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第二話

 太陽は沈み、星が輝き始める頃。


 焚き火を囲い、ナツメとディータは簡素な食事をとっていた。


 スプーンを口に運びながら、彼はぽつりと呟いた。


「ナツメの作る食事は美味いな」


「……え?」


 ナツメは呆気にとられた。自分がしているのは料理ではなく調理であり、味はイマイチだということを、彼女自身理解していたからだ。むしろ、美味しくない食事をさせて申し訳ないとさえ思っていた。


「お、美味しい、ですか?」


「ああ」


「サムライ様の舌は大丈夫ですか?」


 あまりといえばあまりなその言い方に、ディータは淡々と返す。


「昔から、火を通せばなんでも食べられるという考えだった。ただ茹でただけで、塩も何もつけずに食べることも多かった」


「あぁ、それは何というか、質素というか、貧乏というか……」


 さらにディータは一口。


 咀嚼して嚥下した後、しみじみと言った。


「美味い」


「はぁ、まぁ、そりゃ良かったですね……」



 ◇



 川沿いの村を発ってからちょうど十日目。二人はその大きな町に到着した。


「サムライ様ごめんなさい。ちょっと商人としてやるべきことがあって、数日ほど滞在したいと思うんです」


 町に到着するなり彼女はそう言った。


 その町の見どころはなんと言っても、中央通りに開かれている大規模な市場だ。大陸の東と西を結ぶ街道の中間地点に位置しているため、各地の名産品がその市場に流れ込んでくる。申請が通りさえすれば誰でも簡単に商売ができるということもあり、行商を営む人にとっては最高の環境であった。そしてナツメがこの町に滞在する言った理由も、まさしくそういう商売をするためであった。


「――というわけで、ちょっと私は申請に行ってきます。サムライ様も中央市場を見て回ったりすると面白いですよ!」


 そう言い慌ただしく行くナツメを、ディータは見送った。


 以前の盗賊討伐の際、彼女が色々と回収していることにディータは気づいていた。恐らくそのあたりを売り払うつもりなのだろう、とディータは想像する。


(……それにしても、本当に大きな町だな。旅人も大勢いる。中には剣の腕が立つ人もいるかもしれないな……)


 ディータはひとまず、町をうろついてみることにした。



 ◇



 話に聞いたとおり、市場は大勢の人で賑わっていた。


 あちこちから客を引き止める声、商品の宣伝をする声、あるいは交渉が決裂したのか、怒鳴り声のようなものまで聞こえてくる。売られている物も様々だ。


「おっと、そこの剣士さん。かなり腕が立つようだね。どうだい? うちには大陸中から集めた名剣が沢山あるよ!」


「いや。俺はこいつだけで十分間に合ってるんだ」


 そうして、ディータが市場を歩いていた時である。


 一人の男がディータとすれ違った。長身の男で、銀色の髪を長く伸ばしている。目立つところはほとんど無く、本来ならそのまま雑踏に消え、その他大勢と混じり合ってしまうはずだった。


(何だ、今の……?)


 しかし、ディータは思わず振り返っていた。たった今すれ違った男の気配に、違和感を感じたからである。


(服装からして、聖職者か? 武器などを携帯しているようには見えない。……が、その立ち振る舞い、注意して見れば素人のそれとは明らかに違う……)


 間違いなくそれは、剣の腕に覚えのある人間の動きであった。


 微かな逡巡の後、ディータは彼をつけることにした。気づかれないよう、気配を殺しながら。



 ◇



 その男は賑わう市場を抜け、さらに歩いて行った。


 いくつかの道を曲がり、民家が立ち並ぶ区画に入っていく。


 そしてやがて、小さな建物の前にたどり着いた。


「せんせい!」


 男が到着するのと同時に、建物の中から子供が飛び出してきた。小さな女の子だ。少女が男に抱きつくと、彼はその頭をそっと撫でる。


「モニカ、皆を呼んでおいで。市場で焼き菓子を安く買ったんだ。勉強を始める前に少しお茶にしよう」


「え? お菓子!?」


 モニカと呼ばれた少女は目を輝かせ、そして一目散に駆けていった。おそらくは皆とやらを呼びに行ったのだろう。


(勉強……? あの男はここで、子供に勉強を教えているのか?)


 ディータが監視する中、男は建物の中に入っていった。そしてどこからともなく子供達が集まり、彼らもまたはしゃぎながらそれに続く。


 もしかしたらすぐに終わるのかもしれないと、暫くの間建物の外で待ってみたが、一向に彼が出て来る気配は無かった。


(……今日は無理そうだな。明日また、ここに来よう)



 ◇



 翌日。朝早くから仕事のために宿を出ていくナツメを見送った後、すぐに昨日のその場所へと向かった。


 さてどうするかと少し考えた末、近くを歩いていた女性に話を聞いてみることにした。


「すまない。人を探しているんだが……」


 身長は高く、髪は銀色で長い。聖職者のような服装をしている。そう特徴を列挙すると、その女性はすぐに分かったようだった。


「ハンスさんのことね。よくそこで勉強会のようなことをしていて、子供たちに人気なの」


「どこに行けば会えるんだ?」


「ハンスさんは神父をなさってるから、この時間は多分教会にいると思うわ。ほら、この道を突き当たりまで行って――」


 教会までの道を聞いた後、ディータは礼を言ってその女性と別れた。


 彼女に説明された通りに進んでいくと、すぐにその教会が見えてきた。外観は簡素で飾り気が無いが、よく手入れされている。


 ディータがその教会の扉を押すと、重く乾いた音と共にゆっくりと開いた。それと同時に、静粛な冷たい空気が全身を包み込む。


 奥に視線をやると、そこには昨日見た銀髪の男、ハンスが立っていた。


「こんにちは。旅の方ですか?」


 彼は柔和な笑みを浮かべながらそう言った。なんて穏やかな表情をするのだろう、とディータは思う。


「どういった御用ですか?」


 気を取り直し、ディータは口を開いた。


「俺の名前はディータ。剣の道を極めるために旅をしている。……あんたはかなり実力のある剣士のはずだ。突然ですまないが、俺と命をかけて決闘をして欲しい」


 彼の言葉に、ハンスは驚いたように目を瞬かせた。


「実力のある剣士、ですか? まさか。私はただの神父ですよ」


「嘘だ。ただの神父に、そのように隙が無い立ち方などできるはずがない」


「……」


「仮に今は聖職者をやっていたとしても――鋭い本性を隠し、あるいは自分でも忘れていたとしても。それでも、滲み出る気配は簡単に消せるものじゃない」


 ディータの言葉に、ハンスの目の色が静かに変わる。そこにあるのは悲しみ、諦め、そしてほんの僅かばかりの、隠そうにも隠せない闘気。


「……確かに、私はあなたが言うように、昔は剣を握っていました。あなたが言うように、たくさんの人を斬ってきました。……ですがもう、今は違います。私はもうあんなことはこりごりなんです。今はもう神に全てを捧げる身。あなたと斬り合うことはできません」


「悪いが、できなくてもやってもらう」


 ディータは剣を抜いた。


「戦うつもりがなくても、俺はこのままお前を斬る。…………だが、できることなら、剣を取ってくれ。無抵抗の人を斬ることほど、剣士にとって無意味なことはない」


「…………」


 迷った末、ハンスは言った。


「――分かりました。剣を取りましょう。ですが条件が一つあります」


「何だ?」


「もしその決闘に私が負ければ、あなたはそのまま私の首を落としてくれてかまいません。ですが私が勝った時、あなたを殺すことはできません。あなたには生きて帰ってもらいます。それが条件です」


「……おい。それは流石に」


 自らの命をかけてこそ、決闘というのだ。そうでないのなら、それはただの訓練ではないか、とディータは思う。


「私は聖職者です。人を斬ることなど、到底許されません。剣の道に生きる方には失礼なことと理解していますが、どうか……」


「…………分かった」


 渋々ディータは頷いた。


「それでは、場所を変えましょう」



 ◇



 教会の裏手には小さな林が広がっている。その林を少し進んだところに、大きく開けた場所があった。


 ハンスとディータの二人はそこで対峙していた。


 ハンスの腰には一振りの何の変哲もない剣。無銘の剣だ。しかしその使い込まれた様子は、彼がどれだけ丁寧に手入れしたところで、隠せるようなものではなかった。


「やるぞ」


「はい」


 ハンスが答えると同時に、二人は音もなく剣を抜いた。


 緊張が高まっていく。風の一本一本の流れが分かるほど、感覚が研ぎ澄まされていくのを、ハンスは感じていた。


(……ああ、懐かしい……心地よい……)


 自身がそう思うのを、彼は止めることができなかった。ディータの指摘したとおりであった。どれだけ表面を取り繕ったところで、戦いの場を好んでしまう自分を、消すことはできない。


 かつて剣士として、沢山の人を斬ってきた。しかしある日突然、人を斬るのが嫌になった。自分は人間ではなく、化物なのではないかと、唐突に思ったのだ。


 だからこそ神に全てを捧げ、聖職者になることに決めた。善良な人間として生きようと。


 神に祈る時間は安らぎだった。子供に勉強を教えるのも、日々の楽しみの一つであった。……そうした安らかな感情を味わうことのできる自分は、もう化物ではなく人間なのだと、ハンスは思っていた。


(なんて、脆い)


 ただ剣を構えて相手と向き合うだけで、早くも崩れそうになっている。そんな弱々しい人間らしさ。


 ふと、先程自分がディータに、聖職者だから人を斬ることは許されない、と言ったことを思い出した。その言葉には、自らの歪な内心が、ありありと表れている。なぜなら、聖職者がどうとかとはまったく関係なく――そもそも、人を斬ることが許されている人間など、存在しないのだから。


 すっとディータが踏み込んでくる。


 その足運びを見るだけでも分かる、彼は相当な実力者だ。剣を極めようとしているだけのことはある。


 ――そして、一閃。


 ハンスは的確にそれを受け流す。ビリビリと強烈な衝撃が全身を駆け巡る。その振動には強い意志が込められている。想像していたよりもずっと、その剣筋は見事なものだった。


 さらに二度、剣で打ち合った後、ハンスは彼から距離をとった。


「あんた……」


 ディータは言った。


「そういう顔も、似合うと思うぞ」


 口の端が釣り上がるのを止めることができない。たった三合で、全部剥がされてしまった。これまで必死で積み上げてきた聖職者としての正しい自分を、崩されてしまった。


 笑みを浮かべながら、同時に溢れ出す涙をハンスは拭う。そして彼は剣を鞘に納めた。


「? おい、まさかもう終わりのつもりか?」


「いえ。少し仕切り直しをさせて下さい」


 ハンスは頭を下げた。


「ごめんなさい。こちらはあなたを殺さない、などと言った非礼を詫ます。そしてその発言を撤回します。……むしろ、こちらからお願いします。どうか私と、命をかけて斬り合ってください」


「……ああ。是非」


「少し、時間を下さい。一日ほど。今のままでは私は人を斬ることができません。準備が必要なんです」


「…………よく分からないが、あと一日待てば、あんたは本気で俺と戦ってくれるということか?」


「はい。明日の夜、またここに来て下さい。その時に決着をつけましょう」



 ◇



「サムライ様、何か良いことでもありました?」


「……ん?」


 ディータとナツメが二人で夕食をとっていると、突然彼女はそんなことを言った。


「ウキウキしているように見えますよ。なんか、プレゼントを楽しみにしている子供みたいな……。サムライ様は基本的に無表情ですけど、そういうところはなんか分かりやすいですね」


「……分かりやすいか?」


「すごく。で、何があったんですか?」


「明日。ある剣士と決闘することになった」


「え?」


「今日少し剣を合わせてみたが、かなりの腕前だ。確かに、俺の気が高ぶっているのは間違いない」


「え? え? えええっ!?」


「どうした?」


「明日、決闘ですか!? いつ!?」


「夜だ」


「えええええええええええっ!!?」


「……何か問題があるのか?」


 突然叫ぶ彼女に、ディータは戸惑う。


「よりにもよってなんでそんな時間にやるんですか!! その時間にはオークションがあるのに!! もう枠も取ってるのに!! 昨日今日とどんだけ苦労したと思ってるんですか!」


「……?」


 彼女の発言の意味が分からず、ディータは首を傾げた。



 ◇



 それはちょうど満月の夜だった。


 教会の裏手にある林の中。ディータが到着すると、既にハンスはそこで待っていた。


「待たせたか?」


「いえ」


 木々が風にざわめく。ハンスは囁くような口調で言った。


「まるで、呪いですね」


「剣が、か?」


「はい。……剣というのは、ただの武器、方法、手段でしかないはずなのに。あるところで、それらが反転してしまう。何かを守るためだとか、奪うためだとか……あるいは正義とか、悪とか……そういう物が全部消えてしまう」


「ただ、斬りたい」


「はい。ただ戦いたい。もっと強くなりたい。いや、なれるはずだ。……一度そうなったらもう戻れない。……まったく、十年以上も聖職者をやってきたというのに、あなたみたいな剣士を前にすれば、それにはもう何の意味も無い」


「難儀だな」


「本当ですよ。……昨日から今日にかけて、あちこちを回って教会の次の管理人を探しました。子供たちに勉強を教える代役も、信頼できる人にお願いしてきました。全て、あなたと戦うために」


 ひどく寂しげな様子でハンスは言った。


「神に仕えるのはもうおしまいです。もう手遅れ。あなたを斬ることができたら、私も旅に出ますよ。剣の道を行くために」


「……そうか」


 再び、静寂。どこか遠くから微かに人のざわめきが聞こえてくる。そういえば、今日は大きなオークションとやらがあるのだったか。


 するりと二人は剣を抜いた。


 そして、戦いが始まる。



 ◇



 ――何が起こったのか、ディータはとっさに理解できなかった。


 三合ほど、ハンスと剣を交わした。彼の剣は真っ直ぐで、迷いのない美しい太刀筋だった。それに見惚れながらも、全部打ち払ったつもりだった。


(だとしたらなぜ、斬られている?)


 右腕の辺りが痛みと共に脈打ち、どんどん朱に染まっていく。傷はそこまで深くはなかったが、場所が腕というのが問題だった。時間とともに動きは鈍くなり、そのうちまともに剣を振ることもできなくなるだろう。


(三回、受けた。だが三回目のそれは、本当に一太刀だったか? もう一つ、何かが無かったか?)


 思案するディータに対し、彼はさらに踏み込み、攻撃を仕掛ける。


 一つ一つは見切ることができる。対応することができる。しかし……。


(まただ)


 今度は脇腹のあたりを斬られた。左腕のそれよりも深い。かなりの量の血液が外に流れ出ていくのが分かる。あまり時間をかけて戦っていては、たとえ勝ったところで出血多量で死んでしまうだろう。


(二回目と三回目の間、か? 意識の外から入るように、一太刀。攻撃があったような――)


 真っ直ぐで美しい剣筋。その中に、ゆっくりと滑らかで、蛇のような狡猾さを持った一撃が紛れ込んでいる。


 ディータがその攻撃を理解し始めたところに、さらにハンスは追い打ちをかける。


 一合、二合、そして――。


「……――!」


 ハンスの蛇のような攻撃に合わせ、ディータは剣を振るった。それは見事に彼の体を捉える。


 飛び散る鮮血。それを確認すると同時に、ディータは自分もまた攻撃を受けてしまったことを理解した。鋭い痛みが走る。


 ずっしりと体が重い。動きが鈍り始めている。既に相当な量の血液を失っているのだから、それは当然であった。


 ハンスの表情を見る限り、致命傷とまではいかないが、かなり傷は深い。しかしこちらもまた、このままでは時間とともに動けなくなり、死に至るだろう。


 もし、とディータは考えた。このまま背を向け、ハンスの前から逃げ出したらどうだろう。この男は自分を追い、後ろから斬りかかるだろうか?


 ディータは内心で小さく笑った。逃げようと思えば、逃げられるのだ。生きようと思えば、生きられる。それでもどちらもが相手を見据えたまま動かないのは、つまり、両者とも最初から狂っているということだ。


(次で、終わらせよう)


 ディータは音もなく一歩、ハンスに近づいた。ハンスはただ、じっと構える。


 静かに両者の距離は縮まっていき、やがて、互いが互いの間合いに入った。



 ◇



 そして、瞬きをするほどの間に決着はついた。


「…………ああ……もう、終わりですか……」


 その視線は遠く、虚ろだ。


「小さい子供の頃を……思い出しました……。無邪気に…………友達と……走り回って……気づけば……もう夕方で……」


 彼はそのままずるずると崩れ落ちる。


「……遊びは……終わるんですね……」


 虚ろに呟く彼を見下ろすディータもまた、大量の出血により、もはや立っていることさえやっとの状態であった。


「……ありがとう……」


 それは果たして、何に対する礼だったのか。


 その言葉とともに彼は目を閉じ、そして、その生命活動に終止符をうった。


 ディータはその安らかな顔を眺めた後、ゆっくりと歩き出した。……いや、それは歩くというよりも、這いずるというほうが正確だ。引きずった血の跡を残しながら、彼はその場から立ち去った。


 林を出て、教会を通り過ぎ、民家の間を歩いていく。


 明かりがついた家の中から、子供のはしゃぐ声が聞こえてくる。その声をぼんやりと聞きながら、ディータは自分がもう歩いていないことに気づいた。


 急速に遠くなっていく感覚。こんなところで寝たら間違いなく死んでしまうと、そう分かっていてももう動けない。


 瞼が重くなり、そのままディータは目を閉じた。同時に、一気に意識が遠のいていく。


 消え行く意識の中、誰かが自分の側にやってくる気配を感じた。



 ◇



 太陽が燦々と輝く中、その町の中央市場はいつものように賑わっていた。


 その市場に出向き、半額以下で食材を購入したナツメは、軽い足取りで宿へと戻っていった。


 彼女が部屋の扉を開くと、ベッドの上でディータは上体を起こしていた。


「あ!! 目が覚めたんですね!?」


 食材をその場に放り出し、ナツメは彼の元に駆け寄る。


「………………俺は……」


 その声はかすれていた。


「……生きて、いるのか……?」


「はい。もちろん! 傷もばっちり治療してもらってますよ。あ、でも急に動かないでくださいね。起きてもしばらくは安静にとのことなので。――とりあえず水でも飲みます?」


 むせないようにゆっくりとディータは水分補給をする。


「私が見つけた時、サムライ様の怪我はもうすごくって。流石に素人の応急処置だけじゃどうにもならないレベルだったので、すぐに医者を呼びました」


「……そうか……ありがとう……」


「ほんと、倒れているのを見た時はびっくりしましたよ。もう血だらけなんですもん。……でも、良かったですね。私が出てたオークションがもう少し長引いてたら、ちょっと手遅れになってたかもしれませんよ」


 などと、ナツメは嘘をついた。


 彼女はあの夜、最初からオークションになど行っていない。その時間、彼女は林の木々の間に身を隠し、気づかれないように二人の決闘をじっと見ていたのだ。


(……無駄になったオークションへの参加費用と、突然のキャンセル料。あの時の損失を考えると頭が痛くなりますが、まぁ、私がサムライ様と一緒にいるのは、その剣が見たいっていうのが一番の理由ですからね)


 まったくもって難儀な自分に、彼女は内心でため息をついた。


「さて、サムライ様のほうの調子はどうですか? 今から食事でも作ろうと思ってたんですが……食べられます? できるだけ消化に良いメニューにしますので」


「……ああ。頼む。ありがとう」


「はい。任せて下さい」



 ◇



 それから数日後。ある程度動けるようにまで回復したディータは、町の中を歩いていた。


 賑わう中央通りを抜け、民家が並ぶ区画へと向かう。やがて、見覚えのある教会の前に差し掛かった。


 少し迷った末、軽く覗いていこうと扉に手をかけるが、それはびくともしなかった。どうやら鍵がかかっているらしい。


「ああ、旅人さん、ここの教会にはもう誰もいませんよ」


 近所の住人らしき中年の女性がディータに声をかけた。


「ここの神父さん、先日、誰かに殺された状態で発見されたとか……。物騒ですねぇ。もっとも、その死ぬ直前にもう神父を辞めていたという話もありますが。……え? 次の管理人? ああ、いるにはいるんですが、どうにも本業のほうが忙しいようで……。ちゃんとした代わりの人が見つかるまでは、一時的に教会を閉鎖するという方針みたいです」


 沈鬱な顔つきで、その女性は去って行った。


 ディータは少しの間教会を眺めた後、再び歩き出した。


 やがて、どこからか子供の泣き声が聞こえてきた。それも一人ではなく、複数のだ。


「――せんせい! どうしてしんじゃったの!?」


 俺が斬ったからだ、とディータは内心で呟いた。


 暫くそこで子供の泣く声を聞いてから、彼はその場を去った。



 ◇



 さらに数日が経過した。まだ完治には程遠いが、ディータの怪我は随分と回復しつつあった。


 ナツメのほうの用事ももう終わっていたということもあり、二人はその町を発つことにした。


「……ほんとに大丈夫ですか? もうちょっと滞在してても良いんですよ? 途中で傷が開いたりしたら大変ですから」


「大丈夫だ。こう見えて、回復力には自身がある」


「はぁ……。まぁ、医者の方も治る早さには驚いてましたけど……」


 そんな会話をしながら、二人は馬車に荷物を詰め込んだ。


「行きましょうか」


「ああ」


 馬の嘶きとともに、二人の乗った馬車はゆっくりと進みだした。

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