第78話 エピローグ
――レネ!
名前を呼ばれた気がして、気がついた。
なんだかずっと長い夢を見ていたような気がする。
俺は何をしていたんだと考え始めたら、ふっと周りの状況が見えてくる。
荒れ狂う闇が常時俺の中へ入ろうとしている。
そうだ。
ずぶずぶと真っ暗な闇に身を落として、その闇をどっか遠いところまで連れて行こうとしたんだった。
俺の中に闇が入っていく分、周りの闇が減っているのを感じた。
うん。それでいい。これで、全部俺の中に入ったなら、これを連れて俺は北へ北へと飛び立とう。
闇をさらに煮詰めたようなドロドロとした濃い闇も今はもうそれほど濃さを感じない。
それから少し明るい闇になって、気がついた。
俺の中のものすごい量の闇がいつしか一定を保っている。まだ闇は俺の中に入り続けているのに増えていない。
闇に捕らわれて、宙ぶらりんになっていた体が不意に重みを感じる。
闇の力が体に入っているからか、どうしたら自分の体を浮かせられるのかが分かる。
体を浮かそうとした時、足首の感覚が戻った。
誰かの指が触れている感触。足首からじりじりと誰かの指が滑り落ちていく感触。
気づいてすぐに手を伸ばした。
「レネ?」
「ル、シア?」
片腕でルシアを引っ張り上げた。
ルシアがまっすぐ俺を見る。
鮮やかな緑の瞳は、ペイダルの貴族たちが身に着けていた宝石よりもきれいで、きらきらと輝いている。
「よかった」と言って抱きつくルシアをただただ受け止める。
なぜかルシアがすごく光り輝いているように見えた。
何が起こっているのかわからない。
どうしてここにいる? どうやってここまで来た? なんで抱きついているんだ?
聞きたいことはあるはずなのに、なぜか心臓は爆発しそうな位に音を立てて、浮かんだ疑問を取り消していくし、頭の中は大混乱で言葉が出ない。
じわじわと体が暖かくなってきた時、ふと目に入った俺の指先に闇がないことに気がついた。
腕にもない。
抱きついたルシアから流れてくる温かな光が俺の闇と戦っているとわかって、ルシアを引きはがそうとした。
「待って!」
俺の背にあるルシアの手に力がこもる。その瞬間、ぐわっと熱くなるほどの光が俺の中に流れ込む。
駄目だ、そんなの駄目だ。ルシアが持たない。俺は……守りたいんだ。
そう思って、しがみついているルシアを引きはがす。
だがルシアを引きはがした俺の体に、もう闇は見えなかった。
「闇が」
驚きと共にルシアを見る。ルシアは随分ぐったりしていて、ピクリとも動かない。
「おい! しっかりしろ!」
引き寄せて声をかければ、ぐったりしたままルシアが力なく微笑んだ。
「よかった。浄化……できた」
その言葉を聞いて、一気に張りつめていたなにかがゆるんだ。よかった、生きている。
本当に良かった。
俺の闇と戦うルシアの光を見た時、本当に怖かった。
このまま闇に負けてルシアを失うのが怖かった。
「こ、こんな無茶を」と言いかけた俺の言葉を遮って、ルシアが口を開く。
「ふふ。勇者はいつだって……限界を出し切るものでしょ?」
あぁ本当に過去の俺は大バカ者だ。
分かった風な口でなんてこと言ってんだ。
「ほんと、敵わないな」
疲れ果ててぐったりしたルシアを抱きなおし、ぽつりつぶやいた。
「え? なんて?」
「いや、本当にルシアが無事で……よかった」
潰さぬようぎゅっと抱きしめる。
ルシアはもう本当に限界だったのか、またぐったりと俺に身を預けた。
ルシアから視線を外して空を見る。
空には闇がなく、白い雲がゆったりと泳いでいる。
下を見れば、海は太陽の光を受けてキラキラと煌めき、上を向いても下を向いても眩しいことこの上ない。
目を細めれば、故郷を出た時に見送ってくれた海の女神像が見える。
そうかあの島がミュンダーなんだ。
闇の力でよく見えるようになった視力で丘の上にはたくさんの人が集まっているのが見える。
立ち入り禁止の祈りの丘にあれほどたくさんの人が……。
ちらりと闇の中で同じような景色を見たような気がした。
けれど考えてみても、よくは思い出せなくてただただミュンダーを見つめていると、ミュンダーの近くで黒い鳥が飛び、まっすぐこちらにやってくる。
あれは、ゴンドゥとウォールディンだとわかった時、左の方からも声が聞こえた。
「レネー!」
大きな白い鳥が飛んでくる。
大きさはかなり違うが、しゃべる鳥なんてチリーしかいないだろう。
そのもっともっと下からも「おぉい!」と騒がしい船がやってくる。
突然耐え切れないほどの涙がせり上がってきて、目から零れ落ちた。
「おかえり、レネ」
腕の中でルシアが笑う。
「ありがとう。迎えに来て、くれて」
それしか言葉が出なかった。
◇
「ぴかぴかぴかりーん!」
「うわぁぁ、やーらーれーたー」
神殿前広場で子供たちが遊んでいる。
ボールを蹴って遊ぶ子、走り回っている子、闇を晴らす勇者ごっこをする子。
闇の中では考えられなかった光景が広がっている。
まるで、王宮の絵画室に飾られている一つの絵のようだ。
「ジジさん、もう神殿の長には戻らないのかい?」
ジュースを手渡し、ジェラルドの横に座るのは、ここ神殿広場でスープ屋を営んでいたミトだ。
聖女ルシアの母でもある彼女は、今は冬にスープ屋、夏にジュース屋として今でも神殿前広場で商売を続けている。
「もう私も年ですから」
「何を言うんだい。私よりずいぶん若いじゃないか、それにウォールディンが言っていたよ。外の人間は六十歳を超えてもピンピンと元気らしい」
「あぁ、レネとルシアも言っていましたね」
「だからまだまだあんたは若造だよ。これからの子たちは長生きするんだ。この日の光の下で」
ミトはそう言って朗らかに笑う。
ミトはルシアが聖女と分かり、国に取り上げられても、いつでも駆け付けられるようこの神殿の前まで追ってきた女性だ。
闇が晴れた今、ルシアはここにいない。
それがあの日、決めたことだった。
闇が晴れ、空に浮かぶ二人の姿を見た時、ミュンダーの民は皆それが聖女様だと直感した。
外の世界から来た鳥使いのウォールディンという若者たちが二人を連れてやってくる。
ルシアは一人では立っていられぬほど消耗しきっていたし、レネは出発したころとはずいぶんと顔つきが変わっていた。
外ではどんな苦難が待ち受けていたのであろうか。どれだけの危険を冒してこの闇を晴らしてくれたのだろうか。
聖女様を解放させてあげないか
誰からともなくそんな意見が出た。
その後は誰も聖女様と呼ばなかった。「ルシア様、ゆっくり休んで」「ルシア様、ありがとう」そんな当たり前の言葉を聞いて、ルシアは涙を浮かべた。
「ミトさん、ミトさんはよかったのですか」
「なにがさ」
「ルシアと一緒に暮らしたいのだと思っていました」
「そうねぇ……」
ミトは目を細めて、目の前を走っていく子供を見つめている。
ミトはルシアが小さい頃の姿を知らない。
ルシアは神殿の奥で聖女様として大事に育てられてきたからだ。
「もうルシアは私の手を必要とする幼子じゃないんだ。私はあの子が元気で幸せならそれでいいさ。それに、こっちにも時々帰ってくると言ってくれているし」
ルシアはあの日から二週間ほど寝込み、すっかり元気になるまで一か月ほどかかった。
今はルシアが寝込んでいる間にやってきたオルビーと名乗る若者、ジェーダ、そしてレネの三人と一緒に船に乗っている。
最初の目的地はメレントだと言う。
そこにルシアの友人がいるのだと、パーティをする約束なのだと嬉しそうに話してくれた。
あの子があんなにいきいきと話をする姿を私は見たことがあっただろうか……。
十二年も一緒に過ごしてきたというのに。
「ジジさん、あんたはどうするんだい? 神殿から出ていくんだろう?」
「私も……ウォールディンたちと一緒に船に乗ろうと思っています。ウォールディン曰く、私も結構強いらしいのでね」
ルシアが生まれて、聖女としてお披露目したあの日から、私の悩みはいつだってルシアだった。
闇を晴らすことと一人の娘の命を守ること。
どちらを取ればいいのかを悩みに悩んだ神殿人生だった。
だからルシアが生きていて、闇も晴れた今、神殿にいる意義を見つけることができなかった。
闇が晴れた後も、私たちミュンダーの民は力が使えるし、外の海にはまだ魔物がいる。
ウォールディンたちが大陸側の国とミュンダーを行き来する船に同行し、安全に船が行き来できるよう護衛することを生業とすると聞くや否や、一緒にその仕事を手伝いたいと頭を下げていた。
闇のない今、新たな瘴気の発生はない。
だから世代を経るごとにゆるやかにミュンダーの民の力もなくなるだろうし、魔物もいなくなっていくだろう。
だがそれはまだまだ先の話だ。
今、ルシアが晴らして戻ってきたこの世界を大事にしたかった。
「なんだ、ジジさんも行っちまうのかい」
ミトさんがそうこぼすと同時に、バロン、ボロロンと弦楽器の音が鳴り響く。
神殿前広場の中央に立った手足の長い巻き毛の男が声を張り上げた。
「さぁ! 始まるよ、始まるよ。今日ももちろん光の勇者様たちの歌だ~!」
闇に包まれていた頃、姫物語を歌っていた詩人バルケルは闇が晴れてからずっと、この演目をここ神殿前広場で歌っている。
私が昔話した天地創造の勇者たちの話も入っているが、主題はレネとルシアが多くの助力を得て闇に打ち勝つ話だ。
今日も「バルケル様~!」という黄色い声や「待ってたぞ~」という野太い声があちらこちらから飛び、さっきまでここで遊んでいた少年少女たちも今や最前列でお行儀よく座って待っている。
今やこの国でこの演目を知らぬ者はいないだろう。
「ジジさん、ありがとう。十二年間あの子の傍にいてくれて」
ミトが微笑ましそうに集まった人を見渡しながら言った。
バルケルの歌物語に集まった聴衆は老若男女皆が、嬉しそうな顔をしている。
毎日毎日同じ歌を聞いているにもかかわらず、ミュンダーの民ならまた聞きたくなるのだ。
「私は感謝しているんだ。聖女だってことを隠して私に会っていた時、あの子は笑っていたからね。セイが聖女様だって知った時、驚きももちろんあったが、良かった、あの子は幸せだったんだと心底ほっとしたんだよ」
バルケルの声が青い空の下に響き渡る。
諦めぬと決めたのだ
どんなに闇が深くとも
進むべき道が見えねども
空には鳥が飛び、雲が流れる。
ランタンがなくとも、かがり火を焚かずとも、人々の顔が見える。
キラキラと目を輝かせているのがわかる。
あの日、闇が晴れた日にみた見渡す限りの海と空が広がる光景を私は忘れることができない。
どこまでも続く海と空の青さは、闇に閉じ込められていたミュンダーの民にはきっと自由の色に見えたことだろう。
闇の外から来たウォールディンたちの姿を見れば、皆が話をせがむ。
自分たちとは全く違う生き方を聞いて、一体あの海の向こうにはどんなものがあるのだろうと胸を高鳴らせ、そんなにも違う生き方をしている人々が同じ空の下に住んでいることに不思議な気持ちを抱く。
これからを生きる子供たちは思うだろう。
世界はこんなにも広くて、こんなにも多くの色があるのだと。
ここまで読んでくださった読者の皆様。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
『名ばかり聖女の覚醒』はこれにて完結です。
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読んだぞ!とリアクション頂ければ、嬉しいです。
またどこかの小説でお会いできることを願って。
南の月




