第4話 よし、聖女やめちゃおう!
泣いて、泣いて、泣いて。
泣きつかれて眠っていた。
今は夜なんだろうか。それともまだ昼?
もしもこの闇が晴れたなら、昼は明るい日が差すのだという。
それってどんな感じなのだろう。
ボーっと窓の向こうの闇を見つめてそんなことを考える。
ふーっ。
なんだか泣き疲れて眠ったらそんなに悪い状況ではない気がしてきた。
私は聖女だ。
ジジ様にも聞いたからこれは紛れもない事実。でも……だから何?
聖女なんて嫌。それなら逃げちゃえばいい。
私は罪人ではないのだし、どこへ行っても自由なはずだ。
聖女が嫌だと言って髪を引きちぎるぐらいなら、ここを出ていけばいいのだ。
そう! ここを出て、自由に生きるの!
「よし、聖女やめちゃおう!」
聖女をやめるなら、神殿からは出ていかなければならない。
一目で聖女と分かるこの金の髪は確かに目立つけれど、幸いこの国は闇に包まれている。
フードをかぶって外出すればわからない!
問題は、どうやってここを抜け出すか。
神殿の入口から普通に出たら入り口を守る聖騎士に何か言われそうだし……。
ここの窓から飛び降りる?
それか隣の木に飛び移るとか?
窓に手をかけ、足をかけようとしたところで、コンコンと控えめなノックがした。
「聖女様、お茶をお持ちしました」
急いで窓にかけていた足を下ろし、「どうぞ」と声をかける。
アスラがお茶を持ってきてくれたということはさほど時間はたっていなかったらしい。
入ってきたアスラが窓際に立っている私を見て目を見開いた。
逃げようとしたのバレたんだろうか。
いつもは意識もしない心臓の音が大きく聞こえる。
アスラが早足で歩いてくる。
まっすぐと私に向かって。
やっぱりバレてしまったのだという私の中の小心者の気持ちが私の体を後ろへ後ろへと反り返らせる。
「聖女様、危ないです。落ちたら死んでしまいますよ」
アスラが反り返る私の背に手を当てて言った。それから私を椅子に座らせ、黙々とお茶の準備を始めた。
良かった、バレてないとほっと胸をなでおろしたところで思い出す。
あれ? アスラ今なんて言った?
落ちたら死ぬって言ってなかったっけ?
「ねぇ、アスラ。ここから落ちたら死んじゃうの?」
「そうですね。ここは三階ですから、死ななくても手や足が折れてしまうかもしれません。だからあんなに窓の外に身を反り返らせてはいけませんよ」
三階って落ちたら死ぬかもしれないんだ。
死ぬところだった。
一階の窓の外も三階の窓の外もぽつりぽつりとある蓮灯や灯茸のぼんやりした光が見えるだけで同じように真っ暗だからできると思っていた。
危なかった。でも、まだ生きている。
「聖女様、お茶の準備ができましたよ」
一度考えを中断して窓辺からよろよろと戻り、席に着く。
アスラが今日持ってきたのは、スコーンだった。私の好きなお菓子。
いつもは小さな果実か木の実を甘く煮たものが小皿に入っているが、今日は泣いて朝食を抜いた私に気を使ってくれたみたいだ。
「アスラ、今日は本当にごめんなさい」
扉から出ていく間際のアスラに声をかけた。
ジジ様から本当のことを聞いてショックだった。でも、八つ当たりはいけないよね。
「いいえ、私も力になれず申し訳ありません。でも聖女様、これだけは覚えておいてください。聖女様のお力についていろいろと文句を言う者もおりますが、私も含め、大半の人は聖女様を信じております。今でも聖女様は私たちの希望でございます」
「うん、ありがとう」
そして、ごめんなさい。
私、聖女やめるんだ。
アスラが出て行って、スコーンに手をつける。半分に割って、ジャムはどっさり。
「ん~!」
さっきまでは最低な気分で、泣いて、泣いて、この世の終わりかと思うほどだったのに、今だって私はみんなを裏切って神殿から逃げ出そうとしているのに。
なんで甘いものはこんなにも幸せな気分にしてくれるのだろう。
私の悩みって、嘆きってこんなものだったんだろうか、それとも私って結構図太い?
「でも、スコーンに罪はないもの。美味しく食べなきゃ損よね! ほら見て、このつやつやした赤いベリーの輝きを。うっとりしちゃう。スコーンとジャムを考えた人はなんて天才なの」
いつものように、独り言を言いながら、あっという間に食べ終えた。
「あ~、このあふれ出る幸せを私一人で味わっていいのかしら。ふふっ」
残った紅茶に口を付ける。
ようやく冷静になった頭で再び逃亡について考えてみた。
窓から飛び降りられないならどうしようか。
ダメもとで裏口から出て行ってみようか。
意外とできるかもしれない。
あ、そうだ!
さっき窓から物を落としたことにしよう。
止められたらそう言えばいいんだわ!
思いついたなら即実行! ということで、ぱっと椅子から立ち上がり、クローゼットへ向かう。
「えーっとローブは……。あった! じゃじゃじゃ、じゃーん。ジジ様の式典を見るために作ったどこにでもある普通のローブ!」
誰もいない聴衆に向かって、ローブを高々と掲げて見せた。
ハッと気づいて咳払いをする。
しまった。また独り言言っていた。
このローブは去年の式典前に注文したもの。服やブーツを選んだ後、こっそり「普通の、普通過ぎるくらい普通のローブください」と商人にお願いしたのだ。
もちろん同席していたアスラには「何に使うのですか?」と突っ込まれ、「こっそり式典を覗きに行く」と言ったら呆れられたけど。
フードのついたローブを着て、部屋を後にする。
神殿内を歩く分には何も言われない。
いつも部屋にいたけれど、これならもっと神殿内を探検しておけばよかったな。
裏口には一人見張り番がいる。
何気なくあいさつをして、さっと通り過ぎる。
普通に、普通に。大丈夫、フード被っているんだから大丈夫……。
「ちょっと待て!」
「は、はい!」
座っていた見張り番が立ち上がる。
驚きで、瞬時に背筋がピッと伸びる。
気づかれた⁉
一歩近づいてくる。
そしてもう一歩。
あぁ、ここでフードを取られたら、髪の色ですぐに私だとわかってしまう。
さらに一歩。近い!
「ほれ、貸してやる。ランタンも持たずに外なんか歩けんだろ」
「あ、ありがと~」
目の前にぬっと突き出されたランタンを手に取る。
そりゃそうだ。外は真っ暗なんだから、ランタンはいるに決まっているだろう。
うっかりしていた。
裏口を抜けて、少し足早に歩を進める。
まだ心臓がドキドキしている。
呼び止められた時は、心臓が握りつぶされたかと思った。
神殿前広場まで出てちらりと後ろを振り返る。案外簡単に出てこられた。
なんで今まで私部屋から出なかったんだろう。
また少し歩いて神殿から距離を取る。窓から町を見たことはあっても、窓からの景色は光苔が張り付いたことで見える建物の形、灯茸が灯る道の形しか見えなかった。
けれど、実際に歩いてみるとたくさんの人がいることが分かる。
ゆらゆら揺れるランタンの灯り、足音や話し声、そして「焼き立てパンありまーす!」「羊毛いりませんかー」という呼び声も。
さっき握りつぶされた心臓が再びどくどくと音を立てて動き出す。
楽しいことがありそうな、そんな浮かれた音だ。




