるディータの傍らに、すっと剣を置いた。それはディータの使っていた剣だった。
「再戦を望むならいつでも受ける。その時こそ、敬意を持ってお前を斬ろう」
◇
赤髪の男の名前は、ジーグルトといった。
ディータには彼の行動の意味が分からなかった。気絶したディータに寝床を与え、傷が治るまで手当をする。質素ながら食事もある。
……その真意は分からなかったが、傷だらけでまともに動けない以上、その行動を拒絶することはできなかった。
やがて、ディータの傷は癒え、動けるようになると、ジーグルトは言った。
「このまま立ち去ってもいい。再戦するのもいい。あるいは、このままここに残るのもいい。ただし、その時には一つ条件がある」
その生活を続ける条件とは、彼の下で、剣の修行をすることだった。
◇
それから、何年かが過ぎた。
二人が住んでいるのは、人里離れた山奥であった。近くの集落まで歩いて五時間はかかる位置だ。彼らは月に一度、下山をした。山で採れた山菜やら肉やらを売り、その金で他の必要物資を買い込むためである。
山にこもり、ディータはひたすら剣の修行を続けた。ジーグルトは師匠となり、彼に剣術を教えた。ディータの成長速度は凄まじいものだった。
二人の剣の修行は常に、刃を潰した訓練用の剣によって行われた。真剣を抜く時は相手か自分が死ぬ時だけだと、ディータはそう教えられていた。
◇
さらに月日は流れ、気づけばディータがここに来てから、もう十年が経っていた。
ある日の朝、いつものように質素で味気のない食事を終えた後、ジーグルトはディータに言った。
「俺が教えられることは、もう無い」
ディータには意味が分からなかった。それは本当に突然のことだった。
「お前はもう既に一流の剣士だ。僅か十年でたどり着いたということに、俺は驚嘆を禁じ得ない。……俺が見ることができるのは、もうここまでだ。後はお前が一人で行くべき道だ」
彼は崩していた足を組み直し、ディータに向かって頭を下げた。
「最後に、真剣で俺と勝負してくれ」
◇
それは透き通るような静かな夜だった。
小屋から少し離れた、今まで剣の修行を行ってきた場所で、二人は決闘をした。
いくつかの剣戟音が山に響き、やがてそれも途絶える。
立っていたのはディータ。彼の剣がジーグルトに負わせた傷は間違いなく致命傷であり、彼はまもなくその生命活動を停止しようとしていた。
「良い太刀筋だ」
彼は微かに口の端を吊り上げた。彼の笑う様子を見るのは、これが初めてだった。
「俺はずっと、剣に取り憑かれて生きてきた……。より強くなるため、沢山の剣士を斬りながら、生きてきた。……しかし、ある時突然、天啓のように、理解した。俺では、どう足掻いても、そこには届かないと」
ジーグルトは続けた。
「十年前……まだ小さかったお前を見て……お前なら、届くかもしれないと……。それが、才能というやつなんだろう。お前は、俺に剣を習ったつもりだろうが……ただお前は、俺の振る剣を見て、自分のやり方を生み出していったに過ぎない。……本当にお前が俺の弟子だったなら、ここで死ぬのはお前だった。…………果たして俺は、お前を斬りたかったのか……お前に斬られたかったのか……」
彼の声はどんどん小さくなっていく。
「本当の敗北は……人生で、一度きり……」
ふと強い風が吹き、木々がざわめいた。
「これは、良い敗北だった」
ロウソクの火が途絶えるように、彼の命は風に乗って、消えた。
◇
ディータがその山を降り、剣の道を極めるために旅を始めたのは、それからちょうど三日後のことである。
そうして旅に出て一年半後、ディータは偶然立ち寄った川沿いの村で、盗賊退治の依頼を受けることになる――。
◇
ゆらゆらと漂いながら、ディータの意識はゆっくりと覚醒していった。
そこは馬車の中。ガラガラと車輪の回る音がすぐ近くから聞こえてくる。
「サムライ様ー。起きてますかー?」
「……どうした?」
「もうすぐ到着ですよ! ほら、もう見えてきました!」
ディータは体を起こし、彼女が指差す方向が見える場所に移動した。すると、遠くに建物らしきものがあった。
「……あれか?」
「はい! この距離から見えるってことは、とんでもなく大きいですよ! 多分あれが噂に聞く闘技場ってやつなんだと思います」
「そうか。あれが……」
ディータは自分が静かに興奮しつつあることを自覚した。
微かに汗ばむ手をぐっと握り、ただじっと、彼は馬車が闘技場に到着する時を待った。




