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ep.32 アタシなんかに振り向かないの

「要するに、えっと一樹は……なつ海ちゃんに《《キスされた》》と……いうことなんですね――沙織的にもそれは想定外ですよ。いやライバルなのはわかってましたけど?」


 沙織との日課になりつつある自販機前での会合。

 購買で購入したパンを食べ終わったあと、なつ海にタイムリープが先日からは発生していないことや、『昨夜のなつ海とのこと』を話題とした。

 その結果がこれである。


「でもでも、その前はさやかと一緒にアプリ作ったりしてましたし。昨日はなつ海ちゃんと由依ちゃんと3人で海に行ったとか言ってた気がするし」


「えっとえっと、そう。乃愛さんと買い出し行ったときもなかなか帰ってこなかったし。そだ、後輩ちゃんとはどうなったんですかね」

 

 少し俯き加減で、沙織はぶつぶつと何か言っているようだった。

 腕を組み、ベンチに深く腰をかけた彼女のご機嫌が斜めであることは、一目同然だった。


「あの、えっと、沙織さん?」


「沙織、《《さん》》?」


「……沙織、あのさ……なんか途中から早口で良く聞こえなかったんだけど」


「それは気にしないでいいの。で、《《キスされた》》んだよね」


 どうやら沙織としては、なつ海からなのか、俺からなのか、といったところが気がかりのようだった。

 

「? ああ、急にな」


「前ぶり的なのとか、雰囲気とかで、わかんないもんですかねー。わかんないんでしょうね……。はぁ……。で、どうするの?」


「どうすりゃいいんかなって思って、沙織に相談を……」


 マジでどうすればいいのか分からないでいた。

 確かに、なつ海はリサマのメインヒロイン枠で、その点で俺は彼女を客観的に攻略対象の《《女性キャラ》》として見ていたところはある。


 しかし、この世界においてのなつ海は、俺の妹で、家族だった。

 それは彼女の唇の感触を受けても変わらない。そう思う。


「アタシも、キスしたこともされたこともありませんけど。あ、一樹はされたことあるんだった。なつ海ちゃんと。てゆか、それをアタシに相談するって……沙織は一樹の何番目なんですかね」


「さやかと同じこと言ってるな……」


「なにか、言いましたか」


「いえ、なんもないっす」


「あーもう……。そうね、ちょっと落ち着くから、すこし待って」


 そう言ってなつ海は、まだタブを開けていないコーラの缶を手にして、自身の額につける。缶に結露し付着した水滴が、キラキラと夏日に反射する。

 

 零れたその水を髪や制服に浴びながらも、沙織は気にする様子もなかった。気にする余裕もないのかもしれない。

 そうして、目をつぶる沙織のことを俺はただ待つしかなかった。


       ***


 今朝のなつ海は普段通りだった。

 あのキスのあと、彼女は何食わぬ顔で自室へと帰っていき、取り残された俺はその彼女の行動の意味に悩まされていた。


 結果、あまり眠れないまま朝を迎えた俺だったが、

 リビングには対照的に元気な姿のなつ海がいた。

 

「おはよ、兄さん。オムレツにしたから、口に合うといいけど」


 賞味期限を気にしていた卵のことだとすぐにわかった。

 会話の内容で、昨夜のことが事実だと再認識される。

 つまり、なつ海はしっかり昨日のことを覚えているということだ。


「お、おう。おはよう。由依ちゃんもおはようだね」


「おはよ~ござい~ます~なつ海ちゃ~ん、由依にもおむれつぅ」


「はいはい、作っておいてあげるから先に顔洗っておいで」


「は~い~……zzz」 


 結局、由依もいる席だったため、昨夜のことは聞けずにそのまま登校する運びとなった。

 これが7月3日、今朝のことである。


       *** 


「…ちょっと頭冷えてきた。いいの、アタシは一樹の傍でサポートするって決めてるんだから。ただちょっと、頭が追いつかなかったというか、心が置いてけぼりというか――。とりあえずもう大丈夫だから話を進めましょう」


 沙織は、あてがった缶を額から外す。

 身体を起こした沙織は先ほどに比べると、すっきりした表情に見えた。


「すまん、なんか沙織には話しときたくってさ」


「信頼していただき何よりでございますよご主人様。で、沙織としては気になるんだけどさ。一樹はどう思ってるの? なつ海ちゃんのこと」


「え? 俺?」


 意外な質問だった。

 そもそも、兄妹でというところに俺は躊躇していたのだが、沙織はどうやらそうではないらしい。


「いや、そこが大事でしょうよ」


「……大切な、妹だと思ってる」


 これは、俺の本心だ。

 しかし。


「それって、本当?」


 口うるさいところがある。

 ゲームに集中していると、口も悪くなる。

 それでも、俺のためにアドバイスをくれたり、学園祭の手伝いもしてくれた。


 なつ海が俺を呼ぶ、兄さん。という声を聞くたびに、嬉しく思う俺もいる。

 なつ海のつくる料理も、彼女の笑顔も俺は好きなんだろう。


――兄さん、やるじゃん。この、や さ お と こ


 ああ、そうだ。

 俺はいつも、妹の前で恰好つけたいって思ったんだ。


 それは家族だからなんだろうか。


「……」


「言い返せないのは、一樹の中に、なつ海ちゃんを好きな気持ちがあるんじゃないかな。アタシはさ、それもまた《《アリ》》って思っちゃうくらいには、二人を見てきて思うわけよ。それに、兄妹の愛なんて、図書館にはたくさん本も置いてますし」


 とんでもない事を軽く言う。

 その言葉は茶化しでも、中傷でもなく、佐藤沙織のもつ価値観として確立されている何かなのだろう。


「それはフィクションの話だろ」


「現実は小説より奇なりって言葉をご存じなくて?」


「まあ……」


「はい、論破! で、さ。そろそろ、聞いてもいいのかなって思うんだけど、いいかな」


 プシュッと音を立ててコーラのプルタブが開く音がする。

 沙織が手にしていた缶を開けたようだ。


『そろそろ、聞いてもいいのかな』という言葉の意味は、いままでは気づいてて聞かないふりをしていたけれど。

 ということなんだろう。


 リサマのなかでは、佐藤沙織は都合の良い存在だった。

 まさにモブキャラで、主人公の色恋沙汰に対して深入りせず。

 それでも必要なサポートをしてくれる、そんなホスピタリティだけで形成されているようなキャラクターだった。

 

 しかし、彼女は違うんじゃないかと思う。

 佐藤沙織のもつ優しさやサポートはそのままなのだが。

 

 ときに感情的なところがあって。

 乃愛が認めるほどの知性も知識も持っている。だからこその学園祭での活躍も俺は知っている。


「アタシに隠してるよね。もっとたくさんのこと」 


「……そうだな」


 俺の嘘。

 一つは、リサマというゲームの傍観者だった俺が、この世界にいるということ。

 もう一つは、佐藤沙織を好きになる機会やルートは、本当は用意されていないこと。

 

 そう、俺が沙織の傍にいる未来なんて、プログラムされていないかもしれないこと。

 それでも。

 

 時折、彼女は半歩ほど下がって、俺たち、そうリサマのメインキャラを見つめることがある。

 まるでそれが自身の役割であるとわかっているように。


 俺はそんな彼女に手を差し伸べたいと思ったんだ。

 その気持ちは、もう目の前のこの子にはすべてわかっていることなのだろう


「――自惚れかも、しれないけどね、あ、なんか。ちょっと緊張しちゃうね」


「すー、はー。すー……よし。あのね一樹。一樹はアタシのこと、沙織のことを……好きなんだよね」


 真っ直ぐに見る彼女の瞳に思わず吸い込まれそうなくらいだった。

 そのくらいの意志をもった彼女は、とても強く、儚く見えた。


「……ああ。俺は沙織が好きだ。だから、なつ海の気持ちには応えられない。妹だから、とかじゃなく。俺が好きなひとは、沙織だから」


「――うんッ、うんッ。……あのね、すごく嬉しい。アタシも好き。一樹が好き」


 沙織は俺の気持ちを咀嚼するように、何度も頭を縦に振る。

 それが喜びのエモーションだけではないことに気づいたのは、そのすぐあとだった。


――でもね。


「沙織……?」


「でも、それはおかしいって思うんだ。沙織的にはね、真田一樹って人はアタシなんかに振り向かないの。……だから」


 ベンチから立ち上がり俺の顔を上から覗き込むように。

 俺の伸びすぎた前髪に手をかざす。


       *** 


――その澄んだ瞳は俺が何百回と見たそのものだった。


 俺はその子を、そのキャラクターを知っている。

 その子の名前は、佐藤沙織。

 美少女ノベルゲーム『Re;summer-夏色はくり返す-』、通称リサマの女友達キャラクター、

 作中の幼馴染で正ヒロイン『結城さやか』の親友にあたる存在。


       *** 


 まるで、あのときの。

 リサマの冒頭のイベントCGのようだと思った。


 そっと俺の唇に触れる彼女の唇。

 なつ海のときよりも長いその刻は、確かにキスをしているという実感とその行為自体に対する渇望にも似た感情を呼び起こす。


 俺もその彼女の行為に応えるように彼女の頭に手を添えて引き寄せる。

 ただ、彼女が愛しかった。

 その想いを伝えるようなそんなキスをした。


 そして互いの唇が離れたとき、佐藤沙織は俺に問いかけた。


――突然だけど。キミは、《《だれ》》ですか?

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