第10話:いつもの場所へ
水の音が、していた。
ぽたり、ぽたりと。
静かに、やさしく。
黒く濁っていた泉は、もう元の色を取り戻している。
透き通った水が、ゆっくりと揺れていた。
「……よかった」
ユノは、小さくつぶやく。
肩の力が、すとんと抜けた。
ずっと張りつめていたものが、ほどけていく。
足元では、小さな魔獣が眠っていた。
あの大きな姿が嘘みたいに、静かに丸まっている。
呼吸も、穏やかだ。
「……もう、大丈夫」
そっと頭をなでる。
少しだけ、ぴくりと動いたけど——
起きる気配はない。
ちゃんと、戻ってきた。
それだけで、十分だった。
「……あとは」
ユノは立ち上がる。
視線を、横に向ける。
そこには——
狼がいる。
大きな体を、地面に預けて。
目は開いているけど、動きは少ない。
「……まだ、痛い?」
ユノは近づいて、しゃがみ込む。
傷は、さっきよりずっと良くなっている。
でも、完全じゃない。
「……ちゃんと治す」
薬を取り出す。
ゆっくりと、丁寧に塗る。
精霊たちも、ふわりと集まってくる。
優しい光が、傷を包む。
狼は、じっとしていた。
逃げない。
嫌がらない。
ただ、ユノの手を受け入れている。
「……えらいね」
ぽつりと、こぼれる。
その言葉に、狼の尾が小さく揺れた。
とん、と。
軽く地面を叩く。
少しだけ、元気になっている。
「……よかった」
ユノは、ほっと息をつく。
そのまま、少しだけその場に座る。
何もせず。
ただ、風の音と水の音を聞く。
精霊たちが、周りで遊ぶように舞っている。
さっきまでの緊張が、嘘みたいだった。
「……帰ろう」
しばらくして、ユノは言う。
ゆっくりと立ち上がる。
ここは、もう大丈夫。
ちゃんと、元に戻った。
だから——
自分も、戻る。
いつもの場所へ。
くるりと振り返ると、狼が立ち上がっていた。
まだ少しだけぎこちないけど、歩ける。
「……いける?」
ユノが聞くと、狼は一歩前に出る。
それが答えだった。
「……そっか」
小さく笑う。
それから、歩き出す。
森の中の道。
来たときよりも、ずっと明るく見える。
少し進んだところで——
ユノは、ふと足を止める。
「……ね」
振り返る。
狼を見る。
少しだけ、迷ってから。
「……また、来る?」
問いかける。
約束じゃない。
でも——
ただ、聞いてみたかった。
狼は、少しだけ首をかしげる。
それから。
とん、と。
尾で地面を叩いた。
それは、前と同じ仕草。
でも今は、ちゃんと意味がわかる。
「……そっか」
ユノは、少しだけ笑った。
今度は、ちゃんと前を向く。
森を抜ける。
光が、広がる。
そして——
いつもの場所へ。
薬を作る小さな拠点へ、帰っていく。
精霊たちが、楽しそうに後をついてくる。
その後ろを——
大きな影が、静かに歩いていた。
離れすぎず。
近すぎず。
でも、確かにそこにいる距離で。
ユノは、振り返らない。
でも——
もう、わかっている。
ひとりじゃないことを。
おしまい




