ep.34 陽だまりで遊ぶ猫のように 1/2(乃愛視点)
ほら、ほらおいで。
猫ちゃんこっち。ね? 出ておいで。
学園の敷地ぎりぎりのところに穴場があった。
穴場といっても、教師に見つからずにサボれるとか、まして喫煙できるとかそういうのじゃなくて。
体育倉庫の角を曲がった先のフェンスが破けているのだ。そこを抜けて入ってくる、私の一番好きなもの。
野良猫ちゃんたちのたまり場になっているのだ。
だから、私はこの場所が大好きだった。
人のなかなか立ち寄らない場所だから、草も生えっぱなしだし。雨のあとはぬかるんじゃってるし。
だからここにくるといつも制服は泥やホコリまみれになる。
秋になればオナモミがスカートのどこかに必ずついてしまう。
気づけば、クラスの子たちは私にひっつき虫が付いてるか確認することを日課にしてるようだった。
私としては毛づくろいしてくれてるみたいで。その楽ちんな状況に甘えてたりして。
私、源乃愛の学園生活は、そういうことの繰り返しでできていた。
授業は簡単だった。そしてどんな教科書も参考書も暗記することができた。
誰とでも仲良くなれたけど、誰とも一緒にはいなかった。
事故にあって5歳から12歳までの7年間、私は眠り続けていたらしい。
その眠りを覚ませてくれたのは王子様というわけでもなくて、
ただ、朝起きるようにして私は突如、目を醒ましたらしい。
医者が言うのは、どうして目覚めているのか、いまの医学の常識では理解できないらしい。
脳のなかでも脳幹や小脳といった部位が無事であれば大脳の機能を消失したとしても、目を覚ますことはあるらしい。
いわゆる植物状態というものだ。
私の場合、脳幹の機能も動いていないらしい。
脳死の状態だ。辛うじて反応があるのは小脳の一部と聞いたことがある。
自発的な呼吸や、心拍を動かすことさえできないはずだと聞いた。
つまり、私は医学的には死んでいるらしい。
生きてるんだけどね。
もし、ヒトとして生きている証明ができないのなら、陽だまりで遊ぶ猫のように生きていければいいとさえ思った。
「ほら、ほら。おいでおいで。来ないなら、私がいっちゃおっかな?」
フェンスの破れは、私の体がすれすれ通れるくらいのものだ。そこから敷地の外に出れば、ちょっとした陽だまりがある。
猫たちの集会所だ。
長く眠っているとき、私はずっと祈っていた。
もともと好奇心が旺盛な子供だったみたいで、とくに私は未来というものに興味があった。車が空を飛ぶとか、タイムマシーンに乗れるとか。
そういう未来を一目だけでも見せてほしいって、そういうことだけ考えていたのを覚えている。
そんなとき、巫女服のような恰好をした神様の夢を見た。
銀髪の綺麗な少女だった。いや、正確には年齢はわからない。幼かった気もするし、大人な女性だったような気もする。
その人が私を未来に連れて行ってくれたんだと思ってる。
だから、私はタイムトラベラーなんだと思ってるし、奇跡の少女として地元の新聞で取り上げられたときには、それを冗談めかして自称したりもした。
尾びれがついた噂は、この一ノ宮学園のなかでも広がってしまったのだけど。
お尻がつっかえないように身体をよじらせながら、四つん這いの態勢でフェンスをくぐる。幸いの天候のおかげで地面は乾燥していて、前回よりはよっぽど汚れも少なく済みそうだった。
フェンスの端のささくれに、ブレザーが引っかかってしまった。
慣れたものだと思っていたけれど、少し焦る。
「源乃愛先輩、ですよね」
そんなとき、背のほうから中性的な声色をした声が聞こえた。
私のことを先輩と呼ぶのだから、後輩で、学園の生徒なのだろう。
しかし、その方向を見ようにも引っかかたフェンスの針金が釣り針のように制服に食い込んでいくため、その存在を確認することができない。
誰かは知らないけれど、助けを求めることにした。
「……助けて。抜けなくなっちゃった」
すると、いとも簡単にフェンスの針金を外す手が見えた。男の子のようだ。
その人に後ろへと引きずられるようにして、フェンスから抜けて無事に学園内に戻ることができた。
目当ての猫はとっくにフェンスを超え、見えないところまで駆けていった。
「ありがとね! ちょっとドジッちゃって。えっと……」
「乃愛先輩に話があるんですが、お時間いいですか。俺は、真田一樹といいます。先輩と同じく、時間を超えてきたものです」
それが私、源乃愛と、本物のタイムトラベラーとの最初の出会いだった。




